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第2章 記憶と相棒

第13話 奇襲

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 思考より先に身体が反応した。矢を構えたまま、力を使い強引に体の方向を反転する。

「なっ……」

 由美は驚きのあまり、右指の力を抜いてしまった。結果的にそれが彼女の命を救うことになる。
 目前には、右肩に矢の刺さった荒魂。殴りかかる寸前だったようで、拳が高く振り上げられていた。目測ではあるが、由美の身長と概ね同等の大きさをしている。これまでの荒魂よりもかなり小型だ。
 矢を受けた荒魂はその姿勢のまま地面へと落下していく。由美は自身の降下速度を緩めつつ、もう一方の荒魂に注意を向けた。幸いにも、まだこちらに気付いている様子はなさそうだ。

「どういうこと?」

 周囲への警戒を強めながら、哉太に問う。彼の指示や能力を疑ったわけではない。前回の件も含め、何か別の事態が動き出したのではないだろうか。由美だけではなく、哉太や結衣たち組織の人間もそう考えているはずだ。

『兆候はなかった。突然だった』
「そう、助かった。ありがとう」
『うん、でも油断するなよ』
「わかってる」

 兆候もなく突然現れるのであれば、事前の対処はほぼ不可能だ。周囲全てを監視する必要がある空中に留まるのは、あまりにも危険な行為となってしまう。それに、撃ち落としたとはいえ小型の荒魂は得体が知れない。早めに核を破壊してしまいたい。

「まずは、小さいのをやるよ」
『今のところ周囲に反応はない。やってくれ』

 由美は刀を手にし、一直線に小型荒魂へ向かった。目標は既に体勢を立て直し、逃走するような動きを見せている。連続する意外な事態に、由美は目を見開いた。

「荒魂が、逃げる?」
『知恵があるのかもな』
 
 荒魂とは、人を襲う化け物。人間に近い形状をしていても意思や理性はなく、ただただ本能に従い人の存在を喰う。由美はそう教えられてきた。

「まさか、そんな」
『事実は、事実だな。対策と対応が先だ』
「うん、そうだね」
 
 しかし、腕を投げる、逃走するといった行動を見てしまえば、これまでの常識が通用しなくなったことは事実として受け入れなければならない。呆けている余裕など、どこにもないのだ。哉太の冷静な言葉が由美にはありがたかった。
 肩の傷と落下の衝撃が癒えていないのか、動きは遅い。落下地点を修正すれば、そのまま強襲は可能だ。

『もう一体も動き出した。急いでくれ』
「任せて」

 言葉と同様、哉太から送られてくる位置情報でも通常サイズの荒魂が移動を始めたことがわかる。駅方面へと向かう前に、あちらも処理したい。
 目の前に地表と小型荒魂の背中が迫る。由美は刀を上段に構えた。

「はぁっ!」

 さしたる抵抗もなく、頭頂部から縦一文字に刀を振り抜いた。由美は内心で舌打ちをした。若干ずれてしまったのだ。

「ふっ!」

 抵抗がないということは、核もないという事だ。荒魂の核は、人間でいう心臓の部分にある。身体の中心で両断すると、個体差により核が傷つかない場合があるのだ。
 由美は着地した体勢のまま《動》で強引に自身の体を持ち上げ、刀を左から右に薙いだ。核を割る感触が、手に伝わった。
 今度こそ終わりだ。十文字に切り裂かれた異形が、跡形もなく消滅した。

「次!」
『警戒しながら進めよ。また突然現れるかもしれない』
「うん」
 
 焦る気持ちを哉太が引き留める。高速で移動すれば周囲の監視がおろそかになりかねない。由美は民家の塀を背にしつつ、荒魂の元へと向かった。その間に人が襲われないことを願うだけだった。
 
『大丈夫だ、今のところ人通りはない』
「ありがとう」
『気にするな』

 伝わって来る位置情報でも、通行人と荒魂に距離があることがわかる。由美は自分が平静を欠いていることを自覚した。同時に、初陣でもこの発言ができる哉太を尊敬した。

『そろそろ見えるはずだ』
「見えた」
 
 移動時間は二分以下だったと思う。それでも由美の精神を削るには充分な時間だ。力を使う限界がきてしまう。由美自身もだが、哉太も同様だ。結衣が付いているとはいえ、かなりのオーバーワークであるはずだ。

『矢辻に気付いている様子はないけど、どう?』
「うん、そちらの認識と同じ」
『また突然出てくるかもしれないけど、ここは一気に行こう』
「大丈夫」
 
 由美は薙刀を造りだし、荒魂に向け地面を蹴った。可能な限り最速で仕留める。
 荒魂はまだ由美を認識していない。これならば一振りで終わらせることができるだろう。

「ふうっ!」

 二メートル超の背中に対し、左肩口から右脇腹に向けて薙刀を振り下ろす。斜めに分断される巨体を見つつ、由美は戦慄した。手ごたえがない。
 二つに分かれた荒魂のどちらに核があるのか見極めねばならない。「どっちだ?」と小さく呟いた由美は、一瞬だけ動きを止めてしまっていた。

『下半身だ!』

 哉太の意思と荒魂の後ろ蹴り。それらが由美に放たれたのはほぼ同時だった。
 
「ぐっ!」

 身を捩り、辛うじて丸太のような足を避ける。狙いを付けていない苦し紛れのような攻撃だったのが幸いした。
 回避した勢いを殺さずに回転し、薙刀を刀に変化させた。そのまま、荒魂に残された左脇腹から斜めに切り上げる。今度こそ手ごたえ。核は、通常の荒魂よりもかなり左側にずれた位置だった。

「か……はぁ、はっ……」
『矢辻、大丈夫か? 話さなくていい、思考だけで』
「ふぅ……はぁ……」
 
 息が荒くなり、脂汗が噴き出る。極度の緊張から解放された由美は、立っているのがやっとだった。周囲に気を配る余裕など、そこにはなかった。手から刀は消え、無理に動かした膝は震えが止まらない。
 ここで油断してはいけないことはわかっている。焦る哉太の感覚も理解できる。だからこそ、少しでも早く息を整える必要があった。

「うん……なんと」
『矢辻、しゃがめ!』

 多少は呼吸が落ち着き、返事をする余裕ができた時だった。跳躍していた時と同様に、哉太の絶叫のような意思が届いた。
 由美は反射的に膝を折り曲げる。直後、頭上を何かが通り過ぎて行った。それと同時に、由美の頭と首に激痛と衝撃が走る。状況はすぐに理解できた。
 突如出現した小型荒魂の腕が伸びている。その先にあるのは……。

『矢辻!』

 由美の後頭部で括った髪を、小型の荒魂が掴んでいる。由美の体を無理やりに持ち上げたその顔は、歪んだ笑みを浮かべているように見えた。
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