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第一章『野生の勇者』

世界の転換点

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「嗚呼、麗しの姫君。どうか怒りをお収めください。」

なるべく平然と、心の内を見透かされないように気をつけながら慎重に言葉を発した。

隣にいるエーギルも、この私に倣い、理解できてはいないようだったが、同じく跪いた。

「私はエーバイン王国に仕えます、バーバリアン・エバリエムと申します。この度はこの森を荒らす賊どもの討伐を、我らの代わりにおこなって下さったこと、誠にありがとうございます。」

直ぐにでも殺してやろうという鋭い殺意を感じ、敵ではないという事を明らかにするため、一旦虚言を交える。

だが、そんな俺の言葉を聞いても、目の前の黒い女は何も反応してこない。

無反応な女に肩透かしを喰らいながら、冷静さを忘れる事なく、話を進めるべく言葉を続ける。

「このような森の奥におります雑多な賊どもを、貴方様が手間をかけてまで討滅なされたのには、大変な理由があるのではと、不肖ながらこの私、心配でなりません。何かこの私めにお手伝いできる事がございましたら、ぜひ仰って頂きたく存じます。」

こんな森の奥、それも隠れた場所にある賊の拠点を、フューエンシュルツの兵達以外がわざわざ攻撃する理由なんてほとんど無いだろう。

だが目の前にいるのは黒い女。

黒髪に黒い衣装、見た目だけで考えれば、アラサーベル公爵からの早馬で聞かされた、勇者と共に城から逃げた女と類似している。

だが、周りを見ても勇者と思わしき人物はいない。

それでも、まさかフューエンシュルツから遣わされた魔法使いのようにも思えない。

しかし、賊どもだけを殺し、建物やここを囲む柵、物見の塔が全くの無傷な点を考えると、ここを襲った事に何か理由があるのではと考えてしまう。

もし、単なる快楽殺人鬼なら、私の話など聞くこともなく、すぐに殺されていただろう。だからこそ、とにかくこの女の狙いを聞かなければならない。

「貴方達はこいつらの仲間なのでしょう?」

私達の事情をそれなりに知っているのだろうか。この女は私達と賊どもに関係があるという事を勘づいているようだ。

ここで無闇に嘘をついて、後々面倒になるのも困る。

先程の私の発言と矛盾しないよう気をつけながら、声が震えないよう慎重に言葉を発する。

「こちらの拠点は、私どもが奴隷を我が国へ運搬する際の拠点として利用している場所でもあるのです。そしてその運搬の際の護衛や、他の盗賊や傭兵どもへの口利きも兼ねて、以前よりここの賊どもと契約を結んでいたのです。しかしながら、奴らは賊。一時的には契約を結んだとしても、罪のない人々を苦しめる賊に変わりはありません。だからこそ契約が終われば速やかに処分しようと思っておりました。しかし、こうして姫君が我らの代わりに奴らを討滅して下された今、私どもは肩の荷が下りた気分でございます。誠にありがとうございました。」

私は抑揚も考えながら、慎重に言葉を選びそう話したのだが、それでも女はすぐに反応を示さなかった。

考えているのか、無視しているのか、張り詰めた時間が場所を支配している。

額から地面にポタポタと落ちていく汗の粒を見てしましまえば、私の緊張感というのが理解できるだろう。

そして数十秒間無言の時間が続いた後、冷たい言葉が唐突に放たれた。

「私の目的は花尾くん、いえ勇者様にこの場所をプレゼントする事なんです。そうすれば勇者様を絶対に喜ばせる事ができたのに、貴方達みたいな貴族どもが絡んでいるなんて、本当についていない。どうせここを私達が使い始めたら、邪魔をしにくるのでしょう?」

彼女の言葉は冷徹であったが、私にとっては交渉材料にしかならない救いの言葉である。

だが、彼女がわざとらしく、大げさに憂うような話し方をしているのを考えると、餌を思い切りばら撒かれているようにしか思えなかった。

多分だが、俺が命欲しさに、ここの安全を確保するための手助けを買って出る事を、見越しての発言なのだろう。

だが、そんな事はどうでも良い。

俺に利益があるのなら、何にだって飛びついてやる。

「もしや貴方様は、勇者様とご一緒にフューエンシュルツのアバターンから出ていらしたというお方に相違ありませんか?」

私の問いに女は首を縦に振り肯定した。

「それでしたら、姫君がここを賊どもに代わり、拠点として使用した際、フューエンシュルツやその他から出された追手に見つからないか、そして邪魔されないかと案じているという事で間違いありませんか?」

私の問いに再び首を縦に振る、だが今度は満足したような笑顔を浮かべながら。

「これほどに大きな拠点を、森の奥とはいえ今まで秘匿できていたのは、一重に我が主であるアラサーベル公爵のお取り計らいによるものです。」

私の言葉により、女はより満足そうに笑みを深くする。

「アラサーベル公爵は、フューエンシュルツの首都、アバターンに滞在しております。もしお許しをいただけるのでしたら、この私が中継ぎをさせていただきます。」

私は今、最大の転機を迎えているのかもしれない。

フューエンシュルツから逃げ出した勇者とこの女を見つけ、下手したらこちらに引き込めるかもしれないのだ。

女がここを拠点にしたいと言っているようだが、これを上手く舵を取れば、我らがエーバイン王国の陣営に加える事ができる可能性だってあるのだ。

そんな俺の内心を知ってか知らずか、女は悪戯に笑いながら、私に尋ねた。

「私は嬉しいですけど、貴方には何の得が?」

あぁ、見透かされている。

理由はないが、長年の勘がそう言っている。いや、もしかするとこの女から放たれるオーラにそう思わざるを得ないのかもしれない。

だかこれも好機。

確かに、一方にしか益のない話など、信用するに値しない。逆にこちらが心のうちにある欲望を吐き出すことで、ある意味での信頼関係が築けるのやもしれない。

「勇者様と貴方様のお力を見込んでのお願いがございます。我が国、エーバイン王国が戦になった際、戦線に加わっていただきたく存じます。故に、我が国と同盟を結んでいただく事も考えております。」

女は私の言葉に満足そうに一回深く頷くと、女神のように優しげな微笑みをこちらへ向けた。

たが今の私にとって、この女は比喩だけでなく、本当に女神以外の何者でもない。

私のこれからの出世街道を左右し、上手く事が運べば、我が主であるアラサーベル公爵だけでなく、エーバイン王国にも大変な影響を与える国利となるだろう。

だがそんな安心感と高揚感は、次の瞬間に容易く崩れ去った。

それは隣にいるエーギルが、跪いた状態から、ドサリと地面へ、頭から倒れていったからだ。

俺は縮み上がる心臓を無理やりに抑えながら、横目でエーギルを確認する。

黒目からは光が失われ、壊れた人形のように力なく地面に横たわっている。脈や呼吸の有無を確認しなくても分かる。エーギルはこの女に殺されたんだと。

「これは借りです。本当は1人も逃すつもりはなかったのですけど、貴方の提案は魅力的でした。私の花尾くんを馬鹿にした連中なので、どうしてやろうかと思いましたが、まぁ、許してあげましょう。これから頑張ってくださいね。」

目の前の悪魔は事もなげにそう言った。

だが、私も大概である。

なんせ今、私の心の中にある感情は、生き延びれたという安心感と、世界の転換点を目の当たりにしているという感動、そして激動の時代を予感しての興奮だけだった。

「ありがたき幸せにございます。」

私は深々と頭を下げるが、その顔には歪んだ笑顔が染みついていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



俺は黒谷に呼ばれ、ジェイムとレーンを引き連れて拠点の中に入った。

だが不思議な事に、中は多少荒らされたような形跡があるものの、死体や血の跡は残っていなかった。

爆発音や悲鳴が森に響いていたし、無血開城という訳ではないだろうが、ここまで綺麗なのは不思議でならなかった。

「なんで、こんなに綺麗なんだ?」

「ん?魔法で綺麗にしたからだよ。花尾くんを迎えるんだから、綺麗にしなくちゃって思ってさ。」

魔法とは本当に便利なものだ。

まぁ、その魔法というのが、黒谷のような超人以外に使える者がいるかは分からないが。

俺は黒谷に感謝の言葉をかけ、わざとらしく褒めながら、拠点内にある家々に比べれば、やけに綺麗で豪華な建物がある場所へ案内された。

そしてそこにいたのは、仕立ての良い衣装を身にまとった、30代前半といったところの男性であった。

彼は俺らを視界に入れるやいなや、優雅な動作で跪き、へりくだるように話し始めた。

「お初にお目にかかります、勇者様。エーバイン王国のアラサーベル公爵に仕える騎士爵位、バーバリアン・エバリエムと申します。これより勇者様、そして黒谷様からの密命を受け、フューエンシュルツのアバターンへ急ぎ向かうつもりでございます。真面なご挨拶が出来ずに申し訳ございませんが、即刻出立させていただきます。ご無礼をお許しくださいませ。」

勇者様と黒谷様からの密命を受けなんて言われても、俺は何も聞かされていない。

ちらりと黒谷を見ても、普段通りの笑顔を向けてくるだけだ。

全く、何がどうなって、どうなろうとしているんだ。

「こちらの拠点については、私の側勤めのマーロをお尋ねくださいませ。」

そう言われて紹介されたマーロは、汗をだらだらと垂らしながら、手を胸の前で組み、同じく跪きながら挨拶の言葉を述べた。

バーバリアンに関しては、艶のある金髪をオールバックでかっちりと固め、目の下にほんのりとくまがあるものの、口髭も含めて仕事のできる男感が滲み出ていた。

しかしマーロは、赤髪をパッツン気味に眉ほどの長さで揃え、全体的に細身である事から、どこか弱々しいというか、頼りない感じが漂うってくる、そんな20くらいの青年だった。

だが、マーロの俺を見る目はキラキラとしており、挨拶の言葉は緊張のせいか辿々しかったものの、言葉の端からは勇者である俺を尊敬する姿勢がヒシヒシと伝わってくる。

その後、バーバリアンは急ぎでここを離れる事に対する謝罪の言葉を再度述べ、日は落ち始めているというのに、馬を豪快に操りながら、目的地まで駆けていった。

俺はその背中を無言で見送り、厄介ごとに巻き込まれたのではないかと、黒谷に説明を求めた。

だが、黒谷は勝手に話を進めた事に悪びれた様子も見せず、胸を張りながら事の顛末を説明した。

「──っという訳で、あの人がアラサー男爵?だっけかに急ぎで話を通しに行ってくれたんだよ。」

黒谷の話を鵜呑みにすれば、そのバーバリアンの主人にあたる人が、ここを秘匿するためにフューエンシュルツの権力者に便宜を計っていたようで、それをこれからも続けてくれるそうだ。

そうすれば、ここを俺らが拠点にしていても、警備兵や騎士達、または追手に気づかれる事なく、安全に過ごせるという事だった。

だが、その話が本当かどうかが信じられない。

多分、そういう口約束は結んだんだろうが、裏切られる可能性だってある。

俺はその不安を黒谷に伝えても、黒谷は気にしていないようで、あっけらかんと答える。

「釘を刺したから大丈夫だよ。ふふ、まぁ、とりあえずジェイムとレーンもソワソワしている事だし、ここに捕らえられている奴隷達を、まずは助けてあげようか。」

そう言われて少し離れた位置にいる2人の様子を見てみれば、奴隷達を探してか、落ち着かない様子で辺りを見回していた。

そうして俺達はマーロに案内させながら、奴隷達を解放しに向かった。








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