虫愛る姫君の結婚

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悪女の娘

マルゴーとアカデミー

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シルフィーは温室で、鼻歌を歌いながら水やりをしていた。肩にはバロンが乗っている。起きたらまず、温室の植物の水やりをするのがシルフィーの日課だった。そのあと虫取りに行ったり、バロンと錬金術ごっこをしたりする。水やりを終えてお茶を飲んでいたら、ミレイがじっとこちらを見ているのに気づいた。
「どうかした?」
「いえ……王妃様がお呼びですので、お茶を飲まれたら謁見の間に行きましょう」
 彼女はそう言って視線を外した。回復したミレイは今までとは少し変わった。相変わらず無愛想ではあったが、むやみに礼儀作法の稽古をしろとは言わなくなった。だから、ほどほどにやっている。シルフィーが謁見の間に向かうと、エルランドとエリン、王妃が揃っていた。王妃は優しくこう尋ねてきた。
「ねえシルフィー。何かやりたいことはない? なんでも言ってちょうだい」
「じゃあ錬金術を習いたいです!」
 シルフィーがそう言うと、王妃が目を丸くした。
「あ、その前に、字を読めるようになりたいです」
「読み書きもできないの? エリンよりお姉さんなのに!」
 エリンはそう言ってくすくす笑った。エルランドがエリンを横目で見る。
「でもエリンは計算ができないだろう?」
「そんなのする必要ないもん! エリンはお姫様だから」
「誰かに収穫祭までの日にちを聞かれたらどうする? 答えられなかったら馬鹿だと思われるよ」
「お母様! お兄様が意地悪を言うの!」

 エリンはべそをかきながら王妃に泣きついた。王妃はエルランドを嗜め、苦笑しながらシルフィーを見た。
「ごめんなさいね。この二人はいつもこうなのよ」
「でも、羨ましいです。私、きょうだいがいないから」
 そう言ったら、王妃が涙ぐんだ。彼女は侍女たちに支えられて部屋を出ていく。どうしたのだろうと心配していたら、エルランドがため息混じりに手を広げた。
「シルフィー、朝から母様の涙腺を刺激しないでくれ。あの人はすぐ泣くんだから」
「ごめんなさい……」
 しゅんとしたシルフィーを見て、エルランドが苦笑した。
「字の読み書きなら僕が教えるよ。あとで図書室に行こう」
「お兄様、エリンとダンスの練習をしてくれるって言ったのに」
「おまえはできないとすぐに拗ねるからね」
 エリンが泣きそうな顔になったので、シルフィーは慌てて言った。

「私、今度でいいわ」
「シルフィーはいい子だね、エリンと違って」
 エルランドはそう言って、シルフィーの頭を撫でた。食堂を出る際、エリンがこちらを睨んでいるのに気づいた。エルランドとは仲良くできそうだけど、どうやら、エリンには嫌われてしまったみたいだ。何かプレゼントを送ったら、親しくなれるかもしれない。お茶を飲み終えたシルフィーは、日課の虫取りにでかけた。あのクヌギの木にはカブトムシがいそうだ。熟したバナナを仕掛けておけば、夜のうちに捕まえられるだろう。シルフィーは罠を持って木の方へ向かった。ふと、木の枝に、何か大きなものがぶら下がっているのが見えた。不審に思って近づいていくと、少年がパンツ一丁で木にぶら下げられていた。シルフィーは驚いて彼に駆け寄った。
「大丈夫!?」
「大丈夫に見えるなら眼科を薦めるよ」
 シルフィーはロープを切って、少年を木から下ろしてやった。よく見ると木のうろに服がねじ込んであったので、少年に渡す。少年は淡々とした動作で服を着た。 
「誰にやられたの?」
「──友達」
「友達はこんなことしないわ」
「正論だ」
 その横顔には諦念が漂っている。どうやら、こういうことに慣れているようだった。シルフィーは、少年が胸につけているバッジに視線を向けた。蛇が自分の尾をくわえている独特のデザインだ。どこかで見たことがあると思って、記憶を探った。そうか、研究ノートに描かれていた図案だ。
「ねえ、そのバッジはなに?」
「僕は錬金術のアカデミー生なんだ。今日は、王宮に庁舎の見学に来た」
「錬金術?」
「落ちこぼれだけどね」

 少年はマルゴーと名乗った。シルフィーは自分の名を教えたあと、どんなことを勉強しているのか、と尋ねた。マルゴーはどことなく面倒そうな口調で答えた。
「鉛を金にしたり、永遠の命の研究をしたり、しょうもないことばっかり」
「しょうもないのに学んでるの?」
「仕方ないだろ。親が錬金術師の長官なんだ。いやでもやらされる」
 マルゴーは暗い顔でそう言った。
「王宮で出世したいなら錬金術師を目指すか、騎士を目指すかどっちかだ。僕は運動神経が壊滅してるし、前者を選ぶしかないだろ」
 彼は盛大にため息をついて、青い空を見上げた。その横顔には、年齢に見合わない哀愁が漂っていた。
「田舎に行きたいなあ。牛を飼って、チーズでも作って暮らしたい」
「いいわね。私もレンゲ畑で養蜂をやりたい!」
「素敵じゃないか。その時は誘ってくれ」
 マルゴーはそう言って、のろのろと歩いていった。あの子、錬金術師になるんだ。そう思ったら、俄然彼への興味が湧いた。同い年くらいに見えたし、友達になれるかもしれない。しかし、それ以降、王宮でマルゴーの姿を見かけることはなかった。錬金術師のアカデミーに行けば会えるだろうか? シルフィーはミレイに、アカデミーに行きたいと言った。ミレイは怪訝な顔で、何をしに行くのかと尋ねてきた。
「会いたい人がいるの」
「会いたい人? 誰ですか。もしかして、男の子ですか」
 シルフィーが頷くと、ミレイが目を輝かせた。
「まあ……」

 ミレイはいつもとは違ってとても優しかった。外に行きたいというと仔細に用件を聞いてくるのに、今日はなんとなく声が甘かったのだ。マルゴーと一緒に食べるようにと、サンドイッチをもたせてくれた。
 アカデミーは王宮から数キロ離れた場所にあった。大きな白塗りの建物で、周りを自然に囲まれている。ここで将来の錬金術師たちが日夜修練に励んでいるのだ。シルフィーは講師に連れられて、マルゴーがいる食堂へ向かった。マルゴーはひとり、暗い顔で本を読んでいた。他の生徒たちはみんな楽しそうなのに、彼の周囲だけが暗く澱んでいるように見えた。どうしてあんなに辛そうなのかしら──あの子は友達がいないのだろうか。私と一緒だわ。そう思ったら親近感が湧いた。近づいていってマルゴー、と声をかけると、彼は驚いた顔をした。
「シルフィー? どうしてここにいるんだ」
「会いたくてきちゃった」
 そう言って笑ったら、マルゴーが赤くなった。シルフィーはマルゴーの隣に腰を下ろし、彼の手元を覗き込んだ。マルゴーが食べていたシチューには、何か鈍い色のものが入っていた。シルフィーはそれを拾い上げて眉を潜める。これは鉛だ。

「どうしてこんなものが入ってるの?」
「嫌がらせだよ。いっそこれを食べて死んでやろうかな」
「そんなの絶対ダメよ!」
 シルフィーが叫ぶと、マルゴーが肩をすくめて「冗談だよ」と言った。シルフィーは新しいシチューをもらってきて、マルゴーと一緒に食べた。サンドイッチを口にしたマルゴーは驚いた様子で「美味しい」と言った。
「そうでしょ? 私も最初に王宮のご飯を食べたときはびっくりしたわ」
「君って何者? まさか、王族?」
「ううん。いろいろあって王宮にいるの」
「どんな事情か知らないけど、王宮に住めるなんてすごすぎる」
 マルゴーは先ほどよりは明るい顔になっていた。シルフィーはほっとしつつ、エントを知っているかと尋ねた。
「ああ、錬金術師副官のエント・ヨークシャーだろ。史上最年少で長官になるって言われてる」
「そうなの? エントってすごいのね」
「君、エント・ヨークシャーとも知り合いなの?」
 シルフィーがうなずくと、エントがすごい、とつぶやいた。スカーレットとエントは元気だろうか。会いたいな……。シルフィーがしんみりしていると、講師が近づいて来て、授業を見ていくかとたずねた。
「いいんですか?」
「ええ。午後は3年生の戦闘術の授業です」
 講師はそう言って、マルゴーの背中を叩いた。
「知り合いか? いいとこ見せないとな」

 マルゴーははあ、と覇気のない返事をし、ずずず、とジュースをすすった。昼食後、十人ほどの少年たちがグラウンドに集められた。一学年にこれだけしかいないのだ、とシルフィーは驚く。戦闘術の授業はどうやら一対一で行うらしく、二人ずつ名前を呼ばれている。マルゴーの相手は、アレックスという黒髪の少年だった。シルフィーはマルゴーを応援した。
「頑張れ、マルゴー!」
 しかし、マルゴーはあっさり負けてしまった。シルフィーは地面に倒れたマルゴーに駆け寄る。
「大丈夫? マルゴー」
「平気だよ」
 マルゴーは差し出されたシルフィーの手を避けて立ち上がった。見学を終えたシルフィーは、マルゴーに見送られ、夕空の下を歩いていた。シルフィーは黙り込んでいるマルゴーを振り向いて、興奮気味に言った。
「すっごく楽しかったわ。私もアカデミーに通いたくなった」
「通えばいいじゃないか。落ちこぼれたら地獄だけどね」
 シルフィーは憂鬱そうにしているマルゴーの手を握りしめた。マルゴーはギョッとしてこちらを見る。
「な、なんだよ」
「おまじないよ。元気出して」
「僕はそういう、精神論みたいなのは好きじゃないんだけど」
 マルゴーはもごもご言いながら、シルフィーの手を握り返した。その時、囃し立てるような声が聞こえてきた。
「マルゴーのくせに、女と仲良くしてるのか?」
 振り向くと、先ほどマルゴーと戦っていた少年が立っていた。
「と思ったら……毛虫みたいな女だったな」
 黒髪の背の高い少年が、馬鹿にしたような顔でシルフィーとマルゴーを見比べる。その背後には二人の少年がいた。
「この子はそんなんじゃないよ、アレックス」
 マルゴーはそう言って、シルフィーの手を振り払った。アレックスはマルゴーの肩を組んで歩いていく。マルゴーはひどく暗い顔をしていた。シルフィーは彼らを追いかけようとしたが、ちょうどミレイがやってきた。
「シルフィーさま、そろそろ帰らないと、王妃様が心配なさいます」
「あ、うん」
 シルフィーはマルゴーたちが消えた方を気にしながら、王宮へ帰っていった。
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