175 / 307
第七章 姉妹契誓
164.商人からの贈物
しおりを挟む
ルカスとリーヤボルク兵が王都ヴィアナに入城し、ファウロスの葬儀を慌ただしく執り行ったあとのことだ。
葬礼は、それまでの混乱で既に疲労困憊していたサラナが、気力を振り絞って取り仕切った。
そして、精根尽き果てたサラナは、王宮でふんぞり返るリーヤボルクの将サミュエルの言葉に、ポカンと口を開けた。
「バシリオス殿を、お慰めいただきたい」
そのまま、下卑た視線を浴びせかけるリーヤボルク兵に護送され、地下牢に連れて行かれた。
そこにいたのは、変わり果てた姿の主君バシリオスであった。
檻の向こうでは、服をはぎ取られ石壁に片腕を鎖で結び付けられたバシリオスが、虚ろな目をして床に直接座って足を投げ出していた。立派な体躯には、ところどころ裂傷が見られ、激しい拷問のあとがうかがえる。
自身も檻の中に入れられたサラナは、必死でバシリオスに呼びかけたが反応がない。
しかし、鼓動は確かであり、傷はひどかったが、命に別状はないようであった。
ただ、心だけが、どこか遠くに旅立っていた。
リーヤボルク兵からは、そのまま伽をするよう言われ、激しく抵抗したサラナであったが、
「ならば、食事も水も与えるなと言われておる」
と、ニヤニヤしながら告げるリーヤボルク兵の言葉に、心を折った。
リーヤボルク兵が見守る中、バシリオスに跨ったとき、サラナの心も一旦、死んだ。
そのまま、檻の中でバシリオスの世話をして過ごす。
汗を拭き、傷を治療し、食事を与える。うまく食べてくれないときは、自ら噛み砕いて口移しで与えた。そして、兵が見張りをする中でバシリオスを慰めた。
いつ終わるともしれない地獄の中で、ある時、見張りの兵が巨体で強面の男に替わった。
せまい地下牢の廊下を狭そうに行き来する巨体の男に、サラナは「このような者に替えて、圧力でもかけているつもりか? それで、バシリオス殿下が正気を取り戻されるのであれば、苦労はせぬわ……」と、乾いた笑いを漏らした。
これまで以上に、じっくりと観察してくる巨体の男はヨハンと名乗った。
頭の弱い男のようで、たどたどしい喋り方で、いつも娼館に行った話を自慢げに話してくる。今日の娼婦はこうだった。昨日よりも良かった。でも一昨日はもっと良かった。下世話な話を、滔々と聞かせてくる。
すでに、なにか感じる心が、すっかり弱まっていたサラナは乾いた笑いを返すばかりであった。
それでも、食事や傷薬を出し渋られるような嫌がらせをされては、病んだ主君のためにならぬと、笑顔だけは返すように努力していた。
そして、その笑顔が勘違いさせてしまったのか、とても、ひどいことをされた。
もはや、サラナは何も感じることがなかった。
ただ、その後の身体でお慰めしなくてはいけないことを、バシリオスに申し訳ないと思うばかりであった。
ヨハンのとても、ひどいことは、毎日、飽きることなく続いた。
娼館の女たちとサラナを比べるようなことを、毎日、聞かされた。
そして、気が付いた、
――この頭の弱い男は、私にお慰めする技術を教えようとしてる?
たどたどしい話をよく聞くと、娼館の女たちに頭を下げて、様々なことを教えてもらってきているようであった。いかに男を慰め、いかに心と身体に休息を与え、いかに心を開かせるのか。
サラナは、それに気がついたとき、心の底から笑い出してしまった。
――たしかに、私にそちら方面の技術も経験もない。……が、しかし、ですね。
大笑いしているサラナに驚いたヨハンに詫び、それから二人で研究を始める。
サラナも持ち前の探究心でもって、熱心にヨハンに質問する。答えられないことは次の日、娼婦から聞いて帰り、実践で教えてくれる。言葉では上手く伝えられないヨハンの実践を、サラナも受け入れて学ぶ。そして、バシリオスに試行し、反応をみる。
サラナがヨハンに対して奇妙な友情さえ抱き始めた頃、バシリオスの瞳に微かに輝きが戻り始めた。途切れ途切れだが、言葉も発するようになってきた。
すると、ヨハンは、伽の時間に席を外すようになった。
やがて、サラナの身体に指一本触れることはなくなった。
――感謝……、という言葉は使いたくないが……。
サラナは苦笑いをもって、ヨハンが丸める巨きな背中を見詰める。
かなりの日数を経て、ある程度の思考を取り戻したバシリオスを説き伏せ、まずはこの地下牢から脱出するため、ルカスの即位への賛同を勧めた。
そして、すっかり痩せ衰えた身体をサラナとヨハンに支えられたバシリオスは、地下牢を出され、大神殿でルカスの戴冠式に参列し《王の子》として、即位への賛同を表明した。
その後、サミュエルから北離宮に移るようにと告げられた。
ずっと地下牢にいたサラナに、北離宮の主が王都を落ちた後、どこでどうしているのかは知り得ない情報である。
今も言葉を交わせるのはヨハンだけであり、王国の状況はまったく分からない。
北離宮の窓から望む王宮の、王太子宮殿は遥かに遠い。今は思い浮かべるだけでも虚しさに押し潰されそうになる。
とにかく、今はバシリオスの体力を回復させることを優先した。
本来の身体を取り戻すことができたなら、リーヤボルク兵がいくら囲んでも、軽々と押し破れる猛将バシリオスである。もはや、自分を棄てて逃げ延びてもらったのでも良い。
ヨハンが分け与えてくれる、商人からの贈物も、ありがたく受け取る。
窓越しに見える商人は夫婦のようであり、いつも二人してぎこちない笑顔でヨハンにヘコヘコしている。
頭の弱いヨハンが、どのような便宜を図れるのか想像もつかないが、商人夫妻はマメに北離宮に顔を出しては、なにかしら栄養のある食べ物を置いていってくれる。
それをありがたく抱きしめて、礼を言う。
サラナのそんな姿を、ヨハンの巨体越しに見詰める商人夫妻こそ、西南伯公女ロマナからベスニク救出の大命を受けて潜伏するアーロンとリアンドラであった――。
葬礼は、それまでの混乱で既に疲労困憊していたサラナが、気力を振り絞って取り仕切った。
そして、精根尽き果てたサラナは、王宮でふんぞり返るリーヤボルクの将サミュエルの言葉に、ポカンと口を開けた。
「バシリオス殿を、お慰めいただきたい」
そのまま、下卑た視線を浴びせかけるリーヤボルク兵に護送され、地下牢に連れて行かれた。
そこにいたのは、変わり果てた姿の主君バシリオスであった。
檻の向こうでは、服をはぎ取られ石壁に片腕を鎖で結び付けられたバシリオスが、虚ろな目をして床に直接座って足を投げ出していた。立派な体躯には、ところどころ裂傷が見られ、激しい拷問のあとがうかがえる。
自身も檻の中に入れられたサラナは、必死でバシリオスに呼びかけたが反応がない。
しかし、鼓動は確かであり、傷はひどかったが、命に別状はないようであった。
ただ、心だけが、どこか遠くに旅立っていた。
リーヤボルク兵からは、そのまま伽をするよう言われ、激しく抵抗したサラナであったが、
「ならば、食事も水も与えるなと言われておる」
と、ニヤニヤしながら告げるリーヤボルク兵の言葉に、心を折った。
リーヤボルク兵が見守る中、バシリオスに跨ったとき、サラナの心も一旦、死んだ。
そのまま、檻の中でバシリオスの世話をして過ごす。
汗を拭き、傷を治療し、食事を与える。うまく食べてくれないときは、自ら噛み砕いて口移しで与えた。そして、兵が見張りをする中でバシリオスを慰めた。
いつ終わるともしれない地獄の中で、ある時、見張りの兵が巨体で強面の男に替わった。
せまい地下牢の廊下を狭そうに行き来する巨体の男に、サラナは「このような者に替えて、圧力でもかけているつもりか? それで、バシリオス殿下が正気を取り戻されるのであれば、苦労はせぬわ……」と、乾いた笑いを漏らした。
これまで以上に、じっくりと観察してくる巨体の男はヨハンと名乗った。
頭の弱い男のようで、たどたどしい喋り方で、いつも娼館に行った話を自慢げに話してくる。今日の娼婦はこうだった。昨日よりも良かった。でも一昨日はもっと良かった。下世話な話を、滔々と聞かせてくる。
すでに、なにか感じる心が、すっかり弱まっていたサラナは乾いた笑いを返すばかりであった。
それでも、食事や傷薬を出し渋られるような嫌がらせをされては、病んだ主君のためにならぬと、笑顔だけは返すように努力していた。
そして、その笑顔が勘違いさせてしまったのか、とても、ひどいことをされた。
もはや、サラナは何も感じることがなかった。
ただ、その後の身体でお慰めしなくてはいけないことを、バシリオスに申し訳ないと思うばかりであった。
ヨハンのとても、ひどいことは、毎日、飽きることなく続いた。
娼館の女たちとサラナを比べるようなことを、毎日、聞かされた。
そして、気が付いた、
――この頭の弱い男は、私にお慰めする技術を教えようとしてる?
たどたどしい話をよく聞くと、娼館の女たちに頭を下げて、様々なことを教えてもらってきているようであった。いかに男を慰め、いかに心と身体に休息を与え、いかに心を開かせるのか。
サラナは、それに気がついたとき、心の底から笑い出してしまった。
――たしかに、私にそちら方面の技術も経験もない。……が、しかし、ですね。
大笑いしているサラナに驚いたヨハンに詫び、それから二人で研究を始める。
サラナも持ち前の探究心でもって、熱心にヨハンに質問する。答えられないことは次の日、娼婦から聞いて帰り、実践で教えてくれる。言葉では上手く伝えられないヨハンの実践を、サラナも受け入れて学ぶ。そして、バシリオスに試行し、反応をみる。
サラナがヨハンに対して奇妙な友情さえ抱き始めた頃、バシリオスの瞳に微かに輝きが戻り始めた。途切れ途切れだが、言葉も発するようになってきた。
すると、ヨハンは、伽の時間に席を外すようになった。
やがて、サラナの身体に指一本触れることはなくなった。
――感謝……、という言葉は使いたくないが……。
サラナは苦笑いをもって、ヨハンが丸める巨きな背中を見詰める。
かなりの日数を経て、ある程度の思考を取り戻したバシリオスを説き伏せ、まずはこの地下牢から脱出するため、ルカスの即位への賛同を勧めた。
そして、すっかり痩せ衰えた身体をサラナとヨハンに支えられたバシリオスは、地下牢を出され、大神殿でルカスの戴冠式に参列し《王の子》として、即位への賛同を表明した。
その後、サミュエルから北離宮に移るようにと告げられた。
ずっと地下牢にいたサラナに、北離宮の主が王都を落ちた後、どこでどうしているのかは知り得ない情報である。
今も言葉を交わせるのはヨハンだけであり、王国の状況はまったく分からない。
北離宮の窓から望む王宮の、王太子宮殿は遥かに遠い。今は思い浮かべるだけでも虚しさに押し潰されそうになる。
とにかく、今はバシリオスの体力を回復させることを優先した。
本来の身体を取り戻すことができたなら、リーヤボルク兵がいくら囲んでも、軽々と押し破れる猛将バシリオスである。もはや、自分を棄てて逃げ延びてもらったのでも良い。
ヨハンが分け与えてくれる、商人からの贈物も、ありがたく受け取る。
窓越しに見える商人は夫婦のようであり、いつも二人してぎこちない笑顔でヨハンにヘコヘコしている。
頭の弱いヨハンが、どのような便宜を図れるのか想像もつかないが、商人夫妻はマメに北離宮に顔を出しては、なにかしら栄養のある食べ物を置いていってくれる。
それをありがたく抱きしめて、礼を言う。
サラナのそんな姿を、ヨハンの巨体越しに見詰める商人夫妻こそ、西南伯公女ロマナからベスニク救出の大命を受けて潜伏するアーロンとリアンドラであった――。
23
お気に入りに追加
407
あなたにおすすめの小説
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
異世界王女に転生したけど、貧乏生活から脱出できるのか
片上尚
ファンタジー
海の事故で命を落とした山田陽子は、女神ロミア様に頼まれて魔法がある世界のとある国、ファルメディアの第三王女アリスティアに転生!
悠々自適の贅沢王女生活やイケメン王子との結婚、もしくは現代知識で無双チートを夢見て目覚めてみると、待っていたのは3食草粥生活でした…
アリスティアは現代知識を使って自国を豊かにできるのか?
痩せっぽっちの王女様奮闘記。
異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!
マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です
病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。
ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。
「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」
異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。
「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」
―――異世界と健康への不安が募りつつ
憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか?
魔法に魔物、お貴族様。
夢と現実の狭間のような日々の中で、
転生者サラが自身の夢を叶えるために
新ニコルとして我が道をつきすすむ!
『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』
※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。
※非現実色強めな内容です。
※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。
アサの旅。竜の母親をさがして〜
アッシュ
ファンタジー
辺境の村エルモに住む至って普通の17歳の少女アサ。
村には古くから伝わる伝承により、幻の存在と言われる竜(ドラゴン)が実在すると信じられてきた。
そしてアサと一匹の子供の竜との出会いが、彼女の旅を決意させる。
※この物語は60話前後で終わると思います。完結まで完成してるため、未完のまま終わることはありませんので安心して下さい。1日2回投稿します。時間は色々試してから決めます。
※表紙提供者kiroさん
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
知らない異世界を生き抜く方法
明日葉
ファンタジー
異世界転生、とか、異世界召喚、とか。そんなジャンルの小説や漫画は好きで読んでいたけれど。よく元ネタになるようなゲームはやったことがない。
なんの情報もない異世界で、当然自分の立ち位置もわからなければ立ち回りもわからない。
そんな状況で生き抜く方法は?
異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。
前世の記憶を頼りに善悪等を判断。
貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。
2人の兄と、私と、弟と母。
母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。
ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。
前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる