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新しい生活
しおりを挟む京さんは、働き者だ。
夜も明けないうちから、海で魚を穫り、四人目の洞窟へ放流する。
畑の手入れに収穫。調理。島の見回り、常に何かしている。
「海の中って、どんな感じなの? 小さい時は、よく海で遊んだけれど、怖かったから足がつく所より沖に行ったことないの」
文字を教えていた木の棒で、波の絵を描いた。
男の子たちや、おかめは、結構遠くまで泳いでいたけど、私は「何がそんなに楽しいのよ」とつまらなそうに文句を言っていた。本当は怖かっただけだけど。
「どう、でしょうか。深い所は底が見えないほど深く、どこまで落ちていくのか少し恐ろしいような、覗いてみたいような。しかし、人間の夜空と同じで、行けないのです」
「どうして?」
「住む世界が違うのです。海の底は、海の底の生き物でないと生きられません。一度、自棄になって潜った事がありますが、酷い目にあって、海を漂い気がついたら、別の島の岩場に寝てた事があります」
そう言って、京さんが面白そうに笑った。
「見つかっちゃって、大騒ぎされたの?」
「いいえ、見つかる前に、人の声で気がついて隠れました。そしたら、子供が降ってきて……二人も」
「へぇ、飛び込んで遊んでいたの?」
「どうでしょうか? 一人は泳ぎが達者で、一人は溺れていたので、そっと陸に戻しました」
「貴方、結構、溺れた人間を助けてるわよね。私も含めて。心優しいのね」
波の絵の上に、人と言う字を書いた。海の中には、京さんを書いた。
「私は……人間に憧れていました」
京さんは、海の部分を塗りつぶすように爪で掻いた。
「なぜ? 海でも陸でも過ごせる貴方の方が凄いし、強いじゃない。一人で何でもできるし。人は、良い人もいるし、凄く、すごーく悪い人もいるわ」
晋太郎の事を思い出し、枝で人の字を刺した。
「そうですね」
「魚社会はどうなの?」
「さかな社会……」
「あ、ごめんなさい、気を悪くした?」
「いいえ、不思議と愉快でした」
「そう? で、どうなの? しゃかな……さかな社会」
言い間違いを、すました顔で誤魔化した。
「魚と言いますか……海の中の生物から、感じる感情は、怒りしか有りません。中には懐いてくる生き物も居ますが、彼らの鳴き声を理解する事が出来ません」
「……」
京さんに対して、疑いや恐怖を取り去ってみると、彼はとても分かりやすい人だった。
優しくて、寂しい人。
きっと、今まで、散々恐れられて――それでも、人と交流をしたくて、懸命に笑って居たのだろう。
手を、伸ばしたくなって、持っていた枝を捨てた。
「私の島、閉鎖的で、窮屈で、嫌なことばかりだったの」
京さんは、滅多に目を合わせないけれど、体を私の方に向けて、じっとする。
私の話を、真剣に聞いてくれていることが伝わってくる。
島の男達は、いつも自分の事ばかり話すか、浮ついた下心ばかりで、彼らと真剣に会話をした事が殆ど無い。
だけど、京さんと過ごすのは、居心地が悪くない。
「でも、私には、おかめが居たの。おかめと一緒なら、嫌な仕事でも楽しくできるし、落ち込んだりしても、気が紛れるの。一人は、きっと寂しいわ」
ちらりと、彼の顔をみると、笑って居た。
唇を噛みしめて、笑ってた。
「貴方は、今までどうやって過ごしてきたの?」
「……」
京さんは、開きかけた口が、不自然な形で止まっている。
話すかどうか、悩んでいるのか、それとも、自分の事を語る経験がなさ過ぎて困っているのだろうか。
私は、立ち上がって、京さんの目の前に立った。
「貴方に言葉を教えてくれた人は、どんな人?」
「……私に言葉を教えたのは、この島に流れ着いた、一人目の老人です。彼は博識で、色々な事を教えてくれましたが、早々に亡くなってしまいました。二人目は、商船に乗っていた男で、私を恐れ、殆ど交流することもなく、嵐の日に事故で亡くなりました」
私は、邪魔しないように、声を出さずに頷いた。
「三人目は、千代さんの島の漁師でした。遭難して流れ着き……しばらくして、この島を出て行きました」
「私の島の? 誰かしら?」
「一郎さんと、おっしゃっていました。すこし昔のお話しです」
一郎は、多すぎて分からない。
漁師の遭難も多く、ここ数年でないなら、私の記憶にはない。
ふと、思ったけれど、京さんは、いくつなのだろう。
二十代にも見える、若く見える三十代と言われても納得が出来る。
「それから、四人目が、あの方です」
「あー、彼女の、お名前は?」
「……」
京さんの、いつもの作り笑顔が出た。
教えて貰えなかったのだろうか。
確かに日誌を読む限り、彼女は京さんに友好的では無かった。
「まぁ、それで五人目が私。五人目は、京さんに文字を教えて、友達になるの。じゃあ、さっそく、散歩でも行きましょうか。バナナを食べて、香りのする木を探すの」
「お待ちください」
私が先に歩き出すと、声で制止された。
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