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第十章 虜囚燎原

223.ビックリしましたよね?

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 アーロンに抱きかかえられたベスニクは、牢番たちの寝室に移される。

 粗末な寝台ではあったが、石室に寝かせたままにしておくよりは、よっぽど良い。

 日が暮れ、静まりかえった草原。

 投降したリーヤボルク兵に命じ、ふだん通りの灯りを焚かせる。誰かの目に触れるとは思えないが、援軍を呼びに走ったカリトンが戻るまで、念のための用心であった。

 砦の調理場ではナーシャが鼻歌まじりで、ベスニクのためにスープをつくっている。

 恐縮するリアンドラが代ろうとするが、


「よいよい。これでも、料理の腕には自信がありますの」

「し、しかし……、王妃陛下につくらせたとあっては……」

「いまの私はアイカ殿下の女官ナーシャでありますのよ? それにの……、私も息子バシリオスとまさかの再会を果たせて、なにかせずにはいられないのよ」

「陛下……」

「ウロウロしたり、グルグルしたりしてるより、よっぽど有意義。ベスニク殿にはヴールへの土産話にしてもらいましょう。だからね、リアンドラちゃんって言ったっけ?」

「はい……」

「貴女もベスニク殿のそばにいてあげて。……バシリオスにはサラナちゃんがいたけど、ベスニク殿はずっとひとりだったのよ? 信頼できる家臣に囲まれてた方が、ゆっくりお休みいただけるわ」

「……ありがたきお言葉。胸に沁みましてございます」

「それにしても……、きったないキッチンね! 男所帯って、これだからイヤね!」


 と、悪戯っぽく笑ったナーシャに、リアンドラもようやく笑顔をみせた。

 見張り塔の屋上ではアイカとオレグが哨戒に立っている。

 草原を吹き抜ける、今晩の夜風は冷えた。

 しかし、オレグが身震いしたのは寒さのためではない。初めて経験した本格的な白兵戦に、まだ興奮が解けていなかった。

 リーヤボルク兵の身体を剣で貫いた肉の感触が手から去らない。

 アイカがささやくように声をかける。


「……こわい、よね」

「はい……」

「イヤだね……」

「はい……。でも……」

「うん」

「やらないと、みんな拐われてしまいます」

「……救けようね。ニーナさんも、みなさんも」

「はい……」


 その会話を耳にできる階段にロザリーが腰かけている。

 ひざ枕をしてやるレオンは眠ってしまった。

 そこに、サラナがそっと姿を見せた。


「ロザリー様……。あらためまして、バシリオス殿下をお救けくださり、ありがとうございました」

「……がんばったわね、サラナ」

「お願いがあります」

「なあに?」

「私に代わり、バシリオス殿下をお支えくださいませんでしょうか?」

「……サラナじゃダメなの?」

「私は……、殿下の伽をつとめてしまいました」


 ロザリーがひらいた王国の侍女という存在。

 リティアに仕えるクレイアたちや、側妃サフィナに仕えたカリュとは異なり、男性王族に仕える侍女ならではの矜持があった。

 主君に捧げるのはその知略であって身体ではない。

 バシリオスを救うためとはいえ、サラナはその道から外れた。王太子妃エカテリニに合わせる顔もない。

 口にはしないがヨハンとのこともある。

 バシリオスが虜囚の身から解放されたなら、自分は去るべきだと考えていた。

 かたい表情でうつむくサラナに、ロザリーが微笑んだ。


「でも……、私は主君を死なせてしまったわ」

「しかし……」

「ふふっ。私はサラナなりの侍女であればいいと思うけど……、サラナが自分で自分を許せないなら、バシリオス殿下に決めていただきましょう」

「そのようなご負担を殿下におかけする訳には」

「黙って勝手に決める方が、ご負担になられるわ」


 ロザリーの正論に、サラナは唇を噛んだ。


「……バシリオス殿下はお優しいから。きっと、サラナの気持ちも尊重してくださるわ」


 そのバシリオスが休む一室では、娘アリダが額を床につけて平伏していた。

 狼狽えるアメルは、母と外祖父を交互に見ている。

 アリダが抑揚のない声を発した。


「すべては私が短慮によりピオンを使嗾しそうしたがゆえのこと。お詫びのしようもございません」

「よい。過ぎたことだ」

「……私はサフィナの排除のみを命じましたが、よもや……」

「ピオンはであった。……サフィナ殿を排除して、陛下が黙ってそれを受け入れるはずもないからな」

「父上名義の布告まで偽造するとは……。私が浅はかでございました」

「……アリダはアリダで、私を思ってやったこと。ピオンもそうであった。すべては私の器量の問題よ」

「そのような! ……いえ、この上は私を手打ちにするなりなんなり、罪を償わせてくださいませ」

「母上! なにを仰せですか!?」


 アメルがたまらず声をあげた。

 アリダの口から語られたバシリオス決起の真相は、すべてが初耳であった。自分の母親がこのような激情を秘めた人間であるとも初めて知った。

 しかし、命をもって償おうとするのは、おかしいのではないかと動転していた。

 アリダが顔を上げ、バシリオスを見つめた。


「……できましたら、アメルの行く末を父上にお願いいたしたく」

「母上! 勝手に決めないでください!」

「……私ごときが言うのは憚られますが、アメルはまだまだ王族としても人間としても未熟。何とぞ、父上に……」


 バシリオスは、ポンッとアリダの頭に手を置いた。


「……私に罪はないと思うか? アリダ」

「ございません」

「娘と配下の犯した罪があるなら、それは私にも責がある」

「そのようなことは決して」

「……あまりの罪の大きさに、一時は心を喪った。しかし、サラナが身を挺して呼び戻してくれた。……その後、私が考えてきたことが分かるか?」

「……恐れ多いことです」

「罪を償うため、恥を晒しても生きることだ。死ねば楽であろう。しかし、生き残った者たちだけに労苦を背負わせることになる」

「父上……」

「その方が、よっぽどツラく苦しい。アリダ……、生きよ。そなたの為したことの顛末をともに見届け、アメルを立派に育てあげよ」


 アリダがふたたび平伏したとき、ちょうどナーシャが出来上がったスープをベスニクが横たわる寝室に運んで来た。


「……王妃陛下?」

「ふふふっ。ビックリしました? ビックリしましたよね?」

「拾われた命を捨ててしまいそうに驚きました」

「あらっ! ベスニク殿らしい言い回しねえっ! 久しぶりに聞けて嬉しいわ。さあ、ゆっくりと噛むように召し上がって。私がつくったのよぉ!?」

「なんと……、陛下手ずから……」

「いいから、いいから!」


 ナーシャ自らスプーンで口元に運んだスープを、すするベスニク。

 ありあわせの食材を煮込んだだけのスープだが、世界に彩りが戻るかのように美味い。

 口腔をみたす熱が、じんわりと身体の隅々まで巡っていくようでもある。


「むずかしい話は後にして、まずはスープを味わってね」


 と、微笑むナーシャに、ベスニクは黙ってうなずいた。

 その光景に、アーロンとリアンドラが改めて涙をぬぐう。

 ちいさなサグアの砦で、みなが囁きあう夜が過ぎてゆく。


 やがて、カリトンを先頭に、ヴィアナ騎士団万騎兵長ノルベリが率いる100騎が到着した。

 膝をつくノルベリに、バシリオスが冷然と声をかける。


「……ノルベリ」

「はっ」

「私はいまだヴィアナの騎士から忠誠を捧げられるに相応しいか?」


 みなから《くせもの》と評されるノルベリは、まっすぐにバシリオスの瞳を見つめた――。
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