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第2章 記憶と相棒

第11話 訓練

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 哉太の質問に、由美はどう答えていいか困惑していた。自分のことをどう呼ばれるかなんて、相手が考えるものだと思っていたからだ。いざ聞かれると、なんとも回答しづらい。

「あー、ええと」
『困らせちゃったか。また今度でいいよ』

 《伝》で繋がってる間は、大まかな感情は共有される。露骨な困惑を感じた哉太は、自分の言葉を取り下げた。
 自分の優柔不断で気を遣わせてしまったと、由美はいたたまれない気持ちになった。やはり、対人関係は苦手だ。
 哉太にも悪いことをしてしまったと思う。だが、気の利いた言葉は出てこない。
 
『その代わりと言っていいかわからないけど、俺のことも好きに呼んでな』
「あ、うん」

 記憶にある限り、由美が哉太を呼んだのは力の暴発から救い出した時だけだ。彼が矢辻家に来た後は、なんとか直接的には呼ばずやり過ごしてきた。しかし、荒魂との戦いではそうもいかない。
 意思伝達に認識の違いが発生すれば、即命取りとなるだろう。
 由美は勇気を振り絞り、彼の名を口にした。
 
「ええと、霧崎……君」
『そうきたかー』
「え?」
『あの時、下の名前で呼ばれたから、そうなると思ってた』
「そ、そうだね……」
『名乗ってもいないのに、名前知ってたのは不思議だったよ。今となっては意味がわかるけどな』

 弾みで名を呼んでしまった時のことを思い出す。なんて迂闊なことしてしまったのだろうか。思わず顔が熱くなる。感情が伝わってしまうことをわかっていても、これは止められなかった。
 
「ごめんね、勝手に覗き見て」
『いや、そのおかげで助かったんだし、感謝してる』
「うん、ありがとう」
『こっちの台詞だろう』
「そっか」
『そうだよ』

 少しだけ心が軽くなった由美は、訓練へと気持ちを切り替えることができた。久隆ほどではないが、哉太とは良い相棒になれるかもしれないと思う。さりげなく『とりあえずは、矢辻って呼ぶからな』と言ってくれるあたり、好感が持てる相手だった。
 
 由美は軽く意識を集中し、夢想の荒魂を一体だけ作り出す。まずは小手調べからだ。前衛と後衛で協力し、これを屠る。新しい相棒同士の訓練が始まった。

 約一時間ほど動いただろうか。哉太の能力は由美の予想以上の精度だった。模擬的な標的とはいえ、予兆から実体化までの時間や行動予測など、ほぼ完璧に言い当てていた。
 課題があるとすれば、互いに遠慮することによる時間の遅延、という程度だった。

「霧崎君、凄いね」
『そうか?』
「うん、私よりも正確で早い」
『それはありがたいが……』
 
 由美は哉太の才覚に対し、素直に感心していた。自分に自信がないからこそ、他者が優れている点は見つけやすいし認めることも容易い。ようやく会話に慣れてきた由美は、はっきりしないながらも哉太に賛辞を贈ることに成功した。
 ただし、当の本人はその誉め言葉に不満げだった。

「なにかあった?」
『うーん』

 的を外したことを言ってしまったかと不安になる由美に、哉太の感情が流れ込んでくる。それは現状の《伝》では理解しきれない、複雑なものだった。

『やっぱり、俺が前衛になるべきじゃないかなと』
「へ?」

 思わず間抜けな返事をしてしまう。これまで当然のように前衛を務めてきた由美には、意外過ぎる一言だった。

『女子を危険な目に合わせるなんてさ』
「ああ、そういうこと」

 察しが悪い由美はようやく複雑な感情を理解した。一般的に体を張るのは、筋力や体力に優れる男性だ。彼の言い分もわかる気はするが、代人に関してその常識は通用しない。

「向き不向きって、先生から聞いていると思うけど」
『うん、聞いてる』
「そういうことだから、気にすることじゃないよ」
『まぁ、そうだけど』

 食い下がる哉太は、純粋に由美の身を案じていた。その程度ならば、察しは悪くとも伝わってくる。
 不快ではない気分と、少しの面倒くささが同時に湧き上がってきた。これが哉太という少年の本質の一部なのだろう。

「その分さ、後衛で私を守ってよ」
『……おう、そうだな』

 由美は自分の言葉に驚いていた。これではまるで愛の告白だ。全くそんな意図はなかった。そもそも由美は年上男性が好みであり、同年代は対象外だ。

「じゃ、じゃぁ、今日は終わろうか」
『そうだな、お疲れ』
「うん、お疲れ様」

 場を取り繕うように、一方的に訓練の終わりを告げる。どちらにせよ、初日から長い時間続けても集中力が保たない。正式な指導者である優子がいない状態で、これ以上はあまり意味がないとの判断でもある。
 由美は肉体に意識を戻し、暗闇の中で目を開く。少し左に離れたところで、哉太が身じろぎするのを感じられた。
 
「足が、痺れた……」

 板の間で長時間正座し続けていればそうもなる。既に慣れてしまった由美は、小さく笑い声をあげた。

「うわ、笑ったな……」
「ふふ、それじゃ前衛になれないね」
「くそう、言われた……」

 自然と冗談が言える。この一時間で心理的な距離かかなり縮まったことに、由美は気付いていなかった。

 その日以降、由美の日常には哉太が違和感なく存在するようになった。
 家では意図して避けることもなく、積極的に関わることもない。優子や結衣のように接することはできずとも、必要以上に意識することはなくなった。
 
 学校ではまともに会話することはなかった。ほぼ紗奈子としか話さない由美とは対称的に、哉太はいつの間にか数人の友人を作っていた。
 同居していることはさすがに言えないと、互いに周囲には秘密としていた。事情を知っている一部の教員も、それに触れることはなかった。
 
 訓練は思いの外順調に進めることができた。優子の指導もあり、二人の連携は実戦可能な程度まで研ぎ澄まされていく。
 適切な状況把握と、迅速な行動指示。それは単純な代人としての才覚だけなく、哉太という少年そのものの能力でもあった。久隆とは違えども、相棒として充分に信頼が置けると感じられた。

 学生と代人の二重生活は目まぐるしく過ぎていき、九月も後半へと突入していた。
 そして、新月の夜がやってくる。
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