さよなら、メアリー。

三毛猫

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彼、

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    早る気持ちを抑えて、僕はバーの扉を開けた。


  店を入って、カウンターの1番奥から2番目の席、そこは拓巳さんの指定席だった。



  店内はいつもの様に賑わっていたが、ここのカウンター席は7席しかなく、テーブル席とは少し離れているので、まるで彼の座るその席だけが特別に静けさに包まれているようにさえ見えた。



  僕は彼のすぐ後ろまで近付き、声を掛けた


 「拓巳さん…」



  彼はまるで、僕が来る事を知っていたように、余裕の笑みをたたえて振り返った。



  「彼女は帰ったの?」

  「うん、用事があるって。振られちゃった」




  本当は、拓巳さんに会いたくて僕があの子を帰したのに。こんな言い方をしたのは彼に構って欲しい気持ちからだった。



  「そりゃ、残念だったな。時間あるなら座れば?奢るよ」


  「じゃあ遠慮なく」




  拓巳さんはいつものアードベッグ のロックを片手でくゆらせていた。

 決して高級酒ではないけれど、彼がここに通い始めた時からずっと変わらず飲んでいた銘柄だそうで、強烈にスモーキーで、独特で個性の強いスコッチだ。
 うちでこれを飲むのは拓巳さんだけ。



 僕にとっての拓巳さんの様に強烈な酒だ。



  「僕はギムレットもらうよ、ウォッカでね」


 今日のカウンターは僕の後輩だった。少し緊張しながらウォッカの瓶に手を掛けた。
 あまり見ない様にしてあげよう。


 「拓巳さんが前に教えてくれた製薬会社、新薬で当たりましたね」

 「あぁあれな、知り合いが営業してるから…」



 僕がこの歳で、バーとカフェのアルバイトをたまに出る程度で生活出来ているのは、拓巳さんに投資のノウハウを教えてもらったからだ。

 本当は働かなくても食べて行けるぐらいには儲けているけど、仕事は趣味の様なものだった。

 人に会っていないと、辛いから、と言うのが本音かも知れない…




 拓巳さんはいつもこうして、僕の他愛のない話を聞いてくれて、本当にいろんなことを教えてくれた…

 彼は僕にとって兄の様な存在でもあった。
 彼が結婚する1年前迄は…



 思えば拓巳さんと僕の出会いは今から5年前の事。丁度拓巳さんが今の僕と同じ歳の頃だった。




 当時僕はまだ21歳で大学生だった。
そこそこの有名な大学に特に苦労もせずに入って、将来の事なんかも特に興味も無くて、何となくそれなりの企業に就職して、それなりに歳をとっていくんだろうな…

 何て、漠然とした想像の、退屈極まりない将来に腐っていた。



 その頃就職活動も始まり、ただでさえ僕に無関心で、最低限の仕送りだけをしてくれていた親が、いよいよ仕送りを止めた。
 もう無関係だとでも言わんばかりに。

 今までだって、特に何かして貰っていた訳では無いけれど、流石にこれでは生活は苦しい。

 その時は年上の彼女が二人いて、服やなんかには特に困っていなかったけれど、足りない分を何とかしなくてはと思い、割のいいバイトを探していた僕は、大学の友人にこのバーへ連れてこられた。



 別にアルコールに特に興味も無かったし、何より深夜に働くのは正直怠かった。

 夜は遊ぶ時間だと思っていたし…



 その日は店の雰囲気だけでも見ないかと誘われて、バイトの話は断るつもりだったけれど、行ってみるだけは付き合うことにした。



 22時頃、教えられた店に向かった。


 店はお洒落な雰囲気で、何組かいる客は静かに賑わっていた。(大学生の溜まり場みたいな居酒屋とは全然違う雰囲気だ)カウンターにはカップルが1組座っているだけだった。



 僕が店内に入ると、バーテン姿の友人が僕に気付いて手招きした、僕はカウンターの奥から2番目の席へ腰掛けた。



 後ろには賑やかな数組の団体が居たが、特に目立つ5人が居て、そのテーブルに居たのが、当時まだ26歳の拓巳さんだった。




 拓巳さんは起業家だった。

 大学在学中の大手企業でのインターン経験を活かし、自ら企業。志を同じくする5人の仲間と発足したばかりの、生まれたての会社のトップだった。





 自信と意欲に溢れていて、まるで自分とは正反対で人生を謳歌している。別の世界の人間だった。



 しばらくして店内に新しい客が来始めると、友人も忙しくなり出して、僕は放ったらかしにされた。

 そろそろ帰りたいけど、挨拶もせずに帰るのもなぁ…と思っていると、拓巳さんが声を掛けてくれた。


 「君大学生?」


 と、隣に座って来た。僕はまさか友人以外の人が自分に話しかけてくる訳が無いと思っていたものだから少し驚いた。(しかも女性ならまだしも相手は男だ…)


 「うわ、君未成年じゃないよね?」


 「一応21ですけど…」


 子供っぽく見られたのかなと思ったけど、特に怒るでもなく静かに答えた。


 この辺は、幼い頃から両親に無関心にされ続けた過去から、人とわだかまりを持たない様にする処世術みたいなものが自動で働く様になっていた。



 「ごめんごめん、あんまり可愛い顔してるから。
褒めてるんだよ。」


 そう言ってにっこり笑った拓巳さんは無邪気で爽やかで、僕が女だったら惚れてたかも知れない。




 「こんなとこに居て良いんですか?お仲間がお待ちですよ」


 「あぁ、良いの良いの、毎日会ってるし。それより俺は、君が一人でいる方が気になっちゃってさ。ちょっと話そうよ。奢るからさ。」




 そうして半ば強引に会話は始まった。


 彼は何というか、良い意味で‘人たらし’だった。

 人の懐に入るのが上手くて、言葉も巧みだし、センスが良く、人をよく見ていて…後はそう、単純に男の僕から見ても格好良くて魅力的な人だった。



 話に夢中になっていて気が付くと、彼の仲間はすでに帰っていた。

 「あれ、皆さん帰っちゃってますよ?すみません…」

 「良いんだって。それより俺はもっと君といたい…」



 随分飲んでいたみたいで、僕は何だかとろんと蕩ける様な甘い気持ちに包まれていた。


 僕に気のある異性に優しくされる事はあっても、同性の、それも年上の人に優しくされた事なんて、学生生活の中で一度も無かったから、何だかすごく新鮮で、純粋に嬉しかった。



 そうして帰る頃、僕はすっかり酔っていた。
バーで働いてる友人はまだ上がれないから少し待っていて、と言ったが、拓巳さんが


 「俺がタクシーで送ってくから大丈夫だよ。こんなに酔わせちゃった責任もあるしな」


 と、言うので、友人は「今度1杯ご馳走します!」と言って僕を拓巳さんに預けた。



 帰りのタクシーの中で、



 「…ちょっと休んだ方がいいかもなぁ…運転手さん、やっぱそこ右に入って」



 そこからの記憶はますます朧げだったけれど、気が付くとラブホテルの1室で、僕はベットに寝かされていた。


 奥からはシャワーの水音…



 あれ?もしかして僕お持ち帰りされた?

 そう言えばあの人、何だか僕の事女の子と勘違いしてる様な雰囲気あったもんなぁ…



 …まぁ、戻って来て服脱がせばわかるよね。


 アルコールでぼんやりとする頭でそんな事を思った。



 ところが予想は外れた。





 拓巳さんは初めから僕が男である事をわかっていながら近付いたのだ。


 「え…ちょ!!」


 抵抗しようとする僕の腕をやすやすと片手で抑えると



 「あれ?まさか経験ないの?
可愛い顔してるからてっきり豊富なのかと思ったよ」


 と、またもあの無邪気な笑顔を向けた。


 「…経験て!…そりゃ女はあるけど…!…男となんてある訳無いでしょ!悪い冗談はやめてくださいよ!」


 そう言って抵抗するも、一向に腕は振り解けない。


 「…じゃあ、俺が優しく教えてあげるよ…」



 そう言うと拓巳さんは、優しくやらしい手付きで僕の体を撫で始めた、もっと気持ち悪いと思うはずなのに、僕は不覚にもその愛撫がやけに心地良かった。


 そのうち拓巳さんの舌が僕の体を這い回り、僕は初めての快感に身じろぎした。


 酒のせいもあっただろうが、抵抗したい気持ちとは裏腹に、僕の体はまるで女みたいに、そうされる事を悦んでいた。


 「そろそろ、いれるよ…」


 拓巳さんの熱い吐息とささやきに、頭の芯が痺れる様な感覚に陥り、僕は生まれて初めてのそれを受け入れた。思いの外それは初め、心地よく感じた。



 「あ…いいね、雪、才能あるよ…これなら…」


 拓巳さんがそう漏らした次の瞬間


 「…っ?!!」


 体の奥まで目一杯貫かれる様な、激しい突きに体が強張った。



 「…痛った!!…んっ!…やめっ…」


 あまりの痛さに自然に涙が流れていたが、拓巳さんはやめてくれない。


 僕がしがみついて彼の背中に爪を立てても、彼は興奮状態で、全然僕を離してくれなかった。





 …しばらく痛みに耐え、彼が果てた末、やっと解放された。






 声を出してなじる気力も無く横たわる僕を、彼は優しく強く抱きしめて



 「これからよろしく、雪…」


 と、耳もとで優しく囁いた。


 


 その時、僕は思った…






 あぁそうか、この痛みこそ、彼の愛…

 


  



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