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第一章 代筆屋と客じゃない客
第五片 ゼンとカレン
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ハイルの手紙が何とか形になってきた頃、代筆屋の裏口には仕事から戻ってきたゼンの姿があった。
切れ長の目は蒼にも緑にも見える不思議な色で、短めの茶髪は長身のスタイルの良さをさらに際立たせる。
口元のホクロが色っぽいと、酒場の女たちや商会のスタッフからひっきりなしに誘いを受けるほどの美男子だ。ただ本人は、恋人を作る気がない。
なんでも屋を営んでいるゼンは、十八歳でまだ若いけれど基本的にフリーで仕事を請け負っている。
今日は商会長の息子と一緒に、買い付けたものが商品リストのとおりに揃っているかの検品を行ってきた。なんでも屋の仕事の中では、まっとうな仕事の分類に入ることは間違いない。
彼は裏口からそっと店に入ると、店内が見える小窓から接客中ということを知り、そのまま足音を立てずに二階へと上がる。大きな荷物をベッドの脇に放り投げると、すぐにまた一階に降りてキッチンに立った。
小窓から見えるカレンの横顔が笑っていることを確認すると、湯を沸かすために鍋に火をかけて野菜を切り始めた。
(カレンの方もそろそろ終わりだな。今日はポトフと串焼きでいいか)
用意するのは、いつも通りふたり分の夕食。夜に仕事に行くことが多いゼンはあまり料理をしないが、もともと手先が器用なので夕食づくりも嫌いではない。
手際よく下ごしらえを済ませると、書き損じの紙に火をつけて竈の準備をする。キッチンには炭がはじける音や藁が燃えるにおいがして、穏やかな夜の訪れを感じさせた。
「おかえり、ゼン」
ハイルを見送ったカレンがキッチンへと入ってくる。ゼンは鍋の中をかき混ぜながら、カレンの方を振り返った。
「ただいま。今日は遅かったね、お客さん」
ゼンのそばに嬉しそうに寄ってきたカレンは、長い黒髪をさっとひとつに纏めると、手を洗って夕食づくりを手伝い始める。
「ええ、お仕事帰りですって。商会長さんのところの研究者さんよ」
「ああ、どこかで見たことあると思ったら。ハイルさんだよね?」
「ゼン、知ってるの?」
「知ってるっていうか、有名な人だよ。カレンもお世話になった気管支の炎症を抑える薬を作った人らしい」
「え!そうなの!お礼を言いそびれちゃった」
「ま、いいんじゃない?あの人は誰かのためにっていうよりは、研究が好きすぎてやってる一種の変人だって聞くしね」
「変人って」
カレンはそういうと、皿を並べていた手を止めて思い出したように口を開いた。
「そういえば今朝、変な客が来た」
真剣な顔つきのカレンに、ゼンの手も止まる。
白い湯気が立ち上るキッチンに、静寂が広がった。
「変な客?ってどんな」
声のトーンを落としたゼンは、カレンを見つめる。
「見合い相手に手紙を書きたいっていう内容だったんだけど、多分あれは嘘。この店を調べに来たみたいだった」
腕組みをして考え込んだカレンに、ゼンは鍋を火から下ろしてその正面に向かう。
――グリッ
「うえっ!?」
ゼンはカレンの眉間に人差し指を思いきり押し付け、シワを伸ばすようにグリグリと擦り付けた。
「ダメだよ、あんまり深く考えちゃ。まだ、あいつらかどうかわかったわけじゃない」
カレンよりも頭一つ分以上背の高いゼンは、優しい目で彼女を見つめた。カレンはゼンの指が相当痛かったのか、眉間に手をやって押さえ、かすかな呻き声をあげている。
「イテテ……。そうね。悪い人じゃなさそうだったし、何か事情があって来たのかもしれないわね」
「そうだよ」
すっかり出来上がった夕食をテーブルに並べ、ふたりはいつものように早めの食事を摂った。今日、ゼンは夜中の仕事はないらしく、久々にゆっくりできると笑っている。
食事を終えて後片付けをしていると、酒入りのグラスを持っているゼンがふと訪ねてきた。
「カレンはここで代筆屋をやる生活、気に入ってるんだよな」
突然の質問に、カレンは首を傾げながら高い位置にある彼の瞳に自分のそれを合わせた。その表情は「何を当たり前のことを」とでも言っているようだ。
「ええ。みんないい人だし、前よりずっと幸せよ」
その笑顔に嘘はないと、付き合いの長いゼンにはすぐにわかった。カウンターに背を預けながら、ちびちびと酒を飲む。
「そうか。なら、いい」
ちゃぷちゃぷと聞こえる水音が心地いい。酒のせいで少しだけ上がる体温に、近くの酒場から聞こえてくる陽気な音楽。この日はいつになくゆったりとした夜が過ぎていくのだった。
切れ長の目は蒼にも緑にも見える不思議な色で、短めの茶髪は長身のスタイルの良さをさらに際立たせる。
口元のホクロが色っぽいと、酒場の女たちや商会のスタッフからひっきりなしに誘いを受けるほどの美男子だ。ただ本人は、恋人を作る気がない。
なんでも屋を営んでいるゼンは、十八歳でまだ若いけれど基本的にフリーで仕事を請け負っている。
今日は商会長の息子と一緒に、買い付けたものが商品リストのとおりに揃っているかの検品を行ってきた。なんでも屋の仕事の中では、まっとうな仕事の分類に入ることは間違いない。
彼は裏口からそっと店に入ると、店内が見える小窓から接客中ということを知り、そのまま足音を立てずに二階へと上がる。大きな荷物をベッドの脇に放り投げると、すぐにまた一階に降りてキッチンに立った。
小窓から見えるカレンの横顔が笑っていることを確認すると、湯を沸かすために鍋に火をかけて野菜を切り始めた。
(カレンの方もそろそろ終わりだな。今日はポトフと串焼きでいいか)
用意するのは、いつも通りふたり分の夕食。夜に仕事に行くことが多いゼンはあまり料理をしないが、もともと手先が器用なので夕食づくりも嫌いではない。
手際よく下ごしらえを済ませると、書き損じの紙に火をつけて竈の準備をする。キッチンには炭がはじける音や藁が燃えるにおいがして、穏やかな夜の訪れを感じさせた。
「おかえり、ゼン」
ハイルを見送ったカレンがキッチンへと入ってくる。ゼンは鍋の中をかき混ぜながら、カレンの方を振り返った。
「ただいま。今日は遅かったね、お客さん」
ゼンのそばに嬉しそうに寄ってきたカレンは、長い黒髪をさっとひとつに纏めると、手を洗って夕食づくりを手伝い始める。
「ええ、お仕事帰りですって。商会長さんのところの研究者さんよ」
「ああ、どこかで見たことあると思ったら。ハイルさんだよね?」
「ゼン、知ってるの?」
「知ってるっていうか、有名な人だよ。カレンもお世話になった気管支の炎症を抑える薬を作った人らしい」
「え!そうなの!お礼を言いそびれちゃった」
「ま、いいんじゃない?あの人は誰かのためにっていうよりは、研究が好きすぎてやってる一種の変人だって聞くしね」
「変人って」
カレンはそういうと、皿を並べていた手を止めて思い出したように口を開いた。
「そういえば今朝、変な客が来た」
真剣な顔つきのカレンに、ゼンの手も止まる。
白い湯気が立ち上るキッチンに、静寂が広がった。
「変な客?ってどんな」
声のトーンを落としたゼンは、カレンを見つめる。
「見合い相手に手紙を書きたいっていう内容だったんだけど、多分あれは嘘。この店を調べに来たみたいだった」
腕組みをして考え込んだカレンに、ゼンは鍋を火から下ろしてその正面に向かう。
――グリッ
「うえっ!?」
ゼンはカレンの眉間に人差し指を思いきり押し付け、シワを伸ばすようにグリグリと擦り付けた。
「ダメだよ、あんまり深く考えちゃ。まだ、あいつらかどうかわかったわけじゃない」
カレンよりも頭一つ分以上背の高いゼンは、優しい目で彼女を見つめた。カレンはゼンの指が相当痛かったのか、眉間に手をやって押さえ、かすかな呻き声をあげている。
「イテテ……。そうね。悪い人じゃなさそうだったし、何か事情があって来たのかもしれないわね」
「そうだよ」
すっかり出来上がった夕食をテーブルに並べ、ふたりはいつものように早めの食事を摂った。今日、ゼンは夜中の仕事はないらしく、久々にゆっくりできると笑っている。
食事を終えて後片付けをしていると、酒入りのグラスを持っているゼンがふと訪ねてきた。
「カレンはここで代筆屋をやる生活、気に入ってるんだよな」
突然の質問に、カレンは首を傾げながら高い位置にある彼の瞳に自分のそれを合わせた。その表情は「何を当たり前のことを」とでも言っているようだ。
「ええ。みんないい人だし、前よりずっと幸せよ」
その笑顔に嘘はないと、付き合いの長いゼンにはすぐにわかった。カウンターに背を預けながら、ちびちびと酒を飲む。
「そうか。なら、いい」
ちゃぷちゃぷと聞こえる水音が心地いい。酒のせいで少しだけ上がる体温に、近くの酒場から聞こえてくる陽気な音楽。この日はいつになくゆったりとした夜が過ぎていくのだった。
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