17 / 19
17.左馬
しおりを挟む
「兄さん、これありがとうな」
私は鞄から小箱を取り出す。
「わざわざ持ってきたん」
姉さんが上京したときに、兄さんから言付けられた。あの小箱だ。
中には子供のこぶしほどの大きさの将棋の駒が入っていた。飾り駒だ。将棋の駒に、馬と彫られているのだが、その馬は左右逆に書かれている。諸説はあるようだが、うまを反対から読むとまう。舞うというのは、古来から縁起のいいときで、それが転じて左馬というものができたらしい。この左馬には、ちょっとした思い出がある。
小学生のとき、兄さんと私はよく二人で将棋をやっていた。地区で大会があるということで、二人揃って、小学生の部に出場したのだ。結果は私が優勝、兄さんは、三位だった。そのときの優勝商品は、名人の揮毫された色紙だった。将棋の名人の直筆の揮毫だから貴重なものである。一方、三位の兄さんの賞品が、この左馬だったのだ。当時の私は左馬の方が魅力的だった。優勝したはずの私は帰りの車の中で、兄さんの左馬が羨ましくて泣いていた。結果、兄さんは最後まで左馬をくれなかった。あの時の駒だ。
「お守りがわりにいつも持ち歩いてる」
「そっか」
「久しぶりに指すか?」
私は大学を休職中ということもあり、しばらく実家で過ごすことにした。治療中だから仕方ないのだけれど、都会で治療に専念しながら、ある意味自堕落に過ごす日々からの逃避だったのかもしれない。純粋に父さんと過ごしたかったこともある。
私と父さんの共同の闘病生活が始まることになった。
私の注射は二カ月に一度しか打てないし、薬も月単位で処方されていたので、東京へはしばらく戻らなくて済む。
毎日、バスに乗って海沿いの病院に通った。その頃には、私は杖を突かなくても、歩けるようになっていた。症状は少し緩和されたかもしれない。ただ、相変わらず、頭は右を向こうとするので、この状態に慣れただけの気がしないでもなかった。
父さんの具合がいいときは色々と会話した。不思議と私の気も休まり、首の調子さえもいい気がした。
「そういえば、父さんは何でお寺の仕事以外に歴史学者になろうと思ったん?」
「高校の教員の影響やな。歩の祖父、つまり俺の親父が新聞社に勤めよったやろ?今はネットの時代に変わってきたけど、新聞社と将棋は関わりが強いんや。今でも、将棋のタイトル戦の主催者は新聞社やけん。親父は将棋の観戦記者もやりおったし、元々、大学の将棋部の部長やったからな」
それは初耳だった。
「高校の日本史の先生がな、『松尾芭蕉と伊藤看寿を生んだ江戸時代は、それだけで意味がある』っち授業中に言った言葉が印象深くてな。人生なんて単純なもんやな。それで歴史の研究しようと思ったんよ。まぁ、結局どちらも中途半端になってしもうたな」
「やっぱり、血は争えんね。大学は将棋部やったけん。専攻は、歴史じゃないし、時代は少し違うけど近現代文学を研究しちょるからな」
「歩の方は、首の調子はどうなん?」
「そうやね。最初はエクソシストかと思うくらい首がどこまでも回ろうとしていたけど、少しずつ落ち着いてはきた。でも、軽い拷問を延々受けているみたいや。これ俺のキラーフレーズ」
「そりゃ、大変やな」と父さんが笑う。
「ううん、父さんの方が大変やろ」
これまでは、父さんと話す機会も少なくなっていた。まさかお互いが病気になったことで、父さんと会話が多くなるとは皮肉なものだ。
「お前はまだまだこれからやからな。焦らんでしっかり病気治さな」
「正直、焦ってる」
しばらく、病室に沈黙が流れた。
「焦る必要はねぇけん。あと、絶対お前は生きて、生きて、生き抜け。人間はな、正念場に立たされて、それを乗り越えたとき、きっと芯から強くなるけん」
私は「わかった」と短く答えた。
私は鞄から小箱を取り出す。
「わざわざ持ってきたん」
姉さんが上京したときに、兄さんから言付けられた。あの小箱だ。
中には子供のこぶしほどの大きさの将棋の駒が入っていた。飾り駒だ。将棋の駒に、馬と彫られているのだが、その馬は左右逆に書かれている。諸説はあるようだが、うまを反対から読むとまう。舞うというのは、古来から縁起のいいときで、それが転じて左馬というものができたらしい。この左馬には、ちょっとした思い出がある。
小学生のとき、兄さんと私はよく二人で将棋をやっていた。地区で大会があるということで、二人揃って、小学生の部に出場したのだ。結果は私が優勝、兄さんは、三位だった。そのときの優勝商品は、名人の揮毫された色紙だった。将棋の名人の直筆の揮毫だから貴重なものである。一方、三位の兄さんの賞品が、この左馬だったのだ。当時の私は左馬の方が魅力的だった。優勝したはずの私は帰りの車の中で、兄さんの左馬が羨ましくて泣いていた。結果、兄さんは最後まで左馬をくれなかった。あの時の駒だ。
「お守りがわりにいつも持ち歩いてる」
「そっか」
「久しぶりに指すか?」
私は大学を休職中ということもあり、しばらく実家で過ごすことにした。治療中だから仕方ないのだけれど、都会で治療に専念しながら、ある意味自堕落に過ごす日々からの逃避だったのかもしれない。純粋に父さんと過ごしたかったこともある。
私と父さんの共同の闘病生活が始まることになった。
私の注射は二カ月に一度しか打てないし、薬も月単位で処方されていたので、東京へはしばらく戻らなくて済む。
毎日、バスに乗って海沿いの病院に通った。その頃には、私は杖を突かなくても、歩けるようになっていた。症状は少し緩和されたかもしれない。ただ、相変わらず、頭は右を向こうとするので、この状態に慣れただけの気がしないでもなかった。
父さんの具合がいいときは色々と会話した。不思議と私の気も休まり、首の調子さえもいい気がした。
「そういえば、父さんは何でお寺の仕事以外に歴史学者になろうと思ったん?」
「高校の教員の影響やな。歩の祖父、つまり俺の親父が新聞社に勤めよったやろ?今はネットの時代に変わってきたけど、新聞社と将棋は関わりが強いんや。今でも、将棋のタイトル戦の主催者は新聞社やけん。親父は将棋の観戦記者もやりおったし、元々、大学の将棋部の部長やったからな」
それは初耳だった。
「高校の日本史の先生がな、『松尾芭蕉と伊藤看寿を生んだ江戸時代は、それだけで意味がある』っち授業中に言った言葉が印象深くてな。人生なんて単純なもんやな。それで歴史の研究しようと思ったんよ。まぁ、結局どちらも中途半端になってしもうたな」
「やっぱり、血は争えんね。大学は将棋部やったけん。専攻は、歴史じゃないし、時代は少し違うけど近現代文学を研究しちょるからな」
「歩の方は、首の調子はどうなん?」
「そうやね。最初はエクソシストかと思うくらい首がどこまでも回ろうとしていたけど、少しずつ落ち着いてはきた。でも、軽い拷問を延々受けているみたいや。これ俺のキラーフレーズ」
「そりゃ、大変やな」と父さんが笑う。
「ううん、父さんの方が大変やろ」
これまでは、父さんと話す機会も少なくなっていた。まさかお互いが病気になったことで、父さんと会話が多くなるとは皮肉なものだ。
「お前はまだまだこれからやからな。焦らんでしっかり病気治さな」
「正直、焦ってる」
しばらく、病室に沈黙が流れた。
「焦る必要はねぇけん。あと、絶対お前は生きて、生きて、生き抜け。人間はな、正念場に立たされて、それを乗り越えたとき、きっと芯から強くなるけん」
私は「わかった」と短く答えた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
秘密部 〜人々のひみつ〜
ベアりんぐ
ライト文芸
ただひたすらに過ぎてゆく日常の中で、ある出会いが、ある言葉が、いままで見てきた世界を、変えることがある。ある日一つのミスから生まれた出会いから、変な部活動に入ることになり?………ただ漠然と生きていた高校生、相葉真也の「普通」の日常が変わっていく!!非日常系日常物語、開幕です。
01
窓を開くと
とさか
青春
17才の車椅子少女ー
『生と死の狭間で、彼女は何を思うのか。』
人間1度は訪れる道。
海辺の家から、
今の想いを手紙に書きます。
※小説家になろう、カクヨムと同時投稿しています。
☆イラスト(大空めとろ様)
○ブログ→ https://ozorametoronoblog.com/
○YouTube→ https://www.youtube.com/channel/UC6-9Cjmsy3wv04Iha0VkSWg
くろぼし少年スポーツ団
紅葉
ライト文芸
甲子園で選抜高校野球を観戦した幸太は、自分も野球を始めることを決意する。勉強もスポーツも平凡な幸太は、甲子園を夢に見、かつて全国制覇を成したことで有名な地域の少年野球クラブに入る、幸太のチームメイトは親も子も個性的で……。
【完結】ある神父の恋
真守 輪
ライト文芸
大人の俺だが、イマジナリーフレンド(架空の友人)がいる。
そんな俺に、彼らはある予言をする。
それは「神父になること」と「恋をすること」
神父になりたいと思った時から、俺は、生涯独身でいるつもりだった。だからこそ、神学校に入る前に恋人とは別れたのだ。
そんな俺のところへ、人見知りの美しい少女が現れた。
何気なく俺が言ったことで、彼女は過敏に反応して、耳まで赤く染まる。
なんてことだ。
これでは、俺が小さな女の子に手出しする悪いおじさんみたいじゃないか。
ユメ/うつつ
hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。
もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。
それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。
三度目の庄司
西原衣都
ライト文芸
庄司有希の家族は複雑だ。
小学校に入学する前、両親が離婚した。
中学校に入学する前、両親が再婚した。
両親は別れたりくっついたりしている。同じ相手と再婚したのだ。
名字が大西から庄司に変わるのは二回目だ。
有希が高校三年生時、両親の関係が再びあやしくなってきた。もしかしたら、また大西になって、また庄司になるかもしれない。うんざりした有希はそんな両親に抗議すべく家出を決行した。
健全な家出だ。そこでよく知ってるのに、知らない男の子と一夏を過ごすことになった。有希はその子と話すうち、この境遇をどうでもよくなってしまった。彼も同じ境遇を引き受けた子供だったから。
タイムトラベル同好会
小松広和
ライト文芸
とある有名私立高校にあるタイムトラベル同好会。その名の通りタイムマシンを制作して過去に行くのが目的のクラブだ。だが、なぜか誰も俺のこの壮大なる夢を理解する者がいない。あえて言えば幼なじみの胡桃が付き合ってくれるくらいか。あっ、いやこれは彼女として付き合うという意味では決してない。胡桃はただの幼なじみだ。誤解をしないようにしてくれ。俺と胡桃の平凡な日常のはずが突然・・・・。
気になる方はぜひ読んでみてください。SFっぽい恋愛っぽいストーリーです。よろしくお願いします。
ボイス~常識外れの三人~
Yamato
ライト文芸
29歳の山咲 伸一と30歳の下田 晴美と同級生の尾美 悦子
会社の社員とアルバイト。
北海道の田舎から上京した伸一。
東京生まれで中小企業の社長の娘 晴美。
同じく東京生まれで美人で、スタイルのよい悦子。
伸一は、甲斐性持ち男気溢れる凡庸な風貌。
晴美は、派手で美しい外見で勝気。
悦子はモデルのような顔とスタイルで、遊んでる男は多数いる。
伸一の勤める会社にアルバイトとして入ってきた二人。
晴美は伸一と東京駅でケンカした相手。
最悪な出会いで嫌悪感しかなかった。
しかし、友人の尾美 悦子は伸一に興味を抱く。
それまで遊んでいた悦子は、伸一によって初めて自分が求めていた男性だと知りのめり込む。
一方で、晴美は遊び人である影山 時弘に引っ掛かり、身体だけでなく心もボロボロにされた。
悦子は、晴美をなんとか救おうと試みるが時弘の巧みな話術で挫折する。
伸一の手助けを借りて、なんとか引き離したが晴美は今度は伸一に心を寄せるようになる。
それを知った悦子は晴美と敵対するようになり、伸一の傍を離れないようになった。
絶対に譲らない二人。しかし、どこかで悲しむ心もあった。
どちらかに決めてほしい二人の問い詰めに、伸一は人を愛せない過去の事情により答えられないと話す。
それを知った悦子は驚きの提案を二人にする。
三人の想いはどうなるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる