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最終章 さよならを言う前に

第39話 代償

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 哉太への宣言通り、目を覚ました翌日には布団から起き上がることができた。組織の者たちに礼を告げ、由美は外に出る。優子は出かけており、結衣は一時的に帰宅しているそうだ。

「うぅー」
 
 朝の冷えた空気を肌に感じ、由美は軽く身を震わせた。やはり冬は苦手だ。
 肩を縮こませながら、借りたコートの襟元をきつく合わせる。戦いの直後、幕森大社にある詰め所まで運び込まれたため、着替える服がなかったのだ。とりあえずは家に帰り、風呂に入りたい。手首を嗅いでみるが、さして臭いはしない。それでも気になって仕方ないのが、恋心というものだ。
 
「あれ、由美。もういいの?」

 境内を一人歩いていると、紙袋を持った結衣と出くわした。仮眠をとったのか、少しは疲れがとれているようにも見える。朝から出歩いている由美に驚いている様子だ。

「うん、あまり寝ていても逆に疲れちゃって」
「よかった、安心したよ」
「明日には学校行けるかな」
「無理はしないでね。あーでも、これ無駄になっちゃった」

 結衣が紙袋を振って見せる。中を軽く覗くと、由美の私服が入っていた。義姉の気遣いを嬉しく思うと同時に、結果的にそれを無為にしてしまったことに申し訳なさも感じる。

「ありがとうね。持って帰るよ」
「今日は家にいる?」
「紗奈子のお見舞いに行こうと思って。……哉太が帰ってきたらだけど」
 
 気にすることはないとわかってはいても、結衣の前で哉太の名を呼ぶことには躊躇いを隠せない。自分の想いに気付き、それをどさくさ紛れに告げてしまったことも、罪悪感に拍車をかけていた。

「そういえば、由美はいつの間に哉太君と仲良くなったの?」
「え?」
「ほら、目が覚めた時から名前で呼んでるし」
「え、前から……だけど」
「あれ、そうだっけ? まぁ、代人同士で仲良しなのはいいことだよ。若い二人だし。なんちゃって」

 おどける結衣の表情に、由美は大きな違和感を覚えた。あの夜の出来事を、こんなに簡単に乗り越えられるものだろうか。仮に乗り越えたとしても、この冗談は質が悪い。由美の知る結衣は、こんな悪趣味なことを口にする女性ではない。

「結衣姉さん、どうしたの?」
「ん? なにが?」
「哉太の事、そんなに軽く」
「えっと、どういうこと?」

 由美の剣幕にたじろぐ結衣は、その真意を理解していないようだった。まるで記憶を失っているとすら感じられる。由美は自身の想像に戦慄した。そう、記憶だ。

「あのね、結衣姉さん、哉太とデートしたことある?」
「え? ないない。なんだ、そんなこと気にしてたの?」

 笑顔で否定する結衣。その優しげな表情は、義妹を応援するという意図しか見えない。

「大丈夫よ。ちょいちょいそんな視線は感じるけど、由美と同い年だし、弟みたいなものだから」
「そっか」
「うんうん、協力できることがあったら言ってね」
「うん、ありがとうね。じゃぁ、また後で」

 哉太は忘れられつつある。由美だからこそ確信できることだ。それ以上問い詰めることをやめ、無理に笑顔を作って結衣へ向けて手を振った。
 哉太はこの事実を知っているのだろうか。想定できる原因はふたつ。どちらかは本人に聞いてみないと断定できないことだ。とにかく、彼が学校から戻ってくる前に身支度は終えておきたい。酷く重さを感じる足を早め、由美は家路を急いだ。

 久しぶりの我が家で風呂にゆったりと浸かり、簡単な食事をとる。その頃には、哉太が帰宅してもおかしくない時間になっていた。
 ドアの開閉音がリビングにまで届く。心の準備はできたはずだ。由美は早まる鼓動を落ち着けるのに必死だった。

「お、由美帰ってたんだな」
「うん、お帰り」
「ただいま。もう大丈夫?」
「うん、もう動けるよ」
「病院行くんだよな? 着替えてくるからちょっと待ってて」
 
 はにかんだ哉太の顔が眩しく見える。だが、些細な幸せを感じている場合ではなかった。由美には確かめなければならないことがある。自室に向かう哉太を眺めつつ、意識的に大きく息をついた。
 数分後、制服から私服に着替えた哉太が姿を見せる。スウェットにジーンズという簡単な服装だが、長身でがっしりした体型にはよく似合っていた。
 
「お待たせ。行くか」
「その前に、少し話をさせて」
「ん? いいけど」

 顔に疑問符を浮かべながら、哉太は由美の向かいに座る。回りくどい言い方をする精神的な余裕はない。直接はっきりと、話をすることしかできなかった。

「結衣姉さん、哉太とのデートを覚えてなかったよ」
「え?」
「私が哉太を名前で呼んでいるのにもびっくりしてた」
「……そうか」

 由美の言葉で、ある程度察したようだ。哉太はテーブルに肘をつき、頭を抱える。

「どっちだと思う? あの人か《操》か」

 問いに対し、哉太はしばらく考えるそぶりを見せた。
 組織の者たちが哉太の言葉を信じなかったこと。戦いの中で《操》が使われた事実を由美が認識していないこと。そして、結衣が哉太と自分の想いを覚えていなかったこと。全てが繋がっているような気がしていた。
 
 代人は力を限界以上に使えば、その存在を失うのだ。
 
「たぶん《操》だろうな……」

 由美は返す言葉が見つからなかった。危険とわかっていながら、哉太と共に《操》を扱う訓練をした。実戦で使ったのならば、その時の由美は同意をしたはずだ。ならば、哉太がこうなってしまった要因は自分にもある。それは、哉太が消えてしまうように仕向けたことと同義だ。

「初めてだったし、加減が難しかっただけだよ。次はもっとちゃんと」
「だめだよ!」

 自分でも驚くほどの強さで、由美はテーブルを叩いた。わざと軽い口調で話す哉太を認めては、九ヶ月前と同じ事態になってしまう。あの時と同じ、いや、それ以上の絶望など味わいたくはない。

「由美……」
「お願い、もう《操》はやめよう」
「いや、それは無理だろ」
「ううん、大丈夫。なんとかやれるよ。さ、病院行こ」
「おい由美」

 由美は哉太の制止を聞き入れず、立ち上がり背を向けた。泣いているところなど、見られたくなかった。

 紗奈子と誠が入院する病院に到着するまでには、なんとか涙も止められた。哉太は無言のまま由美に着いてきてくれている。親友の顔を見れば、少しは気持ちも落ち着くだろう。そんな魂胆もあった。
 受付で面会の手続きをし、指定された病室へと向かう。組織のはたらきかけなのか、個室が割り当てられていた。ノックをすると「はーい」という返事がある。いつも通りの快活さに、由美は安堵した。

「紗奈子、調子はどう? シュークリーム買ってきたよー」
「山根さん、こんにちは」
「いらっしゃい由美! 退屈だったから助かったよ」

 ベッドの上で、紗奈子がにこやかな顔を見せる。首についたあざが痛々しいが、元気そうだった。

「って、あれ、そちらは転校生の霧崎君だね?」
「え?」
「由美、いつの間に仲良くなったのよ? 同伴なんて隅に置けなくて、とってもいいと思うぞ」

 由美の体から力が抜ける。シュークリームの箱が、床へと落ちた。
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