虫愛る姫君の結婚

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王宮での日々

再会

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「ねえエント、あなたいつ結婚するの?」
 母の言葉に、エント・ヨークシャーはスープを飲んでいた手を止めた。スカーレットは年齢不詳の美貌をこちらに向け、再び「いつ結婚するの?」と尋ねて来た。
「いつって……相手が見つからないと無理ですよ」
「じゃあ見つけなさいな。王宮には蝶も花もいっぱいでしょう」
 子供の虫取りや花摘みじゃあるまいし、そんな簡単に結婚相手を調達できたら苦労しない。エントがそう思っていると、母がカードを差し出して来た。エントはそれを受け取って、訝しげな顔をする。
「なんですか、これ」
「独身男性と女性が出会うパーティー。お互い仮面をつけるから身バレの心配なし」
「なんでこんなもの持ってるんです?」
 まさか、若い男とでも出逢おうとしていたのか。父は遠くにいるだけで存命だというのに。エントが複雑な気分でいたら、母がいきなりため息をついた。
「はあ、シルフィーは元気かしらねえ」
「なんですか、突然」
「だって、あれ以来会ってないじゃない」
 心配はいらないだろう。なんせ女王の養女として引き取られたのだから。
 シルフィーが王宮に引き取られたと聞いたときは驚いたが、一方でこれでいいのかもしれないとも思った。王宮にいれば、間違いなく最高の教育をうけられるだろうから。スカーレットがあっさりとシルフィーを渡したのは、エントの出世に響いてはいけないと思ったかららしいが──。
結果的に意味はなかったな。あれから8年が経ったがエントは副官のままだ。あの時十九歳だったエントは二十七歳。シルフィーも大人になっているはずだ。なんとなく寂しい気持ちになったエントは、それを振り払うべくスープを飲み干し、席をたった。後ろから母の声が追いかけてくる。
「パーティーは今日の午後6時だからね!」
 誰もいくとは言っていないのに。とりあえず、友人のジャスパーを誘って行こう。行ったというアリバイを作って、適当なところで逃げればいい。エントはそう思いながら、出仕するため馬車に乗り込んだ。
 
 独身の男女限定の仮面パーティーは、王都から少し離れた場所で行われていた。会場は貴族の別宅で、屋敷の外まで仮面をつけた若い男女であふれていた。世の中にはこんなにも結婚したい人間がいるのか、とエントは思った。わざわざ仮面を用意してくるほどやる気はなかったので、参加者から仮面を借りて二人分錬成する。そのうちの一つを友人のジャスパーに手渡した。
「賑わってるなあ。近所の店もこれぐらい流行ってたらつぶれなかっただろうに」
「人が多すぎる。これじゃ仮面があろうがなかろうが変わらないな」
「そんなことないぞ。仮面をつけた女性っていうのは色っぽい。男はどうでもいいけど」
友人のジャスパー・ワイルドは前髪を垂らした明るい雰囲気の男だ。彼は会場を行き来する女性を指差し、「ほら、美女は後ろ姿だけでもわかる」と言った。ジャスパーは顔が見えなくても美人を探し当てると豪語したが、エントにはさっぱりわからなかった。とりあえず腹が減ったので何かを食べようと軽食の置かれているコーナーへ向かう。何を食べようかと思っていたら、取り皿をさっと差し出された。
「どうぞ」
「どうも……」
軽食をとり終える頃には、いつの間にか女性に周りを囲まれていた。彼女たちは頬を染めてこちらを見上げてくる。
「シャンパンはいかが?」
「私が作ったカクテルを飲んでください」
「先に私のおすすめのワインを」
エントは下戸なので、何を勧められても飲めなかった。一方、隣にいる友人は両脇に女性を侍らせて楽しそうにしている。助けてくれ、と合図を送ったが、友人はがんばれ、と言いたげに親指を立てただけだった。この状況では食事ができない。逃げ場を探していたエントは、ふと、会場の隅にいる女性に気がついた。
 その娘は、明らかに目立っていた。手入れが行き届いていない漆黒の癖毛。ドレスは適当にあつらえたのが丸わかりで、サイズが合っていない。おまけに、なぜか片方だけ靴を履いていなかった。仮面の下にある素顔はわからないが、口元の様子だけ見るときつい印象があった。彼女の全身からは、近づき難いオーラが漂っていた。現に娘の周囲には空間があいていて、誰もいなかった。エントはジャスパーに囁いた。
「ジャスパー。あの子、誰か知ってるか」
 ジャスパーはエントの視線を追って、かすかに眉を顰めた。友人は基本的に女に対しては甘いので、その反応は珍しいと思った。
「ありゃあひどいな。羽化に失敗した毛虫みたいだ」
 失礼にもほどがある表現だが、的確だった。目立っている娘は、何かを探しているのか、キョロキョロと視線を動かしていた。ヨークシャーは娘の視線を追った。その先では、小さな蜂が飛び回っている。彼女は蜂を捕まえたくて仕方がない、という風情だった。彼女の衝動をとどめているのは、おそらく隣にいる女だろうと思われた。油断なく周りを見つつ、がっちりと娘の手首を掴んでいる。年齢もいっているようだし、参加者には見えない。お付きの人間がいるなんて、かなりの身分の令嬢なのだろう。浮世離れして見えるのは、高貴さゆえなのかもしれない。なんでこんなパーティーにきたのだろう。ふと、彼女の肩に何かが載っているのが見えた。エントは目をこらしてハッとした。あれは──まさか。
 エントは群がる女性陣の合間を抜け、彼女に近づいていった。友人がおい、と声をかけてきたが、無視して娘に声をかける。
「こんばんは」
 娘は仮面の下の瞳をこちらに向けた。それから、はっと息を呑む。
「エント?」
 彼女は仮面を外し、こちらを見上げた。化粧気のないキツめの顔がエントの方を向く。
「久しぶり! 元気だった?」
「シルフィー様っ、いけません」
 隣の女はあわててシルフィーの仮面を付け直す。シルフィーはそれを邪魔そうに外した。
「大丈夫よ、エリン。この人は知り合いなの」
 ミレイと呼ばれた女は、エントを観察するような視線を向けてきた。こいつは一体何者だ。彼女の目はそう言っていた。ヨークシャーは「知り合いです」と答え、シルフィーの足元へ目を向けた。おそらく普段、あちこちを走り回っているのだろう。血の通った健康的な足だ。
「靴はどこへやったんだ?」
「なくしてしまったの。多分お庭にあると思うんだけど」
「なるほど」
 なぜ庭で靴をなくすはめになるのか、さっぱりわからないが、追求するのもおかしいと思って、そう相槌を打っておいた。ヨークシャーはもう片方の靴も脱ぐように指示した。シルフィーは不思議そうな顔をしつつ、素直に従う。ヨークシャーはシルフィーが履いていた靴を観察しながら、手に取ったグラスを指でなぞった。すると、シルフィーが履いている靴と同じものが形作られた。シルフィーはわあっと感嘆する。
「すごい! さすがエント!」
 シルフィーの周りをはばからない声を聞きつけたのか、周囲がざわめく。
「エント? まさか、エント・ヨークシャー?」
「錬金術庁の副官が、なんでこんなところにいるんだ」
 エントは会場に満ちたざわめきにため息をついた。もはや仮面をつけている意味はなさそうだ。そう思って仮面を取ると、なぜか感嘆するような声が聞こえてきた。仮面を外したエントとシルフィーに、その場の注目が集まっていた。シルフィーはおそらく、見られていることに気づいていない。興味津々の表情でガラスの靴を眺めている。その横顔には、昔の面影があった。今までのことを尋ねようとしたその時、悲鳴があがった。エントがそちらに視線を向けると、女性が金切り声をあげながら腕を振り回していた。
「いやっ、蜂だわ! あっちへやって!」
 大袈裟な反応に、周囲の人々は苦笑していたが、女性はこの世の終わりのように騒いでいる。シルフィーが立ち上がった。シルフィー様、と女がたしなめたその時、女性がいきなり倒れた。ショック性の気絶だろうか。虫ごときで怯えているようでは、もしキメラ・インセクトに襲われたら死んでしまうだろうな──。エントがそう思っていたら、シルフィーが素早く女性に駆け寄った。彼女は女性のそばにしゃがみこんで顔色を見ている。それから、周りにいた人々に尋ねた。
「この女性と知り合いの方は?」
 一人の女性が恐る恐るといった様子で手を挙げた。

「私、彼女と友人です。普段から神経質なところはありますけど、虫ぐらいで倒れるなんて……」
「この人のバッグを持ってきてください」
 シルフィーは倒れた女のバッグを探って、あるものを取り出した。どうやら注射器のようだ。シルフィーがいきなり女性のドレスをまくりあげたので、周囲が慌て出した。
「おい、君、何をしてるんだ!」
 シルフィーは周囲の動揺に構わずに、持っていた注射器を女性の太ももに突き刺した。女性は一瞬びくっと震えたが、徐々に息を整えていく。シルフィーは優しい声で女性を励ました。
「もう大丈夫ですよ」
「あなたは……」
「シルフィーです。シルフィー・ドレーン」
 ありがとう、シルフィー。礼を言われたシルフィーは照れくさそうに笑った。その笑みを見た瞬間、なんともいえない気持ちになった。少なくとも、元素記号を眺めているだけでは得られない感情だった。患者が運ばれていったあと、エントはシルフィーにこう尋ねた。
「あの女性、もしやアレルギーか」
「そうよ。多分、アナフィラキシーショックを起こしたの。蜂に刺された経験がトラウマになっていて、ショック症状が強くなったんだと思うわ」
 シルフィーはハキハキとした口調で答えた。エントはシルフィーの横顔を見た。この子は本当にあのシルフィーなのだろうか。その時、ダンスの音楽が流れ始めた。人々は気を取り直したかのように、ペアを組んで踊り始める。シルフィーはエントに声をかけた。
「エント、踊らない?」
「踊れるのか?」
「特訓したから踊れるの」
 シルフィーは自慢げに言って、エントの手をとって踊り始めた。彼女の目線が近くにあるのが、不思議な気分だった。目が合うと、シルフィーはにこっと笑顔を浮かべた。自分の心臓がうるさいことに気づいて、なんとか抑え込む。
「結婚相手を探してるのか?」
「ええ、そうなの」
 シルフィーはうなずいたのち、こう言った。
「あ、私のじゃなくて、ミレイよ」
「お付きのために、こんなパーティーに参加したのか」
「楽しいわよ。いろんなドレスの人がいて、新種の虫が集まってるみたい」
 シルフィーにとっては褒め言葉なのだろう。昔と比べると、ずいぶんと表情が明るくなった。きっと王宮で幸せな生活を送っているのだろう。シルフィーが尋ねてきた。
「スカーレットさんは元気?」
「ああ、元気だよ。君がどうしてるか、気にしてた」
「私も会いたいわ」
 その言葉に背筋がぞくっとした。自分が言われたわけでもないのに、どうかしている。手が離れかけた瞬間、無意識に引き戻した。シルフィーはキョトンとした顔でこちらを見る。自分は一体何を言うつもりなのだろう。わからないままで口を開く。
「俺は……」
「あっ、マルゴー!」
 シルフィーがのびあがってぶんぶん手を振ると、マルゴーと呼ばれた男が曖昧に手を上げた。
「紹介します。婚約者のマルゴーです」
 シルフィーはそう言ってマルゴーの腕をとった。仮面をつけているので、顔はわからない。若いはずなのだが、とにかく覇気がなかった。マルゴーという名はどこかで聞いたことがある。そう思って、ピンときた。新人錬金術師の入庁式で聞いたのだ。確か長官の息子……。

「マルゴー、彼はエントよ」
シルフィーはそう紹介した。もはや仮面をつけている意味はない。
「は、初めまして。まさか、こんなところで副官にお目にかかるなんて」
マルゴーは震えながらエントと握手した。
「君は確か、エリクサーを研究する部署に配属されたんだったな」
「知っていてくださったんですか」
あの長官の息子とはどんなやつかと注目していたのだ。エリクサー……誰も発見できなかった万能物質。もし見つけたら、錬金術師の長に抜擢されるどころではないだろう。一生遊んで暮らせる財と、名声を手に入れるはずだ。ただ、彼がその快挙を達成できる人間には見えなかったが。シルフィーは一体彼の何に惹かれたのだろう。少々ひねた気分でマルゴーを観察していると、友人のジャスパーが近づいてきて肩を叩いた。
「残念だったな」
「何がだ」
「あの毛虫ちゃんを穴が開くほど見てただろ? すでに人のものだとはな」
 ジャスパーはにやにや笑いながらこちらを見ている。なんだか知らないが、かんに触る。シルフィーはマルゴーの手をとって踊り出した。先ほどエントと踊っていた時よりずっと楽しそうに見える。エントはジャスパーが持っているワイングラスを奪い取り、一気に飲み干した。
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