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21.おもしろくありませんでした

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最速で駆けた馬車になかなかのダメージを受けながら、ロッサマーレに帰り着いた。

ちょうど朝陽がミカン畑の稜線を超えて広がり、神々しいまでの夜明けを迎えたばかりのことだった。

ミカンは収穫をはじめる直前にまで実っていて、

いちばんオレンジ色にひかり輝く姿を、目におさめることができた。


――すべては、このミカン畑から始まったのよ……。


初夏に咲く真っ白な花は、お母様と一緒に見ることが叶わなかったけど、

オレンジにかがやくミカンの実は、王都で一緒に食べることができた。

病いに伏せるお母様を笑顔にしてくれた、大切な大切な〈わたし達〉のミカン。


――かならず守り抜いてみせる。


と、歯を喰いしばる。

すると、老農夫ヤンの孫娘エリカの快活な声がうしろから聞こえた。


「カロリーナ様、おはようございま~す! ……すこし顔色が青くなられて見えますけど、大丈夫ですか?」

「ええ……、すこし馬車に酔っちゃたみたい。ちょっと横になれば、すぐに良くなるわ」

「そうですか! それはお大事に。……そのドレス、おキレイですね?」

「あ、うん……。馬車に揺られて乱れちゃったけど、王都で結婚式に出ていたのよ」

「うわ~っ! 結婚式! 貴族の方の結婚式って、それはそれは華やかなんでしょうね~」


夢を見ているかのように、目をキラキラとかがやかせ、朝の秋空を見あげるエリカ。

あんな結婚式、二度と巡り会えないし、巡り会いたくもないけど、

なにもエリカの夢をこわす必要はない。


「ふふふっ。いつか機会があったら、エリカも連れて行ってあげたいわね」


と、列席していた令嬢たちや王妃陛下の御姿などを思い浮かべ、エリカに微笑みを向けた。

すると、目をおおきく開いたエリカが、わたしの予想にはなかった、悪戯っぽい笑みを返してきた。


「またまた~。こういうのは夢見てるのがいいんですっ」

「……そういうもの?」

「身分にそぐわない場所に行っても、どうせガチガチに緊張するだけだし、いいことありませんって。連れて行ったカロリーナ様の方が後悔しちゃいますよ?」

「あら……、エリカって見た目以上に大人なのねぇ」

「カロリーナ様のひとつ下なだけですよ~。……わたしね、こうしてカロリーナ様に親しくしていただいてるだけでも、ずっと夢見てるみたいなんですよ?」

「ふふっ。嬉しいこと言ってくれるわね。ありがとう」

「だから、変に気をつかわないでくださいね? こう見えても、わたし、とっても幸せなんですからっ!」

「……よく分かったわ。ありがとう」

「じゃあ、食堂の開店前に収穫準備をやっちゃわないといけないんで、ミカン畑に行ってきま~すっ!」

「いってらっしゃ~い! 気を付けてね~!」


と、駆け出したエリカの背中に手を振って見送る。

わたしが守らなくちゃいけないのは、ミカン畑だけじゃない。ロッサマーレに暮らしてくれてる、みんなもだ。

お母様から受け継いで、いまはわたしが領主なんだから。

と、坂の途中で立ち止まったエリカが、わたしの方にふり向いた。


「カロリーナ様――っ!! 朝陽にかがやく銀色のお髪が、とっても、と――ってもっ! おキレイで――すっ!!」


発展を続けているとはいえ、辺境のちいさな港町でしかないロッサマーレ。

その住民全員をたたき起こしてしまいそうに、エリカはおおきな声をひびかせた。


へへっ!


って感じで鼻を指でこすって、またミカン畑につづく坂を、駆けて登ってゆく。


――もう……、恥ずかしいじゃない。……すごく、嬉しいけど。


と、もう一度手をおおきく振って、エリカの背中を見送った。


エリカったら、ビットの真似でもしてるのかしら?

……でも正直、エリカの方がグッときちゃったわね。

……ビットも見習えばいいのに。


と、顔をしかめて、こみ上げてくる笑いを噛み潰した。


そして、背後の港湾部から響いて来た威勢のいい声にふり返ると、屈強な人夫たちが船への荷積みをはじめていた。

朝陽を受けて悠然と輝く他家の商会の帆船に、次々と積み込まれていく交易品。

明るい声をあげて指揮をとってくれているのは、老漁師の息子オットーだ。

漁師の息子らしく立派な体格と明るい人柄を見込んで、ロッサマーレで働く荷積み人夫の全体を取り仕切る、副支配人に抜擢したのだ。

すこし離れた場所では、画家たちがイーゼルを並べ始めている。

お得意様になりつつあるフェルスタイン王国にあらたなインスピレーションを求め、シエナロッソから移住してきた若き芸術家たち。

彼らとの交流を求め、王都から移住してくる芸術家もいる。

他家の商会がひらいた商館が建ち並び、メインストリートらしきものを形成しはじめた市街地では、現場監督が図面を片手にあらたな建築物の打ち合わせを始めている。

真剣な様子で話を聞いてる相手は、王都から招いた都市計画の専門家だ。

わたしが愛する辺境ロッサマーレの長閑のどかな風情をのこしつつ、交易都市としての機能的な街づくりに尽力してくれている。

数の増えた食堂からは、早朝の仕事を終えた人夫たちに朝食を提供するための炊煙があがりはじめ、エリカに任せた店では若い店員が今日の食材を運び込んでいるのが見えた。

そして、ロッサマーレが気に入って家族ごと移住してきた船員の家からは、子どもたちの笑い声が響き始める。


――エリカの声、みんなに聞かれちゃったわね……。


と、ついはにかんでしまいながらも、

わたしがお母様のミカン畑を守ることは、彼らの生活を守ることでもあるのだと、昇っていく朝陽を背に受けながら、表情を引き締めた――。



   Ψ


やがて、わたしと入れ違いにシエナロッソに行っていたリアが、カーニャ号に乗って帰ってきた。

ほぼ同時に、お父様からの書簡をたずさえた急使が王都から届いた。


「やっぱり、まずは領有権に因縁をつけてきたわね……」


事情の呑み込めていないリアに、噛み砕いて説明する。

400年以上の歴史を誇るフェルスタイン王国。シュタール公爵家にいたっては、さらに長い歴史をもつ。

その長い歴史のなかで、領地は細分化と統合を繰り返し、領有権は複雑に絡み合いながら時の流れを刻んできた。

わたしもロッサマーレ以外に、お父様に譲っていただいた領地や、亡くなられたお祖父様が誕生日祝いにくださった領地、

そのほか、たくさんの領地を持っていて、こまかく王国各地に散らばっている。

リアにもお父様の書簡に目を通してもうと、眉間に深いしわを寄せた。


「……すこし遡って領有権の継承を否定してきているんですね」

「そう。お母様のご実家のその前の継承に疑義があるって主張してるわ」

「……長引くかもしれませんね」

「う~ん、揉めるだけ揉めて、王国裁判に持ち込んで、争いがあるってことで判決が出るまでのあいだ領有権を凍結するのが……、たぶんゾンダーガウの狙いね」

「やっかいなところを突いてきますね」

「さすが、三大公爵家のひとつってところね」


リアも過去の領有権の継承を遡って調べてみると言ってくれて、

とりあえず、すぐにわたしが出来ることはなくなった。


とはいえ、この状態で王国を離れる訳にもいかず、

3度目になるミカンを出荷していく帆船カーニャ号に乗るのは諦めた。

くやしくてもどかしいけど、いまは仕方がない。


「食堂のおかみさんに、すこし分けてあげてね? 毎年の習慣になってるの」


と、わたしとリアに代わって、ソニア商会から乗り込んでくれる取引主任に、よくよく頼んでおいた。

そして、埠頭からカーニャ号が見えなくなるまで手を振った――。


   Ψ


悶々とした日々を過ごすなか、心がほっこりする便りが届いた。


「あら、どれも可愛らしいですわね」


と、リアも目をほそめたのは、

ピンク髪ふわふわヒロインことアマリアが送ってくれた、いくつかの手づくりアクセサリー。


――お姉様からいただいたイヤリングがあまりに高価なので、せめてもう少しプレゼントさせてください。


と、可愛らしいことを書いた手紙が添えられていた。

途端にリアが難しい顔をした。


「そうですか……、アマリア嬢からでしたか……」

「あれ? リアはアマリアのこと苦手なの?」

「苦手というか……」

「なに?」

「学園でカロリーナ様ほど美しい方はいらっしゃらなかったというのに、いつも生徒たちの中心にいたアマリア嬢のことは正直……、おもしろくありませんでした」

「はははっ、リア。それは、ぶっちゃけすぎじゃない?」

「……申し訳ありません」

「アマリアのおかげで、わたしは穏やかな学園生活を送ることができたわ。……鉄壁姫としてね」


わたしが眉を寄せて笑うと、リアも肩をすくめた。


「この髪飾りなんか、リアに似合いそうだけど?」

「……真鍮とガラスビーズの組み合わせなのに、安っぽく見えませんね。真鍮に刻んである模様も独特です」

「でしょう? 安い素材をうまく使うのよ、アマリアは」


だけど、アマリアの便りが報せてくれたのは、心を安らげてくれることばかりではなかった。


「……ゾンダーガウ公爵がロッサマーレの領有権に疑義を主張してることは、王都でおおきな騒ぎにはなってないみたいね」

「たしかに、アマリア嬢からの手紙には、なにも書かれていませんね」

「騒ぎになってたら、どれだけ心配の言葉を書き連ねてくるか分からないわ、アマリアなら」

「ふふっ。そうですわね」

「……つまり、ゾンダーガウ公爵は前にわたしが海上保険を始めたときと違って、王宮内での権力闘争に的を絞ってきている」

「本気……、ということですわね」

「ええ、そうね」


貴族間の権力闘争となると、わたしには交易以上に経験不足で、不得手な分野だ。

ミカン畑を守り、みんなの生活を守ると意気込んでも、実際にはお父様に任せ切りにするしかないことが歯がゆい。

そんな、唇を噛むわたしの眉間から力を抜かせたのは、

いつもの通り、明るく軽薄に響くビットの声だった。


「カーニャ~!? ミカンの出荷について来ないなんて、なにかあったの~!?」


そして、このロッサマーレのピンチを巡り、わたしとビットの関係も大きく変わっていくことになる――。
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