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32.検討は充分にできた

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海と太陽しか見えない、雲ひとつない青空の下でビットは淡々と話し続ける。


――同腹の弟に、暗殺されかかった。


表情はいつもの軽薄そうな笑顔なのにその口調から、ビットにとってつらい過去であることが察せられた。

自分の命をねらった弟に憎しみはなく、ふかい愛情を持ち続けている。

そんな心情がヒシヒシと伝わった。


「……弟が愛しあい、将来を誓っていたご令嬢がいてね」

「うん……」

「僕が彼女を、皇太子の権力で奪おうとしてるって……、誤解されてた」

「うん……」

「そんなことが解ったのも、刺客が取り押さえられて、弟の指図だって判明した後のことでね……」

「そう。……つらかったのね、ビットは」

「……そうだね。なにより、弟が僕に悩みを打ち明けてくれなかったことが、……いちばん、つらかった」

「そうね……、それはつらいわね」

「ふふっ、ありがとう。やっぱりカーニャは優しいなぁ~」

「どういたしまして」

「……だからね、なんでも話してくれやすいように、僕なりに工夫しているつもりなんだよ」

「そう……」

「うん……」

「…………え?」

「……ん?」

「えっと……、なんの話だっけ?」

「もう。……カーニャが僕に『なんで、軽いフリをしてるのか?』って聞いたんでしょ~?」

「あ……、ああ。そうだったわね」

「ふふっ」

「……ごめんなさい。話の展開が、ちょっと予想外で……」

「……でも、『なんの話だった?』って聞いてくれて、……ありがとう」

「ど、どういたしまして……?」

「ふふふっ。……なかなか言えないよ? 皇太子殿下のされてる話に『なんの話だった?』って」

「あ……、ほんとね。ごめんなさい」

「ううん。僕の工夫がうまくいってるってことだから、嬉しいよ~?」

「……そういうもの?」

「カーニャがシエナロッソで、船を買いに来てる理由を打ち明けてくれたのも、嬉しかったなぁ~~~」

「ふふっ。困ってたのよ、本気で」

「そういう話をしてもらえないとね~」


たしかに、ビットの軽薄そうな笑みに心の壁を融かしてもらったことは一度や二度ではない。


「……弟さんは?」

「ん~~~? ……カーニャの弟さんとおなじ……、って言っていいかな? ……流刑になったよ」

「そっか……」

「……次に会えるのは、50年後なんだよねぇ~」

「そんなに……」

「皇太子殿下の命を狙ったんだからねぇ~。僕とお母さん――皇后陛下とで、必死に皇帝陛下に頼み込んで、ようやく死罪を免れたんだ……」

「……うん」

「だからね、カーニャ」

「うん」

「僕と弟がお互いお爺さんになって、50年ぶりに再会できたとき、思ってることをなんでも話しあえるのが、僕のちょっとした夢なんだよねぇ~」

「……きっと、叶うわね。ビットの夢」

「そう? カーニャが言うなら、叶うかもしれないねぇ~」

「叶うわよ、ビットなら……」

「ふふっ。……僕とカーニャは似た者同士だ」

「え~っ? 急にどうしたの?」

「カーニャは、苦手な恋の話を克服するために工夫を惜しまない。プレゼンしろだなんてすごい工夫、僕、感心しちゃったなぁ~~~」

「……え?」

「なに?」

「バカにしてる?」

「おう……、なんて誤解を……」

「ふふっ。……言葉にしないと、誤解も解けないわね」

「ほんとだぁ~~~。やっぱり、僕はカーニャのことが好きだなぁ~。お嫁さんになってよぉ~?」

「持ち帰って、検討させていただきます」

「そうか~、嬉しいなぁ~」

「……そう?」

「検討してもらえるんでしょ? とっても嬉しいけど?」

「もう……。真剣に検討させていただきますっ!」


と、わたしは立ち上がって、青空を見あげた。


――はい、喜んで。


なぜだかわたしの口は、どうしてもそのひと言を発してくれない。

ビットとは、通算44年の人生で過去最大級に〈ちょっといい感じ〉だ。

いや、自分がビットに惚れてることは、自分でも充分に解っている。


――結婚しよう。


の言葉にも、気持ちは引けていかない。

わたしの最後の恋の相手がビットだって、心のなかでは決まっている。

なのに、最後のひと言だけが、どうしても口から出てくれない。


――奥手にもほどがある。


と、自分で自分に苦笑いしてしまう。

困ったものだ。


「……弟さんのお名前は、なんて仰るの?」

「ん?」

「……ビットは、わたしの……大切な人だわ。そのビットの大切な弟さんのお名前、わたしも覚えておきたいの」

「……うん。……ジュリオだよ」

「ジュリオ殿下ね。覚えたわ。絶対に忘れない」

「うん、ありがとう。……だけど、殿下じゃないんだ」

「……そっか」

「うん」


皇太子殿下の暗殺を企んだのだ。

流刑に処された弟君が、皇子の身分を剥奪されたことは想像に難くない。


「……ごめんね。ビットをまたつらい気持ちにさせることを言ってしまったわ」

「ううん。……ラヴェンナーノ帝国では、皇帝の権力が強すぎる」

「……強すぎる?」

「巨大な帝国は、皇帝陛下お1人の意志ですべてが決まる。……次期皇帝たる皇太子の意向を問いただすことが躊躇われるほどにね」

「なるほど……」

「庶民の気風は自由で開放的なのに、政治体制はガチガチなんだよねぇ~」


たしかにシエナロッソや、陸路での手荷物検査でも雰囲気は明るかった。


「フェルスタインはフェルスタインで、諸侯の思惑が渦巻いてて大変そうだったけど、……国王陛下を独りにしないのは、いいことかなぁ~」

「独りに?」

「……弟が流刑になって、皇帝陛下――父上とじっくり話し合ったんだ」

「うん」

「首を刎ねられちゃうかと思ったけど」

「そうね」

「父上は父上で、いっぱい悩みを抱えてたよ~。当然だよね、人間なんだから」

「……うん」

「……いま、父上とふたり、少しずつ帝国の雰囲気を変えて、仕組みを変えようとしてるところなんだぁ~」

「へぇ~」

「まずは、ヴィンケンブルクへの警戒を理由に、僕が帝都にあまりいないようにして、僕への不満や反感が言いやすいようにしてさ」

「え? それって……」

「僕は失脚しちゃうかもしれないねぇ~。弟たちは優秀だし」

「あら、ビット。珍しくウソを吐いたわね」

「え?」

「お父上――皇帝陛下がそんなことにはさせないって、ビットは信頼してるじゃない?」

「ふふっ。……カーニャにはお見通しかぁ~」

「付き合いもながくなりましたから」

「やっぱり、僕の人生ではずっとカーニャに横にいてほしいなぁ~。お嫁さんにきてくれない?」

「持ち帰って、検討させていただきます」


と、心にもないにくまれ笑いを返してしまい、ふり向くと、物陰という物陰に船員のお姉様方が……。


「ちょ……」

「あ」

「ルチアさんまで何やってるんですか?」

「はははっ、見付かってしまいましたか」

「……誰も見当たらないと思ったら」


ぞろぞろと出てくるお姉様方……。

いや……、ほぼ全員じゃないですか。船、傾きません?

っていうか、リアとアマリアもいるし。

小麦色の肌に満面の笑みを浮かべたルチアさんが、ビットのまえに立った。


「殿下? 私たちのカロリーナ様を泣かせたら、承知しませんからね?」

「ふふっ。ルチアも僕に、なんでも言ってくれるなぁ~」

「当然です! それが皇太子殿下のお望みなんですから!」


腕組みしたルチアさんが、気持ち良さそうに笑うと、みなも一緒になって笑った。

きっと、ビットはラヴェンナーノ帝国をこんな国にしたいんだと思うし、そのためにもわたしを必要としてくれている。

どうすればわたしの口が、


――はい、喜んで。


と言ってくれるのか、真剣に検討したいと思う。

持ち帰って。


   Ψ


シエナロッソに到着するまで、ビットは相変わらず軽薄な笑みを絶やさなかったし、

船員のお姉様方のソワソワした視線は気になったけど、船の運航に支障はなく、無事に入港することができた。

さっそく、ビットの紹介してくれた宝飾職人のところにアマリアを連れて行き、まずはアマリアの作品を見てもらう。

むずかしい顔をした中年の職人さんが、眉を険しく寄せた。


「これは……、私が教えられることは、なにもありませんな」

「あら、そう?」

「素晴らしい出来です。むしろこちらが教わりたいくらいです」


と、眉間にふかいシワを刻んだまま、鋭い眼つきで何度もうなずく職人さんに、

アマリアが泣き出してしまった。


「……お、お母様に教えてもらったんです。……アクセサリーのつくり方」

「そう……」


乙女の涙をみて、急にオロオロし始めた職人さんに微笑みを返し、アマリアをやさしく抱きしめる。

当然、わたしは知っていた。

乙女ゲームのヒロイン、アマリアの基本設定のひとつだ。

わたしにつくってくれたティアラも素晴らしい出来だった。

だけど、異国の職人さんからも認められるほどの腕前だとは、いま初めて知った。


「きっと、お母様も喜ばれてるわね」

「……カロリーナお姉様のおかげです」

「ええっ? わたし?」

「カロリーナお姉様は、わたしのつくった真鍮のアクセサリーをバカにされませんでした……。三大公爵家のご令嬢なんて雲の上のお方なのに、嬉しそうに身に付けてくださいます。それどころか、第2王子殿下の披露宴にも、わたしのつくったイヤリングをつけて出席してくださいました」

「……そうね」

「ううん……、最初にお会いしたときから、お母様のロケットペンダントを手に取って、涙してくださいました……」

「ええ……」

「娘のつくったロケットペンダントの中にいられて、お母様もきっと喜ばれているわね……って、仰ってくださいました」

「そうね。いまも、そう思ってるわ」

「……カロリーナお姉様が認めて下さってるって思えたから、嬉しくなってつづけられたんです……、アクセサリーづくり」

「そう……。じゃあ、わたしの目利きのおかげね?」


と、わたしが悪戯っ子のように舌を出して笑うと、アマリアも涙をふいて笑ってくれた。


「はい! カロリーナお姉様は私を見付けてくださった、すごい方です!」

「あら、それじゃあやっぱり、すごいのはアマリアじゃない?」

「んふっ。……バレました?」


最近のアマリアは、無理してポジティブなことを言わなくなっていた。

自然体というか、思っていることを素直に口にするようになった。

声からも無理な甘ったるさは消え、快活さだけが残っている。

きっと、学園のヒロインはこうして奥さんになり、やがては肝っ玉母さんになっていくんだろうなと思わせられる。

人は変わっていくのだ。

真剣な表情で職人さんと意見交換するアマリアの横顔が、妙にまぶしく見えた。


   Ψ


それから、帝国海軍の軍船でコンラートたちが船上戦の模擬演習をさせてもらうのを見学したり、

食堂に行って、わたしが出荷に立ち会えなかった今年のミカンの感想を、おかみさんから聞いたりと、

あわただしくも楽しい日々を過ごした。

やっぱり、このシエナロッソの街の雰囲気はわたしの肌に合うし、ロッサマーレもこんな街にしたい。

なにごともガッツと工夫で乗り越えるわたしだけど、都会が苦手なことだけは、どうしても克服できそうにない。

出来ないことは出来ないと認めて、わたしはわたしの人生を楽しまないと、

なんて言うか――、損だ。

ビットとリアと、行きつけのカフェでお気に入りのチーズケーキをいただきながら、港にならぶ帆船を見上げ、

そんなことを考えていた。


やがて、カーニャ号には満載の交易品が積み込まれ、ロッサマーレに向けて出港する日になった。

ロッサマーレに戻れば、ミカンのつぼみがプクプクに膨らんでいる頃だ。

当たり前のようにカーニャ号に乗り込むビット。


――そうね。検討は充分にできたわ。あとはビットに返答するだけ……。


ややこしいわたしに、ずっと付き合ってくれてるビットの背中に、イッと感謝のにくまれ笑いを送り、

わたしもカーニャ号に乗り込んだ――。


きっとわたしも変わっていくし、それでも出来ないことは出来ないのだ。
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