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第二部

46.究極進化形を見た

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――とても興味深いけど、すこし的が外れているかな。


と仰られた、ビビアナ教授の言葉の続きを待つ。

わたしの論文を読んでもらい、ビビアナ教授から直接意見をいただけるだなんて、

しつこいようだけど、田舎貴族の令嬢だったわたしには夢のような時間だ。

浮かべられた表情まで、すべてを記憶に焼き付けておきたい。

そんなわたしの視線が突き刺さったのか、ビビアナ教授はクスリと笑われた。


「ほら、マダレナ嬢。見てごらん、ここのところ」

「し、失礼いたします……」


と、ビビアナ教授が指差してくださった箇所をのぞき込む。

秘湯の湯の成分を、分析した結果が書き連ねてある。


「これ。魔鉄成分じゃなくて、解呪成分だね」

「……えっ!? ……あああっ!!」

「たしかに少し珍しいけど、魔導具に作用しているとは考えにくいかな」


魔導の時代の残滓――、呪い。

聖女たちが激闘の末に退けた、魔族の残留思念だとも言われる。

ふわふわと中空を漂っていて、人間にとり憑くとされている。

だけど、大陸すべての学問が集う、この学都サピエンティアにおいてでさえ研究する者はいない。

弱いのだ。

風邪くらい。

いや、風邪にかかるより気安い。

清浄な水で身を浄めて、しばらくジッとしていれば消える。

ごくまれに〈魔神の呪い〉と呼ばれる強力なものに憑かれたとしても、古道具屋の解呪具を使えばすぐに取れる。

したがって、呪いを解くのに作用しているとされる解呪成分も、

化学における塩のようなもので、専門に研究する者すらいない。


「まあでも、観察記録を見ると、秘湯の湯というのがなんらか作用しているのは間違いなさそうだけどね」

「あ……、はい……」


鼻高々に論文を読んでもらった、自分が恥ずかしい……。

発見でもなんでもなく、逆にわたしがデータを見落としていたのだ。


「でも、そう落ち込むことはないよ」

「あ、はい~~~~」


フォローしていただくのが、かえってツラい……。

けど、ビビアナ教授がしてくださる話だ。

歯を喰いしばって、わたしに向いた眠そうな大きな瞳を見詰め返した。


「単体で作用しているとは考えられないけど、ほかの成分と干渉し合って特殊な働きをしている可能性はある」

「ほかの成分……」

「うん。化学において塩が思わぬ働きをしてることがあるように……、だ」

「……はい」

「化学や物理学を司る〈土の賢者〉の話も聞いてみたらいい。それに、この〈風の叡智〉塔には薬理学の教授もいる」

「いえ、そんな、大げさなことには……」

「ふふっ。……マダレナ嬢。キミの学究の徒としての〈凄味〉は、興味を持てる守備範囲の広さにある」

「……えっ?」

「なんなら、インフィニト――無限のラミエル並みだ」

「そ、そんな、わたしなどを〈風の賢者〉様と並べていただくだなんて、そんな恐れ多い……」

「ふふふふふふふふふふふふふふふ」

「……、え?」


突然、ひくい声で不敵に笑い始めたビビアナ教授は、棚から一枚の皿を取り出された。

そして、その皿の上には――、


「パンだ」

「え、ええ……。パンですね」

「なんだと思う?」

「え? ……パンだと思います」

「ふふふふふふふふふふ、マダレナ嬢」

「……はい」

「キミの卒業論文から、魔鉄製のパン釜をつくってみた」

「え……、ええ――――――っ!?」

「これは、魔鉄製パン釜で焼いた、魔鉄パンなんだよ! 食べてごらん」

「あ……、はい……」


わたしの目に映るのは、なんの変哲もないただのパン。まるくて茶色い。

恐るおそる手に取り、ちぎって、口にふくむ。


「……お、美味しい」

「だろう!? この世のものとは思えない美味しさだ!!」

「は、はい」

「すこしだけボクが手直ししたけど、ほとんどマダレナ嬢が設計したとおりにパン釜を作ったんだ」

「……こ、光栄です」

「惜しむらくは、魔鉄が高価すぎて街のパン屋に普及させるのは難しそうだ。実用化とはいかない」

「はい……、そうだと思います」

「だけど、根幹をなす理論は完璧だった」


ビビアナ教授は、以前お会いしたときでは考えられないような、

柔らかな微笑みを浮かべて、わたしの目を見詰めてくださった。


「マダレナ嬢は自信を持っていい。誰が魔鉄でパンを焼こうだなんて思い付く? きっと魔導の時代の魔導師だって、聞けば驚くぞ?」

「ははっ……、お恥ずかしい」

「いや、柔軟な発想を誇るべきだ。そして、マダレナ嬢はこの先、気になることは何でも貪欲に学んで、貪欲に吸収すべきだ。なにせ、ここは学問の都。学問のことならなんでもそろっている」


ビビアナ教授の言葉は、太古の呪文を聞いているようで、なかなかわたしの胸には沁みてこない。

才媛だなんだと言っても、しょせんは帝国辺境の属国でのこと。


だけど――、


わたしの後ろで控えてくれているルシアさんの、優しげな視線がフード越しにも伝わってきたとき、

ハッとした。

まだひとつ可能性が潰れただけ――、いや、潰せたのだ。

研究はここからが本番。

ルシアさんたち白騎士様に役立つかもしれない研究だ。


――自分を諦めずに、努力してみよう。


才媛マダレナ。

努力は得意だ。

ビビアナ教授の言葉を信じて、全力を尽くしてみようと、決意を新たにできた。


ちなみに、魔鉄パンは侍女たちにも分けてもらい、大好評だった。

ちょっと鼻の高さが戻った。


   Ψ


午前の皇子妃教育を終えた後、間借りさせてもらったビビアナ教授の研究室に通う毎日が始まった。

ビビアナ教授の研究室は、……広いのだ。

かつて、ベアトリスが、


「私……、こんな方、初めてお会いしましたわ……」


と、頭を抱えた。

乱雑に散らかり、物で埋まっていたビビアナ教授の研究室をベアトリスとフリアが徹底的に掃除すると、奇妙な間取りが現われたのだ。


「……物で部屋が埋まるたびに、増築するだなんて」

「う~ん。ボクが掃除するより、増築してもらった方が速かったからねぇ」


と、ビビアナ教授に悪びれたところは一切見られない。

片付けられない女の究極進化形を、わたしたちは見た。

そして、それを許されるだけの、恐るべき学才、知性。

権威ある〈風の叡智〉塔の外観を損なわないようにと、建築学の教授たちが何度も相当に頭をひねったらしい。

結果、とても奇妙な間取りになった。

そして、掃除すると、余った。


「う~ん。広すぎて気が散るなぁ」


と、ビビアナ教授がついたてを立てたとき、もう誰も何も言わなかった。

その余った空間を、広々と使わせてもらっている。

疑問は持たないように努力している。

努力は得意だ。


分析し直すため秘湯から湯を取り寄せたいのだけど、あいにく雪が道を閉ざしている。

すでにあるデータの再検討に時間を費やす。

ビビアナ教授から紹介状を書いてもらった、分野の異なるほかの教授にも話を聞きに行く。

幸い……、かどうかは分からないけど、わたしは第2皇子殿下の婚約者だ。

イヤな顔をする教授はいらっしゃらなかった。

夕陽がさす前には、一度、ベアトリスがお茶を淹れてくれる。


「……アルフォンソ殿下からのお手紙、途絶えちゃったわねぇ」

「仕方ないわよ。この雪だもの」


窓の外は、一面の銀世界。

皇子妃教育と研究に打ち込むしか、やることもなくて、かえってありがたい環境だ。

そうして、数週間が過ぎ、雪がいちばんぶ厚く積もった頃のことだった――。


   Ψ


「あれ? ……お姉様たちだ」


と、ルシアさんが窓の外を眺めて、ちいさく呟いた。

顔をあげたわたしに、ルシアさんが口元を寄せる。


「……白騎士のなかでは、私がいちばん年下なんですよ」

「ああ、それで『お姉様』……」


わたしも窓の外に視線を落とすと、階下に雪のなかを歩く白銀と黒の鎧、4人の白騎士様の姿が見えた。


――おひとりは〈終焉〉を待たれてるって仰られてたから、ルシアさんをいれて全員ね……。


と、不思議に思ったけど、すぐに手元の資料に視線を戻した。

だけど、しばらくして4人の白騎士様はビビアナ教授の研究室にそろって入ってこられて、

驚くわたしたちを尻目に、ルシアさんを取り囲んだ。


「白騎士ルシア・カルデロン。皇帝陛下がお呼びだ。いっしょに来てもらおうか」


穏やかな微笑を浮かべたままの白騎士様たちに、ルシアさんも微笑で応えた。


「わかりました、お姉様」


そして、フードをとり、サラリと広がる純白のながい髪。

わたしを見詰める、燃えるような紅蓮の瞳には、最大限の親しみを感じる色が浮かんでいた。


「マダレナ閣下。これまで、ありがとうございました。とてもとても楽しかったです。……ベアトリス殿もフリア殿も、ありがとうございました。ビビアナ教授も知らないフリをしてくれてありがとうございました。私は、陛下のもとに戻ります」


と、とびきりの笑顔で言ったルシアさんは、呆気にとられるわたしたちを置いて、3人の白騎士様と部屋を出ていってしまった。

そして、のこったひとりの白騎士様が、わたしのまえで膝を突いた。


「マダレナ公爵閣下。初めてお目にかかります。白騎士アメリア・マルティネスと申します」

「あ、はい……。マダレナ・オルキデアです……。お会いできて光栄です」


小柄で、少女のような容貌をした白騎士アメリアさん。

髪は真っ白で色がなく、瞳は燃え盛る紅蓮の炎のよう。

そして、浮かべる微笑まで、会ったばかりのルシアさんとおなじだった。


「陛下はマダレナ閣下もお召しにございます」

「は、はい……」

「また、ビビアナ教授は大賢者様が帝都にてお召しにございます」

「ん? ボクも?」

「はい。急なことにて申し訳ございませんが、勅命にございますれば、おふたりにはこのまま私とご同行を願います」


こうして、わたしの皇子妃教育と充実した学究生活は、唐突に終わりを告げた。

そして、わたしをお召しの皇帝陛下と、

アルフォンソ殿下が待ってくださっているはずの、帝都ソリス・エテルナに向かう。

白騎士アメリアさんの駆る、揺れない馬車に乗せられて――。
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