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第十章 虜囚燎原
232.懐かしい顔
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兄サルヴァが遺した手紙には、ロマナへの謝罪が切々とつづられていた。
――ボクの身体が弱く生まれたばかりに申し訳ない。
そのことばかりが書かれている。
身体が弱いばかりに、西南伯ヴール候家の嫡子としての責任を負えなかった。母の愛情をひとり占めにしてしまった。母の感情をおかしくしてしまった。ベスニク虜囚という危急のときに、なにもすることができなかった――。
活発なロマナは、母によって兄サルヴァから遠ざけられてきた。
「闊達な妹の姿をみせ、兄に屈辱を与えたいのか!?」
と、なんど詰られたか分からない。
ずっと母がつきっきりの兄を、うらやましく思うこともあった。
しかし、一度でも兄妹で腹を割って話をすることが出来ていたなら、このような結末を迎えずに済んだのではないかと、ロマナは唇を噛んだ。
長男だけを愛し、他をかえりみない母親。それゆえに兄は思いつめ、ついには母の命を絶った。
どんな思いで母の胸に剣を突き立てたのであろうか――。
そして、そのおなじ剣を、みずからの首にあてた。
ロマナにしてみれば、兄を蔑ろにしているつもりはなかったし、西南伯の御座を望んだこともない。飽くまでも祖父の不在を守っているだけであった。
思っていただけではない。言葉にして伝え、書状もしたためた。ウラニアも仲立ちしてくれた。
しかし、その思いは母には届かなかった。
ロマナは、母レスティーネと兄サルヴァの《病死》を布告した。
そして、混乱の収拾にあたるため執務室で政務を執る以外には、
「誰にも会いたくない」
と、自室に引きこもった。
ガラやウラニアも近寄せず、ベッドに突っ伏してすごす。
すでに父も母も亡く、兄も逝った。あれほど待望していた祖父の帰還にも心が躍らない。
むしろ、祖父がもどれば重責から解放される、そのことばかりを考えた。
そんなある日、休んでいたロマナの寝室を、ガラがノックした。
「……なんだ?」
「……ロマナ様に、謁見の申し出が」
「……断れ」
「それが……」
と、申し訳なさそうにガラが告げた名前に、ロマナは重たい身体を起こした。
部屋にいれたガラに着替えさせてもらい、謁見の間に赴く。
――憐れな……。
ロマナのまえで、辞を低くひれ伏していたのは第4王子サヴィアスであった。
尊大な態度はなりを潜め、身をふるわせながら媚びるような笑みをうかべている。
となりで平伏する女官ソーニャが口をひらいた。
「ロマナ様におかれましては、謁見かないまして、恐悦至極にございます」
「……うむ」
「アルナヴィスめに敗れ、ファウロス陛下よりお預かりした大切なアルニティア騎士団も霧散。すでに王国のいずこにも寄る辺なきサヴィアス殿下。どうか、ロマナ様に庇護していただきたく、恥をしのんで参上いたしました」
旅の途中、さんざんソーニャに弄ばれいじめ抜かれたサヴィアスは、王族としての誇りをすっかり削りとられていた。
しかし、ソーニャの《教育》がなければ、誰にも頭をさげられず、どこにも行けず、餓死したか賊に討ち取られていたに違いない。
まるで物乞いのように卑屈になったサヴィアス。
精悍な容姿に変わりがないだけ余計に惨めさがきわだつ。
ロマナの両脇に座るウラニアとソフィアは唖然とした表情で、異腹の弟を見下ろしていた。
しかし、ロマナの目には違って映る。
――母を非業の死で亡くした者同士……、か。
サヴィアスも、母である側妃サフィナが健在であれば、ここまで落ちぶれることはなかったであろう。
「わかった……。サヴィアス殿下はヴールで保護しよう」
「ありがたき幸せ」
「そなた、ソーニャと申したか? ミトクリア候のご令嬢と聞いているが?」
「左様にございます」
「このままサヴィアス殿下に仕えるもよし、ミトクリアへの帰還を望まれるのなら、折りをみてお送りさせていただこう」
「お心づかいに感謝いたします。いずれミトクリアに戻りたいと存じますが、それまではサヴィアス殿下のおそばに……」
「その必要はない」
と、断じたのは第1王女ソフィアであった。
「サヴィアスの側仕え大儀であった。この後は、私が預かるゆえ、そなたはミトクリア帰還のときまでゆるりと過ごせ」
「ははっ。お心のままに」
怪訝におもったロマナであったが、ソフィアの意図をただす気力はなかった。
あとで話したところ、
「あの女は、サヴィアスを虐げておったに違いない。生きたまま連れてきたのは殊勝であるが、これ以上、サヴィアスを玩具にさせておくのは宜しくない。阿呆な弟ではあるが、ファウロス陛下の血を引く者ぞ」
と、忌々しげに吐き捨てた。
兄サルヴァのいなくなった離宮にサヴィアスを住まわせ、ロマナは時折、顔をみせるようになった。
ガラやウラニアも交えて、とりとめない話をしては帰ってゆく。
やがて、ロマナはガラに、
「すまんが、兵2000を率い、国境までお祖父様を出迎えに行ってくれ」
と、命じた。
「ガラの義父ダビドをはじめ、みな動ける者がおらん。かといって、アイカに任せきりでは西南伯の沽券に関わる。リアンドラをつける」
やや笑顔に張りを取り戻した主君ロマナ。
ガラは胸をなで下ろしつつ急ぎヴールを発った――。
*
その頃、交易の大路沿いに位置するフィエラで、その主フィエラ候とペノリクウス候が、祝杯をあげていた。
西方会盟をなす両名は、ルカスの求めに応じて王都ヴィアナへの参朝を済ませたばかりである。
摂政サミュエルが、ルカスの娘ファイナを人質として寄越したことで、重い腰をあげた。
ペノリクウス候が、肩の力をぬくように口をひらいた。
「しかし、あのサミュエルとやらも、なかなかの人物でござった」
「左様、左様。この分ではテノリアの王土が治まる日も近いでしょうな」
《草原の民》がバシリオスを戴いてコノクリア王国を建国したとの報せは、まだ彼らの耳には届いていなかった。
ふたりの視点から見れば、王弟カリストスを破ったアスミル・ロドスがルカスへの帰順を誓い、第4王子サヴィアスは敗北し、第3王女リティアは砂漠に引きこもったままである。
王国の趨勢は大きくルカスに傾いているように見えた。
むしろ、彼らは自分たちがルカスの体制に加わることで、王国の命運が決定づけられたと感じていた。
「シュリエデュクラ候も意地をはらず、一緒に参朝すれば良かったものを」
「まあ、われらの話を聞けば、いずれそうなりましょう。そうなれば、かえってルカス陛下に恩を売る機会ともなる」
「なるほど。さすがは知謀をもって知られるペノリクウス候」
ふたりはまだ、シュリエデュクラ候がヴールのロマナに通じていることを察知できていない。
リーヤボルクの傀儡である偽王ルカスに参朝はできないと書状を寄越したが、単に意地を張っているとしか受け止めていなかった。
実際、ふたりはルカスに拝謁することは出来なかった。
しかし、王都にあふれるリーヤボルク兵と、それを従える摂政サミュエルから感謝の言葉をかけられたことで満足していた。
「ベスニクめが囚われたと聞いてひるんでおった列候も、我らの無事を知れば、こぞって参朝いたしましょう」
「うむ。ようやく王都の神殿に参拝できて、領民たちへの顔も立った。みな出来ることなら、はやく参朝したいに違いありませんからな」
「そして、最初に参朝したわれらを軽く扱うことも出来ますまい」
西南伯ヴール候家にかわって、列候筆頭の座をねらうペノリクウス候はニヤリと笑う。
いずれは《方伯》の地位を得て、幕下に従えるつもりのフィエラ候と杯を重ねた――。
*
新王国の首都と定めた聖地コノクリアに、ザノクリフ王国からの荷馬車が列をなして到着した。
「よおっ、女王陛下! 元気そうだな!?」
「ミハイさん! わざわざ、ありがとうございますー!」
「最愛の旦那様じゃなくて、わるかったな」
「もう、いじわる言わないでくださいよ~。……でも、元気にしてますか?」
「ああ、元気も元気だ。心配は要らねぇよ」
と、ヴィツェ太守のミハイが笑った。
アイカの求めに応じ、首都建設に必要な木材を運んできたのだ。といっても、喫緊に必要としていたのは大量の捕虜を収容する施設であった。
ノルベリが持ち出していた財貨で支払いを済ませ、次々に荷下ろしされていく。
その一団のなかに、懐かしい顔があった。
「リュシアンさん!! どうして!?」
アイカが《異世界第一遭遇男前》と心のなかで名付けていた吟遊詩人が、かわらない飄々とした笑顔で恭しくあたまをさげていた――。
――ボクの身体が弱く生まれたばかりに申し訳ない。
そのことばかりが書かれている。
身体が弱いばかりに、西南伯ヴール候家の嫡子としての責任を負えなかった。母の愛情をひとり占めにしてしまった。母の感情をおかしくしてしまった。ベスニク虜囚という危急のときに、なにもすることができなかった――。
活発なロマナは、母によって兄サルヴァから遠ざけられてきた。
「闊達な妹の姿をみせ、兄に屈辱を与えたいのか!?」
と、なんど詰られたか分からない。
ずっと母がつきっきりの兄を、うらやましく思うこともあった。
しかし、一度でも兄妹で腹を割って話をすることが出来ていたなら、このような結末を迎えずに済んだのではないかと、ロマナは唇を噛んだ。
長男だけを愛し、他をかえりみない母親。それゆえに兄は思いつめ、ついには母の命を絶った。
どんな思いで母の胸に剣を突き立てたのであろうか――。
そして、そのおなじ剣を、みずからの首にあてた。
ロマナにしてみれば、兄を蔑ろにしているつもりはなかったし、西南伯の御座を望んだこともない。飽くまでも祖父の不在を守っているだけであった。
思っていただけではない。言葉にして伝え、書状もしたためた。ウラニアも仲立ちしてくれた。
しかし、その思いは母には届かなかった。
ロマナは、母レスティーネと兄サルヴァの《病死》を布告した。
そして、混乱の収拾にあたるため執務室で政務を執る以外には、
「誰にも会いたくない」
と、自室に引きこもった。
ガラやウラニアも近寄せず、ベッドに突っ伏してすごす。
すでに父も母も亡く、兄も逝った。あれほど待望していた祖父の帰還にも心が躍らない。
むしろ、祖父がもどれば重責から解放される、そのことばかりを考えた。
そんなある日、休んでいたロマナの寝室を、ガラがノックした。
「……なんだ?」
「……ロマナ様に、謁見の申し出が」
「……断れ」
「それが……」
と、申し訳なさそうにガラが告げた名前に、ロマナは重たい身体を起こした。
部屋にいれたガラに着替えさせてもらい、謁見の間に赴く。
――憐れな……。
ロマナのまえで、辞を低くひれ伏していたのは第4王子サヴィアスであった。
尊大な態度はなりを潜め、身をふるわせながら媚びるような笑みをうかべている。
となりで平伏する女官ソーニャが口をひらいた。
「ロマナ様におかれましては、謁見かないまして、恐悦至極にございます」
「……うむ」
「アルナヴィスめに敗れ、ファウロス陛下よりお預かりした大切なアルニティア騎士団も霧散。すでに王国のいずこにも寄る辺なきサヴィアス殿下。どうか、ロマナ様に庇護していただきたく、恥をしのんで参上いたしました」
旅の途中、さんざんソーニャに弄ばれいじめ抜かれたサヴィアスは、王族としての誇りをすっかり削りとられていた。
しかし、ソーニャの《教育》がなければ、誰にも頭をさげられず、どこにも行けず、餓死したか賊に討ち取られていたに違いない。
まるで物乞いのように卑屈になったサヴィアス。
精悍な容姿に変わりがないだけ余計に惨めさがきわだつ。
ロマナの両脇に座るウラニアとソフィアは唖然とした表情で、異腹の弟を見下ろしていた。
しかし、ロマナの目には違って映る。
――母を非業の死で亡くした者同士……、か。
サヴィアスも、母である側妃サフィナが健在であれば、ここまで落ちぶれることはなかったであろう。
「わかった……。サヴィアス殿下はヴールで保護しよう」
「ありがたき幸せ」
「そなた、ソーニャと申したか? ミトクリア候のご令嬢と聞いているが?」
「左様にございます」
「このままサヴィアス殿下に仕えるもよし、ミトクリアへの帰還を望まれるのなら、折りをみてお送りさせていただこう」
「お心づかいに感謝いたします。いずれミトクリアに戻りたいと存じますが、それまではサヴィアス殿下のおそばに……」
「その必要はない」
と、断じたのは第1王女ソフィアであった。
「サヴィアスの側仕え大儀であった。この後は、私が預かるゆえ、そなたはミトクリア帰還のときまでゆるりと過ごせ」
「ははっ。お心のままに」
怪訝におもったロマナであったが、ソフィアの意図をただす気力はなかった。
あとで話したところ、
「あの女は、サヴィアスを虐げておったに違いない。生きたまま連れてきたのは殊勝であるが、これ以上、サヴィアスを玩具にさせておくのは宜しくない。阿呆な弟ではあるが、ファウロス陛下の血を引く者ぞ」
と、忌々しげに吐き捨てた。
兄サルヴァのいなくなった離宮にサヴィアスを住まわせ、ロマナは時折、顔をみせるようになった。
ガラやウラニアも交えて、とりとめない話をしては帰ってゆく。
やがて、ロマナはガラに、
「すまんが、兵2000を率い、国境までお祖父様を出迎えに行ってくれ」
と、命じた。
「ガラの義父ダビドをはじめ、みな動ける者がおらん。かといって、アイカに任せきりでは西南伯の沽券に関わる。リアンドラをつける」
やや笑顔に張りを取り戻した主君ロマナ。
ガラは胸をなで下ろしつつ急ぎヴールを発った――。
*
その頃、交易の大路沿いに位置するフィエラで、その主フィエラ候とペノリクウス候が、祝杯をあげていた。
西方会盟をなす両名は、ルカスの求めに応じて王都ヴィアナへの参朝を済ませたばかりである。
摂政サミュエルが、ルカスの娘ファイナを人質として寄越したことで、重い腰をあげた。
ペノリクウス候が、肩の力をぬくように口をひらいた。
「しかし、あのサミュエルとやらも、なかなかの人物でござった」
「左様、左様。この分ではテノリアの王土が治まる日も近いでしょうな」
《草原の民》がバシリオスを戴いてコノクリア王国を建国したとの報せは、まだ彼らの耳には届いていなかった。
ふたりの視点から見れば、王弟カリストスを破ったアスミル・ロドスがルカスへの帰順を誓い、第4王子サヴィアスは敗北し、第3王女リティアは砂漠に引きこもったままである。
王国の趨勢は大きくルカスに傾いているように見えた。
むしろ、彼らは自分たちがルカスの体制に加わることで、王国の命運が決定づけられたと感じていた。
「シュリエデュクラ候も意地をはらず、一緒に参朝すれば良かったものを」
「まあ、われらの話を聞けば、いずれそうなりましょう。そうなれば、かえってルカス陛下に恩を売る機会ともなる」
「なるほど。さすがは知謀をもって知られるペノリクウス候」
ふたりはまだ、シュリエデュクラ候がヴールのロマナに通じていることを察知できていない。
リーヤボルクの傀儡である偽王ルカスに参朝はできないと書状を寄越したが、単に意地を張っているとしか受け止めていなかった。
実際、ふたりはルカスに拝謁することは出来なかった。
しかし、王都にあふれるリーヤボルク兵と、それを従える摂政サミュエルから感謝の言葉をかけられたことで満足していた。
「ベスニクめが囚われたと聞いてひるんでおった列候も、我らの無事を知れば、こぞって参朝いたしましょう」
「うむ。ようやく王都の神殿に参拝できて、領民たちへの顔も立った。みな出来ることなら、はやく参朝したいに違いありませんからな」
「そして、最初に参朝したわれらを軽く扱うことも出来ますまい」
西南伯ヴール候家にかわって、列候筆頭の座をねらうペノリクウス候はニヤリと笑う。
いずれは《方伯》の地位を得て、幕下に従えるつもりのフィエラ候と杯を重ねた――。
*
新王国の首都と定めた聖地コノクリアに、ザノクリフ王国からの荷馬車が列をなして到着した。
「よおっ、女王陛下! 元気そうだな!?」
「ミハイさん! わざわざ、ありがとうございますー!」
「最愛の旦那様じゃなくて、わるかったな」
「もう、いじわる言わないでくださいよ~。……でも、元気にしてますか?」
「ああ、元気も元気だ。心配は要らねぇよ」
と、ヴィツェ太守のミハイが笑った。
アイカの求めに応じ、首都建設に必要な木材を運んできたのだ。といっても、喫緊に必要としていたのは大量の捕虜を収容する施設であった。
ノルベリが持ち出していた財貨で支払いを済ませ、次々に荷下ろしされていく。
その一団のなかに、懐かしい顔があった。
「リュシアンさん!! どうして!?」
アイカが《異世界第一遭遇男前》と心のなかで名付けていた吟遊詩人が、かわらない飄々とした笑顔で恭しくあたまをさげていた――。
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