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第二部

55.妹を成長させたのは

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第1皇子フェリペ殿下とわたしとの関係を、既成事実化させようと大量の贈物をもって現われたマヌエル侯爵。

快活な笑い声を響かせ、その計略を阻止してくださったのは、エレオノラ大公閣下だった。


「久しいな。マヌエル侯爵」

「エレオノラ大公閣下……。な、なぜ、マダレナ閣下の邸宅に?」

「なぜと言われても、マダレナは私の娘である。母が娘の家を訪ねるのに理由が必要か?」

「あ、いえ……」


狼狽えるマヌエル侯爵を尻目に、カーテシーの礼で〈母〉エレオノラ大公閣下をお迎えする。

満足気に微笑まれたエレオノラ大公閣下が、ふたたびマヌエル侯爵に目を向けられた。


「マヌエル侯爵、見たぞ? フェリペ殿下は、なかなかの品を娘マダレナに贈ってくださっておるようだな?」

「は……、フェリペ殿下のひとかたならぬご好意の表れにて……」

「うむ。しかし、これほどの贈物をアルフォンソ殿下の婚約者である娘マダレナが受け取れば、いらぬ憶測を呼ぼう」

「いや、それは……」

「フェリペ殿下のご迷惑にならぬよう、私が代わりに受け取ってやろう!」


エレオノラ大公閣下はその端正なお顔立ちに、貼り付けたような微笑を浮かべ、マヌエル侯爵を見下ろした。

言葉を失ったように、立ち尽くすマヌエル侯爵。


「マヌエル侯爵よ。返礼の品はすでに表に用意してある」

「……は?」

「キッチリ3倍の量を、荷馬車に積んで待たせてある。自慢ではないが、どれも名品ぞろいぞ? なに、遠慮することはない、御者も貸してやる。フェリペ殿下のもとにお届けせよ」

「な、なにゆえ私がそのような……」

「ふむ。私自らお届けに上がった方が良いか?」

「い、いや……、それは……」

「そうよのう。私が行ったのでは、そなたがフェリペ殿下に申し開きする機会を逸しよう」

「ぐっ……」

「いね。純朴純心たる、わが娘マダレナに汚濁を振りかけるな」


屈辱に身を震わせながら拝礼する、マヌエル侯爵。

それでも靴音は鳴らさずに、退出した。

外から荷馬車が走り去る音が聞こえ、

エレオノラ大公閣下は、わたしにふり向き、やわらかな笑顔を見せてくださった。


「モテモテではないか、マダレナ?」

「もう……、からかわないでくださいよぉ……」


涙がこぼれた。

ベアトリスもナディアもいるのに、その目も構わず、

エレオノラ大公閣下の胸に飛び込んだ。


「よしよし。私が来たからには、もう大丈夫じゃ」


わたしの頭を、やさしく撫でてくださるエレオノラ大公閣下。

その温かい胸に顔をうずめ、あたりかまわず泣いてしまった。

帝政を牛耳る〈第2皇后派〉の主要人物のおひとり。

だけど、わたしに対して、たとえどんな思惑を抱いておられようとも、

この〈凛々しい美人〉だけは、わたしにとって永遠の味方だった。

エレオノラ大公閣下は、わたしが泣き止むまで、ずっと頭を撫でていてくださった。

やがて、大きく深呼吸し、顔をあげる。


「エレオノラ大公閣下」

「なんだ、マダレナ?」

「……意外とおっぱい大きいんですね」

「う、うむ。そうかな?」

「……なんだか、裏切られた気分です」

「それは知らん」


   Ψ


エレオノラ大公閣下を貴賓室にお通しして、フリアを紹介させていただく。

名乗りを許していただき、しばらく見ていなかったフリアの笑顔を目にできて、すこし安堵した。

みなを下がらせ、ふたりきりでお茶をいただく。


「さすが、ベアトリスの淹れた茶は美味いの」

「ありがとうございます。あとで伝えておきます」

「うむ。遅くなったのはすまなかったが、パトリシアの足取りを追っておったのだ」

「……えっ?」

「そなたの妹は、厄介だのう」


苦笑いされるエレオノラ大公閣下に、恐縮して頭をさげた。


「……しばらくは、あの旧メンデス伯爵家の三男坊、ジョアンという男と楽しく旅しておったようだ。愛の逃避行というやつだな」

「え、ええ……」

「大陸の東に位置するネヴィスから離れるため、西に向かっておった。そなたの領地、エンカンターダスにも立ち寄っておる」

「はい……、それはわたしも、うっすら知っております」

「だが、どこかのタイミングで、ジョアンが姿を消した。路銀をすべて持ちさっての」


――あのクズ……。


「狂ったようにジョアンを探す、パトリシアが目撃されておる」

「はい……」

「次に足取りがつかめたのは、フエンテス子爵家領だ」


フエンテス子爵――、

フリアの遠戚マリア・アロンソがメイドとして仕えている、隠れ〈辺境伯派〉の貴族だ。


「そこで、商家の女中として雇われた」

「パトリシアが、女中……」

「しかし、あっという間にその商家のすべてを掌握。主人も奥方も追い出し、自らのものとした」

「……アホ、ですね」

「ふふっ。そこは、天才といってやれ」

「いや、とても……」

「そして、その財産を持って、フエンテス子爵に近づき、第1皇子妃イサベラ妃殿下の父親バルガス侯爵にすり寄り……」

「……フェリペ殿下に近づいた」

「その通りだ。それを、そなたが学都に籠っておった秋から冬の間の期間で、やってのけたのだ」

「むう……」

「やはり、惜しい才能だの」

「……お言葉ですが、エレオノラ大公閣下。使いどころを間違えた才能は、才能と呼ぶべきではないと存じます」

「ふふっ。さすがに手厳しいな」

「当然にございます」


――しかし、凄まじい……。


それは、認めざるを得ない。

お茶を飲み干されたエレオノラ大公閣下が、ティーカップをしずかに置かれた。


「……貴族の戦いとは本来、ハッキリ白黒がつくようなものではない」

「はい……」

「相手の弱みを見付け、つつき、時には隠してやって恩を売る。さりとて、おなじ事柄を2度使えば恩は怨みに変わる。慎重に恩を売りながら、相手の勢力を削ぎ、自らの勢力を蓄える。そうして徐々に勢力を伸ばしながら権勢を握ってゆく」


エレオノラ大公閣下の菖蒲色の瞳に浮かんだ、燃えるような闘争心に、わたしは内心気圧された。


「帝国であろうが王国であろうが、本来これが貴族の戦いだ。パトリシアのおこした軍事クーデターなど愚の愚。愚の骨頂であった」

「ええ、愚かな所業にございました」

「しかし、そなたが、アルフォンソ殿下との結婚を祝福させたことで、貴族の戦いのなんたるか、パトリシアの学びとなった」

「はい……」

「……妹を成長させてしまったの、マダレナ」

「……恐れ入ります」

「手強い」


わたしへの怨みが昂じて、アルフォンソ殿下に逆怨みしているのは分かる。

けれど、フェリペ殿下や〈辺境伯派〉の貴族を表に立てて、自分は陰でほくそ笑むように勝ち誇る。

たしかに、いままでのパトリシアとはやり口が違う気がする。

二重三重に罠を張り巡らせていることも、警戒しないといけないかもしれない。


「ところで、マダレナよ」

「はい」

「そなた気が付いておらぬようだが、第1皇子妃イサベラ妃殿下の父親バルガス侯爵とは、先ほどのマヌエル侯爵であるぞ?」

「……え?」

「ふふ。イサベラ妃殿下は、父親のマヌエル・バルガス侯爵とは、似ても似つかぬ美しさであるからの」


――太鼓持ちどころか……。エレオノラ大公閣下が〈影の首魁〉と仰られていたのは、このことか……。


「……先代辺境伯の家宰だった男よ。領地に紐づかぬ宮廷爵位をもらい、先代辺境伯の孫であるフェリペ殿下に、娘を輿入れさせてもろうた」

「そういう方でしたか……」

「辺境伯家にとっては忠臣であろうが、いかんせん人望がない。現辺境伯を傀儡にしておるが〈辺境伯派〉がまとまりを欠くのは、そのせいであるの」


褐色の貴公子、ケメット・ネフェルタリ辺境伯閣下がちっとも絡んでこないと思っていたら、そういうことだったのか。


「……そして、わが兄ルイスが最終的に権勢を確実にしたのは、娘エレナ陛下を第2皇后に押し込んだからではない」

「それは……」

「治政に目立った功績もない現皇帝イグナシオ陛下に〈太陽皇帝〉の尊号を奉ることを発議し、群臣の賛同を取りまとめたからだ」

「……発議」

「そうだ。発議していながら、群臣の賛同が得られなんだら、兄上は失脚する。あれが、最大の勝負であった」


帝政の複雑さに、眩暈がする思いだった。


――帝政において、宰相や大臣なんてのはただの使い走りだ。すべては皇家と有力貴族たちの権力闘争で決まる。


風の賢者ラミエル様の警句が、痛みをもって思い出された。

こういうことか、と。


「マヌエルめは、兄ルイスの発議も阻止できなんだ。しょせんは、家宰で精一杯の男だ」

「……はい」

「しかし、その兄上でさえ、パトリシアには翻弄されておる。……防戦一方だ。マダレナ、決して油断するなよ?」


エレオノラ大公閣下に言われるまでもなく、すでに油断はない。

だけど、パトリシアの謀略を蹴散らし、アルフォンソ殿下をお救いする道も、

まだ、うっすらとしか見えていない――。


   Ψ


数日後の満月の晩――、

わたしは皇宮にあがり、招かれた舞踏会に出席するため第1皇子宮殿を訪れる。

アルフォンソ殿下の瞳に近い、ロイヤルブルーのドレスで身を飾り、

第1皇子フェリペ殿下ご夫妻に、主賓として招かれたお礼を丁重に申し上げた。

大量の贈物を、事実上突き返したことなどなかったかのように微笑を浮かべ、わたしを迎え入れられたフェリペ殿下。

イサベラ妃殿下も、お隣で気品あふれる微笑みを浮かべておられる。

この、儀礼と序列で、皇家と貴族をガチガチに縛る〈太陽帝国〉のあり方が、300年の泰平を維持させてきたのだ。

誇りと敬意を持って、拝礼を捧げた。

そして、そばに控えるパトリシアもまた、

侍女のメイド服に身を包みながら、礼容に叶う優雅な微笑みを浮かべていた――。
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