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第2章 記憶と相棒
第12話 実戦
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少しだけ風が冷たい。未だ夏の名残を思わせる夜ではあるが、徐々に季節が変わってきたことを告げるようだった。
いつもと同じビルの屋上で、由美は夜空を見上げた。月明かりはなく、星が微かに瞬いている。
命を懸ける時間はいつ来てもおかしくない。瞼は開いたまま、左耳に意識を集中させた。
『待機、続けて』
「了解、霧崎君は?」
『今のところ問題ないわ』
「そう」
インカムからの定時連絡は、結衣の声だ。今回から参加する哉太により、常時《調》での探査が続けられている。
負担を少しでも軽減するため、荒魂が現れるまでの連絡は従来通りのインカム経由で行われる算段だ。
後衛は代々、幕森大社の境内にて力を発動している。ある程度の高所に所在することと、詰所が近く常に誰かが同席できることが理由だ。
哉太の存在を保証しているのは、現場指揮を執る結衣だ。担当が決まった際、彼にとっては願ったり叶ったりだろうと由美は苦笑した。
時刻は既に午後九時を回っていた。これまでになく、荒魂の出現が遅い。由美は明確に言葉にならない違和感を覚えていた。
見下ろす街は明るく、人々は絶えることなく歩き続けている。このまま現れないで今夜が終わればどれほど良いだろうか。
『由美、兆候よ』
「はい」
由美のささやかな希望は、脆くも崩れさる。結果として残ったのは奇妙な違和感だけだった。
『哉太君に替わるからね』
「了解」
通信が切れるノイズの直後、由美の中に《伝》の感覚が入ってきた。ここまでは訓練と同じだ。二人の代人は思考の一部分を共有する。
『今のところ一体だ』
「了解」
普段の哉太よりも、話し方が硬い。初めての実戦に緊張しているのだろう。
「大丈夫?」
『ああ、何とか。結衣さんもいるしな』
「あ、そ」
心配して損をしたとは思わない。彼なりに通常の自分でいようと必死なのだ。その相手に結衣を選ぶあたりが哉太らしい。
それでも、意図せず冷たい言い方になってしまうのは、仕方のないこととしてほしい。
『位置、送るぞ』
「了解」
《調》にて感知した兆候の位置情報を、《伝》にて共有される。由美の頭の中には、周囲の地形と目標の場所が感覚的に浮かんでいた。
駅から少し離れた繁華街の裏通り、人通りが少ない場所なのは幸いだ。ただし、前回と同じく、時間差の出現を想定する必要がある。油断は禁物だ。
『時間はまだあるけど、行けるか?』
「うん、先行する」
訓練ではかなりの正確さであっても、実際には初めてだ。哉太の予想が外れる可能性もある。
実体化するのを待つつもりで、由美は屋上から肢体を投げた。長い髪の揺れを、結った後頭部が感じていた。
狭い路地まで入っていけるほどには落下地点の調整はできない。無理をしてビルの壁に激突でもすれば、後々の隠蔽が大変になる。大事をとった由美は人と人の隙間に着地し、すぐにその場を駆け抜けた。
「見えた」
街灯の明かりもほとんど届かない薄闇の中、荒魂の兆候だけはぼんやり青白く光って見えた。経験上、実体化までには数分程度かかるはずだ。現れたらすぐに斬りかかれるよう、刀を造り構える。
「他には?」
『まだそれだけだ』
「了解」
由美の顎から滴った汗が、道着の下にある谷間へと吸い込まれた。硬めの運動用下着で固定しているものの、邪魔に感じる時が多い。
学校でも無遠慮に見つめられるそれは、由美が自分を好ましく思わない理由のひとつだった。
そういえば、哉太とは一緒に暮らしていても視線を感じたことはなかった。気遣いなのか興味がないのか判断はできないが、気を張る必要がないのは嬉しいことだと思う。
『そろそろだ』
哉太の緊迫した意思が、由美の思考を中断させた。もしかしたら、部分的に伝わっていたのかもしれない。この場での恥じらいは捨て、標的に意識を集中させる。
「いくよ」
『ああ』
脚部に集めた力により、由美は弾かれたように飛び出す。実体化した瞬間を狙い、仄かに煌めく刀を振り上げた。
肩から斜めに刃が通り過ぎていく。肉を斬るような感触はない。水中に棒を入れたような、僅かな抵抗が腕に伝わるのみ。まだ料理をしている時の方が、何かを切っている気分になるくらいだ。
胸のあたりに行き着くと、何か固いものが割れたような手応えがある。これが核だ。
「手応えあり」
『こちらでも確認した』
路地裏に現れた荒魂は、由美へ振り向くことなく塵のように消滅した。手放した刀も、同様に虚空へと消えた。
『次も来たぞ』
「了解」
短いやり取りの後、位置情報が示される。今度は線路を挟んだ駅の反対側だ。
駅の裏と評される地区は、店舗は少なくほとんどが民家だ。帰宅する人々の姿はあるが、表側ほどの人通りはない。早めに処理できさえすれば、人の被害は出さずに済むだろう。
「遠いね」
『急げば間に合うか、ギリギリくらい』
「了解」
『跳ぶなよ』
「わかってる」
跳躍での移動は危険が増す。前回は辛うじて回避できたが、毎度上手くいくとは限らない。今回からは、多少の時間がかかっても地を走ると決められていた。
ビルの隙間を回り込み、通行人の隙間をすり抜ける。加減速と急旋回の繰り返しは、繊細な力の行使を必要とした。掠る程度でも接触すれば大惨事となる速さだ。それでも由美は、速度を緩める気はなかった。
「線路は跳ぶよ」
『死角を送る』
「了解」
哉太から最適な経路が示される。そこを通れば、仮に荒魂が実体化したとしても腕は飛来しない。
線路の手前、由美は《動》の力を脚に込め踏み切った。ちょうど通過した電車を見下ろしながら、風を切る。頭の後ろで長い髪がなびいた。
『そろそろだ、準備を』
「うん」
言語でも感覚的からも、荒魂の実体化が間近だと確認できる。先程のような奇襲はできないだろう。由美は真っ向から戦うことを覚悟した。
『気付いていない、腕はなさそうだ。弓矢、いけるか?』
「うん、いける」
『軌跡の指示はこちらから出す。設定はよろしく』
「了解」
哉太の合図を受け、由美は再度軽く跳躍した。人気のない路地に立つ荒魂の姿が視認できる。まずは矢を放ち、こちらに注意を向ける。不意の通行人の被害を防ぐ意図だ。
由美は造りだした弓を構えた。狙いをつけ、弦を引き絞る。同時に《動》を使い、矢の軌跡を設定した。
『矢辻! 後ろだ!』
絶叫に近い哉太の意思が由美の頭にこだました。
いつもと同じビルの屋上で、由美は夜空を見上げた。月明かりはなく、星が微かに瞬いている。
命を懸ける時間はいつ来てもおかしくない。瞼は開いたまま、左耳に意識を集中させた。
『待機、続けて』
「了解、霧崎君は?」
『今のところ問題ないわ』
「そう」
インカムからの定時連絡は、結衣の声だ。今回から参加する哉太により、常時《調》での探査が続けられている。
負担を少しでも軽減するため、荒魂が現れるまでの連絡は従来通りのインカム経由で行われる算段だ。
後衛は代々、幕森大社の境内にて力を発動している。ある程度の高所に所在することと、詰所が近く常に誰かが同席できることが理由だ。
哉太の存在を保証しているのは、現場指揮を執る結衣だ。担当が決まった際、彼にとっては願ったり叶ったりだろうと由美は苦笑した。
時刻は既に午後九時を回っていた。これまでになく、荒魂の出現が遅い。由美は明確に言葉にならない違和感を覚えていた。
見下ろす街は明るく、人々は絶えることなく歩き続けている。このまま現れないで今夜が終わればどれほど良いだろうか。
『由美、兆候よ』
「はい」
由美のささやかな希望は、脆くも崩れさる。結果として残ったのは奇妙な違和感だけだった。
『哉太君に替わるからね』
「了解」
通信が切れるノイズの直後、由美の中に《伝》の感覚が入ってきた。ここまでは訓練と同じだ。二人の代人は思考の一部分を共有する。
『今のところ一体だ』
「了解」
普段の哉太よりも、話し方が硬い。初めての実戦に緊張しているのだろう。
「大丈夫?」
『ああ、何とか。結衣さんもいるしな』
「あ、そ」
心配して損をしたとは思わない。彼なりに通常の自分でいようと必死なのだ。その相手に結衣を選ぶあたりが哉太らしい。
それでも、意図せず冷たい言い方になってしまうのは、仕方のないこととしてほしい。
『位置、送るぞ』
「了解」
《調》にて感知した兆候の位置情報を、《伝》にて共有される。由美の頭の中には、周囲の地形と目標の場所が感覚的に浮かんでいた。
駅から少し離れた繁華街の裏通り、人通りが少ない場所なのは幸いだ。ただし、前回と同じく、時間差の出現を想定する必要がある。油断は禁物だ。
『時間はまだあるけど、行けるか?』
「うん、先行する」
訓練ではかなりの正確さであっても、実際には初めてだ。哉太の予想が外れる可能性もある。
実体化するのを待つつもりで、由美は屋上から肢体を投げた。長い髪の揺れを、結った後頭部が感じていた。
狭い路地まで入っていけるほどには落下地点の調整はできない。無理をしてビルの壁に激突でもすれば、後々の隠蔽が大変になる。大事をとった由美は人と人の隙間に着地し、すぐにその場を駆け抜けた。
「見えた」
街灯の明かりもほとんど届かない薄闇の中、荒魂の兆候だけはぼんやり青白く光って見えた。経験上、実体化までには数分程度かかるはずだ。現れたらすぐに斬りかかれるよう、刀を造り構える。
「他には?」
『まだそれだけだ』
「了解」
由美の顎から滴った汗が、道着の下にある谷間へと吸い込まれた。硬めの運動用下着で固定しているものの、邪魔に感じる時が多い。
学校でも無遠慮に見つめられるそれは、由美が自分を好ましく思わない理由のひとつだった。
そういえば、哉太とは一緒に暮らしていても視線を感じたことはなかった。気遣いなのか興味がないのか判断はできないが、気を張る必要がないのは嬉しいことだと思う。
『そろそろだ』
哉太の緊迫した意思が、由美の思考を中断させた。もしかしたら、部分的に伝わっていたのかもしれない。この場での恥じらいは捨て、標的に意識を集中させる。
「いくよ」
『ああ』
脚部に集めた力により、由美は弾かれたように飛び出す。実体化した瞬間を狙い、仄かに煌めく刀を振り上げた。
肩から斜めに刃が通り過ぎていく。肉を斬るような感触はない。水中に棒を入れたような、僅かな抵抗が腕に伝わるのみ。まだ料理をしている時の方が、何かを切っている気分になるくらいだ。
胸のあたりに行き着くと、何か固いものが割れたような手応えがある。これが核だ。
「手応えあり」
『こちらでも確認した』
路地裏に現れた荒魂は、由美へ振り向くことなく塵のように消滅した。手放した刀も、同様に虚空へと消えた。
『次も来たぞ』
「了解」
短いやり取りの後、位置情報が示される。今度は線路を挟んだ駅の反対側だ。
駅の裏と評される地区は、店舗は少なくほとんどが民家だ。帰宅する人々の姿はあるが、表側ほどの人通りはない。早めに処理できさえすれば、人の被害は出さずに済むだろう。
「遠いね」
『急げば間に合うか、ギリギリくらい』
「了解」
『跳ぶなよ』
「わかってる」
跳躍での移動は危険が増す。前回は辛うじて回避できたが、毎度上手くいくとは限らない。今回からは、多少の時間がかかっても地を走ると決められていた。
ビルの隙間を回り込み、通行人の隙間をすり抜ける。加減速と急旋回の繰り返しは、繊細な力の行使を必要とした。掠る程度でも接触すれば大惨事となる速さだ。それでも由美は、速度を緩める気はなかった。
「線路は跳ぶよ」
『死角を送る』
「了解」
哉太から最適な経路が示される。そこを通れば、仮に荒魂が実体化したとしても腕は飛来しない。
線路の手前、由美は《動》の力を脚に込め踏み切った。ちょうど通過した電車を見下ろしながら、風を切る。頭の後ろで長い髪がなびいた。
『そろそろだ、準備を』
「うん」
言語でも感覚的からも、荒魂の実体化が間近だと確認できる。先程のような奇襲はできないだろう。由美は真っ向から戦うことを覚悟した。
『気付いていない、腕はなさそうだ。弓矢、いけるか?』
「うん、いける」
『軌跡の指示はこちらから出す。設定はよろしく』
「了解」
哉太の合図を受け、由美は再度軽く跳躍した。人気のない路地に立つ荒魂の姿が視認できる。まずは矢を放ち、こちらに注意を向ける。不意の通行人の被害を防ぐ意図だ。
由美は造りだした弓を構えた。狙いをつけ、弦を引き絞る。同時に《動》を使い、矢の軌跡を設定した。
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絶叫に近い哉太の意思が由美の頭にこだました。
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