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しおりを挟む王族の間(ま)。月の光が満ちた寝室。ベッドの上。
あいなは浅い眠りについていた。シャルの心が見えない寂しさとルイスのくれた安心感の中で、ゆらゆらと思考が揺れる。
――意識が夢に沈んだ。
そこは真っ白な雪原。古くも新しくもない牧歌的な建物の前であいなは、裸足で立っている。
(寒い……。)
さっきからずっとここで誰かを待っているのだが、あいなの求める人物は現れそうになかった。
しんしんと降り注ぐ粉雪が視界を真っ白に染めた。まるで今の自分の心みたいに無そのものの景色。
(寂しい。恐い……。寒い。私はこのままひとりなの…?)
――あいな。大丈夫?
耳に馴染(なじ)んだ親友の声が、遠くから反響している。
「あき、は…?」
「あいな…!」
目を覚ましたあいなの元には秋葉(あきは)がいた。
「起こした?シャル王子から話聞いて心配になって。魔法使いのクセに異変に気付いてあげられなくてごめんね。私、悔しい……」
「ううん、大丈夫。秋葉のせいじゃないよ」
目を覚ましたあいなを見て、秋葉は安堵(あんど)の表情を浮かべる。
これ以上周りの人達に心配をかけたくない。そう思ったあいなはひょいと上体を起こすと気合いで眠気を吹き払い、元気な笑顔を見せた。
「こっちこそ心配かけてごめんね?色々あったけど、この通り完全に復活したから!」
「無理してない?」
「してないよっ。少し眠ったらけっこう楽になったし」
まだ軽く頭痛がするし体も重たいが、責任感を感じている秋葉に対してそんなことは言えなかった。幸い室内は薄暗いので、多少顔色が悪くても気付かれないだろう。
秋葉は探るような目つきであいなの顔を覗(のぞ)き込み、
「本当に、平気?」
「平気平気っ。それより、ずっと顔見せれなくてごめんね?あの後、バロニクス城に泊まったりしてて」
「うん、それもシャル王子から聞いたよ。大変だったね」
躊躇(ためら)うように視線を泳がせ、秋葉は言った。
「つらくない?あいなが幸せならこの結婚を祝福したいと思ってる。でも、いきなりこんなことがあったからきついんじゃないかなって思って。シャル王子と結婚したら、この先も似たような目に遭(あ)うかもしれない」
「秋葉……」
深く心配してくれる秋葉を前に、あいなの胸はあたたかくなる。状況を考えたら楽観視できないかもしれないが、深く想ってくれる親友の存在を幸せに感じた。秋葉との友情があればどんな苦難も乗り越えられる。
「秋葉、本当にありがとう。思ってたよりシャルとの結婚は大変そうだけど、大丈夫。私、幸せだよ。秋葉がいてくれたらそれだけで何でも頑張れる!一人じゃないから」
「あいなは強いね。私だったらとっくに逃げ出してるかもしれない」
「私も同じだよ。見えない敵意は恐いし、嫌われるのも悲しいし、困ることもあるし、シャルにモヤモヤすることもあるし……」
目を伏せ、それでも覚悟のこもった強い眼差(まなざ)しであいなは言った。
「これは、幸せな未来を手に入れるための試練なんだと思う。これまでだって、きつい思いしながら片想いの恋頑張ってきたんだもん、これくらいでへこたれないよっ!」
「あいならしい。応援するよ、私」
前向きで明るいあいなに、秋葉は励まされた。あいなの現状を心配して消耗(しょうもう)していた心が元気になる。
「……それに、悪いのは私なんだ。今回こんな目に遭(あ)ったのも、フラフラしてた罰(ばち)が当たったんだよ」
「罰…?どうしてそう思うの?」
「私が、今の自分を理解できないから……。きっと秋葉も、こんな私を知ったら軽蔑する……よ?」
「するわけない。話してほしい。……シャル王子の様子も違ってた。何があったの?」
シャル。秋葉の口から出たその名前に、あいなの心臓は暗い音で跳(は)ねる。
「シャルのこと気になり始めてるし、結婚して二人で幸せになりたいと思った。なのに、ルイスさんのことも好きだって思う」
「別に、それは悪いことじゃないと思うよ?時間をかけて見極めれば」
「違うの、私…!」
目を固く瞑(つむ)り、あいなは罪の告白をした。
「シャルとルイスさん、二人とキスしたの。ライクじゃなくてラブだと思った。キスしたらラブかライクか分かるって秋葉は言ってくれたよね?それってこういうことなのかな!?二人のことが好きだし独占したいし、それぞれに好かれて嬉しく思うの……」
「あいな……」
「最低だよ、こんなの…!シャルとルイスさん、どっちにもいい顔して、自分がどうしたいのかも分からないし。私、変わっちゃったのかな?ずっと一途だと思ってたけど本当は超遊び人なのかも!今までとはまるで別人みたいに感じる。頭おかしいよね!?」
眉間にシワを寄せ涙をにじませるあいなを、秋葉はそっと抱きしめ、その背中を撫(な)でた。
「苦しかったよね、あいな。でも、おかしくなんかない。私、あいなのそういう所好きだよ」
「え……?」
「あいなって、昔からそうだよね。誰に対してもごまかすことなく素直で、真っ正面から向き合うの。私をいじめてきた女子に対しても、ただ責めるんじゃなくて真心を持って彼女達を説得してくれた。私の態度が悪いせいであいなのしてくれたこと無駄になっちゃったけど、あいなのそういう所を慕ってる女子は多かったよ。『強くて明るくてかっこいい』って」
抱きしめていた腕を離し、秋葉は尊敬と愛情の眼差(まなざ)しをあいなに向けた。
「昔、小学校の前で知らないおじさんが倒れてたことあったでしょ?皆はその人を恐がったり不気味に感じて悪口を言ったり、ゴミを投げつけて追い払おうとしてた。そんな中あいなはその人に『どこか痛いんですか?』って声かけてたよね。あいなが動いたおかげで先生達が駆け付けて、その人は救急車を呼んでもらうことが出来たし、適切な治療を受けて体調を直すことが出来た。
他にもあるよ。遠足の時、同じクラスの女子がお弁当忘れて困ってた時、あいなはその子に自分のお弁当半分分けてた。
困ってる人は助けてあげなきゃいけないって思っても、ヘタしたら自分が損するし、助けるのも勇気がいるし周りの目もあるから出来ないって人の方が多いけど、あいなは違った。自分の犠牲(ぎせい)とか人にどう見られるかとか全く考えず、目の前の相手が望んでることを一生懸命に考えるの。
誰にでも平等に優しくて、でも、納得できないことには流されずに立ち向かう芯の強さもあって。普通の人なら見てみぬフリしたりいい加減な対応をするような場面でも、あいなは全力でそれを解決しようとするの。そういうところいいなって思うし、あいなの優しさに何度助けられたか分からない。ずっと私の憧れだった。あいなは私の自慢の親友なんだよ」
秋葉からそんな風に思われていたなんて……。
(綺麗で、時に厳しいけど優しくて、恋愛経験もあって。そんな秋葉に憧れてたのは私の方だったんだよ。)
二股(ふたまた)と言わざるをえない現状にふつふつと自己嫌悪していたあいなの胸は感動で熱くなり、頬は涙に濡れる。
「そんなあいなが、最低な女のわけない。
シャル王子もルイスさんも、あいなのことが大好きだから正直な気持ちをぶつけてくる。あいなはただ、そんな二人と誠実にまっすぐに正直に向き合ってるだけなんだよ。いい加減な気持ちであしらうよりずっといい。その分あいな自身の負担が増してきつい時もあるかもしれないけど、いつかは決着のつくことだよ。焦(あせ)らず、心のままに決めたらいいの。あいなならきっと、自分で決められる」
秋葉の言葉が、魔法のようにあいなの体を優しく包む。痛かった胸が癒されていくようだった。
「シャルの告白も、ルイスさんの告白も、嬉しかった。今まで男子に見向きされなかった私のことすごく誉めてくれて、認めてくれて、優しくしてくれて、本気で心配してくれて。二人といる時間の価値は比べようがない。どっちもあたたかいんだ、とても……」
暗さに目が慣れ、お互いの顔がよく見えるようになった。
あいなの顔を見て秋葉はドキッとした。あいなの表情は今までにないほど柔らかく、甘(あま)やかな女性らしさがにじみ出ていたから。彼女の最大の魅力だった快活さに加え色気も感じられる。顔を合わせていないほんの短い間にガラリと変わったという印象だ。
「元から可愛くはあったけど、あいな、うんと綺麗になったね」
「綺麗じゃないよっ、全然変わってない!秋葉には負けるよ!」
身振り手振りを使ってあいなは全力で否定した。しんみりした雰囲気を一掃(いっそう)するみたいに、秋葉はイタズラな目をした。
「シャル王子とルイスさん効果?」
「違うよ~!」
みるみる顔が赤くなる。シャルやルイスと重ねた唇や抱擁(ほうよう)、言われた言葉を思い出し、あいなは全身を熱くした。
「あくまであいなの考えや気持ちを尊重するつもりだけど、私の意見も言ってみていい?」
「もちろんだよ!聞かせて?」
「私、シャル王子よりルイスさんに肩入れしてるの」
秋葉は言った。
「あの人と色々しゃべったんだけど、話してみてよく分かった。ルイスさん、私に似てるんだよね。考え方とか周りへの冷めた感情とか。周囲への期待がない分、したいことを諦め慣れてるっていうか」
「ルイスさんが?」
その話にあいなは関心を持った。これまで恋愛相談すると客観的なアドバイスをくれていた秋葉が個人的な感情を挟んで意見を述べるのも意外で、聞き入ってしまう。
「シャル王子はあいなのこと想ってるしいいと思う。でも、ルイスさんも根はかなり一途で純粋だよ。表に出てこないだけで」
(言われてみれば、二人は似てる。だから私、最初からルイスには安心できたのかな。秋葉に似てたから。)
秋葉の言葉にうなずき、あいなは言った。
「そうだね。シャルもだし、ルイスさんも、私のことすごく想ってくれてるのが伝わってくる。今まで男子に誉められたことなんてなかったのに、良いところを見つけてくれる」
秋葉の前では照れが出て、ルイスのことを呼び捨てできないあいなだった。
秋葉は柔らかく目を細める。
「性格を見て好きになってくれる人は貴重だよ、あいな」
「うん」
外見を気に入られて始まる恋愛は長続きしないと、秋葉は身をもって経験していた。中身を見てそれでも好きでいてくれる男性こそ最良だ、と。
「シャル王子とルイスさん。どっちかを振ったら後悔するかもしれないけど、どっちを選んでも幸せになれると思う。
ルイスさんには恩があるから、どうしても応援したくなった。ああいう人が好意を打ち明けるって、強い気持ちがないと無理だし……。シャル王子が好かないってワケじゃないんだけど」
秋葉は言った。
「ルイスさんのおかげで、好きな人に気持ちを伝えることができたの」
「秋葉、好きな人できたんだね!どんな人?」
身を乗り出し興味津々に尋ねる。秋葉が前の彼氏と別れたのは数週間前。彼女に新しい恋が訪れたことを知り、あいなは嬉しくなった。
「できたっていうか、昔から好きだった人なの。見込みないだろなって諦めてた相手で……」
「そんなに昔から好きだったの?小学校が同じ男子とか?」
「龍河君だよ」
「へっ?」
今、何て言ったの?目をパチパチさせ、あいなは聞き返す。
「え?龍河って、私の弟の?」
他にそんな名前の男子がいることを知らない。
「そうだよ。隠しててごめんね、あいな」
「ええ~!?いつの間にそんなことに?全然気が付かなかったよ!」
驚嘆(きょうたん)の声を上げた後、あいなは気の抜けた顔で目を丸くする。秋葉は申し訳なさげに目を伏せた。
「龍河君三つも年下だし、絶対可能性ないと思ってたから。ヘタに告白して気まずくなって、あいなとの関係までギクシャクするのが恐かった」
「そうだったんだ……。ビックリはしたけど、年の差が気になる気持ちは分かるよ」
あいなは初恋相手の大学生を思い出していた。年上過ぎて別世界の人に感じたし、告白なんて夢の夢。
それに今、自分達高校生からしたら中学生も年下過ぎて違う世界を持つ人達に感じる。
「龍河は、何て?」
「まだ信じられないんだけど、龍河君も、私のことずっと好きでいてくれたみたい」
「本当!?すごいっ!良かったね、身近でそんな展開があるなんて私も嬉しいよっ」
満面の笑みを見せつつ、あいなの心は穏やかではなかった。
(なんだか、寂しい。)
親友と弟が両想いの恋を実らせたのは嬉しい。それは間違いないのに、それを上回る寂しさが邪魔をして心から喜べなかった。
(私、二人の気持ちを全然知らなかった。龍河はいいとして、秋葉にそういう相談されたこと、一度もない……。)
自分が鈍感なせいだと自覚していても、もっとも親(ちかし)い友達に大切な恋愛を打ち明けてもらえなかったのがひどく寂しかった。
秋葉は話す。
「今まで誰かと付き合ったのは全部妥協。本気のつもりでハウツー本読んで恋愛に夢中な女のフリをしてただけだった。好きでもなければ嫌いでもないーみたいな人とばかり関わって。それがリアルな恋愛だと思ってた。別れても傷つかないし、何より気楽だったし。
正直、龍河君にどこまで想われてるのか今は自信ないし恐いの。でも、時間をかけてちゃんと向き合うつもり。初恋の相手だし、初めて本気で好きになった人だから」
今までになくしなやかでまっすぐな秋葉の物言い。あいなの頭の中で、夢で見た雪景色や肌寒さが今の状況とリンクした。秋葉の言葉が途中から耳を素通りし、呆然(ぼうぜん)としてしまう。
「あいな?大丈夫?」
「…………」
そこへ、ノックの音が響いた。
「姉ちゃん、入るよ?」
龍河の声だった。
王族の間(ま)にやってきた龍河は、寝室にやってくるなりかすかに目を見開いて驚きを表現する。
「姉ちゃん、顔変わった?」
龍河も、あいなの雰囲気の違いを感じ、そんな事を言う。
「全然変わってないよ。私なら大丈夫だから、二人とも、ゆっくりしてね」
両想いになったばかりの二人を気遣い、あいなは横になる。
「その様子なら心配なさそうだな。早く元気になってよ」
龍河は言い、引き返す。
「秋葉さん、行きましょう」
「お大事にね、あいな。また来るから」
ベッドの中から小さく手を振るあいなに振り向き、龍河は言った。
「俺、シャル王子好きだよ。姉ちゃんは?」
龍河の放った一言に、あいなの胸はギュッとなった。
(私も好きだよ。でも、恋じゃなくて友情の好きなのかもしれないし……。)
一人きりになった寝室。あいなは心の中でそうつぶやくのだった。
迷いのないシャルの足取りは彼の気持ちそのもの。ルイスを探し、最上階の展望スペースまで来てしまった。
ここであいなと眺めた景色は夜のとばりに染まって今はよく見えない。月の光が綺麗で、より気持ちが強くなる。この月光はあいなの元にも届いているだろうか。
(なかったことにできる恋なんてない。それは俺自信が一番分かっていたことなのに。)
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