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最終章 聖山桃契

275.わたしが最初に褒めたかったのに

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 王都北郊の森、朝の茶会に踊り巫女ニーナが姿を見せた。

 夏は盛りを過ぎ、いよいよ秋の気配を感じさせる涼しい風の吹く朝であった。

 ニーナたち踊り巫女は、王都の中ではリーヤボルクの蛮兵たちを相手に、外では包囲軍を相手に踊りを披露している。

 投げ銭を得るための行動であり、中と外を頻繁に出入りしても不審に思われない。

 そのため、王都内に潜伏する侍女たちとの連絡役を担う。

 用件を伝え、ふたたび王都の中に戻るニーナの後ろ姿に、ロマナが見惚れた。


「しっかし、可愛らしいわよねぇ……」

「はいっ! ニーナさんは可愛いです!!」


 と、満面の笑みで応えるアイカ。

 リティアが眉をしかめて、苦笑い気味にふたりを見た。


「おいおい……。ふたりは〈美麗神ディアーロナ〉の呪いが怖くはないのか?」

「あら、リティア? 貴女らしくもない、情報が遅れているのね?」


 と、ロマナが後ろ髪をわざとらしく払った。


「アイラ教団をご存知ないの!?」

「ア、アイラ教団……?」

「かの王太后カタリナ陛下より直々に〈美麗神ディアーロナ〉の守護聖霊があると審神みわけられたアイラ様の教えよ?」

「……そ、それはなんだ?」


 芝居がかったロマナの仕草に、リティアが笑いを堪えながら尋ねた。


「人間の容姿を褒めても、心のなかでこう唱えればいいの……」

「ほう」


 と、身を乗り出したリティアを、ロマナがビシッと指差した。


「リティア! あなたは美しい! ……〈美麗神ディアーロナ〉様のだけどねっ!」

「は、はは……」


 リティアは生まれて初めて、面と向かって容姿を褒められた。

 さすがのリティアも、生まれ育った文化に存在しない行為に、なにも反応することが出来ない。

 照れることも、謙遜することも、誇ることもなく、ただ乾いた笑いを漏らした。

 腕組みして勝ち誇るロマナの横で、アイカがほほをプクッと膨らます。


「ロマナさん、ズルいです~~~ぅ」

「なにがズルいのよ?」

「……リティア義姉ねえ様の美しさは、わたしが最初に褒めたかったのにぃ~~~」

「……あら。それは、ごめんなさい」

「ア、アイカも知っているのか? その……、アイラ教団というのを……」


 と、リティアがこの世に生を受けて以来、いちばん困惑した表情をアイカに向けた。


「いいです! その表情も美しいです!! さすがリティア義姉ねえ様です~~っ!!」

「あ……、ありがとう……」


 ついにアイカは、異世界こちらに転生して最初に遭遇した美少女に、

 直接、その美しさへの賛辞を伝えることが出来た。


 ――遠くから愛でるだけだったに、愛を伝えられた。


 と、これまでに覚えのない、ふかい感慨にジィーンっと包まれる。

 なお、アイラの説いた〈美麗神ディアーロナ〉への新たな信仰は、若い男女からの圧倒的な支持を得て、またたく間に《聖山の大地》に広がった。

 聖山神話に謳われる詩歌をも一変させたは、若い男女の恋愛模様に彩りを増し、末永く感謝されることになる。

 ともあれ、感慨を噛みしめていたアイカは、熱を帯びた黄金色の視線をリティアに向けた。


「リティア義姉ねえ様……?」

「……なんだ?」

「今日がなんの日か、お分かりになりますか?」

「……な、なんだったかな?」

「ちょうど1年前の今日……、わたしはテノリア王国第3王女リティア殿下に見付けていただいたのです。……あの薄暗い土間の片隅で」

「そうか……。あれから1年になるのか」

「へへへっ」


 不逞騎士に乱暴されそうになって混乱したアイカの肩を抱き、満面の笑みを向けてくれたリティア。

 それからずっと、自分はリティアの懐に抱かれ続けているのだと感じる。


「これからも、よろしくお願いしますっ! ……リティア義姉ねえ様」

「ああ。こちらこそ、よろしく頼むぞ」


 と、リティアは柔らかな微笑みを浮かべ、アイカの桃色の髪を撫でた。

 その光景を眺めるロマナも、親友リティアに支えとなる義妹いもうとが出来たことを、あらためて嬉しく思っていた。


「さっ、リティア殿下にアイカ殿下。ご義姉妹しまいのよき日に、大仕事が待っておりますわよ?」

「そうだな。備えを怠らぬよう、いま一度、陣中を確認してまわろう」


 と、リティアが朝陽の照らす大神殿に目をやった。

 そして、三姫はそれぞれが率いる軍勢にもどり、諸将をあつめ今夜に備えた入念な軍議をひらいた――。


   *


 夜半過ぎ、儀典官メニコスに手引きされたザイチェミア騎士団8,000の兵が大神殿に突入した。

 それは長い間に溜めこんだ憂さを晴らすようなものではなく、

 だた静かに気配を殺し、王宮と同様に機関室となっている前宮を通って一気に最上階まで駆け上がるものであった。

 寝静まっていた最上階にある王族専用の礼拝室。

 酒瓶が無数に転がり、すえた臭気に満ちた空間に女も男も折り重なるようにして、だらしなく寝転がる。

 その中央、醜く肥え太ったルカスが四肢を投げ出し、みっともない寝姿を晒していた。


「殿下……。お救いに参りました」


 と、万騎兵長シリルが声をかけると、目を覚ましたらしいルカスであったが、その視線の焦点は合っていない。

 寝起きのまどろみだけによるものではない、茫洋としたルカスの面貌に眉を険しくしかめたシリルであったが、

 配下の騎士たちにルカスを抱き上げるように命じる。

 異常に気付いて目覚めた者たちは、喉を裂いて声も出させずに始末してゆく。

 騎士数人がかりで持ち上げられたルカスに、確とした意志は感じられず、ただなされるがまま運ばれてゆく。

 突入したときと同様に前宮からの脱出を図るが、

 ちいさな通用口をルカスの巨体が通らない。


「……やむを得ん。破壊せよ」


 と、シリルが命じると、壁ごと通用口が叩き壊され、ようやく一団は王都の街路に脱出する。

 ここまで大きな戦闘は起きていない。

 だが、破壊音に気が付いたリーヤボルク兵が、大神殿の北側に位置する王宮から集まりはじめる。


「西に抜け王都を退出する! 西南伯公女ロマナ様の陣中まで駆けよ!」


 シリルの号令一下、全速力で駆け始めるザイチェミア騎士団。

 その先頭には侍女ゼルフィアの姿があり、一行を先導して行く。

 大路を避け、リーヤボルク兵がすくない裏道を的確に案内する。

 道の角々にはクレイアやリアンドラが立ち、安全を確認した方向を指し示している。

 背後からはリーヤボルク兵たちの喚声が響き始めていたが、ふり返ることもなく駆けた8,000名は、

 ヴール軍が焚く松明に誘導されるままに、王都を抜けた。


   *


 空が白み始める前。ロマナ率いる蹂躙姫軍の陣中に、アイカに伴われたナーシャが姿を見せた。

 地面に直接横たえられたルカスの巨体。

 意識は虚ろで、自分が何者であるのかさえ、分かっているのか怪しい。

 そっと近寄ったナーシャは、ルカスの醜くぶよぶよと太った首を抱き締めた。


「……ルカス。この愚か者めが」


 ナーシャに命じられたザイチェミア騎士団は、陽が昇らないうちにルカスを擁して西へと旅だった。

 兄バシリオスの待つ草原で、ルカスは病んだ身体と精神を療養して過ごすことになる。


   *


 朝陽が昇り、すべてが露わになったとき、王宮のペトラは静かに微笑んだ。


「……お見事、リティア殿下。これで私は、心置きなく冥府に旅立つことが出来ます」


 ルカスの王都退出。

 その噂は、統制の効かないリーヤボルク兵の間にたちまち広がり、

 住民たちも知るところとなった。

 王都を舞台にした最終決戦が、いよいよ近づいていることは、誰の目にも明らかであった。


 ――退避したい者は、リティア殿下の新都メテピュリアが受け入れる!


 無頼たちの広める噂に従い、王都をあとにする者たちも多い。


 しかし、サミュエルの反応は鈍かった。


 少しずつ少しずつ削られていく状況に、戦機を完全に見失っていたのだ。

 列候や包囲軍に向けた、あらゆる調略は成果をあげていないが、失敗に終わったという報も届かない。

 戦機を見逃し続け、この先にもまだ勝負どころが待っているのではないかと、迷い続けている。

 ただそれは、ペトラとの生活を少しでも長く楽しみたいという〈欲〉に、判断を狂わせられていたとも言える。

 ルカスの長女、姉内親王ペトラの長く苦しい闘いは、ここでも勝利を収めようとしていた。


 しかし、業を煮やした一部のリーヤボルク兵が、サミュエルの意図しないところで暴発する――。
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