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54・契約更新
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ところが。
「家政婦やめるのをやめました」と伝えると、光太郎はあっさり承諾した。
「え、いいんですか?」
「契約更新しようじゃないか」
わたしには洋太郎の頼みを本気で引き受ける気はなかった。
契約解除を言い渡されて「やっぱり無理でした!てへ」って報告すれば、あの過保護な兄もあきらめてくれると思っていたのだ。
なのに。
予想外の返答に言葉がすぐに出てこなかった。
「自分から申し出ておいて、何を驚いているんだ」
「よく考えました?本当にそれでいいんですか?今後わたしが働き続けた場合、困ることありませんか?」
「困る?なにが?」
「いや、ほら、独身に戻ったことですし…新たな出会いを求めたくなったりとかしたときにですね、わたしがここで働いていたらまずいというか、相手の方にも迷惑なのではないのかなと」
「何を言ってるんだ」
光太郎はむっとした顔でわたしを見た。
「これまで通り働いてもらえれば文句はない」
「そりゃもちろんそうしますけど…あっ、だったらわたしアパート借ります。引っ越し代も貯まりましたし、通いの家政婦なら急なお客様とも鉢合わせしないで済むと思います」
「だめだ」
光太郎はわたしの提案をきっぱり拒否した。
「ええ、どうしてですか?」
「どうしてってそれは…」
光太郎は一瞬言葉に詰まってうつむいた。
しかしすぐに顔を上げてすらすら理由を述べ始めた。
「例えば…そうだ、必要なとき君にはいてもらわないと困る。給料分はしっかり働いてほしい。すでに理解していると思うが仕事の予定は急に入ることも多い。柔軟かつ臨機応変に対応するには、住み込みがいちばんだ。どうしても通いを希望するというなら、この近所に部屋を借りることが条件だ」
「近所、ですか?」
わたしは頭の中で毎月払える家賃の上限を計算した。
果たしてこの高級住宅街に、わたしが住める賃貸アパートがあるだろうか?
光太郎はわたしの考えを見透かすように言葉を続ける。
「このあたりの家賃はワンルームでも高い。君は無駄な出費を望まないだろう?ここに住んで働けば、家賃光熱費食費全部タダだ。俺の蔵書は読み放題、テレビも映画も見放題。ああそうだ、実は衛星放送の契約チャンネルをいくつか増やしたいと思っているんだが、君の意見を聞かせてほしい」
言い終えた光太郎は、勝ち誇ったようにわたしの顔をのぞきこんだ。
「うぐ…」
やはりここは最高の職場だ。
思わず「話題のオリジナルドラマもチェックしたいなら、ネットの動画配信サービスもいいですよね!」と口走るところだった。
違うのだ。
わたしが主に心配しているのは、なんていうかその。
光太郎はわたしをじっと見つめた後で、ふっと笑った。
「安心しろ、女性を連れ込んだりはしない」
「そんな心配してません!」
「そうなのか?」
いや、図星だった。
最大の気がかりはそこなのだ。
たぶんこの家で寝起きしたら、いつか光太郎と希さんが一緒にいる場面に居合わせるのではないかと思ったのだ。
それを考えるとなぜか気持ちが沈む。
光太郎はそんなこと気にもしないのだろう。
落ち着かない気持ちになるのはわたしだけのようだ。
それもまた気まずい。
うつむいて黙っていたら、同意したのだと思われた。
「では契約更新だな。何か要望、質問はあるか?」
「…いいえ」
「では今後もよろしく」
「よろしくお願いします」
覚悟を決めた。
光太郎が気にしていないというのなら、わたしも気にしていないふりをして、もうしばらくここで甘えさせてもらおう。
返事を聞いた光太郎は「ジムへ行ってくるので、あとは頼む」とわたしに告げた。
玄関で見送ると一度しまりかけたドアから光太郎が顔を見せて言った。
「そうだ」
「はい?」
「勝手にどこへも行かないように」
「行きませんよ」
「ならいい」
光太郎は満足そうに頷いて出ていった。
ぱたんと閉じたドアの前で、今日した自分の判断に後悔することがあるなら、それはできるだけ先がいいなとわたしは思った。
「家政婦やめるのをやめました」と伝えると、光太郎はあっさり承諾した。
「え、いいんですか?」
「契約更新しようじゃないか」
わたしには洋太郎の頼みを本気で引き受ける気はなかった。
契約解除を言い渡されて「やっぱり無理でした!てへ」って報告すれば、あの過保護な兄もあきらめてくれると思っていたのだ。
なのに。
予想外の返答に言葉がすぐに出てこなかった。
「自分から申し出ておいて、何を驚いているんだ」
「よく考えました?本当にそれでいいんですか?今後わたしが働き続けた場合、困ることありませんか?」
「困る?なにが?」
「いや、ほら、独身に戻ったことですし…新たな出会いを求めたくなったりとかしたときにですね、わたしがここで働いていたらまずいというか、相手の方にも迷惑なのではないのかなと」
「何を言ってるんだ」
光太郎はむっとした顔でわたしを見た。
「これまで通り働いてもらえれば文句はない」
「そりゃもちろんそうしますけど…あっ、だったらわたしアパート借ります。引っ越し代も貯まりましたし、通いの家政婦なら急なお客様とも鉢合わせしないで済むと思います」
「だめだ」
光太郎はわたしの提案をきっぱり拒否した。
「ええ、どうしてですか?」
「どうしてってそれは…」
光太郎は一瞬言葉に詰まってうつむいた。
しかしすぐに顔を上げてすらすら理由を述べ始めた。
「例えば…そうだ、必要なとき君にはいてもらわないと困る。給料分はしっかり働いてほしい。すでに理解していると思うが仕事の予定は急に入ることも多い。柔軟かつ臨機応変に対応するには、住み込みがいちばんだ。どうしても通いを希望するというなら、この近所に部屋を借りることが条件だ」
「近所、ですか?」
わたしは頭の中で毎月払える家賃の上限を計算した。
果たしてこの高級住宅街に、わたしが住める賃貸アパートがあるだろうか?
光太郎はわたしの考えを見透かすように言葉を続ける。
「このあたりの家賃はワンルームでも高い。君は無駄な出費を望まないだろう?ここに住んで働けば、家賃光熱費食費全部タダだ。俺の蔵書は読み放題、テレビも映画も見放題。ああそうだ、実は衛星放送の契約チャンネルをいくつか増やしたいと思っているんだが、君の意見を聞かせてほしい」
言い終えた光太郎は、勝ち誇ったようにわたしの顔をのぞきこんだ。
「うぐ…」
やはりここは最高の職場だ。
思わず「話題のオリジナルドラマもチェックしたいなら、ネットの動画配信サービスもいいですよね!」と口走るところだった。
違うのだ。
わたしが主に心配しているのは、なんていうかその。
光太郎はわたしをじっと見つめた後で、ふっと笑った。
「安心しろ、女性を連れ込んだりはしない」
「そんな心配してません!」
「そうなのか?」
いや、図星だった。
最大の気がかりはそこなのだ。
たぶんこの家で寝起きしたら、いつか光太郎と希さんが一緒にいる場面に居合わせるのではないかと思ったのだ。
それを考えるとなぜか気持ちが沈む。
光太郎はそんなこと気にもしないのだろう。
落ち着かない気持ちになるのはわたしだけのようだ。
それもまた気まずい。
うつむいて黙っていたら、同意したのだと思われた。
「では契約更新だな。何か要望、質問はあるか?」
「…いいえ」
「では今後もよろしく」
「よろしくお願いします」
覚悟を決めた。
光太郎が気にしていないというのなら、わたしも気にしていないふりをして、もうしばらくここで甘えさせてもらおう。
返事を聞いた光太郎は「ジムへ行ってくるので、あとは頼む」とわたしに告げた。
玄関で見送ると一度しまりかけたドアから光太郎が顔を見せて言った。
「そうだ」
「はい?」
「勝手にどこへも行かないように」
「行きませんよ」
「ならいい」
光太郎は満足そうに頷いて出ていった。
ぱたんと閉じたドアの前で、今日した自分の判断に後悔することがあるなら、それはできるだけ先がいいなとわたしは思った。
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