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第九章 山湫哀華

195.陛下でもやらなかった

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 なんども一緒に入浴したアイラである。

 が、


 ――服の中をのぞくっていうのは、また、べつの趣きが……。


 と、胸の高鳴りを感じるアイカの視線の先に、小さな包みがみえた。いわばブラのパッドのように、アイラの胸に貼り付いている。


 ――あ、上げ底っスか? そんなことしなくても、充分、立派なのに。


「非常食が入っている」

「えっ?」


 アイラの言葉に、余計なことを言わなくて良かったと、アイカは心の底から思った。


「3人ならば、3日はもつ。外の様子をうかがいながら、あとで食べよう」

「……そんな準備を」

「カリュ様にお指図いただいてたんだ」

「カリュさんが……」


 アイラが、アイカの耳に口を寄せた。


「カリュ様のには、もっと入ってる」

「へ、へぇ~」

「今度、ゆっくり語り合おう」


 と、アイラは、ナーシャをチラッとみた。

 アイカは、うなずきを何度も返しながら……、悔しい気持ちでいっぱいであった。

 自分の軽率さが招いた苦境に落ち込むアイカを、アイラは和ませようとしてくれている。口で伝えればいいものを、わざわざ近くに呼んでおっぱいを見せてくれた。そして、軽口を叩いてに誘ってくれている。

 クレイアやアイシェが、リティアにそうしているところなど、見た覚えがない。

 皆は自分のことを「殿下、殿下」と立ててくれる。しかし、その自分の至らなさに、泣きたい気持ちであった。

 アイラが、ポンポンっとアイカの肩を叩いた。


「奪おうとする者は、つねにいる。残念ながら、痛い目をみないと覚えないもんだ」

「……アイラさん」

「いい勉強になったな。アイカ殿下」


 ニマリと笑ったアイラに、アイカは情けない笑顔しか返せない。

 それを見ていたナーシャが、優しく沁みわたる声でアイカに話しかけた。


「たとえ命であろうと、奪おうとする者は、まだ可愛い」

「え……?」

「ほんとうに怖いのは、自分から奪おうとする者ではない。……自分を操ろうとする者よ」

「…………操る」

「王族は、つねに自分を操ろうとする《悪意》にさらされる」


 ナーシャは遠く王都にいるルカスのことを想っていた。あの単純な性情をした息子は、操りに操られているに違いなかった。いまごろ、自分が何者かさえ見失っていてもおかしくない。

 しかし、その悲しみを、目の前のアイカに漏らすことはなかった。

 優雅な微笑みをたたえたまま語りかける。


「アイカは自分の意を貫いた。だれにも操られなんだ。ならば、それで良い」

「……ナーシャさんは、セルジュさんが、私を閉じ込めようとしてるの、分かってたんですか?」

「まあの」

「それで、あんなに喰い下がって、一緒に閉じ込められてくれたんですか?」

「……カリュめの意図が読めておったからの」

「カリュさんの?」


 アイカには意外な応えであった。


「アイカが王族としての学びを得るというだけではない。この機会をとらえて、西候陣営を丸裸にするつもりであろう」

「……そんなこと……出来るんですか?」

「カリュはテノリア王宮において、もっとも権謀術数に長けたサフィナ宮殿で、侍女長を務めた者ぞ。……造作もなかろう」


 ――側妃サフィナ。


 その名前は、正妃であるナーシャ――アナスタシアには苦々しく響く。

 華々しく美しく、夫ファウロスの寵愛を一身に受けた美貌の側妃。その背後には、つねに侍女長カリュの姿があった。

 恐らくカリュは、バシリオスとルカスの追放にも関わっている。なんなら裏工作を主導したはずだ。サフィナの閨でのささやきと一体となって、息子2人を追い落とした張本人であった。

 しかし、いまは敵ではない。

 微笑むナーシャは、アイカとアイラを側に座らせた。


「若き主従よ。これからも、ツラいこと、苦しいこと。たくさんあろう。しかし、手をとりあって乗り越えておくれ。カリュも惜しみなく、その力を捧げてくれておる。学ぶべきは学び、考えるべきは考えよ。……若者は、いつもテノリアの希望なのだから」

「…………はい」


 アイカは深くうなずいた。


「配下の救けを信じて待つことも、主君の務めであるぞ」

「はいっ! 分かりました!」

「よい返事であるな」


 ナーシャは亡き夫ファウロスが憑依したような、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ファウロス陛下のつくられたテノリア王国は、若者ヤンチャが大好きだから。アイカちゃんにも、いい武勇伝ができたじゃない?」

「えっ……? へへっ……、そうでしょうか?」

「こんな怪しい塔に、無邪気に突っ込んでいくなんて、ファウロス陛下でもやらなかったわよ」

「あうっ……」

「ふふふ」


 ふと、アイラが立ち上がり、窓辺に立った。

 蝋燭と手鏡を持っている。

 アイカは監禁されてから、アイラのその姿をなんども目にしていた。が、凹みきっていたので、わけを聞いたことがなかった。


「……な、なにしてるんですか?」

「ん……。カリュ様と通信の時間だ……」


 蝋燭の灯りを鏡に反射させて信号を送っている。

 視線の先にある回廊から、チラチラと光が返ってくる。


「そんなことまで……」

「ふふっ。これは、私のだ」


 アイラが得意げに胸をはった。


「王都で《無頼の束ね》たるリティア殿下との非常時の連絡手段として私が考案したんだ。あの王宮内戦闘のときも、これで連絡を取り合っていた」

「え、うそ、すごい」

「むふん。カリュ様にも褒められた」


 ナーシャはおどけるように肩をすくめて、アイカを見詰めた。


「アイカちゃんは、臣下に恵まれてるわね」

「……はい」


 と、恐縮するアイカの頭を、ナーシャがなでた。


「臣下に感謝するのは良い。しかし、引け目に感じてはいけませんよ。あなたの価値は、あなたが決めるものではありません」

「自分の価値を……」

「そう。価値など所詮は、他人の値決め。自分が忠誠に値する者であるか、などと考えていては身が持ちません。感謝は忘れず、しかし、他者の目に、自分を見失ってはなりません」


 アイカが目を向けると、アイラも大きくうなずいている。

 忠誠、臣下、そういった概念に、アイカはまだピンときていない。

 しかし、


 ――出会う人には恵まれている。


 と、胸の奥にあたたかいものを感じた。


  *


 回廊を散歩していたカリュは、手鏡を仕舞った。

 あらたにとなったアイラに、自分では思いつかなかった通信方法を教えてもらった。まだまだ、自分にも『学び』があることに、カリュは満足していた。

 そして、夜の暗い廊下を、蝋燭の小さな灯りを頼りにひとりで歩く。


 ――食料をってきたか。


 あてがわれた部屋に戻ると、くつろぐジョルジュの側に腰をおろした。


「おや、ご指名ですかな?」


 と、ジョルジュは楽しげに顔を上げた。この孫のような年齢の侍女が、次々に繰り出すに、胸躍るものを感じ始めている。

 城の主はなにも気が付かないままに、すべてがカリュの掌の上に乗ろうとしていた。

 砂漠で賊をしているだけでは味わえなかった興奮だ。

 カリュは、にこりと笑った。


「そろそろ、ジョルジュ殿に《賊の本分》を発揮してもらわねばなりません」

「はっはっは! それはいい。なんでも命じてくだされ」


 ジョルジュが豪快に笑った――。
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