虫愛る姫君の結婚

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新婚生活

結婚生活

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その日の午後、シルフィーとエントは婚姻届けを出しに村役場へ向かった。よほど暇なのか、役所の人間は居眠りをしていた。エントが手を叩くと、はっと覚醒する。彼は眠たげな顔でシルフィーたちを見比べた。
「あんたら結婚するの?」
「はい!」
「じゃあ、証人連れてきて」
「こちらには知り合いがいないんだ。サインではだめか?」
「そんなのダメだよ。偽造できるし。だいたい、あんたら随分と歳が離れてるじゃないか。本当に夫婦なのか。流行りの誘拐婚じゃないの?」
 彼はそう言ってじろじろとシルフィーたちを見ている。よそものだからなのか、随分な言種である。シルフィーが反論しようとしたら、エントがとどめてきた。
さっきまで誰も並んでいなかったはずなのに、いつの間にか後ろに列ができていた。エントは行こう、と言ってシルフィーの手を引く。役場を出たシルフィーは、困り顔でエントを見た。
「どうしよう」
「村長に頼むか」

 エントが向かったのは、村の中心にある村長の家だった。村長は人の良さそうな顔をした中年男性だった。彼は自宅に快くシルフィーたちを招き入れ、お茶をふるまってくれた。彼はシルフィーに視線を向け、「随分若い奥様ですねえ」と言った。シルフィーはさっきのことを思い出して素早く言った。
「私が結婚してって頼んだの」
「ああ、そうなんですか。はああ。それはそれは」
村長の視線を受けて、エントは咳払いした。
「急なことなので証人がいないんです。頼めませんか」
「ええ、もちろんいいですとも」
村長はあっさり婚姻届にサインをしてくれた。シルフィーは窓から見えるのどかな景色を眺めながら言った。
「ここはとってもいい村ですね!」
「何にもないけどねえ。住みやすさは一番ですよ」
 彼は婚姻届をシルフィーたちに返しながら、声をひそめた。
「でもねえ、最近誘拐婚ってのがあって、若い人が定着しなくて」
「役所でも同じ話を聞いたな。それはなんなんだ?」
村長いわく、最近このあたりの若い娘がさらわれる事態が勃発しているらしい。犯人は二人組で、御者を装って声をかけ、格安の馬車で娘を拾い、そのまま連れ去ってしまうらしい。おそらく彼らは雇われもので、どこかに娘を売り飛ばし結婚させているのだろうとのことだった。エントは、今時そんな前時代的なことがありえるのか、とつぶやいた。
「なんで娘は逃げてこないんだ?」
「わからないんですよ。よほど居心地がいいのか、それとも──」
村長はそこで言葉を切って、やめておきましょう、と言った。しかし、エントは話を続けようとする。
「彼らの特徴は? 二人組以外にないのか」
「一人は背が高くて、一人はちんちくりん。いわゆる凸凹コンビらしいですな」

村長は話題を変えようとしたのか、穏やかな声で尋ねてきた。
「結婚したってことは、定住してくださるんですかね? 前の錬金術師の方は、いつのまにか失踪なさってしまって」
「失踪?」
「ブナ釣り大会の最中にね。俺はこんなところにいる人間じゃないとか叫んで、どっかに走っていきましたわ」
 村長はそう言って高らかに笑った。エントは顔を引き攣らせたが、シルフィーはブナ釣りという言葉に興味を示した。
「ブナ釣り大会って、楽しそうだわ!」
「でしょう、今度の週末に開かれますから是非きてください」
 村長の自宅を出たエントは、呆れ顔でシルフィーを見た。
「さっきの話を聞いて、よく笑ってられるな」
「私、こういうところに住むのが夢だったの」
 シルフィーは目を輝かせ、あたりを見回した。エントはふっと笑って、シルフィーに手を差し出す。
「ちょっと散歩していこうか」
「いいの?」
「ここには出庁時間もない。急いで帰ることもない」
 シルフィーはエントと手を繋いで村を散策した。どこからともなく牛の鳴き声が聞こえてくる。マルゴーもここにきたらバターが作れるのに。彼は今どうしているのかしら。そんなことをぼんやり考えていると、エントが「どうした?」と尋ねてきた。シルフィーはかぶりを振って、視線の先を指差す。
「見て!湖だわ」
そちらにダッシュすると、背後から苦笑する声が聞こえてきた。湖には近くに聳える山が逆さに映っていた。その美しい風景を見たら、マルゴーのことはすっかり頭から消えてしまった。桟橋にボートが繋がれていたので、二人で乗り込む。シルフィーは船底を這っていた虫を捕まえて、エントに見せた。
「見て、船虫!」
「その虫を見つけて喜ぶのは君だけだろうな」
 エントはそう言って肩をすくめた。エントは虫に興味がないみたいだから、見せるのはやめたほうがいいかしら。シルフィーはボートの淵に手をかけて、透明な湖面の下を覗き込んだ。湖の底は陽光を受けてきらきらと輝いている。
「綺麗ね」
「そうだな。汚れる要素がないから水質がいいんだろう」

 都会には人口が多いので、川や湖は生活排水などで汚れやすい。シルフィーは両手を広げ、空気を吸い込んだ。ひらひらと飛んでいった蝶は、都会ではほとんど見かけなくなった種だった。ここはシルフィーにとって理想の場所かもしれない。シルフィーとエントは、湖の近くにあった釣具屋で釣具を借りて、のんびりと船釣りを楽しんだ。1時間ほどかけてブナを三匹吊り上げ、帰宅する。シルフィーはブナが入っているバケツを覗き込んで、上機嫌に言った。
「これでアクアパッツァを作りましょう」
「虫を入れないでくれるならなんでも歓迎する」
 相槌を打ったエントは、家の前に立っている人物を見て驚いたように足を止めた。
「ジャスパー?」
「よお、エント」
 ジャスパーは片手をあげてこちらに近づいてくる。彼はキョトンとしているシルフィーに笑いかけた。
「挨拶するのは初めてかな。エントの友人のジャスパー・ワイルドだ」
「まあ、お友達? じゃあ、お昼を食べて行ってください。ちょうど、魚も三匹とれたし」
 シルフィーはそう言って、ジャスパーにバケツの中身を見せた。ジャスパーはバケツを覗き込んで陽気にいいねと応じている。わざわざ王都から友人が訪ねてきてくれたというのに、エントは浮かない顔をしていた。
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