12 / 51
第2章 記憶と相棒
第11話 訓練
しおりを挟む
哉太の質問に、由美はどう答えていいか困惑していた。自分のことをどう呼ばれるかなんて、相手が考えるものだと思っていたからだ。いざ聞かれると、なんとも回答しづらい。
「あー、ええと」
『困らせちゃったか。また今度でいいよ』
《伝》で繋がってる間は、大まかな感情は共有される。露骨な困惑を感じた哉太は、自分の言葉を取り下げた。
自分の優柔不断で気を遣わせてしまったと、由美はいたたまれない気持ちになった。やはり、対人関係は苦手だ。
哉太にも悪いことをしてしまったと思う。だが、気の利いた言葉は出てこない。
『その代わりと言っていいかわからないけど、俺のことも好きに呼んでな』
「あ、うん」
記憶にある限り、由美が哉太を呼んだのは力の暴発から救い出した時だけだ。彼が矢辻家に来た後は、なんとか直接的には呼ばずやり過ごしてきた。しかし、荒魂との戦いではそうもいかない。
意思伝達に認識の違いが発生すれば、即命取りとなるだろう。
由美は勇気を振り絞り、彼の名を口にした。
「ええと、霧崎……君」
『そうきたかー』
「え?」
『あの時、下の名前で呼ばれたから、そうなると思ってた』
「そ、そうだね……」
『名乗ってもいないのに、名前知ってたのは不思議だったよ。今となっては意味がわかるけどな』
弾みで名を呼んでしまった時のことを思い出す。なんて迂闊なことしてしまったのだろうか。思わず顔が熱くなる。感情が伝わってしまうことをわかっていても、これは止められなかった。
「ごめんね、勝手に覗き見て」
『いや、そのおかげで助かったんだし、感謝してる』
「うん、ありがとう」
『こっちの台詞だろう』
「そっか」
『そうだよ』
少しだけ心が軽くなった由美は、訓練へと気持ちを切り替えることができた。久隆ほどではないが、哉太とは良い相棒になれるかもしれないと思う。さりげなく『とりあえずは、矢辻って呼ぶからな』と言ってくれるあたり、好感が持てる相手だった。
由美は軽く意識を集中し、夢想の荒魂を一体だけ作り出す。まずは小手調べからだ。前衛と後衛で協力し、これを屠る。新しい相棒同士の訓練が始まった。
約一時間ほど動いただろうか。哉太の能力は由美の予想以上の精度だった。模擬的な標的とはいえ、予兆から実体化までの時間や行動予測など、ほぼ完璧に言い当てていた。
課題があるとすれば、互いに遠慮することによる時間の遅延、という程度だった。
「霧崎君、凄いね」
『そうか?』
「うん、私よりも正確で早い」
『それはありがたいが……』
由美は哉太の才覚に対し、素直に感心していた。自分に自信がないからこそ、他者が優れている点は見つけやすいし認めることも容易い。ようやく会話に慣れてきた由美は、はっきりしないながらも哉太に賛辞を贈ることに成功した。
ただし、当の本人はその誉め言葉に不満げだった。
「なにかあった?」
『うーん』
的を外したことを言ってしまったかと不安になる由美に、哉太の感情が流れ込んでくる。それは現状の《伝》では理解しきれない、複雑なものだった。
『やっぱり、俺が前衛になるべきじゃないかなと』
「へ?」
思わず間抜けな返事をしてしまう。これまで当然のように前衛を務めてきた由美には、意外過ぎる一言だった。
『女子を危険な目に合わせるなんてさ』
「ああ、そういうこと」
察しが悪い由美はようやく複雑な感情を理解した。一般的に体を張るのは、筋力や体力に優れる男性だ。彼の言い分もわかる気はするが、代人に関してその常識は通用しない。
「向き不向きって、先生から聞いていると思うけど」
『うん、聞いてる』
「そういうことだから、気にすることじゃないよ」
『まぁ、そうだけど』
食い下がる哉太は、純粋に由美の身を案じていた。その程度ならば、察しは悪くとも伝わってくる。
不快ではない気分と、少しの面倒くささが同時に湧き上がってきた。これが哉太という少年の本質の一部なのだろう。
「その分さ、後衛で私を守ってよ」
『……おう、そうだな』
由美は自分の言葉に驚いていた。これではまるで愛の告白だ。全くそんな意図はなかった。そもそも由美は年上男性が好みであり、同年代は対象外だ。
「じゃ、じゃぁ、今日は終わろうか」
『そうだな、お疲れ』
「うん、お疲れ様」
場を取り繕うように、一方的に訓練の終わりを告げる。どちらにせよ、初日から長い時間続けても集中力が保たない。正式な指導者である優子がいない状態で、これ以上はあまり意味がないとの判断でもある。
由美は肉体に意識を戻し、暗闇の中で目を開く。少し左に離れたところで、哉太が身じろぎするのを感じられた。
「足が、痺れた……」
板の間で長時間正座し続けていればそうもなる。既に慣れてしまった由美は、小さく笑い声をあげた。
「うわ、笑ったな……」
「ふふ、それじゃ前衛になれないね」
「くそう、言われた……」
自然と冗談が言える。この一時間で心理的な距離かかなり縮まったことに、由美は気付いていなかった。
その日以降、由美の日常には哉太が違和感なく存在するようになった。
家では意図して避けることもなく、積極的に関わることもない。優子や結衣のように接することはできずとも、必要以上に意識することはなくなった。
学校ではまともに会話することはなかった。ほぼ紗奈子としか話さない由美とは対称的に、哉太はいつの間にか数人の友人を作っていた。
同居していることはさすがに言えないと、互いに周囲には秘密としていた。事情を知っている一部の教員も、それに触れることはなかった。
訓練は思いの外順調に進めることができた。優子の指導もあり、二人の連携は実戦可能な程度まで研ぎ澄まされていく。
適切な状況把握と、迅速な行動指示。それは単純な代人としての才覚だけなく、哉太という少年そのものの能力でもあった。久隆とは違えども、相棒として充分に信頼が置けると感じられた。
学生と代人の二重生活は目まぐるしく過ぎていき、九月も後半へと突入していた。
そして、新月の夜がやってくる。
「あー、ええと」
『困らせちゃったか。また今度でいいよ』
《伝》で繋がってる間は、大まかな感情は共有される。露骨な困惑を感じた哉太は、自分の言葉を取り下げた。
自分の優柔不断で気を遣わせてしまったと、由美はいたたまれない気持ちになった。やはり、対人関係は苦手だ。
哉太にも悪いことをしてしまったと思う。だが、気の利いた言葉は出てこない。
『その代わりと言っていいかわからないけど、俺のことも好きに呼んでな』
「あ、うん」
記憶にある限り、由美が哉太を呼んだのは力の暴発から救い出した時だけだ。彼が矢辻家に来た後は、なんとか直接的には呼ばずやり過ごしてきた。しかし、荒魂との戦いではそうもいかない。
意思伝達に認識の違いが発生すれば、即命取りとなるだろう。
由美は勇気を振り絞り、彼の名を口にした。
「ええと、霧崎……君」
『そうきたかー』
「え?」
『あの時、下の名前で呼ばれたから、そうなると思ってた』
「そ、そうだね……」
『名乗ってもいないのに、名前知ってたのは不思議だったよ。今となっては意味がわかるけどな』
弾みで名を呼んでしまった時のことを思い出す。なんて迂闊なことしてしまったのだろうか。思わず顔が熱くなる。感情が伝わってしまうことをわかっていても、これは止められなかった。
「ごめんね、勝手に覗き見て」
『いや、そのおかげで助かったんだし、感謝してる』
「うん、ありがとう」
『こっちの台詞だろう』
「そっか」
『そうだよ』
少しだけ心が軽くなった由美は、訓練へと気持ちを切り替えることができた。久隆ほどではないが、哉太とは良い相棒になれるかもしれないと思う。さりげなく『とりあえずは、矢辻って呼ぶからな』と言ってくれるあたり、好感が持てる相手だった。
由美は軽く意識を集中し、夢想の荒魂を一体だけ作り出す。まずは小手調べからだ。前衛と後衛で協力し、これを屠る。新しい相棒同士の訓練が始まった。
約一時間ほど動いただろうか。哉太の能力は由美の予想以上の精度だった。模擬的な標的とはいえ、予兆から実体化までの時間や行動予測など、ほぼ完璧に言い当てていた。
課題があるとすれば、互いに遠慮することによる時間の遅延、という程度だった。
「霧崎君、凄いね」
『そうか?』
「うん、私よりも正確で早い」
『それはありがたいが……』
由美は哉太の才覚に対し、素直に感心していた。自分に自信がないからこそ、他者が優れている点は見つけやすいし認めることも容易い。ようやく会話に慣れてきた由美は、はっきりしないながらも哉太に賛辞を贈ることに成功した。
ただし、当の本人はその誉め言葉に不満げだった。
「なにかあった?」
『うーん』
的を外したことを言ってしまったかと不安になる由美に、哉太の感情が流れ込んでくる。それは現状の《伝》では理解しきれない、複雑なものだった。
『やっぱり、俺が前衛になるべきじゃないかなと』
「へ?」
思わず間抜けな返事をしてしまう。これまで当然のように前衛を務めてきた由美には、意外過ぎる一言だった。
『女子を危険な目に合わせるなんてさ』
「ああ、そういうこと」
察しが悪い由美はようやく複雑な感情を理解した。一般的に体を張るのは、筋力や体力に優れる男性だ。彼の言い分もわかる気はするが、代人に関してその常識は通用しない。
「向き不向きって、先生から聞いていると思うけど」
『うん、聞いてる』
「そういうことだから、気にすることじゃないよ」
『まぁ、そうだけど』
食い下がる哉太は、純粋に由美の身を案じていた。その程度ならば、察しは悪くとも伝わってくる。
不快ではない気分と、少しの面倒くささが同時に湧き上がってきた。これが哉太という少年の本質の一部なのだろう。
「その分さ、後衛で私を守ってよ」
『……おう、そうだな』
由美は自分の言葉に驚いていた。これではまるで愛の告白だ。全くそんな意図はなかった。そもそも由美は年上男性が好みであり、同年代は対象外だ。
「じゃ、じゃぁ、今日は終わろうか」
『そうだな、お疲れ』
「うん、お疲れ様」
場を取り繕うように、一方的に訓練の終わりを告げる。どちらにせよ、初日から長い時間続けても集中力が保たない。正式な指導者である優子がいない状態で、これ以上はあまり意味がないとの判断でもある。
由美は肉体に意識を戻し、暗闇の中で目を開く。少し左に離れたところで、哉太が身じろぎするのを感じられた。
「足が、痺れた……」
板の間で長時間正座し続けていればそうもなる。既に慣れてしまった由美は、小さく笑い声をあげた。
「うわ、笑ったな……」
「ふふ、それじゃ前衛になれないね」
「くそう、言われた……」
自然と冗談が言える。この一時間で心理的な距離かかなり縮まったことに、由美は気付いていなかった。
その日以降、由美の日常には哉太が違和感なく存在するようになった。
家では意図して避けることもなく、積極的に関わることもない。優子や結衣のように接することはできずとも、必要以上に意識することはなくなった。
学校ではまともに会話することはなかった。ほぼ紗奈子としか話さない由美とは対称的に、哉太はいつの間にか数人の友人を作っていた。
同居していることはさすがに言えないと、互いに周囲には秘密としていた。事情を知っている一部の教員も、それに触れることはなかった。
訓練は思いの外順調に進めることができた。優子の指導もあり、二人の連携は実戦可能な程度まで研ぎ澄まされていく。
適切な状況把握と、迅速な行動指示。それは単純な代人としての才覚だけなく、哉太という少年そのものの能力でもあった。久隆とは違えども、相棒として充分に信頼が置けると感じられた。
学生と代人の二重生活は目まぐるしく過ぎていき、九月も後半へと突入していた。
そして、新月の夜がやってくる。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる