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6.好奇の目
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聖騎士団長マルティン・ヴァイス様の深夜の来訪で、グリュンバウワー家の王都屋敷は上を下への大騒ぎになった。
小さな応接間には、縁談を断られて帰って来るであろう私のために、残念会の準備がされていた。
使用人たちが慌ただしく、手作りの飾り付けを取り外していく。
私が勝手に通してしまったんだけど、玄関でお待ちいただくべきだったか……。
ふと、女の使用人たちがチラチラ見る、ぽおっとした視線に、ヴァイス様の表情が消えていくのに気が付いた。
恋愛感情を向けられるのが気持ち悪いと仰っていたけど、この程度のことでもダメなのか。
さっきまで私に向けてくれていた笑顔が嘘のようだ。
けど、それが余計に端正な顔立ちの美しさを際立たせてるし、ますます使用人たちの視線が熱を帯びる。すると、さらに表情が消えて……。
――これは、結婚できないはずだわ。
応接間が元の簡素な姿に戻る頃、正装をしたお父様が現われた。
お母様とアンナも正装で従っている。深夜の急な来訪に、慌てて着替えたのだろう。
「お見苦しいところを見せてしまいました」
「こちらこそ、深夜に突然、押しかけてしまい申し訳ございません」
円いテーブルを挟んで向き合うお父様とヴァイス様が互いに頭を下げる。
深々と頭を下げるヴァイス様に、お母様とアンナも恐縮している。
恐縮しつつ、チラチラ見ている。
うん。貧相な応接間に似つかわしくない、美形の貴公子が座っています。お母様とアンナの反応も無理はない。
ヴァイス様はといえば、お父様しか見ていない。
貴族同士の結婚となれば、当人同士の意思も大切だけど、それ以上に家と家の問題だ。お父様のお許しをいただけるかどうか、ヴァイス様に委ねるしかない。
私は、ヴァイス様の執務室での“密談”を思い返していた――。
◇
契約結婚するにあたって、ヴァイス様からはいくつか条件を出された。
いちばん大きな条件は、
――好奇の目に耐えられることを、証明すること。
聖騎士団長の妻ともなれば、公の場に立つ機会は避けられない。ただでさえ注目が集まることになる上に、私の見た目はゴリラだ。その視線と、心ない陰口に私が耐えることが出来るのか。
ヴァイス様の懸念は、もっともなことだと思った。
「アリエラ殿が王都の社交界に登場すれば、凄まじい好奇の目に晒されることになります」
「私はむしろ、社交の場を体験できることが楽しみです!」
「……王都の社交は、見かけは華やかですが、決して、綺麗な場所ではないのです」
「ええ、もちろん! それも含めて楽しみなのです」
ヴァイス様は片目を押さえたまま、少し悲しげに笑った。
「そのことを、私に納得させていただきたいのです」
「どうすれば、信じていただけますでしょうか?」
「小さな宴にいくつかお連れいたします。実際に体験していただき、アリエラ殿がお辛いようでしたら、この話はなかったことにしていただいたので結構です」
契約結婚は私から持ちかけた話なのに、辛くなったら私の方から断っていいと、ヴァイス様は仰った。
私と見せかけの結婚をすることで、聖騎士団長の解任を避けられることがヴァイス様にとって、どのくらいメリットのある話なのか分からない。
だけど、
――いい男、ではないですか。
と、誠実な人柄に心が震えた。
私が好奇の目で潰されることを、本気で心配してくれている。ならば、私も本気で応えたい。ヴァイス様の片方の瞳を見詰めて、力強く頷いた。
「承知いたしました」
「それから、今は12月ですが、春になれば聖騎士団は例年通り出兵し、冬まで戻りません」
「魔獣討伐、瘴気溜まりの浄化でございますね」
「そうです。つまり、春になればアリエラ殿を王都に一人にしてしまう。ですから、それまでにお立場をハッキリさせて差し上げたいと考えています」
「……それは、春までに結婚式を挙げるということですか?」
「その通りです」
私との結婚を、とても真剣に具体性をもって考えてくれてる。
ほ、惚れてまうやろ……。
いかんいかん。惚れたら、そもそも契約結婚の話がなしになってしまう。
「ただ、聖騎士団長の婚約となれば、陛下のお許しも必要になります」
「なるほど……。母もヴァイス様の結婚は国家の一大事と申しておりました」
「陛下主催の新年の宴にお連れして、陛下の裁可を仰ぎたい」
「かしこまりました」
「新年の宴は、フェステトゥア王国のすべての貴族が勢揃いする、もっとも盛大で華やかな場となります」
「その場にお連れいただくまでに、私が好奇の目に耐えられるかどうか、決意が挫けないかどうかを証明すればよろしいのですね」
「その通りです」
うん。もし、この話がどこかで躓いて破談になったとしても、新年の宴までは王都にいられる。
そのあとの一生を、山奥のリエナベルクで過ごすことになるかもしれないのだ。1ヶ月ほど、好奇の目に晒されることも含めて、しっかり楽しみ尽くしておこう。おっ。心が弾んできた。
笑みがこぼれるのを抑え切れない私が頷くと、ヴァイス様は立ち上がった。
「それでは、まず、グリュンバウワー侯爵のお許しをいただきに参りましょう」
「お父様の……。え? 今からですか?」
「私がアリエラ殿と面会したことを、既に知っている者は知っているでしょう。噂が広まる前に、ことを急いだ方がよいのです。侯爵にご挨拶した後は、このまま我が屋敷にお移りください」
さすがに、呆気にとられてしまった。
ひょっとして私がリエナベルクから出られるチャンスじゃないかって、軽い気持ちで契約結婚を持ちかけてしまった。それが、こんな急展開になるなんて……。
促されて私も立ち上がったけど、気持ちが展開についていってない。
聖騎士団長の立場にあっても、王都の噂話や好奇の目はこんなに警戒しないといけないことなのか。ヴァイス様の様子からは、本心から危惧されていることが伝わってくる。
私を囲む人たちからは、優しさ以外の感情を向けられたことがない。ありがたいことだけど、本当は世界がそのようには出来ていないことも知っている。
それを、ついに体験できるのだ。
きっと、ツラいものなんだろうな。傷付いてしまうんだろうな。悔しい思いをするんだろうな。って想像を膨らませる私の足取りは軽い。
突然、前を歩くヴァイス様の足が止まった。
やっぱりやめたとか、言わないでくださいね。
「……申し訳ないが、アリエラ殿の擬態については、私のほかにもう一人見抜ける者が見付かるまで伏せておきたい」
「え……?」
「私しか見られぬものを口にしたところで、証明できる者もおらず、かえって心ない噂の元にもなりかねません」
「そう……ですね……」
なんとなくだけど、お父様やお母様に「アリエラ殿は、ほんとうは美しいのです!」って言ってくれることを、少し期待していた。
だけど確かに、ヴァイス様が変に思われるだけの恐れもある。
「お試しでお連れする宴では、魔力の強い者にも引き合わせましょう。もしかすると、誰か一人くらいは見抜ける者がおるやもしれません」
「分かりました、ヴァイス様にお任せいたします」
逆に言えば、ヴァイス様は見た目ゴリラの私でもいいと仰ってくださっているのだ。こんな機会が二度と訪れるとは思えない。
今は欲張らず、正式な結婚にいたることだけを考えよう。
諦めていた『自由』に向けて、一歩踏み出すことができたのだから!
小さな応接間には、縁談を断られて帰って来るであろう私のために、残念会の準備がされていた。
使用人たちが慌ただしく、手作りの飾り付けを取り外していく。
私が勝手に通してしまったんだけど、玄関でお待ちいただくべきだったか……。
ふと、女の使用人たちがチラチラ見る、ぽおっとした視線に、ヴァイス様の表情が消えていくのに気が付いた。
恋愛感情を向けられるのが気持ち悪いと仰っていたけど、この程度のことでもダメなのか。
さっきまで私に向けてくれていた笑顔が嘘のようだ。
けど、それが余計に端正な顔立ちの美しさを際立たせてるし、ますます使用人たちの視線が熱を帯びる。すると、さらに表情が消えて……。
――これは、結婚できないはずだわ。
応接間が元の簡素な姿に戻る頃、正装をしたお父様が現われた。
お母様とアンナも正装で従っている。深夜の急な来訪に、慌てて着替えたのだろう。
「お見苦しいところを見せてしまいました」
「こちらこそ、深夜に突然、押しかけてしまい申し訳ございません」
円いテーブルを挟んで向き合うお父様とヴァイス様が互いに頭を下げる。
深々と頭を下げるヴァイス様に、お母様とアンナも恐縮している。
恐縮しつつ、チラチラ見ている。
うん。貧相な応接間に似つかわしくない、美形の貴公子が座っています。お母様とアンナの反応も無理はない。
ヴァイス様はといえば、お父様しか見ていない。
貴族同士の結婚となれば、当人同士の意思も大切だけど、それ以上に家と家の問題だ。お父様のお許しをいただけるかどうか、ヴァイス様に委ねるしかない。
私は、ヴァイス様の執務室での“密談”を思い返していた――。
◇
契約結婚するにあたって、ヴァイス様からはいくつか条件を出された。
いちばん大きな条件は、
――好奇の目に耐えられることを、証明すること。
聖騎士団長の妻ともなれば、公の場に立つ機会は避けられない。ただでさえ注目が集まることになる上に、私の見た目はゴリラだ。その視線と、心ない陰口に私が耐えることが出来るのか。
ヴァイス様の懸念は、もっともなことだと思った。
「アリエラ殿が王都の社交界に登場すれば、凄まじい好奇の目に晒されることになります」
「私はむしろ、社交の場を体験できることが楽しみです!」
「……王都の社交は、見かけは華やかですが、決して、綺麗な場所ではないのです」
「ええ、もちろん! それも含めて楽しみなのです」
ヴァイス様は片目を押さえたまま、少し悲しげに笑った。
「そのことを、私に納得させていただきたいのです」
「どうすれば、信じていただけますでしょうか?」
「小さな宴にいくつかお連れいたします。実際に体験していただき、アリエラ殿がお辛いようでしたら、この話はなかったことにしていただいたので結構です」
契約結婚は私から持ちかけた話なのに、辛くなったら私の方から断っていいと、ヴァイス様は仰った。
私と見せかけの結婚をすることで、聖騎士団長の解任を避けられることがヴァイス様にとって、どのくらいメリットのある話なのか分からない。
だけど、
――いい男、ではないですか。
と、誠実な人柄に心が震えた。
私が好奇の目で潰されることを、本気で心配してくれている。ならば、私も本気で応えたい。ヴァイス様の片方の瞳を見詰めて、力強く頷いた。
「承知いたしました」
「それから、今は12月ですが、春になれば聖騎士団は例年通り出兵し、冬まで戻りません」
「魔獣討伐、瘴気溜まりの浄化でございますね」
「そうです。つまり、春になればアリエラ殿を王都に一人にしてしまう。ですから、それまでにお立場をハッキリさせて差し上げたいと考えています」
「……それは、春までに結婚式を挙げるということですか?」
「その通りです」
私との結婚を、とても真剣に具体性をもって考えてくれてる。
ほ、惚れてまうやろ……。
いかんいかん。惚れたら、そもそも契約結婚の話がなしになってしまう。
「ただ、聖騎士団長の婚約となれば、陛下のお許しも必要になります」
「なるほど……。母もヴァイス様の結婚は国家の一大事と申しておりました」
「陛下主催の新年の宴にお連れして、陛下の裁可を仰ぎたい」
「かしこまりました」
「新年の宴は、フェステトゥア王国のすべての貴族が勢揃いする、もっとも盛大で華やかな場となります」
「その場にお連れいただくまでに、私が好奇の目に耐えられるかどうか、決意が挫けないかどうかを証明すればよろしいのですね」
「その通りです」
うん。もし、この話がどこかで躓いて破談になったとしても、新年の宴までは王都にいられる。
そのあとの一生を、山奥のリエナベルクで過ごすことになるかもしれないのだ。1ヶ月ほど、好奇の目に晒されることも含めて、しっかり楽しみ尽くしておこう。おっ。心が弾んできた。
笑みがこぼれるのを抑え切れない私が頷くと、ヴァイス様は立ち上がった。
「それでは、まず、グリュンバウワー侯爵のお許しをいただきに参りましょう」
「お父様の……。え? 今からですか?」
「私がアリエラ殿と面会したことを、既に知っている者は知っているでしょう。噂が広まる前に、ことを急いだ方がよいのです。侯爵にご挨拶した後は、このまま我が屋敷にお移りください」
さすがに、呆気にとられてしまった。
ひょっとして私がリエナベルクから出られるチャンスじゃないかって、軽い気持ちで契約結婚を持ちかけてしまった。それが、こんな急展開になるなんて……。
促されて私も立ち上がったけど、気持ちが展開についていってない。
聖騎士団長の立場にあっても、王都の噂話や好奇の目はこんなに警戒しないといけないことなのか。ヴァイス様の様子からは、本心から危惧されていることが伝わってくる。
私を囲む人たちからは、優しさ以外の感情を向けられたことがない。ありがたいことだけど、本当は世界がそのようには出来ていないことも知っている。
それを、ついに体験できるのだ。
きっと、ツラいものなんだろうな。傷付いてしまうんだろうな。悔しい思いをするんだろうな。って想像を膨らませる私の足取りは軽い。
突然、前を歩くヴァイス様の足が止まった。
やっぱりやめたとか、言わないでくださいね。
「……申し訳ないが、アリエラ殿の擬態については、私のほかにもう一人見抜ける者が見付かるまで伏せておきたい」
「え……?」
「私しか見られぬものを口にしたところで、証明できる者もおらず、かえって心ない噂の元にもなりかねません」
「そう……ですね……」
なんとなくだけど、お父様やお母様に「アリエラ殿は、ほんとうは美しいのです!」って言ってくれることを、少し期待していた。
だけど確かに、ヴァイス様が変に思われるだけの恐れもある。
「お試しでお連れする宴では、魔力の強い者にも引き合わせましょう。もしかすると、誰か一人くらいは見抜ける者がおるやもしれません」
「分かりました、ヴァイス様にお任せいたします」
逆に言えば、ヴァイス様は見た目ゴリラの私でもいいと仰ってくださっているのだ。こんな機会が二度と訪れるとは思えない。
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