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第十一章 繚乱三姫

246.日は沈まぬ

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 エカテリニは駆け寄って膝をつき、サラナの手をつよく握った。


「そんなこと……」


 と呟いたエカテリニ。気持ちがたかぶり続きが声にならない。

 目には涙が浮かび、思うように言葉が出てこないエカテリニは、立ち上がってサラナの顔をその胸に抱きしめた。


「いいのよ……、いいの……。ありがとう……、バシリオス様を守ってくれて」


 バシリオスの伽をつとめた。

 それも何度も。

 そのことを詫びるサラナの衷心に、エカテリニは感動し打ち震えた。

 しかも、薄暗く石床の冷たい地下牢で、リーヤボルクの下卑た蛮兵の視線に晒されながらだという。

 なんとむごいことをするのか。

 なんたる仕打ち。

 人のすることとは思えぬ。

 しかし、サラナはその非道な仕打ちに耐え、女性の尊厳を踏みにじられながらも、バシリオスの命をつないでくれた。

 献身――、

 という言葉では表しきれない行いを重ね、バシリオスを回復させ、王位にまで導いてくれた。

 いまは自分の胸の中でかすかに震える、小柄で歳のわりに幼い顔立ちをした童顔の侍女。

 自らの《功》を誇るでなく、妃の地位を求めるでもなく、伽をつとめるは侍女にあらずと、

 バシリオスのもとを去った。

 なおかつ、正妃に対して申し訳ないと、自分に心からの詫びを述べる。

 聖山神話に登場するどんな女神よりも気高く神々しい。


 ――王国の侍女。


 そのを、エカテリニは初めて思い知った。

 カリュに促され、サラナの横に腰をおろすエカテリニ。

 自分と共にサラナをはさんで座る侍女カリュの姿もまた、つい先程までとはガラリと変わって見える。


「カリュ……。傷んだサラナの心を、よう支えてくれた」

「いえ……」


 ふたりは、それぞれにサラナの手をつよく握りしめている。

 うしろに控えるリアンドラが口をひらき、北離宮幽閉中のバシリオスとサラナの様子を淡々と語ってくれた。

 商人に扮し、北離宮への潜入に成功していたリアンドラ。

 サラナがいかに献身的にバシリオスを支えていたか、その姿を垣間見ていた。

 そしてサラナの口からは、リアンドラとアーロンの差し入れてくれた肉や果物に甘い菓子、それらが如何にバシリオスの身体を回復させ、心を癒やしてくれたことかと語られた。

 また、それを許したロマナ。

 ベスニク救出のために潜伏させた側近であるにも関わらず、王国の誇りのためと躊躇わずバシリオスに手を差し伸べてくれた。

 外界と隔絶されたバシリオスとサラナが、リアンドラたちの存在にどれほど勇気づけられたことか。


 すべてを聞きおえたエカテリニは、リアンドラも近くに寄せ、カリュも一緒に、サラナのことをつよく抱きしめた。

 4人の女性が、ひとかたまりとなってソファの上で震えた。


「……ようやってくれた、サラナ。……誰が褒めなくとも、私はサラナを誇りに思う」

「エカテリニ様……」

「誰に知らせることでもない。知られるべきことでもない。……だが、私がこの世の生を終え、目を閉じる最後の瞬間まで、そなたのことは忘れぬ。最後の瞬間まで感謝して過ごす」

「……も、もったいなきお言葉」


 サラナの声に嗚咽が混じる。

 エカテリニは、つよく抱く手にさらに力を込めた。


「サラナ。私に誇れ」

「……」

「生涯、私に誇れ。わが幸福は、すべてサラナの功績である。必ず誇れ。この《聖山の大地》にひとり、そなたへの感謝を忘れぬ者がおる。そのことを誇って……、生きてくれ」

「はい……」

「わが故郷チュケシエの主祭神《農耕神チェルメーデ》に契誓する。わたしは生涯、サラナに感謝して生きようぞ」


 サラナは、ふっと肩の力がぬけるのを感じ、つよく押し当てられていたエカテリニの胸に、身体を預けた。

 ス――ッと、ひとすじの涙がながれる。

 エカテリニは、みなを抱きしめたまま動かない。


「……だから、みなで幸福にならねばならぬ。サラナも、カリュも、リアンドラも。きっと幸福にならねばならぬ」


 ヴール公宮の一室。

 4人の女性は涙が枯れるまで抱きあい、空が白んでくる頃、笑顔で別れた。


   *


 朝陽が昇り、目覚めたベスニクは、


 ――帰ってきたのだ。わがヴールに。


 と、おおきな感慨に包まれた。

 居室を飾る調度品のひとつひとつが愛おしい。陽がさしこむ窓からは、たかいヴールの空を雄大に飛ぶクロワシの影が見えた。

 ふと、自分の左手を握ったまま、ベッドに突っ伏して眠るウラニアに気がついた。

 アイカやロマナたちとの大浴場での密談を終えたあと、やはり夫のことが気になり、様子を見に来たまま眠ってしまったのだ。

 ベスニクが右手でウラニアの透き通るような銀髪をなでると、ピクリと顔をあげた。


「……お目覚めでしたか」

「うむ……」

「ふふっ。……お帰りなさいませ」

「ああ……。苦労をかけた」

「こういうときは、まず『ただいま』ですわよ?」

「そうか……。ただいま、ウラニア」

「はい。お帰りなさいませ、旦那様」

「いや……? やはり、『おはよう』ではないかな?」

「ふふっ。ほんとう! ……おはようございます、旦那様。ヴールの夜明けでございますわよ」

「ああ、おはよう。もう、日は沈まぬ」


 微笑みあう夫婦。

 朝の陽ざしが燦々とかがやき、静かな部屋のなかで抱擁を交わした。


 ヴールの味付けで朝食を済ませたベスニクの前に、ウラニア、ロマナ、セリムがそろった。

 端正な顔立ちを蒼白に、背筋を伸ばして祖父の寝台のまえに立つロマナ。

 ウラニアとセリムの表情も堅い。

 ながい不在の間に、西南伯家を襲った悲劇をベスニクに伝えなくてはならない――。
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