84 / 87
番外編
パトリシア秘録① ~リカルド・ネヴィスの懺悔
しおりを挟む
ひと目惚れでした。
王立学院の入学式。来賓として招かれた私の視線は、ひとりのご令嬢に釘付けにされてしまったのです。
ふんわりとウェーブのかかったイエローオレンジの髪は、春の朝焼けのような温かな色合い。
くりくりと大きな紫色の瞳は、まるで宝石のように輝いています。
小柄な体躯に、愛くるしい笑顔が何ともいえない可愛らしさを醸し出していました。
つい先日、卒業したばかりの王立学院の、馴染のあるホールだというのに、彼女がいるだけでパッと華やいでいるようにさえ見えたのです。
「……殿下? ……リカルド殿下?」
「あ……、ああ……」
「祝辞を……」
学院長の呼び掛けに我に返って、演壇へと進みましたが、どこかうわの空でした。
Ψ
すぐに人を使って調べさせました。
――カルドーゾ侯爵家……。あの、マダレナの妹か……。
ひとつ下のマダレナは女の身にありながら学業優秀で目立っていましたので、よく覚えています。
「パトリシア……」
私の心はすでに彼女に奪われていました。
なんとしても彼女を、我がものにするとさえ思っていたのです。
密かに王宮に呼び、交際を申し込みましたが、パトリシアは首を縦には振ってくれませんでした。
「……お許しくださいませ」
「どうして? きみにはまだ、婚約者などはいないと報告を受けているのに」
「……お許しくださいませ」
おなじ言葉を繰り返したパトリシアは、真珠のような涙をひと粒こぼしたのです。
兄である王太子を支えるべく、勉学にだけ打ち込んできた人生でした。
王家に生まれた務めとして社交の場に出ることはあっても、女性と交際したことはありません。
パトリシアの美しい涙に、ただ狼狽してしまいました。
侯爵家の次女であれば、王子妃に迎えるのになんの問題もありません。
正式な手順を踏んで、交際、そして婚約を申し込むこともできました。
ですが、もしなにか理由をつけて断られてしまえば、王家の体面上、それ以上に交渉することが出来なくなります。
なので私は直接、パトリシアの気持ちを尋ねたかったのです。
そして、私は間違いなく、
――第2王子から交際を申し込まれて、喜ばない令嬢はいない。
と、無邪気に信じ込んでいたのです。
たとえ父親であるカルドーゾ侯爵に別の意向があったとしても、パトリシアとふたりで説得する――、
とさえ、夢想していたのです。
ですが、パトリシアの実際の反応は、そのときの私には思いがけないものでした。
「……だ、第2王子からの申し出を断るとは……」
口が勝手にしゃべっていました。
自分にこんなところがあるかと、自分の醜さに吐き気がしそうでした。
けれど、それでも私は、どうしてもパトリシアがほしかったのです。
「……カルドーゾ侯爵家に、どういう結果を招くか、分かっているのか?」
「……お許しください」
こんなことなら、正式な手順を踏んで、正式に断られた方がマシでした。
3つも歳下の、まだ学院に入学したばかりの令嬢を相手に、さんざんに王家の権威をふりかざし、権力をチラつかせ、居丈高な物言いをつづけてしまいました。
けれど、パトリシアの返事は変わりません。
強引に次に会う約束をさせ、その日はパトリシアを帰しました。
自分で自分のことが嫌いでたまらなくなりましたが、
はじめて至近の距離で会話を交わしたパトリシアは、この世のものとは思えぬほどに可愛らしく、
私のパトリシアへの想いは、より強固になっていました――。
Ψ
パトリシアと密かな逢瀬を重ねました。
身勝手に想いを寄せ、それを拒絶されたのに追いすがる――。
王家に生まれた者として、あるまじき振る舞いであることは自覚していました。
誰にも打ち明けることはできません。
パトリシアが私と会ってくれているのも、無碍に断ってカルドーゾ侯爵家に悪い影響がないようにしているだけであることは、
私にも分かっていました。
けれど、どうしてもパトリシアにふり向いてもらいたかった。
どうしても、自分を抑えられなかった。
それほどまでにパトリシアは可愛らしく、私の目には輝いて見えていました。
1年が過ぎました。
私のふる舞いがパトリシアの負担になっていることも、よく分かっていました。
ですが、そのときの私は、
――私の愛を受け入れてくれたら、その負担はなくなるというのに……。
と、ひとりよがりに考えていました。
そしてついに、パトリシアが大粒の真珠のような涙をこぼしたのです。
「……好きな人がいます」
予想はしていましたが、私には重たい言葉です。
睨むようにパトリシアの可愛らしい顔を見つめ、続く言葉を待っていました。
「……好きになっては、いけない人なのです。……でも、どうしても諦められないのです」
ほんとうに恥ずかしいことなのですが、このときの私は、
――ついにパトリシアの弱みを見付けた!
と、喜んでいたのです。
慎重に、慎重に、親身になって寄り添うフリをしました。
「……それは、つらいね」
「はい……」
「よかったら話を聞かせておくれ。誰にも言いはしないよ」
「いえ……、それは……」
「パトリシアは私のわがままに1年も付き合ってくれた。私に出来ることであれば、パトリシアの力になりたいんだ」
ポツリポツリと、パトリシアが語るほかの男への恋心。
あたまがおかしくなってしまいそうでしたが、私は微笑を絶やさず、うんうんと頷きながら話を聞いていました。
「姉は……、立派な人ですから……」
ついに、パトリシアの口から、相手が姉マダレナの婚約者であることを聞きだしました。
「ながい間、つらい想いを抱えて生きてきたんだね。パトリシアは」
「私が先に生まれていたら……」
「そうだね。私も次男だ。ふだんは考えないようにしているけれど、兄より先に生まれていたらって、思うこともあるよ」
「殿下……」
「……愛する人が誰かのものになる。それが、自分の姉だなんて、ほんとうにつらいね」
「……いえ。……私には侯爵家の継承権がありません。ジョアンの選択は……、至極まっとうなものだと思います」
「継承権を……、パトリシアにあげようか?」
「い、いや……、そんなこと」
「うん。いくら王家といっても、無理矢理取り上げることはできないよ」
「え、ええ……」
「でも、パトリシアの愛する男を、姉マダレナのものでなくすることはできる」
「……え?」
顔をあげ、まっすぐに私を見たパトリシアの紫色の瞳は、美しく輝いていました。
「パトリシアが、私と結婚すればいい。私がカルドーゾ侯爵家の継承を希望すれば、侯爵は断れないよ?」
「ですが……」
「継承権を喪失したマダレナに、それでも婿入りするような男がいるかな?」
「それは……」
「大丈夫。パトリシアのことは、私がちゃんと守ってあげるから」
顔色を真っ青にしたパトリシアは、しばらく逡巡していましたが、
やがて、ちいさく頷きました。
学院を卒業したマダレナの結婚は、1か月後に迫っています。
すぐに私は、父である国王陛下から、パトリシアと結婚する許可を得ました。
物言いをつけそうな祖母、エレオノラ王太后陛下がちょうど王都を離れていたのも幸いしました。
そして、パトリシアと一緒にカルドーゾ侯爵家を訪れたのです。
「もちろん、存じ上げております。学院では私のひとつ下でしたから。久しいな、マダレナ殿」
貴賓室に、青いドレス姿で入ってきたマダレナに微笑みかけます。
このときの私は、私の身勝手のためにマダレナを絶望のどん底に落とすことなど、気が付いてさえいません。
ついにパトリシアを我がものに出来る喜びを、ただ噛みしめていたのです。
「マダレナ姉様。結婚式の準備でお忙しいのに、お騒がせしてしまってごめんなさい」
パトリシアが、上目遣いにマダレナを見ました。
マダレナは妹の幸福を、心から喜んでいるようでした。
「そんなこと気にしないで。おめでたい話はいくら重なっても嬉しいものだわ」
「姉様なら、そう仰ってくださると思ってたわ! ね、殿下!? 私の言った通りでしたでしょう!?」
パトリシアの紫色の瞳には、喜びがあふれています。
――姉は、立派な人ですから。
マダレナのふる舞いは、パトリシアの言葉の通りでした。
「リカルド殿下。パトリシアをよろしくお願いいたしますね」
自分の継承権を一瞬で喪失してしまったというのに、なんの異議も言わず、
ただ妹の幸福を祝福してみせるマダレナは、ほんとうに立派な人でした。
カルドーゾ侯爵夫妻とマダレナの見送りは玄関ホールまでで、
屋敷の前に待たせてあった馬車には、パトリシアだけが見送りに来てくれました。
「パトリシア……、大事にするからね」
「んふっ……」
うつむいていたパトリシアが、心から楽しそうに笑い声を漏らしました。
私との結婚を喜んでくれているのかと早合点した私は、おもわずパトリシアを抱き締めようと手を伸ばしたのですが、
パシッと、その手は払いのけられました。
「うふふふふふふふふふ――……」
「……パ、パトリシア?」
「あ~、おかしい。マダレナ姉様の上に立つことが、こんなに気持ちいいものだなんて、私ちっとも知りませんでしたわ」
愉快そうに笑うパトリシア。まるで、この世のすべてを統べたような微笑み。
背筋に冷たいものが走りました。
私はとんでもないバケモノを目覚めさせたのだと、ようやく気が付いたのです。
それでも、私の心はパトリシアのものでした。
「……殿下?」
と、パトリシアは愛らしく上目遣いに私の顔をのぞきこみます。
その視線に私はもう、抗うことができませんでした。
「……な、なんだい?」
「パトリシアを、大事にしてくださいませね?」
「あ、ああ……、大事にするとも」
「私の願いはなんでも叶えてくださるリカルド殿下。特別に、いちばん近くで私を愛することを許してさし上げますわ」
こうまで言われても、私には感謝の念しか湧いてこなかったのです。
パトリシアの近くにいることを許されたのだ、と――。
Ψ
私が権力をふりかざし、1年かけて追い詰め、我がものとしたはずのパトリシア。
ですが実際は、私の心が1年かけて、パトリシアにがんじがらめに囚われてしまっていたのです。
おそらく、パトリシアは自分の異能に、無自覚だったのでしょう。
ですが、姉マダレナからカルドーゾ侯爵家の継承権を奪ったことで、自分に備わった能力を自覚した――、
それはすぐさま発揮され、王太后陛下が帝都から戻られる前にはすでに、
私の近侍の者たちは、すべてパトリシアに掌握されてしまっていたのです。
「かしこまりました。パトリシア様のご意向を確認してから、進めるようにいたします」
と、生まれたときから従う老侍女でさえ、私よりパトリシアの意向を尊重するありさまでした。
もちろん、パトリシアの能力は、誰に対しても発揮されるわけではありません。
ですが、パトリシアの思うようにならない者も、周囲を自分の味方で固めてしまい、結局は取り込んでしまいます。
私がふりかざした権力で目覚めたパトリシアの異能は、
権力への執着となって、現われていきます――。
王立学院の入学式。来賓として招かれた私の視線は、ひとりのご令嬢に釘付けにされてしまったのです。
ふんわりとウェーブのかかったイエローオレンジの髪は、春の朝焼けのような温かな色合い。
くりくりと大きな紫色の瞳は、まるで宝石のように輝いています。
小柄な体躯に、愛くるしい笑顔が何ともいえない可愛らしさを醸し出していました。
つい先日、卒業したばかりの王立学院の、馴染のあるホールだというのに、彼女がいるだけでパッと華やいでいるようにさえ見えたのです。
「……殿下? ……リカルド殿下?」
「あ……、ああ……」
「祝辞を……」
学院長の呼び掛けに我に返って、演壇へと進みましたが、どこかうわの空でした。
Ψ
すぐに人を使って調べさせました。
――カルドーゾ侯爵家……。あの、マダレナの妹か……。
ひとつ下のマダレナは女の身にありながら学業優秀で目立っていましたので、よく覚えています。
「パトリシア……」
私の心はすでに彼女に奪われていました。
なんとしても彼女を、我がものにするとさえ思っていたのです。
密かに王宮に呼び、交際を申し込みましたが、パトリシアは首を縦には振ってくれませんでした。
「……お許しくださいませ」
「どうして? きみにはまだ、婚約者などはいないと報告を受けているのに」
「……お許しくださいませ」
おなじ言葉を繰り返したパトリシアは、真珠のような涙をひと粒こぼしたのです。
兄である王太子を支えるべく、勉学にだけ打ち込んできた人生でした。
王家に生まれた務めとして社交の場に出ることはあっても、女性と交際したことはありません。
パトリシアの美しい涙に、ただ狼狽してしまいました。
侯爵家の次女であれば、王子妃に迎えるのになんの問題もありません。
正式な手順を踏んで、交際、そして婚約を申し込むこともできました。
ですが、もしなにか理由をつけて断られてしまえば、王家の体面上、それ以上に交渉することが出来なくなります。
なので私は直接、パトリシアの気持ちを尋ねたかったのです。
そして、私は間違いなく、
――第2王子から交際を申し込まれて、喜ばない令嬢はいない。
と、無邪気に信じ込んでいたのです。
たとえ父親であるカルドーゾ侯爵に別の意向があったとしても、パトリシアとふたりで説得する――、
とさえ、夢想していたのです。
ですが、パトリシアの実際の反応は、そのときの私には思いがけないものでした。
「……だ、第2王子からの申し出を断るとは……」
口が勝手にしゃべっていました。
自分にこんなところがあるかと、自分の醜さに吐き気がしそうでした。
けれど、それでも私は、どうしてもパトリシアがほしかったのです。
「……カルドーゾ侯爵家に、どういう結果を招くか、分かっているのか?」
「……お許しください」
こんなことなら、正式な手順を踏んで、正式に断られた方がマシでした。
3つも歳下の、まだ学院に入学したばかりの令嬢を相手に、さんざんに王家の権威をふりかざし、権力をチラつかせ、居丈高な物言いをつづけてしまいました。
けれど、パトリシアの返事は変わりません。
強引に次に会う約束をさせ、その日はパトリシアを帰しました。
自分で自分のことが嫌いでたまらなくなりましたが、
はじめて至近の距離で会話を交わしたパトリシアは、この世のものとは思えぬほどに可愛らしく、
私のパトリシアへの想いは、より強固になっていました――。
Ψ
パトリシアと密かな逢瀬を重ねました。
身勝手に想いを寄せ、それを拒絶されたのに追いすがる――。
王家に生まれた者として、あるまじき振る舞いであることは自覚していました。
誰にも打ち明けることはできません。
パトリシアが私と会ってくれているのも、無碍に断ってカルドーゾ侯爵家に悪い影響がないようにしているだけであることは、
私にも分かっていました。
けれど、どうしてもパトリシアにふり向いてもらいたかった。
どうしても、自分を抑えられなかった。
それほどまでにパトリシアは可愛らしく、私の目には輝いて見えていました。
1年が過ぎました。
私のふる舞いがパトリシアの負担になっていることも、よく分かっていました。
ですが、そのときの私は、
――私の愛を受け入れてくれたら、その負担はなくなるというのに……。
と、ひとりよがりに考えていました。
そしてついに、パトリシアが大粒の真珠のような涙をこぼしたのです。
「……好きな人がいます」
予想はしていましたが、私には重たい言葉です。
睨むようにパトリシアの可愛らしい顔を見つめ、続く言葉を待っていました。
「……好きになっては、いけない人なのです。……でも、どうしても諦められないのです」
ほんとうに恥ずかしいことなのですが、このときの私は、
――ついにパトリシアの弱みを見付けた!
と、喜んでいたのです。
慎重に、慎重に、親身になって寄り添うフリをしました。
「……それは、つらいね」
「はい……」
「よかったら話を聞かせておくれ。誰にも言いはしないよ」
「いえ……、それは……」
「パトリシアは私のわがままに1年も付き合ってくれた。私に出来ることであれば、パトリシアの力になりたいんだ」
ポツリポツリと、パトリシアが語るほかの男への恋心。
あたまがおかしくなってしまいそうでしたが、私は微笑を絶やさず、うんうんと頷きながら話を聞いていました。
「姉は……、立派な人ですから……」
ついに、パトリシアの口から、相手が姉マダレナの婚約者であることを聞きだしました。
「ながい間、つらい想いを抱えて生きてきたんだね。パトリシアは」
「私が先に生まれていたら……」
「そうだね。私も次男だ。ふだんは考えないようにしているけれど、兄より先に生まれていたらって、思うこともあるよ」
「殿下……」
「……愛する人が誰かのものになる。それが、自分の姉だなんて、ほんとうにつらいね」
「……いえ。……私には侯爵家の継承権がありません。ジョアンの選択は……、至極まっとうなものだと思います」
「継承権を……、パトリシアにあげようか?」
「い、いや……、そんなこと」
「うん。いくら王家といっても、無理矢理取り上げることはできないよ」
「え、ええ……」
「でも、パトリシアの愛する男を、姉マダレナのものでなくすることはできる」
「……え?」
顔をあげ、まっすぐに私を見たパトリシアの紫色の瞳は、美しく輝いていました。
「パトリシアが、私と結婚すればいい。私がカルドーゾ侯爵家の継承を希望すれば、侯爵は断れないよ?」
「ですが……」
「継承権を喪失したマダレナに、それでも婿入りするような男がいるかな?」
「それは……」
「大丈夫。パトリシアのことは、私がちゃんと守ってあげるから」
顔色を真っ青にしたパトリシアは、しばらく逡巡していましたが、
やがて、ちいさく頷きました。
学院を卒業したマダレナの結婚は、1か月後に迫っています。
すぐに私は、父である国王陛下から、パトリシアと結婚する許可を得ました。
物言いをつけそうな祖母、エレオノラ王太后陛下がちょうど王都を離れていたのも幸いしました。
そして、パトリシアと一緒にカルドーゾ侯爵家を訪れたのです。
「もちろん、存じ上げております。学院では私のひとつ下でしたから。久しいな、マダレナ殿」
貴賓室に、青いドレス姿で入ってきたマダレナに微笑みかけます。
このときの私は、私の身勝手のためにマダレナを絶望のどん底に落とすことなど、気が付いてさえいません。
ついにパトリシアを我がものに出来る喜びを、ただ噛みしめていたのです。
「マダレナ姉様。結婚式の準備でお忙しいのに、お騒がせしてしまってごめんなさい」
パトリシアが、上目遣いにマダレナを見ました。
マダレナは妹の幸福を、心から喜んでいるようでした。
「そんなこと気にしないで。おめでたい話はいくら重なっても嬉しいものだわ」
「姉様なら、そう仰ってくださると思ってたわ! ね、殿下!? 私の言った通りでしたでしょう!?」
パトリシアの紫色の瞳には、喜びがあふれています。
――姉は、立派な人ですから。
マダレナのふる舞いは、パトリシアの言葉の通りでした。
「リカルド殿下。パトリシアをよろしくお願いいたしますね」
自分の継承権を一瞬で喪失してしまったというのに、なんの異議も言わず、
ただ妹の幸福を祝福してみせるマダレナは、ほんとうに立派な人でした。
カルドーゾ侯爵夫妻とマダレナの見送りは玄関ホールまでで、
屋敷の前に待たせてあった馬車には、パトリシアだけが見送りに来てくれました。
「パトリシア……、大事にするからね」
「んふっ……」
うつむいていたパトリシアが、心から楽しそうに笑い声を漏らしました。
私との結婚を喜んでくれているのかと早合点した私は、おもわずパトリシアを抱き締めようと手を伸ばしたのですが、
パシッと、その手は払いのけられました。
「うふふふふふふふふふ――……」
「……パ、パトリシア?」
「あ~、おかしい。マダレナ姉様の上に立つことが、こんなに気持ちいいものだなんて、私ちっとも知りませんでしたわ」
愉快そうに笑うパトリシア。まるで、この世のすべてを統べたような微笑み。
背筋に冷たいものが走りました。
私はとんでもないバケモノを目覚めさせたのだと、ようやく気が付いたのです。
それでも、私の心はパトリシアのものでした。
「……殿下?」
と、パトリシアは愛らしく上目遣いに私の顔をのぞきこみます。
その視線に私はもう、抗うことができませんでした。
「……な、なんだい?」
「パトリシアを、大事にしてくださいませね?」
「あ、ああ……、大事にするとも」
「私の願いはなんでも叶えてくださるリカルド殿下。特別に、いちばん近くで私を愛することを許してさし上げますわ」
こうまで言われても、私には感謝の念しか湧いてこなかったのです。
パトリシアの近くにいることを許されたのだ、と――。
Ψ
私が権力をふりかざし、1年かけて追い詰め、我がものとしたはずのパトリシア。
ですが実際は、私の心が1年かけて、パトリシアにがんじがらめに囚われてしまっていたのです。
おそらく、パトリシアは自分の異能に、無自覚だったのでしょう。
ですが、姉マダレナからカルドーゾ侯爵家の継承権を奪ったことで、自分に備わった能力を自覚した――、
それはすぐさま発揮され、王太后陛下が帝都から戻られる前にはすでに、
私の近侍の者たちは、すべてパトリシアに掌握されてしまっていたのです。
「かしこまりました。パトリシア様のご意向を確認してから、進めるようにいたします」
と、生まれたときから従う老侍女でさえ、私よりパトリシアの意向を尊重するありさまでした。
もちろん、パトリシアの能力は、誰に対しても発揮されるわけではありません。
ですが、パトリシアの思うようにならない者も、周囲を自分の味方で固めてしまい、結局は取り込んでしまいます。
私がふりかざした権力で目覚めたパトリシアの異能は、
権力への執着となって、現われていきます――。
226
お気に入りに追加
4,161
あなたにおすすめの小説
前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました
あおくん
恋愛
父が決めた結婚。
顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。
これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。
だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。
政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。
どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。
※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。
最後はハッピーエンドで終えます。
お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました
蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。
家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。
アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。
閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。
養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。
※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
私を虐げた人には絶望を ~貧乏令嬢は悪魔と呼ばれる侯爵様と契約結婚する~
香木あかり
恋愛
「あなた達の絶望を侯爵様に捧げる契約なの。だから……悪く思わないでね?」
貧乏な子爵家に生まれたカレン・リドリーは、家族から虐げられ、使用人のように働かされていた。
カレンはリドリー家から脱出して平民として生きるため、就職先を探し始めるが、令嬢である彼女の就職活動は難航してしまう。
ある時、不思議な少年ティルからモルザン侯爵家で働くようにスカウトされ、モルザン家に連れていかれるが……
「変わった人間だな。悪魔を前にして驚きもしないとは」
クラウス・モルザンは「悪魔の侯爵」と呼ばれていたが、本当に悪魔だったのだ。
負の感情を糧として生きているクラウスは、社交界での負の感情を摂取するために優秀な侯爵を演じていた。
カレンと契約結婚することになったクラウスは、彼女の家族に目をつける。
そしてクラウスはカレンの家族を絶望させて糧とするため、動き出すのだった。
「お前を虐げていた者たちに絶望を」
※念のためのR-15です
※他サイトでも掲載中
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる