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2.ぐんぐん駆け降りた

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フェルスタイン王国の貴族は、成人するとそれぞれ自分の商会を持つのが一般的だ。

領地の産品を買い取って交易にまわしたり、ほかの交易に出資したりして利益をあげる。

ミカン畑廃業の危機と聞いて、さっそく母から受け継いだ〈ソニア商会〉の支配人を呼びだした。

しかし、返事は色よくない――、


「ヴィンケンブルク王国の関税が上がったのが原因でして……」


ふくよかな顔からしたたる汗をふきながら帳簿をひらく、初老のジョナス・グレーバーは母の代からの支配人だ。

母の遺領をふくむ、わたしの領地すべての産品を一手にまかせ、しっかりと利益をあげてくれている。


「もちろん、商会はカロリーナ様のものです。あがった関税分を商会で負担してやることもできます。……ですが、そうなると、カロリーナ様の経費にも障りが……」


公爵令嬢にふさわしい生活を維持するには、膨大な経費を必要とする。

折に触れて王家や貴族と交わす贈物だけでも、相当な額だ。

これらをケチると貴族としての信用を落とし、商会の運営にも支障をきたす。

商会を傾けることは、フェルスタイン王国では最大の恥になる。家名にもかかわり、お父様にも迷惑をかける。

なにより母の名前を冠した商会をそのまま受け継いだのだ。傾けるわけにはいかない。


「ヴィンケンブルク王国との交易は、ゾンダーガウ公爵家の商会が独占しております。……交渉するならゾンダーガウ商会ということになりますが……」


わたしの生まれたシュタール公爵家とならぶ三大公爵家のひとつ。

敵対している訳ではないけど、一定の緊張関係がある。


「カロリーナ様の同級生に、ゾンダーガウ家のご令嬢がいらっしゃったかと思いますが……」

「セリーナ?」

「ええ、そちらのツテがたどれるなら、ひょっとすると……」

「う~ん……。あまり、お付き合いがなかったのよねぇ……」


セリーナは原作でカロリーナの親友として登場する。だけど、裏ではヒロインに協力し、カロリーナの断罪にひと役かうキャラクター。

ヒロインとしてゲームをプレイしてるなら、救いの女神のような存在だ。

だけど、カロリーナになったわたしからすれば、いまいち信用できない。せっかくジョナスが考えてくれているけど、あまり近寄りたくない人物のひとりだ。


「どうしてもということであれば、ゾンダーガウ商会の者に来させますので、カロリーナ様が直接、交渉していただけるようには致しますが……」

「……でも、もうジョナスが交渉してくれてるのよね?」

「もちろんですが、商会の主が直接乗り出すとなると、譲歩を引き出せることもありますから」


ちょ、直接交渉かぁ……。

わたしは元々、決断に時間がかかる人間だ。

なんなら決断しないまま、なりゆきに任せることの方が多い。

大学を卒業して都会に出たのもなりゆきだ。そして、合わないと気付いてからも故郷にもどる決断をするのに3年もかかった。

だけど――、


「……わかったわ」

「えっ……?」

「わたしが直接交渉してみる」

「……ほ、本気ですか?」


ジョナスが驚くのも無理はない。

なにもかも支配人まかせにしてきた〈ふつうの令嬢〉が、突然やる気を出したのだから。

だが、母ソニアのミカン畑に関しては、すでに数年は思い詰めてきた。


――守る。


めずらしく、この決意は固まっていたのだ。


「ゾンダーガウ商会の者を呼んでちょうだい。……わたしから出向いたほうがいいかしら?」

「い、いえ。それは家格に関わるのでおやめください。すぐに手配いたしますので、しばらくお待ちください」


あわてて立ち去るジョナスを見送るわたしに、侍女のリアが寄り添う。


「なにか、交渉の切り札でもお持ちですか?」

「そんなものないわ。あたって砕けるしかないわね」

「あら……」

「なに?」

「お嬢様に、そんな一面があるなんて」

「ふふ。自分でもびっくりしてるわよ」


と、うしろの窓からミカン畑を見上げた。

お母様との思い出がつまった品が、ほかにないわけではない。

ただ、いつも嬉しそうに語り聞かせてくれたミカン畑。わたしと一緒に見にいくのだと、最期まで仰られていた。

農家が廃業したからといって、すぐにミカンの木が枯れてしまうことはないだろう。

だけど、徐々に朽ちて荒れ果てていくのを見たくはないし、天国のお母様にも見せたくない。

なんとか継続できる道をさぐってみよう――。


   Ψ


もちろん、わたしのへなちょこな決意など瞬殺でへし折られた。

やせぎすで片眼鏡、ピンとはね返った顎ひげをなでながら、ゾンダーガウ商会の支配人はうすら笑いを浮かべている。


「たとえば御家と関わりのふかい、カフィール王国への販売を考えてみられてはどうですかな?」


ゾンダーガウ公爵家が北方のヴィンケンブルク王国との交易を独占するのと同様に、

シュタール公爵家は南方のカフィール王国との交易を独占している。

しかし、カフィール王国は柑橘類の名産地だ。ミカンを買ってくれるわけがない。

もってまわった嫌味にも、くやしいけど言い返すスキルがない。

唇を噛む。

そして、


「王立学園で充分に学ばれたこととは存じますが……」


と、関税のなんたるかをクドクドと講釈される。

要するに、相手にされていない。

お父様にお願いすれば、もう少し交渉にもなるのだろうけど、引き換えにどんな条件を呑まされるか分かったものではない。

シュタール公爵家全体でみればささやかなミカン畑を守るために、そこまでするのは気が引ける。

ながながと嫌味を聞かされて、結局、交渉らしい交渉はできなかった。

ため息を吐くわたしを、リアが慰めてくれる。


「辺境のロッサマーレまで支配人が足を運んでくれただけでも、丁重に対応してもらえた方ですよ。副支配人や使用人を寄越してもおかしくありませんからね」

「まあ、それもお父様のご威光よね……」

「……どうされます? 公爵閣下にご相談してみられますか?」

「う~ん、それもねぇ……」


ゾンダーガウに父の頭をさげさせるのも躊躇われるし、後妻に入ったフィオナさんへの気兼ねもある。

原作ではカロリーナと激しく対立する継母フィオナ・シュタール公爵夫人だけど、わたしは良好な関係を築いていた。

なんなら尊敬さえしている。うかつに余計な刺激を与えたくない。

いや……、そもそも父に頼むにしても、もう少し策を考えてからのことだ。

やさしい父ではあるけど、商会の絡む話でただの〈おねだり〉を聞いてくれるほど甘い人でもない。


   Ψ


ミカン畑にひとりで登って、斜面に腰を降ろした。

かわいらしい白い花。

いくつも潮風に揺られている。母が愛した可憐で儚げな花。

葉っぱもツヤツヤしていて、どの木も丹精込めて育てられてきたことが見てとれる。

毎年、王都まで届けられた実も、甘くて美味しかった。

病床にあった母も笑顔にしてくれた。

けど、その頃にはもう関税が上がって、ヤンたちの生活が苦しく……。

そのとき、わたしは突然、ハッと気がついた。


――原作のカロリーナは、自分に交渉力をつけるため強引に第2王子を婚約者にした……?


第2王子と婚約し、公爵家の継承権を主張することで継母フィオナと対立していたカロリーナ。

あれが母ソニアのミカン畑を守るための行動だったのだとすれば……、わたしは貴族の権力構造になんて無頓着だったんだろう。

実際に会ったフィオナさんは、サッパリと気持ちのよい人だった。

お父様が側室の中からつぎの正妻を選ぶとき、フィオナさんを推薦したのは、実はわたしだ。

決め手は、わたしの継承権を認めるという書簡を受け取ったことだった。


――原作のカロリーナには、むしろそれが信用できなかったのかもなぁ……。


悶々と考えれば考えるだけ、ドロドロとした貴族の権力闘争に向いてない自分を思い知らされる。

ミカン畑ひとつ守れそうにない。


「なかみは、ふつうの日本人のままだしなぁ……」


風のはこぶ磯の香りに郷愁の念はかきたてられるし、


――いっそわたしがミカン農家になろうかな? 


などと、捨て鉢な気持ちにもなってしまう。

生涯をミカンに捧げてきた農夫のヤンでさえ廃業を決意したというのに、現実味がなさすぎる妄想だ。

ヴィンケンブルク王国を経由し、ラヴェンナーノ帝国に売られてゆくロッサマーレのミカン。

大国間の政治的思惑もからむ、複雑な利権構造を突破できるだけの知恵も胆力も、わたしにはない。


「あるじゃん……」


と、腰が浮いた。


「……天然の良港」


目のまえには、海がある。

遠浅な砂浜ばかりのフェルスタイン王国に港はない。交易はすべて陸路。シルクロードの結節点のような繁栄をしている国だ。

しかし、日本の故郷のような入り江が、わたしの目のまえにある。

船が着岸できないわけがない。


「リア――っ! 船だ! 船を買おう! 船を買って、ミカンを売りに行こ――っ!」


わたしはミカン畑の斜面をぐんぐん駆け下りた。
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