59 / 87
第二部
59.妹は闇の中に溶け込んだ
しおりを挟む
「これ、そこな侍女」
「はっ」
「名乗りを許す。名を申せ」
「パトリシアと申します。……姓はございません」
パトリシアはニヤニヤと、礼容に外れた勝ち誇るような笑みをやめない。
「わたしはカルドーゾ公爵、マダレナ・オルキデアである」
「存じ上げております」
「直言を許す。存念を申せ」
「存念……、でございますか?」
「そう……、思うことを好きに述べよ。このマダレナが聞いてやろうと言うのだ」
「……ありがたき幸せに存じます」
着ているものこそ侍女のメイド服だけど、ひっつめにしたイエローオレンジの髪にはツヤがあり、くりくりと大きな紫色の瞳には愛嬌がある。
パトリシアは相変わらず可愛らしい。
浮かべるその笑みの、醜さを除けば。
「……恐れながら申し上げます」
「ええ」
「私にはかつて姉がおりました。賢く美しい姉です。姉は偉くなる人で、偉くなりました」
「……そう」
「賢い姉が偉くなるのは、私にとっても至極当然のことにございます」
「……」
「公爵でも皇后でも皇帝でも、なんにでもなれば良いのです。姉はそれに相応しい人です」
「……」
しばらくの沈黙が流れた。
わたしは礼容に叶う微笑みを絶やさず、パトリシアの言葉を待った。
やがて――、
「だけど……、私。姉様だけが本当に好きな人と結ばれるのは、どうしても我慢できないのよ」
「そう……」
「……ズルいのよ、姉様は」
「なにがズルいの? パトリシア」
「私が先に生まれてたら……、私にカルドーゾ侯爵家の継承権があれば、ジョアンと結ばれるのは私だったのに」
「……そうね」
「先に生まれたってだけで全部持っていく姉様は……、ズルいわ」
「ごめんね。それだけは、わたしでは譲ってあげられなかったわ」
「譲ってなんかいらない。……奪うもの」
「じゃあ、わたしは取り返さないとね」
「あーあ。……最初からこうしておけば良かった」
「なあに、パトリシア?」
「カルドーゾ侯爵家の継承権を私にちょうだいって、姉様にお願いしたら、お人好しの姉様はお父様も説得して、案外カンタンにくれてたかも」
「ふふっ。ほんとうね。……でも、もう引き返せないわ」
「ええ。……姉様にだけ幸せな結婚なんか、絶対させない」
「……第1皇子侍女パトリシア」
「ははっ」
「よき暇つぶしであった。礼を言う」
「もったいないお言葉にございます」
「職務中に引き留めてしまい、申し訳なかった。行け」
「ははっ」
パトリシアの背中は、暗い廊下のむこうに、溶け込む様に消えていった。
「ありがとう、ベア」
「……ん?」
「パトリシアの非礼を咎めず、最後まで話しをさせてくれて」
「ああ……、うん。なかなか見応えあったわよ?」
「そう?」
「帝国一のお騒がせ姉妹の、歴史には残らない密かな直接対決。手に汗握って、止めるどころじゃなかったわ」
「もう、やめてよ」
「……マダレナが〈翡翠〉と会ってたの、パトリシアは気付いてたのかな?」
「ううん。たぶん、違うわね」
「そう?」
「気付いてたら、会わせないようにするか、直接邪魔しに来てたと思うわ。フェリペ殿下を動かしてでも」
「あ、そか」
「けど、わたしが深夜まで皇宮書庫にいることは知ってておかしくない」
「そうね」
「我慢できなくなったのよ。いつも通り」
「ああ……」
「勝ち誇りたくてたまらなくなったのよ、詰めの甘い妹は」
「……そっちの方が、しっくりくるわね」
「ええ。……分かるのよ。姉妹ですもの」
――詰めの甘くない姉は、勝ちを確定させるまで、勝ち誇ったりしてあげませんよ?
「結局さ」
「……なに? ベア」
「ジョアンがいちばん悪いわよね?」
「言わないでよ」
「え?」
「一度は結婚しようと思ってた相手のこと、せっかく〈翡翠〉と会えた夜に言わないで」
「あ、ごめん」
「詰めが甘いわよ? 出来る侍女様」
「ほんとね、ごめんなさい」
「ふふっ。行くわよ」
わたしも、パトリシアとは反対方向の暗い廊下の闇のなかへと進んだ。
――わたしとアルフォンソ殿下なら、身分や財産を失ったとしても、決して離れることはないわ。
結局ジョアンに棄てられたパトリシアは不憫だけど、こればかりは敗けてやる訳にはいかない。
そして、わたしは何も失うつもりはない。
〈身分違いの恋愛譚〉はハッピーエンドでなくてはならないのだから――。
Ψ
叙爵式の準備に向けて、慌ただしい日々を過ごす。
といっても叙爵式の主催は皇帝陛下。
わたしが忙しいのは、その後ひらかれる園遊会の準備だ。
皇帝陛下への叙爵の返礼として、群臣ともども、主人役としてもてなさなくてはならない。
エレオノラ大公閣下を頼り、方々との折衝もはじめた。
多忙を極めるなか、わたしは思い切って、宮廷仕立工見習いのホアキンを皇宮から引き抜き、わたし専属の仕立職人として採用した。
「……い、いいんですか? オレなんかで」
「あなたがいいのよ、ホアキン」
「こ、光栄です!!」
「……ルシアさんが聖都に行かれるとき、皇宮にいたら急には辞められないでしょ? わたしのところだったら大丈夫だから」
「こ、公爵閣下……」
「わたしのところなら、辞めなくても大丈夫」
「……え?」
「辞めずに、……ルシアさんについて行ってあげて」
「そ、それは……」
「お給金もそのまま払うから、ご家族への仕送りも続けてあげて」
「……そんなの。そんな……オレ……、オレ……、なんてお礼を言ったら」
貧しい平民の出自である、ルシアさん。
その幼馴染であるホアキンも、きっと似たような境遇に育ったはずだ。
皇宮勤めは本人の努力の賜物とはいえ、平民からすれば高額な給金は、家族の生活を支えているはずだ。
ギリギリまで勤めざるを得ないし、タイミングを逸してしまえば、ルシアさんの聖都行きに同行できなくなるかもしれない。
そうなったら悲しむのは、ルシアさんだ。
わたしの想いは、ホアキンのためというより、ルシアさんのためだけど、
わたしたちの友情の証として、出来る限りのことはさせてもらいたい。
「ただし! いる間は、こき使うわよ!? とにかく忙しいんだから!」
「は、はいっ!!」
「侍女のベアと、あとパウラ・サンチェス侯爵令嬢がドレスの監修をしてくださるわ! ホアキンには、ドレスをつくりまくってもらうから! 覚悟してね?」
「が、頑張ります!!」
趣向を凝らしたもてなしにするため、ルイス公爵閣下や第2皇后エレナ陛下にも、陰に日向にお力添えしていただく。
〈陛下の庭園〉でひらく園遊会を盛大に成功させてこそ、公爵の爵位に相応しいと認められるのだ。
――パトリシアにも見せてあげないとね。わたしの園遊会。
わたしがフェリペ殿下からの誘いを蹴った以上、
パトリシアの狙いは、フェリペ殿下を皇太子にし、帝位に就け、
わたしとアルフォンソ殿下の婚約を許した、詔勅を取り消させることだろう。
妹も、なかなか壮大なスケールに成長したものではないか。
わたしの妹に相応しいというものだ。
「でも……、わたしの取柄は、先に生まれたことだけじゃないのよ?」
ちいさくつぶやき、園遊会での発表資料を丁寧にチェックする。
きっと、わたしは笑っていた。
パトリシアより優雅に、美しく――。
Ψ
月が満ちていく間、慌ただしく園遊会の準備に追われ気の休まる暇もなかった。
そして、迎えた叙爵式の朝。
わたしのために、花冠が届いた。
――懐かしいわね。
王太后宮での帝国伯爵への叙爵式。
エレオノラ王太后陛下みずから摘まれた花冠を贈っていただいた。
――列席したご令嬢たちからの羨望の眼差しが、妙に面映ゆかったものね……。
贈られてきた、今朝摘みたての花で編まれたであろう花冠は――、ふたつ。
おおきな蘭の花がふたつ編み込まれた、絢爛豪華な花冠は、第1皇子フェリペ殿下から。
ちいさな、ひまわりがいくつも編み込まれた花冠は、第2皇子アルフォンソ殿下から。
オルキデア――蘭を意味するわたしの姓になぞらえた花冠を贈ってきた、フェリペ殿下の意図は明白だ。
「俺の妃になるなら、これが最後のチャンスだぞ?」
しかし、フェリペ殿下。
わたしのオルキデアという姓は、アルフォンソ殿下にお考えいただいたものなのですよ?
迷うことなく、ひまわりの花冠を手にとった。
「うん。ドレスのマンダリンオレンジとも合ってるわね」
フリアに代わってメイクまでほどこしてくれたベアトリスが、満足気にうなずいた。
「……でも、ひまわりなんて季節はずれよね? 温室かしら?」
「サビアのひまわりね」
「えっ? ……温室で育てるにしても、早くない? アルフォンソ殿下がサビアに立ち寄られたのは秋でしょ?」
「ひまわりは充分な肥料と、夜間も温度を保つことで最短50日程度で花を咲かせることができるの」
「へぇ~っ。……マダレナ、よく知ってるわねぇ~?」
「あら、わたくしこう見えましても、王立学院を首席で卒業した才媛でございますのよ?」
「あ、そうでした。これは失礼しました」
謁見の間を黄金色に照らす巨大なバラ窓は、東を向いていて、朝にもっとも美しく荘厳な光で満たす。
嵌められた黄色やオレンジのステンドグラスは、神聖な太陽をそのまま地上に降ろしたかのような輝きを放っている。
帝国の有力貴族――群臣には数えらえれない、中央貴族やその令嬢たちも列席するなか、
しずかに緋の絨毯を進む。
帝都に入って以来、大半の時間を皇宮書庫で過ごしたわたしを、初めて目にされる方がほとんどだ。
アルフォンソ殿下から贈っていただいたマンダリンオレンジのドレスをまとい、
ちいさな太陽をいくつも飾ったような、ひまわりの花冠を載せたわたしに、みながため息を吐いてくれる。
――おぉ……、なんと美しい……、
――太陽の女神様みたい……、
――さすが公爵になられる方は……、
といった男女を問わない囁き声。
慣れない。
まるで、あのエンカンターダスでの園遊会の再現なのだけど、慣れることなく気恥ずかしい。
だけど、礼容に叶う微笑を絶やさない。
皇帝陛下から公爵への叙爵が宣言され、拍手に包まれる。
太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下。
はるかな高みを見上げているときは、まばゆくて仕方ない威厳を放って見えた。
だけど、近くに寄れば、実直で勤勉、権勢を争う群臣の調停に苦労する、凡庸な君主の姿が見えてきた。
暗愚とまでは言えないけれど、凡庸とは言いたくなる。
午後。場を〈陛下の庭園〉に移し、わたしがみな様をもてなす園遊会が始まった。
帝国各地から取り寄せた食材を使った、美味絶品の料理をならべる。
園遊会にわたしが選んだのは、アルフォンソ殿下から最初に贈っていただいた、コーラルピンクのドレス。
花びらを散らしたような、美麗な刺繍のトレーンが優雅に伸びる。
「ん。今日も凛々しくて可愛らしいわ」
化粧を直してくれたベアトリスが、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、ベア。……じゃあ、みなさん、行きましょうか? お客様がわたしたちをお待ちですよ」
〈陛下の庭園〉は広い。王都くらいある。
その中で、わたしが園遊会の会場に選んだのは、日が落ちたあと、満月が美しく映る方形の人工池がある庭園。
冬から春にかけて咲く、カレンデュラの花がオレンジ色に彩っている。
わたしが姿を見せると、ふたたび盛大な拍手に包まれ、まずは会場のみな様全体に、ふわりとスカートを広げカーテシーでご挨拶する。
列席者たちも礼容に叶う微笑みで、わたしを迎え入れてくれる。
その顔が、微笑を保ったままに固まった。
「みな様。本日は、わたしの〈お友だち〉と一緒に、みな様をおもてなしさせていただきたく存じます」
睡眠不足で充血した目に、満足気な笑みを浮かべた、ホアキンに見送られ、
わたしの隣に立ったのは――、
ベビーピンクのドレスを着てはにかむ、ルシアさん。
そして、次々にわたしの隣に並んでゆく、白騎士様たち。
フューシャピンク、ペールピンク、パステルピンク、ラベンダーピンク。
色とりどりのピンクのドレス姿で、わたしも含めた6人が並ぶ。
小柄で少女のような容姿をされたアメリアさんは、ペールピンクのドレス姿で、はにかんでいた。
乙女の心を操ろうなど、国を挙げての無礼千万。
可愛らしいドレスが着られて喜ぶ、彼女たちの心が知りたければ、
帝国貴族の誇りに賭けて、心からの微笑みを、決して絶やしてはいけませんわよ?
そして、パトリシア。
わたしを園遊会までたどり着かせたわね?
アルフォンソ殿下と会える最後の機会に、悲しむわたしを見て勝ち誇りたかったんだろうけど、
あなた……、詰めが甘いのよ。
わたしの園遊会が、幕を開く――。
「はっ」
「名乗りを許す。名を申せ」
「パトリシアと申します。……姓はございません」
パトリシアはニヤニヤと、礼容に外れた勝ち誇るような笑みをやめない。
「わたしはカルドーゾ公爵、マダレナ・オルキデアである」
「存じ上げております」
「直言を許す。存念を申せ」
「存念……、でございますか?」
「そう……、思うことを好きに述べよ。このマダレナが聞いてやろうと言うのだ」
「……ありがたき幸せに存じます」
着ているものこそ侍女のメイド服だけど、ひっつめにしたイエローオレンジの髪にはツヤがあり、くりくりと大きな紫色の瞳には愛嬌がある。
パトリシアは相変わらず可愛らしい。
浮かべるその笑みの、醜さを除けば。
「……恐れながら申し上げます」
「ええ」
「私にはかつて姉がおりました。賢く美しい姉です。姉は偉くなる人で、偉くなりました」
「……そう」
「賢い姉が偉くなるのは、私にとっても至極当然のことにございます」
「……」
「公爵でも皇后でも皇帝でも、なんにでもなれば良いのです。姉はそれに相応しい人です」
「……」
しばらくの沈黙が流れた。
わたしは礼容に叶う微笑みを絶やさず、パトリシアの言葉を待った。
やがて――、
「だけど……、私。姉様だけが本当に好きな人と結ばれるのは、どうしても我慢できないのよ」
「そう……」
「……ズルいのよ、姉様は」
「なにがズルいの? パトリシア」
「私が先に生まれてたら……、私にカルドーゾ侯爵家の継承権があれば、ジョアンと結ばれるのは私だったのに」
「……そうね」
「先に生まれたってだけで全部持っていく姉様は……、ズルいわ」
「ごめんね。それだけは、わたしでは譲ってあげられなかったわ」
「譲ってなんかいらない。……奪うもの」
「じゃあ、わたしは取り返さないとね」
「あーあ。……最初からこうしておけば良かった」
「なあに、パトリシア?」
「カルドーゾ侯爵家の継承権を私にちょうだいって、姉様にお願いしたら、お人好しの姉様はお父様も説得して、案外カンタンにくれてたかも」
「ふふっ。ほんとうね。……でも、もう引き返せないわ」
「ええ。……姉様にだけ幸せな結婚なんか、絶対させない」
「……第1皇子侍女パトリシア」
「ははっ」
「よき暇つぶしであった。礼を言う」
「もったいないお言葉にございます」
「職務中に引き留めてしまい、申し訳なかった。行け」
「ははっ」
パトリシアの背中は、暗い廊下のむこうに、溶け込む様に消えていった。
「ありがとう、ベア」
「……ん?」
「パトリシアの非礼を咎めず、最後まで話しをさせてくれて」
「ああ……、うん。なかなか見応えあったわよ?」
「そう?」
「帝国一のお騒がせ姉妹の、歴史には残らない密かな直接対決。手に汗握って、止めるどころじゃなかったわ」
「もう、やめてよ」
「……マダレナが〈翡翠〉と会ってたの、パトリシアは気付いてたのかな?」
「ううん。たぶん、違うわね」
「そう?」
「気付いてたら、会わせないようにするか、直接邪魔しに来てたと思うわ。フェリペ殿下を動かしてでも」
「あ、そか」
「けど、わたしが深夜まで皇宮書庫にいることは知ってておかしくない」
「そうね」
「我慢できなくなったのよ。いつも通り」
「ああ……」
「勝ち誇りたくてたまらなくなったのよ、詰めの甘い妹は」
「……そっちの方が、しっくりくるわね」
「ええ。……分かるのよ。姉妹ですもの」
――詰めの甘くない姉は、勝ちを確定させるまで、勝ち誇ったりしてあげませんよ?
「結局さ」
「……なに? ベア」
「ジョアンがいちばん悪いわよね?」
「言わないでよ」
「え?」
「一度は結婚しようと思ってた相手のこと、せっかく〈翡翠〉と会えた夜に言わないで」
「あ、ごめん」
「詰めが甘いわよ? 出来る侍女様」
「ほんとね、ごめんなさい」
「ふふっ。行くわよ」
わたしも、パトリシアとは反対方向の暗い廊下の闇のなかへと進んだ。
――わたしとアルフォンソ殿下なら、身分や財産を失ったとしても、決して離れることはないわ。
結局ジョアンに棄てられたパトリシアは不憫だけど、こればかりは敗けてやる訳にはいかない。
そして、わたしは何も失うつもりはない。
〈身分違いの恋愛譚〉はハッピーエンドでなくてはならないのだから――。
Ψ
叙爵式の準備に向けて、慌ただしい日々を過ごす。
といっても叙爵式の主催は皇帝陛下。
わたしが忙しいのは、その後ひらかれる園遊会の準備だ。
皇帝陛下への叙爵の返礼として、群臣ともども、主人役としてもてなさなくてはならない。
エレオノラ大公閣下を頼り、方々との折衝もはじめた。
多忙を極めるなか、わたしは思い切って、宮廷仕立工見習いのホアキンを皇宮から引き抜き、わたし専属の仕立職人として採用した。
「……い、いいんですか? オレなんかで」
「あなたがいいのよ、ホアキン」
「こ、光栄です!!」
「……ルシアさんが聖都に行かれるとき、皇宮にいたら急には辞められないでしょ? わたしのところだったら大丈夫だから」
「こ、公爵閣下……」
「わたしのところなら、辞めなくても大丈夫」
「……え?」
「辞めずに、……ルシアさんについて行ってあげて」
「そ、それは……」
「お給金もそのまま払うから、ご家族への仕送りも続けてあげて」
「……そんなの。そんな……オレ……、オレ……、なんてお礼を言ったら」
貧しい平民の出自である、ルシアさん。
その幼馴染であるホアキンも、きっと似たような境遇に育ったはずだ。
皇宮勤めは本人の努力の賜物とはいえ、平民からすれば高額な給金は、家族の生活を支えているはずだ。
ギリギリまで勤めざるを得ないし、タイミングを逸してしまえば、ルシアさんの聖都行きに同行できなくなるかもしれない。
そうなったら悲しむのは、ルシアさんだ。
わたしの想いは、ホアキンのためというより、ルシアさんのためだけど、
わたしたちの友情の証として、出来る限りのことはさせてもらいたい。
「ただし! いる間は、こき使うわよ!? とにかく忙しいんだから!」
「は、はいっ!!」
「侍女のベアと、あとパウラ・サンチェス侯爵令嬢がドレスの監修をしてくださるわ! ホアキンには、ドレスをつくりまくってもらうから! 覚悟してね?」
「が、頑張ります!!」
趣向を凝らしたもてなしにするため、ルイス公爵閣下や第2皇后エレナ陛下にも、陰に日向にお力添えしていただく。
〈陛下の庭園〉でひらく園遊会を盛大に成功させてこそ、公爵の爵位に相応しいと認められるのだ。
――パトリシアにも見せてあげないとね。わたしの園遊会。
わたしがフェリペ殿下からの誘いを蹴った以上、
パトリシアの狙いは、フェリペ殿下を皇太子にし、帝位に就け、
わたしとアルフォンソ殿下の婚約を許した、詔勅を取り消させることだろう。
妹も、なかなか壮大なスケールに成長したものではないか。
わたしの妹に相応しいというものだ。
「でも……、わたしの取柄は、先に生まれたことだけじゃないのよ?」
ちいさくつぶやき、園遊会での発表資料を丁寧にチェックする。
きっと、わたしは笑っていた。
パトリシアより優雅に、美しく――。
Ψ
月が満ちていく間、慌ただしく園遊会の準備に追われ気の休まる暇もなかった。
そして、迎えた叙爵式の朝。
わたしのために、花冠が届いた。
――懐かしいわね。
王太后宮での帝国伯爵への叙爵式。
エレオノラ王太后陛下みずから摘まれた花冠を贈っていただいた。
――列席したご令嬢たちからの羨望の眼差しが、妙に面映ゆかったものね……。
贈られてきた、今朝摘みたての花で編まれたであろう花冠は――、ふたつ。
おおきな蘭の花がふたつ編み込まれた、絢爛豪華な花冠は、第1皇子フェリペ殿下から。
ちいさな、ひまわりがいくつも編み込まれた花冠は、第2皇子アルフォンソ殿下から。
オルキデア――蘭を意味するわたしの姓になぞらえた花冠を贈ってきた、フェリペ殿下の意図は明白だ。
「俺の妃になるなら、これが最後のチャンスだぞ?」
しかし、フェリペ殿下。
わたしのオルキデアという姓は、アルフォンソ殿下にお考えいただいたものなのですよ?
迷うことなく、ひまわりの花冠を手にとった。
「うん。ドレスのマンダリンオレンジとも合ってるわね」
フリアに代わってメイクまでほどこしてくれたベアトリスが、満足気にうなずいた。
「……でも、ひまわりなんて季節はずれよね? 温室かしら?」
「サビアのひまわりね」
「えっ? ……温室で育てるにしても、早くない? アルフォンソ殿下がサビアに立ち寄られたのは秋でしょ?」
「ひまわりは充分な肥料と、夜間も温度を保つことで最短50日程度で花を咲かせることができるの」
「へぇ~っ。……マダレナ、よく知ってるわねぇ~?」
「あら、わたくしこう見えましても、王立学院を首席で卒業した才媛でございますのよ?」
「あ、そうでした。これは失礼しました」
謁見の間を黄金色に照らす巨大なバラ窓は、東を向いていて、朝にもっとも美しく荘厳な光で満たす。
嵌められた黄色やオレンジのステンドグラスは、神聖な太陽をそのまま地上に降ろしたかのような輝きを放っている。
帝国の有力貴族――群臣には数えらえれない、中央貴族やその令嬢たちも列席するなか、
しずかに緋の絨毯を進む。
帝都に入って以来、大半の時間を皇宮書庫で過ごしたわたしを、初めて目にされる方がほとんどだ。
アルフォンソ殿下から贈っていただいたマンダリンオレンジのドレスをまとい、
ちいさな太陽をいくつも飾ったような、ひまわりの花冠を載せたわたしに、みながため息を吐いてくれる。
――おぉ……、なんと美しい……、
――太陽の女神様みたい……、
――さすが公爵になられる方は……、
といった男女を問わない囁き声。
慣れない。
まるで、あのエンカンターダスでの園遊会の再現なのだけど、慣れることなく気恥ずかしい。
だけど、礼容に叶う微笑を絶やさない。
皇帝陛下から公爵への叙爵が宣言され、拍手に包まれる。
太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下。
はるかな高みを見上げているときは、まばゆくて仕方ない威厳を放って見えた。
だけど、近くに寄れば、実直で勤勉、権勢を争う群臣の調停に苦労する、凡庸な君主の姿が見えてきた。
暗愚とまでは言えないけれど、凡庸とは言いたくなる。
午後。場を〈陛下の庭園〉に移し、わたしがみな様をもてなす園遊会が始まった。
帝国各地から取り寄せた食材を使った、美味絶品の料理をならべる。
園遊会にわたしが選んだのは、アルフォンソ殿下から最初に贈っていただいた、コーラルピンクのドレス。
花びらを散らしたような、美麗な刺繍のトレーンが優雅に伸びる。
「ん。今日も凛々しくて可愛らしいわ」
化粧を直してくれたベアトリスが、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、ベア。……じゃあ、みなさん、行きましょうか? お客様がわたしたちをお待ちですよ」
〈陛下の庭園〉は広い。王都くらいある。
その中で、わたしが園遊会の会場に選んだのは、日が落ちたあと、満月が美しく映る方形の人工池がある庭園。
冬から春にかけて咲く、カレンデュラの花がオレンジ色に彩っている。
わたしが姿を見せると、ふたたび盛大な拍手に包まれ、まずは会場のみな様全体に、ふわりとスカートを広げカーテシーでご挨拶する。
列席者たちも礼容に叶う微笑みで、わたしを迎え入れてくれる。
その顔が、微笑を保ったままに固まった。
「みな様。本日は、わたしの〈お友だち〉と一緒に、みな様をおもてなしさせていただきたく存じます」
睡眠不足で充血した目に、満足気な笑みを浮かべた、ホアキンに見送られ、
わたしの隣に立ったのは――、
ベビーピンクのドレスを着てはにかむ、ルシアさん。
そして、次々にわたしの隣に並んでゆく、白騎士様たち。
フューシャピンク、ペールピンク、パステルピンク、ラベンダーピンク。
色とりどりのピンクのドレス姿で、わたしも含めた6人が並ぶ。
小柄で少女のような容姿をされたアメリアさんは、ペールピンクのドレス姿で、はにかんでいた。
乙女の心を操ろうなど、国を挙げての無礼千万。
可愛らしいドレスが着られて喜ぶ、彼女たちの心が知りたければ、
帝国貴族の誇りに賭けて、心からの微笑みを、決して絶やしてはいけませんわよ?
そして、パトリシア。
わたしを園遊会までたどり着かせたわね?
アルフォンソ殿下と会える最後の機会に、悲しむわたしを見て勝ち誇りたかったんだろうけど、
あなた……、詰めが甘いのよ。
わたしの園遊会が、幕を開く――。
697
お気に入りに追加
4,161
あなたにおすすめの小説
初恋の人への想いが断ち切れず、溺愛していた妹に無邪気な殺意を向けられ、ようやく夢見た幸せに気づきましたが、手遅れだったのでしょうか?
珠宮さくら
恋愛
侯爵家の長女として生まれたウィスタリア・レルヒェンフェルトは、ウェールズという国で、王太子の婚約者となるのにもっとも相応しいと国中のほとんどの人たちに思われていた。
そんな彼女が必死になって王太子の婚約者になろうとしていたのは、想い人のため。それだけだった。
それが、蓋を開ければ、王太子が選んだのは別の令嬢だった。選ぶことも王太子が、好きにしていいと言われていたが、ほとんどの者がなぜ、そちらを選んだのかと不思議に思うが、その理由は本人しか知らないままとなる。
王太子が選んだ婚約者の暴走に巻き込まれ続けるウィスタリアだが、そんな彼女が婚約したのは、誰もが婚約したがらない子息だった。
彼女は妹のことを溺愛していたが、王太子と婚約できなかったことで、色々とありすぎて数年ほど会えずにいただけで、すっかり様変わりしてしまうとは思いもしなかった。
更には、運命の人とすれ違い続けていることにウィスタリアは中々気づくことができなかった。
悪役令嬢なので婚約回避したつもりが何故か私との婚約をお望みたいです
もふきゅな
恋愛
悪役令嬢として転生した主人公は、王太子との婚約を回避するため、幼少期から距離を置こうと決意。しかし、王太子はなぜか彼女に強引に迫り、逃げても追いかけてくる。絶対に婚約しないと誓う彼女だが、王太子が他の女性と結婚しないと宣言し、ますます追い詰められていく。だが、彼女が新たに心を寄せる相手が現れると、王太子は嫉妬し始め、その関係はさらに複雑化する。果たして、彼女は運命を変え、真実の愛を手に入れることができるのか?
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
婚約破棄され家を出た傷心令嬢は辺境伯に拾われ溺愛されるそうです 〜今更謝っても、もう遅いですよ?〜
八代奏多
恋愛
「フィーナ、すまないが貴女との婚約を破棄させてもらう」
侯爵令嬢のフィーナ・アストリアがパーティー中に婚約者のクラウス王太子から告げられたのはそんな言葉だった。
その王太子は隣に寄り添う公爵令嬢に愛おしげな視線を向けていて、フィーナが捨てられたのは明らかだった。
フィーナは失意してパーティー会場から逃げるように抜け出す。
そして、婚約破棄されてしまった自分のせいで家族に迷惑がかからないように侯爵家当主の父に勘当するようにお願いした。
そうして身分を捨てたフィーナは生活費を稼ぐために魔法技術が発達していない隣国に渡ろうとするも、道中で魔物に襲われて意識を失ってしまう。
死にたくないと思いながら目を開けると、若い男に助け出されていて……
※小説家になろう様・カクヨム様でも公開しております。
妹に全部取られたけど、幸せ確定の私は「ざまぁ」なんてしない!
石のやっさん
恋愛
マリアはドレーク伯爵家の長女で、ドリアーク伯爵家のフリードと婚約していた。
だが、パーティ会場で一方的に婚約を解消させられる。
しかも新たな婚約者は妹のロゼ。
誰が見てもそれは陥れられた物である事は明らかだった。
だが、敢えて反論もせずにそのまま受け入れた。
それはマリアにとって実にどうでも良い事だったからだ。
主人公は何も「ざまぁ」はしません(正当性の主張はしますが)ですが...二人は。
婚約破棄をすれば、本来なら、こうなるのでは、そんな感じで書いてみました。
この作品は昔の方が良いという感想があったのでそのまま残し。
これに追加して書いていきます。
新しい作品では
①主人公の感情が薄い
②視点変更で読みずらい
というご指摘がありましたので、以上2点の修正はこちらでしながら書いてみます。
見比べて見るのも面白いかも知れません。
ご迷惑をお掛けいたしました
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
【完結】王太子は、鎖国したいようです。【再録】
仲村 嘉高
恋愛
側妃を正妃にしたい……そんな理由で離婚を自身の結婚記念の儀で宣言した王太子。
成人の儀は終えているので、もう子供の戯言では済まされません。
「たかが辺境伯の娘のくせに、今まで王太子妃として贅沢してきたんだ、充分だろう」
あぁ、陛下が頭を抱えております。
可哀想に……次代の王は、鎖国したいようですわね。
※R15は、ざまぁ?用の保険です。
※なろうに移行した作品ですが、自作の中では緩いざまぁ作品をR18指定され、非公開措置とされました(笑)
それに伴い、全作品引き下げる事にしたので、こちらに移行します。
昔の作品でかなり拙いですが、それでも宜しければお読みください。
※感想は、全て読ませていただきますが、なにしろ昔の作品ですので、基本返信はいたしませんので、ご了承ください。
【完結】ケーキの為にと頑張っていたらこうなりました
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
前世持ちのファビアは、ちょっと変わった子爵令嬢に育っていた。その彼女の望みは、一生ケーキを食べて暮らす事! その為に彼女は魔法学園に通う事にした。
継母の策略を蹴散らし、非常識な義妹に振り回されつつも、ケーキの為に頑張ります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる