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はじまりの地

第四話

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 酒場を出た佐久弥は、そのまま町の中央にある風呂へと向かう。
 あれから結構時間がたったので、さっきの連中の血は綺麗に掃除されているだろう。

 明け方に近いせいか利用客も少なく、佐久弥はゆったりと手足を伸ばす。
「あ~最っ高」
 まだ二十台半ばだというのに、おっさんくさい声を出しながら湯に浸かる。
 目の前では、スライムが膜のように広がって、表面を覆い尽している。あれでも気持ちよいらしい。
 店員にスラリーを一緒に入れても良いかと確認したときも、あっさりとOKされてる事といい、町の人は外の生き物を怖がってはいないようだ。
 門番からの情報でも、癖はあるが、付き合い方を間違わなかったら大丈夫という事だ。
「さすがに金稼ぎしないとなぁ……」
 酒場でしっかりと飲まされ、さらにはここに来たので佐久弥の持ち金は450Rだ。
 それでも楽しい話にゃ、楽しい酒だ、と次々に飲ませるマスターに、冗談のように差し出した1Rなんて、10円ほどの価値しかないのに情報をすらすら与えたのは何故かと問うた時の、酒場は楽しい時間と酒とつまみを売る場所です。それで儲けてなんぼでしょう。と笑ったマスターはいい奴だ。
 情報関係なく入り浸りそうだ……水で。
 あの水とマスターには通うだけの価値がある。酒よりも美味い水って何だ。

 風呂に入る前に確認してみたら、着ていた服は『布の服』アイテム欄を見てみれば『ナイフ』と『やくそう×5』だけが入っていた。
「木の棒とか、素手よりはマシだな」
 とか言いつつ、佐久弥は当面ナイフを採取以外で使う予定はない。
 今まで得た情報からして、戦闘以外での金稼ぎのあてはある。
(こいつ見てたら……ちょっとな)
 怯えていたスライムの姿を思い出すと、他の皆のようにこの世界の生物を倒しまくる気になれない。

「よし、あがるぞースライム」
 佐久弥の呼び声に応え、伸びきっていたスライムが固まり始める。
 せっかく綺麗にしたばかりの身体を、ずるずると這い上がられると微妙な気持ちになるが、離れたくないとばかりの行動は可愛いものだ。

 身なりを整え、佐久弥が向かったのは門だ。
「おはようございます」
「おはようございます、早いですね」
 同じ門番が佇んでいる事に気付き、挨拶をする。
「そちらこそ、昨日からずっとじゃないですか」
「え?俺はここにずっと立ってるのが仕事ですからね。当然です」
 当たり前のように言われた言葉に、ああそうだ。どんなに人間ぽくてもゲームだよな、と遠い目をする。
 こうして普通に会話していると、何てブラック企業だと思ってしまうのは仕方ないだろう。
「ははっ、この門を守るのは私だけですからね」
 門番はほがらかに笑うが、恐ろしい事だ。
「頑張ってください」
 最早それしか言えない。
「有難う御座います。今日はどちらへ?」
「昨日教えて頂いた『ラビリー草』の採取に」
「そうですか、あの草は需要が高いんですが……採取方法は覚えてますか?」
「もちろんです、傷一つ付けないよう頑張ります」
「それは心強い。それでは頑張ってください」

 笑顔で見送られながら、佐久弥は昨日は昨日は避けた草原へと向かう。夜通し狩ってた奴らは次の狩場へと向かったのだろう。
 まだ数人、戦っている姿を見る事が出来るが、邪魔になるほどじゃない。
 佐久弥は辺りを見回し、目的のものを探す。
「……いた」
 5メートル先に、小さな白い生物が居るのが見える。
 白く長い耳、赤く染まった目、抱き上げられるほど小さな身体。――目的のラビリー草に間違い無い。
 佐久弥は気配を殺しながら近付き……その長い耳を鷲掴わしづかみする。
 キーキー叫びながら暴れるのを、抱き込む事で抑え付けながら……その耳へとナイフを突き立てる。
 やわらかな耳は、ざくりと音を立て切り離される。
 キーーーー!!と、悲鳴をあげるのを解放すると、両耳を無くしたウサギじみた生物は走り去って行った。

「おい……あいつ、ひでぇ事しやがるな……」
「ああ。倒してる俺らも俺らだが、耳だけ切るなんて酷い事してんな……」
「お前、止めるように言えよ」
「いやだよ、なんかあいつ、青いどろどろした頭してて、何か怖ぇもん」

「ん?」
 何か遠巻きにされ、ひそひそ話されているようで、佐久弥が首を傾げそちらを向くと、プレイヤーらしき存在は、目を合わせようとしない。それどころかさらに距離が広がる。
「ま、いいけど」
 NPCとは違い、他のプレイヤーと交流する気は相変わらず無い佐久弥は、対して気にもせず、採取の続きを始める。
 次々と同じ生物を捕まえては、耳を切り離す。
 目に入る範囲に獲物が居なくなったのを確認すると、佐久弥は買取りをしてもらおうと町に向かう。
 もう日が高くなっているので、薬屋は開いているだろう。

 買取専用の窓口に向かうと、佐久弥と同じように薬草を採取した者で行列が出来ている。
 ぼんやりとスライムと戯れながら、自分の番を待っていると、ようやく順番が来たようだ。
「素材を出しな」
 やけに不機嫌そうな老婆が、つっけんどんに声をかけてくる。
「ラビリー草の買取を頼みたい」
 佐久弥がそう告げると、老婆の眉がさらに寄る。
「……出しな」
 悲痛にも思える声で促され、不思議に思いながらも、佐久弥はどっさりと耳をカウンターに置く。
「あんた……」
 その大量の耳を前にし、老婆は呆然と呟く。その目には涙が滲んでいて、何かしてしまったのかと慌てて声をかけようとすると、背後から大きな声が飛んできた。
「てめえ、耳だけちぎって、何てひでえ事してんだ!」
「いくら倒せないからといって、一番高値の耳だけを切るなんてろくなもんじゃねえ!!」
 佐久弥の後ろに並んでいたプレイヤーが、アイテム欄から取り出した耳を指差し、文句を付け始める。

「黙らっしゃい!!!!」
 先ほどまで涙ぐんでいた老婆が、叩き付けるように叫ぶ。
「この、ラビリー草の正しい採取の仕方はこれなんだよ!ラビリー草ってのは、『ラビー』の頭に寄生する植物なんだ。寄生されたラビーは目が真っ赤に充血して赤く染まり、攻撃的になる。頭とラビリー草の境目は一際長い毛。そこの部分を丁寧に切り離せば、ラビーは傷一つなく元気で大人しい生物になり、切り離したラビリー草は、人を癒す薬草になる。何もわかってないあんたらが、可哀想なラビーごと殺して売りにくるたび、あたしゃあ、あたしゃあ……」
 ううっ、と泣き崩れる老婆を慌てて支える。
「説明しようとしても、誰も早く買い取ってくれとばかり言って聞きもしない……そんなあんたらに、この子を責める資格なんてないんだよ!」
「……ええっと、まあ、この人たちも悪気は無かったわけで。というか本当は優しい人なんだと思うんで」
 普通、後ろのプレイヤーの反応のほうが正しい。佐久弥もこうして取り出してみると、大量の耳の山。どこか猟奇的りょうきてきなものを感じる。
 最初、門番から情報を聞いたとき、この世界って、妙だな~としみじみしたものだ。だがこれがこの世界のルールだというなら受け入れるしかないのだ。
 郷に入れば郷に従えという言葉を座右の銘にしている佐久弥は、そういうものなのだと納得したが――プレイヤー達は愕然がくぜんとしていた。

「お、俺たちは何てことを……」
「な、何だって……」
 がくり、と膝をつき項垂うなだれるプレイヤーに、かける言葉も無い。
 というか、面倒だから声をかけたくない。
 佐久弥は、後ろの面々が復活する前に、にこにこ顔の老婆との取引を終え、その場を後にする。

「……しばらくは、ラビリー草はやめとくかな」
 毎度こんな風になったら面倒だ。
 考えてみたら、採取中にも妙な視線を投げられていたのだ。皆正しい採取方法を知らないのかもしれない。
 そうは思いはしても、ゲームをするのに掲示板で情報交換など知りもしない佐久弥だ。ゲームをする時、特にRPGは自分で情報を集めるのが当たり前。情報不足でトラップに掛かろうと、敵を倒せず全滅しようと、それは当たり前なのだという考えだった。
 ――誰かここに知り合いの一人でもいれば、VRMMORPGの常識として教えるだろう。一人でやるタイプの物とは違い、多人数プレイを常識とするものは掲示板で情報収集するのが当たり前なのだと。大量に配置されている雰囲気作りのNPC達に話しかける事はなく、必要なNPCにだけ話しかける傾向にあることに。

「お、もう夕暮れか……早めに買い物しないとな」
 綺麗に採取してあるということで、600Rという高値で売れた。
 佐久弥は同じ通りにある道具屋へ向かうと、必要なものを二つほど購入し、300Rを使う。日常必需品の為、武器や防具と違い安価だ。
 購入したものをアイテム欄に投げ込むと、佐久弥はのんびりと北へ向かう。――そう、お目当ては夜の洞窟だ。

 昼間に薬草や苔を採取しようと思っていたが、マスターの話によると、夜にだけ光る苔が高値で取引されるらしい。好んで夜の洞窟に入るような町人は少なく、需要が高いわりに、集まらないらしいから狙い目だ。
 教えられた通りに北へ向かうと、確かに北側は壁が無く、崖に守られていた。
 その崖沿いにしばらく進むと、ぽっかりとひと二人分の空洞があった。
「ここか……」
 入る前に、佐久弥は装備を整える。服の上にもう一枚羽織はおり……長い棒状のものを手にする。
「よし、行くか!」
 気合を入れなおし、佐久弥は入り口を潜り抜ける。
 数メートル歩くと、洞窟の内部は一気に広がり、佐久弥は手にしていたものをその場で広げた。――傘だ。

 ボタボタボタボタッと傘が大きく音を立てる。
 手にかかる振動もすごく、いったいどれだけ血を吐いてるんだと思うが、傘を離すことはできない。
 念のためにと服の上に羽織った雨合羽には、跳ねた血が大量に飛び散っている事から、どれほどの威力なのか察せられる。
「……あんなちっこいのに、こんなに血ぃ吐いて大丈夫なのかねぇ」
 文字通り血の雨の中、佐久弥はぼんやり雨がおさまるのを待っていた。

 ――ボトッ!!
「……え?」
 突然、重い感触が手に伝わる。
 ――――ボトボトボトッ!!
「雨のち……コウモリ?」
 そう、立ち止まっている佐久弥を中心に……足元はコウモリで埋まってしまった。
 キュー……と小さく声を上げ、ぐったりしているコウモリをそっと捕らえるが、ぐったりしている。
「お前……無茶しやがって……」
 口元を血で濡らしたコウモリはつぶらな瞳で佐久弥を見上げている。
 大量にいるコウモリを踏まないように気をつけながら、少し先に見えていた柔らかな草が生えている場所へと横たえてゆく。
 苔の採取ではなく、コウモリの運搬作業をひたすらにこなした佐久弥は、倒れたまま、うるうるした瞳で見つめてくるコウモリ達をひと撫でする。
「名前の通りになっちゃって……」
 血塗れ蝙蝠=ブラッディーバットという名のまま、血でべったりと柔らかだったろう毛皮を濡らしていた。
 コウモリにも効果があるかと、近くに生えていた薬草をナイフで採取し、そこらの石でゴリゴリとすり潰しては、コウモリの口元にせっせと運ぶ。
「……キューキューキュー」
 全部のコウモリに薬もどきを与える頃には、最初に薬を口にした奴らは元気になっていた。
「あんま、無理すんなよー」
 血を吐くのは威嚇なのだろう。助けた佐久弥に対してはもう吐血しようとはしなかった。乾いてきた血を指先でぺりぺりと剥がしてやったら、予想通りのふかふかがあった。
「可愛いなーお前ら」
 ――血を吐かなければ。
「……うん、お前も可愛いよスライム」
 だから、顔中をずりずり這おうとしないでくれ、息ができないんだ。

 懐くコウモリと、ねるスライムの相手を片手間にしながら、佐久弥は目的の光る苔を採取する。
 全部取ってしまっては、ここが暗闇になってしまうので、適当に間引くように採取を終えると、はっきり言ってうるさいほどのコウモリの羽ばたきに見送られながら洞窟を後にする。

「……まだ開いてんの」
 もう閉まってるだろと思っていた薬屋は、当たり前のように店を開き、買取を行っていた。
(ああ、門番といっしょか――)
 何だろう、こういったゲームらしい部分が、ここの人間味のあるNPC相手だと逆に怖い。
「買取お願いします」
「ああ、昼間の子ぉかい。よく来たねぇ」
 最初の不機嫌面はどこへ行ったのか、にこにこと手招きする老婆に光る苔を差し出す。
「あんた、よくこれ採って来たねこんなに。大丈夫だったかい?」
「……何というか、コウモリの方が大丈夫じゃなかったです」
「――殺したのかい?」
 老婆の目が鋭く光る。
「いや、血ぃ吐きすぎて倒れたんで介抱してました。……あの洞窟にある薬草すり潰して飲ませたけど、大丈夫ですか?」
 薬のことなら詳しいだろうと、気になってた事をついでに聞くと、老婆は嬉し気に頷きながら、買取額の1500Rを差し出す。
「煎じた方が効き目はいいんだがね。あの子らの小ささじゃ、それくらいが向いてるよ」
「よかった」
「……興味があるなら、教えてやろうかい?」
「え?良いんですか?」
 今までに仕入れた情報だと、薬草の知識はほとんどない。それに今回は場所を聞いていたからわかったが、これから先、フィールドに出て見分けられる自信などなかったのだ。
 佐久弥は渡りに船とばかりに、老婆に師事する事を選ぶ。
 裏口を示され、小さな部屋へと通される。そこは様々な薬の苦いような、甘いような不思議な匂いがしていた。
 昼間に買い取ってもらったラビリー草も、片隅で干されている。……ちょっと気持ち悪い。
 残り数人だった買取希望客をさばくと、老婆がゆっくりとした足取りで部屋に入ってくる。
「まずは、これを最後まで読みな。話はそれからだ」
 差し出された図鑑を受け取ると、効能・採取方法・採取場所・精密画が何ページにも及んで綴られていた。
 不思議なことに、見たページはするすると頭に入ってゆく。
(これ、現実世界に欲しい能力だ……)
 無理な事を考える間も、自然と知識は蓄えられてゆく。
 ぺらり、ぺらりと頁を繰るあいだ、スライムは佐久弥の膝上でまったりしている。
 シュンシュンと薬を煎じる音が夜の静けさの中に広がり、時折呼びかけに応じて老婆が買い取り窓口へと向かう。
 長い時間かけて図鑑を読み終えた頃には、微かに朝の光が差しはじめていた。
(そろそろ、いったん終わるか)
 Ideal World Online――IWOの世界で二日間。そろそろ良い時間だろうと、佐久弥は図鑑を老婆に返し、いったん帰る事を告げる。スライムはこのまま預かってくれると言うのに甘え、佐久弥はその場でログアウトした。


 ――自分がその日、プレイヤー達の常識に最初の皹を入れた事に気付く事無く。
 
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