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第八章 旧都邂逅
177.ハの字の戦い
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アイカたちがヒメ様温泉で疲れを癒していた頃――、
南方遠征の支度で慌ただしくしているロマナのもとに、気がかりな報せが届いた。
西南伯領の北、ペノリクウスとシュリエデュグラが結んだ西方会盟にフィエラが加わったというものであった。
王国の西端ブローサと王都ヴィアナの中間に位置するフィエラは、交易の大路上で栄える要衝で西方会盟の影響力が増大することは間違いなかった。
トントンッと、ロマナは執務室の机を指で叩いた。
侍女のガラが気遣うような声でロマナに尋ねる。すでにガラは主君ロマナの小さな仕草からでも、心持ちを察せられるようになっていた。
「いかがなさいますか? 南方遠征を少し遅らせますか?」
「いや……。それはできない」
ロマナは祖父ベスニクに代わって西南伯領を治めるにあたって、幕下の列候から人質をとった。それは、彼らの盟主として君臨する行いであると同時に、列候の困りごとの解決に責を負うことでもある。
現在、西南伯領の南端に位置するクヴァルフォから救援の要請が届いている。
王国の南に広がる密林地帯に蟠踞する部族――通称、密林国と呼ばれる――からの襲撃があいついでいるとのことで、出兵の準備を進めていた。
「……西方会盟が勢力を増すのは、我らの頭を押さえられたようで気分は良くないが、ただちに兵を向けるようなことはするまい」
と、思考をそのまま言葉にしたようにロマナがつぶやいた。
ベノリクウスを中心とした西方会盟は西南伯領の北に勢力を張り、ルカスの即位に対しても曖昧に中立の姿勢を保っている。
ふと、ガラの心配げな表情に気がついたロマナが微笑んだ。
「王国は今、みんなで我慢比べの最中だ。嵐に吹き飛ばされてはかなわんと、弱者同士が肩を寄せ合ったにすぎん。気分はよくないが、こちらから介入するほどではない」
「……王都から見ると、西域を通せんぼする形です」
「ふむ……」
ロマナは壁に掲げた王国の地図に目をやった。
「……動くかな? ルカス新王は」
「そこまでは分かりませんが……」
「ガラの心配も、もっともだ。北に間者を放とう。あと、ガラはヴールに残れ」
「え?」
「密林国の蛮族どもを見せてやろうかと思っていたが、西方会盟に妙な動きがあれば私の代人として出兵しろ」
「わ、私がですか!?」
「侍女なのだから、そのくらい当然だ。義父のダビドと兵を5,000残す。北の動きに警戒してくれ」
カラカラと笑いながら南方に出兵していくロマナに代わって、ガラがヴールで政務の中心に座ることになった。
といってもダビドもいるし、ロマナの祖母ウラニアもいる。
祖父の不在を踏ん張るロマナ。それを支えるガラの存在を、微笑ましく見ていた大人たちが援けてくれた。また、ついこの前まで孤児であったガラだが、鋭敏な才覚を秘めていることを皆が認め始めていた。
そして、フィエラの動きについてもガラの懸念が当たる。
フィエラが西方会盟に加わったとの報せを受けた摂政サミュエルは、ただちに出兵の準備を命じていたのだ。
西域の大隊商マエルの策を採ったサミュエルは、これまで列候や王族の動きに対して兵を動かすことはしてこなかった。王都を大軍で押さえていれば、勝手に自縄自縛に陥り、やがて各地で小競り合いが頻発するだろう、というのがマエルの策である。
しかし、今回のフィエラの動きにサミュエルは、本国リーヤボルクとの通行を遮断されかねないと見た。
王都の中を、殺気立ったリーヤボルク兵たちが駆け回る。
住民たちはこのままリーヤボルクが出て行かないかと噂し合ったが、その動きを止めたのは摂政正妃ペトラであった。
「あの者らに、殿下に逆らうような覚悟はございませぬ」
閨の中、サミュエルの逞しい胸の中で、ペトラがささやく。
サミュエルは、新王ルカスの摂政として殿下の尊号で呼ばせている。ペトラの絹のような柔肌の背中を指でなぞりながら「ふむ」と、天蓋を見詰めた。
「……妃は出兵には反対か?」
「寂しゅうございますから……」
と、ペトラが眉をハの字にして笑うと、サミュエルが抱き締めた。
サミュエルはすっかりペトラに惚れ込んでおり、妹ファイナ内親王をスピロに嫁させることにも反対しなかった。
ペトラはサミュエルを挟んでマエルとの策謀比べに勝利を収めつつあった。
「しかし、妃よ。本国との通行を邪魔されるようなことがあってはならん。このままにしてはおけんではないか?」
「参朝させれば良いのです」
「……参朝」
こともなげに言うペトラに、サミュエルは言葉を失った。
聖山三六〇列候のうち、新王ルカスへの参朝をあきらかにしたのは王都近郊の十数候にとどまっている。どれも村や集落レベルの小さな列候領であった。
王国全土の制圧を目的としている訳ではないサミュエルには、それで充分であった。
列候同士が互いに睨みあい膠着状態にある間も、王都を通る富はサミュエルの懐を潤し、本国に送金することも出来る。
その様子見を決め込んだ主要列候を参朝させる。つまり忠誠を誓わせる。
知恵袋として重宝するマエルでさえ思い付かないことを、胸の中で肌をぴったりと寄せるペトラが微笑みながら具申してくる。
「ああっ、旦那様。信じておられませんね?」
「……いや」
「大丈夫。ペトラには策がございます」
閨の中、さらに身を寄せて来たペトラに、サミュエルは「任せてみるか」という気になった。
南方遠征の支度で慌ただしくしているロマナのもとに、気がかりな報せが届いた。
西南伯領の北、ペノリクウスとシュリエデュグラが結んだ西方会盟にフィエラが加わったというものであった。
王国の西端ブローサと王都ヴィアナの中間に位置するフィエラは、交易の大路上で栄える要衝で西方会盟の影響力が増大することは間違いなかった。
トントンッと、ロマナは執務室の机を指で叩いた。
侍女のガラが気遣うような声でロマナに尋ねる。すでにガラは主君ロマナの小さな仕草からでも、心持ちを察せられるようになっていた。
「いかがなさいますか? 南方遠征を少し遅らせますか?」
「いや……。それはできない」
ロマナは祖父ベスニクに代わって西南伯領を治めるにあたって、幕下の列候から人質をとった。それは、彼らの盟主として君臨する行いであると同時に、列候の困りごとの解決に責を負うことでもある。
現在、西南伯領の南端に位置するクヴァルフォから救援の要請が届いている。
王国の南に広がる密林地帯に蟠踞する部族――通称、密林国と呼ばれる――からの襲撃があいついでいるとのことで、出兵の準備を進めていた。
「……西方会盟が勢力を増すのは、我らの頭を押さえられたようで気分は良くないが、ただちに兵を向けるようなことはするまい」
と、思考をそのまま言葉にしたようにロマナがつぶやいた。
ベノリクウスを中心とした西方会盟は西南伯領の北に勢力を張り、ルカスの即位に対しても曖昧に中立の姿勢を保っている。
ふと、ガラの心配げな表情に気がついたロマナが微笑んだ。
「王国は今、みんなで我慢比べの最中だ。嵐に吹き飛ばされてはかなわんと、弱者同士が肩を寄せ合ったにすぎん。気分はよくないが、こちらから介入するほどではない」
「……王都から見ると、西域を通せんぼする形です」
「ふむ……」
ロマナは壁に掲げた王国の地図に目をやった。
「……動くかな? ルカス新王は」
「そこまでは分かりませんが……」
「ガラの心配も、もっともだ。北に間者を放とう。あと、ガラはヴールに残れ」
「え?」
「密林国の蛮族どもを見せてやろうかと思っていたが、西方会盟に妙な動きがあれば私の代人として出兵しろ」
「わ、私がですか!?」
「侍女なのだから、そのくらい当然だ。義父のダビドと兵を5,000残す。北の動きに警戒してくれ」
カラカラと笑いながら南方に出兵していくロマナに代わって、ガラがヴールで政務の中心に座ることになった。
といってもダビドもいるし、ロマナの祖母ウラニアもいる。
祖父の不在を踏ん張るロマナ。それを支えるガラの存在を、微笑ましく見ていた大人たちが援けてくれた。また、ついこの前まで孤児であったガラだが、鋭敏な才覚を秘めていることを皆が認め始めていた。
そして、フィエラの動きについてもガラの懸念が当たる。
フィエラが西方会盟に加わったとの報せを受けた摂政サミュエルは、ただちに出兵の準備を命じていたのだ。
西域の大隊商マエルの策を採ったサミュエルは、これまで列候や王族の動きに対して兵を動かすことはしてこなかった。王都を大軍で押さえていれば、勝手に自縄自縛に陥り、やがて各地で小競り合いが頻発するだろう、というのがマエルの策である。
しかし、今回のフィエラの動きにサミュエルは、本国リーヤボルクとの通行を遮断されかねないと見た。
王都の中を、殺気立ったリーヤボルク兵たちが駆け回る。
住民たちはこのままリーヤボルクが出て行かないかと噂し合ったが、その動きを止めたのは摂政正妃ペトラであった。
「あの者らに、殿下に逆らうような覚悟はございませぬ」
閨の中、サミュエルの逞しい胸の中で、ペトラがささやく。
サミュエルは、新王ルカスの摂政として殿下の尊号で呼ばせている。ペトラの絹のような柔肌の背中を指でなぞりながら「ふむ」と、天蓋を見詰めた。
「……妃は出兵には反対か?」
「寂しゅうございますから……」
と、ペトラが眉をハの字にして笑うと、サミュエルが抱き締めた。
サミュエルはすっかりペトラに惚れ込んでおり、妹ファイナ内親王をスピロに嫁させることにも反対しなかった。
ペトラはサミュエルを挟んでマエルとの策謀比べに勝利を収めつつあった。
「しかし、妃よ。本国との通行を邪魔されるようなことがあってはならん。このままにしてはおけんではないか?」
「参朝させれば良いのです」
「……参朝」
こともなげに言うペトラに、サミュエルは言葉を失った。
聖山三六〇列候のうち、新王ルカスへの参朝をあきらかにしたのは王都近郊の十数候にとどまっている。どれも村や集落レベルの小さな列候領であった。
王国全土の制圧を目的としている訳ではないサミュエルには、それで充分であった。
列候同士が互いに睨みあい膠着状態にある間も、王都を通る富はサミュエルの懐を潤し、本国に送金することも出来る。
その様子見を決め込んだ主要列候を参朝させる。つまり忠誠を誓わせる。
知恵袋として重宝するマエルでさえ思い付かないことを、胸の中で肌をぴったりと寄せるペトラが微笑みながら具申してくる。
「ああっ、旦那様。信じておられませんね?」
「……いや」
「大丈夫。ペトラには策がございます」
閨の中、さらに身を寄せて来たペトラに、サミュエルは「任せてみるか」という気になった。
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