ネジバナ

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9.あっち向いてホイ

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 お見舞いには、先ちゃんと奥さんの伊織さん、三歳になる息子の翔平くんがやって来た。
 先ちゃんは私の高校の同級生で、数少ない上京組だ。進学で上京してきた同級生はもっといたが、この年齢なると、地元に帰っていくものも少なくない。
 先ちゃんは私とは全くタイプが違う。豪放磊落な性格で体型も私の倍くらいありそうだ。結婚してからは益々太った気がする。高校時代から戦略家で、わざわざ九州の田舎から東京の大学に進学した理由も明確だ。将来は、世界をまたにかけた仕事がしたい、そのためにはまず日本の政治と経済の中心である東京で学びたいんだ、と教えてくれた。実際、大学では政治・経済を学び、在学中には留学もして、あの時の言葉通り世界を駆け巡っている。
「この病気ってけっこう多いんだな。俺もスマホで色々調べてみた。認知度は低いけど、意外に患者多くて驚いたよ。芸能人とか有名人にもなった人いるみたいだし。症状も首以外にもあるようだな」
「僕の場合は、見てのとおり首なんだけど、脳が常に右を向けと指令を出しているらしい。眠っている時以外、ずっとこんな感じ」
 曲がった首のまま、視線だけを先ちゃんに向ける。
「奇病やな。どんな感じなん?見た目はわかりやすいけど、痛かったりするん?」
「毎日、軽い拷問を受け続けているような感じかな?直接的な痛みはないんやけど、右ばっかり向いてるから、変な筋肉使っちょるんやろうな。あちこち筋肉痛」
「そうか……。治療は?」
「二ヶ月に一回、ボトックス注射っていって、ボツリヌス菌を打つ」
「ボツリヌス菌?ハチミツに入っているやつかな?」先ちゃんの妻の伊織さんが言う。
「そうです。そうです」文恵さんが応えた。
「小さい子にハチミツを食べさせたら駄目だっていうものね。この子も一歳まではハチミツは食べさせてない。ボツリヌス菌って毒なんですかね」
「毒をもって毒を制する感じなのかな」私が笑って応える。
「毎日、退屈やろ?音楽聴くくらいしかできないんやもんな」
「歩さん、アロマなんてどうかしら?匂いも楽しめるんじゃないかしら?」
 伊織さんが言った。
「確かに嗅覚もいけますね。盲点でした」
「まだ、インフルエンザも流行ってるじゃないですか?ティーツリーのアロマオイルには殺菌作用もあるらしいわよ。だから、私もインフルエンザとか風邪の予防で使ってるのよ。まだ家にたくさんあるから送ってあげますよ。香りがきついから、ベルガモットも垂らして緩和させるとちょうどいいかもしれません」
「ママ、何か食べたい」
 先程まで、絵本を眺めていた翔平くんが急に言った。
「ケーキ食べようか。柏餅もあるよ」
 文恵さんがチョコレートケーキを翔平くんに出すと、彼はケーキを食べあげ、そのあとに柏餅もペロリと平らげた。食欲も親譲りのようだ。
「何でずっとこっち向いてるの?」
 翔平くんが私を右手で指差す。
「右しか向けないんだ。そういう病気なんだよ」私は優しく声をかける。
 翔平くんは「ふーん」と言いながら何かを考えているようだ。
「じゃあ、あっち向いてホイしようよ」
 翔平くんが無邪気に言った。
「翔ちゃん、そういう事を言わないの!」伊織さんが諭す。
「いいんですよ。翔平くん賢いなあ」
 私は思わず大声で笑っていた。
 その日はよく笑った。久しぶりに大笑いした。
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