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第三章 第五節 神として
12 自覚
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シャンタルは寝室に入り、寝台に近付くが上に上がることができず、いつもラーラ様が、最近ではミーヤが、そしてトーヤが座った例の椅子とソファの間のような大きめの椅子に座り込んだ。
「誰も助けてくれない……」
絶望的な気持ちでそうつぶやく。
シャンタルはこの十年、ほとんど何かを考えるということがなかった。
いつも温かい誰かの中でまどろんで、少し何かを感じたりすることはあったがそれだけだった。
今、その十年分と同じぐらいの色んなことが一度に振ってきてつぶされそうになっていた。
もしもトーヤ風に言うとすれば「ツケが回ってきた」ような状態だ。
だがその十年をただ眠っていたわけではない。シャンタルとしての唯一の務め、託宣を行って国を潤してきたのだ。決して役目を疎かにしていたわけではない。むしろ、その役目のために自分の人としての意識を奪われていた、眠らされていたと言える。
言い方を変えれば「シャンタルとしてのみ生きてきた」のだとも言える。
「どうすればいいの……」
もしも、以前のシャンタルなら、人形のままのシャンタルなら黙って棺に入れられて黙って沈められていただろう。
「もしもそうならどれだけ楽だったか……」
だが、その場合は「助け手」として呼ばれたトーヤに見捨てられる。あの恐ろしい水の中で黙って死んでいくしかなかった。
「それは嫌……死にたくない……怖い……」
もしも以前のままの自分なら苦しくなかったのだろうか、楽に死ねたのだろうか、そう思ってしまうほど恐ろしい。
「どうすれば……」
混乱する心の中でシャンタルは考えることすらできずにいた。
「いっそ……」
ふと、心に闇が兆す。
「水に沈む前に、苦しくなる前に、もっと、もっと楽に……」
そんなことが頭に浮かぶ。
刃物か何かで一気に喉を突く、どこか高いところから飛び降りる、その方が一瞬で命を絶てるのではないか、苦しまずに死ねるのではないか、そこまで追い詰められていた。
「だけど……」
『シャンタルはこのままでは死んでしまいます。死んではだめです、生きてくださいませ。そのためにもどうか、どうかトーヤ様をミーヤ様をお信じくださいませ。フェイに今できるのはそれだけなのです、どうかお願いいたします』
青い少女の言葉が心に残っている。
「トーヤを、信じる……」
あの乱暴な口調、粗野な振る舞い。だけどその目は優しかった。
『おまえが死ぬようなことをされそうになったらどうやってもおまえを守る』
信じていいのだろうか……
『マユリアたちはおまえを助けるために沈めようとしてる』
トーヤはそうも言っていた。それも信じていいのだろうか……
『心配すんな、俺がおまえを助けてやる。たとえ水の底に沈んだとしても助けてやる、信じろ』
『うまい飯をうまいと素直に思える気持ち、それを覚えておけってこった』
頭の中でトーヤの言葉がぐるぐると駆け巡る。
『沈められたら俺が引き上げて助けてやるからよ』
『おまえを助けるために沈めようとしてるような気がするんだ』
『多分、あいつらはおまえのために姿を消した、おまえが助かるためにどこかへ行ったんだ』
『シャンタルからご自分たちを切り離すためにどこかに行かれたのです』
『なんでも、そう、なんでもやるのです……シャンタルをお助けするためならシャンタルを湖に沈めることもやるのです……』
『シャンタル、あなたは神です』
ミーヤの言葉も加わってさらに頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「どうしてシャンタルなの……」
思わず言う。
「どうして神なの? どうして普通の子どもじゃなかったの? どうしてシャンタルなの?」
『もしもあなたが普通の子どもなら、そして私があなたの家族なら、すぐにもあなたを連れて逃げたい』
そうして欲しかった……
『どうぞシャンタルとして正しい道をお選びください』
「シャンタルとして正しい道を……」
『人のシャンタルとしてではなく、神たるシャンタルとして……』
「神たるシャンタルとして……」
『どうぞあなた様の家族を、あなたに従う侍女たちを、そして助け手としてあなたが招かれたトーヤをお信じください……』
「神として、信じる……」
信じる、何を?
『おまえ、おまえすげえな……なんだよそりゃ、ほんとに』
ふいに粗野な男の明るい声が頭に浮かぶ。
『おまえな、そんだけすげえ力持ってるんだ、湖に沈むぐらいどうってこたあない。その上このトーヤ様がついててやるんだ、安心して沈め。どうやっても助けてやるからよ』
なんとあっさりと言うのだろうか、こんな恐ろしいことを。
そう思うとなぜかおかしくなってきた。顔が思わず笑う。
『だーいじょうぶだって、自分を信じろ』
「自分を、信じる……」
『俺の言ったことを思い出してよく考えろ。うまいもんをうまいと思え。そして何を信じればいいか考えることだ』
「何を信じればいいのか考える……」
シャンタルはついさっきトーヤがしたように、上体をひねって寝台にもたれかかった。
寝台の上に両手を組み、その上に頭を乗せて考える。
「何を信じればいいのか考える……」
そう言ってじっと目を閉じて考え続けた。
「誰も助けてくれない……」
絶望的な気持ちでそうつぶやく。
シャンタルはこの十年、ほとんど何かを考えるということがなかった。
いつも温かい誰かの中でまどろんで、少し何かを感じたりすることはあったがそれだけだった。
今、その十年分と同じぐらいの色んなことが一度に振ってきてつぶされそうになっていた。
もしもトーヤ風に言うとすれば「ツケが回ってきた」ような状態だ。
だがその十年をただ眠っていたわけではない。シャンタルとしての唯一の務め、託宣を行って国を潤してきたのだ。決して役目を疎かにしていたわけではない。むしろ、その役目のために自分の人としての意識を奪われていた、眠らされていたと言える。
言い方を変えれば「シャンタルとしてのみ生きてきた」のだとも言える。
「どうすればいいの……」
もしも、以前のシャンタルなら、人形のままのシャンタルなら黙って棺に入れられて黙って沈められていただろう。
「もしもそうならどれだけ楽だったか……」
だが、その場合は「助け手」として呼ばれたトーヤに見捨てられる。あの恐ろしい水の中で黙って死んでいくしかなかった。
「それは嫌……死にたくない……怖い……」
もしも以前のままの自分なら苦しくなかったのだろうか、楽に死ねたのだろうか、そう思ってしまうほど恐ろしい。
「どうすれば……」
混乱する心の中でシャンタルは考えることすらできずにいた。
「いっそ……」
ふと、心に闇が兆す。
「水に沈む前に、苦しくなる前に、もっと、もっと楽に……」
そんなことが頭に浮かぶ。
刃物か何かで一気に喉を突く、どこか高いところから飛び降りる、その方が一瞬で命を絶てるのではないか、苦しまずに死ねるのではないか、そこまで追い詰められていた。
「だけど……」
『シャンタルはこのままでは死んでしまいます。死んではだめです、生きてくださいませ。そのためにもどうか、どうかトーヤ様をミーヤ様をお信じくださいませ。フェイに今できるのはそれだけなのです、どうかお願いいたします』
青い少女の言葉が心に残っている。
「トーヤを、信じる……」
あの乱暴な口調、粗野な振る舞い。だけどその目は優しかった。
『おまえが死ぬようなことをされそうになったらどうやってもおまえを守る』
信じていいのだろうか……
『マユリアたちはおまえを助けるために沈めようとしてる』
トーヤはそうも言っていた。それも信じていいのだろうか……
『心配すんな、俺がおまえを助けてやる。たとえ水の底に沈んだとしても助けてやる、信じろ』
『うまい飯をうまいと素直に思える気持ち、それを覚えておけってこった』
頭の中でトーヤの言葉がぐるぐると駆け巡る。
『沈められたら俺が引き上げて助けてやるからよ』
『おまえを助けるために沈めようとしてるような気がするんだ』
『多分、あいつらはおまえのために姿を消した、おまえが助かるためにどこかへ行ったんだ』
『シャンタルからご自分たちを切り離すためにどこかに行かれたのです』
『なんでも、そう、なんでもやるのです……シャンタルをお助けするためならシャンタルを湖に沈めることもやるのです……』
『シャンタル、あなたは神です』
ミーヤの言葉も加わってさらに頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「どうしてシャンタルなの……」
思わず言う。
「どうして神なの? どうして普通の子どもじゃなかったの? どうしてシャンタルなの?」
『もしもあなたが普通の子どもなら、そして私があなたの家族なら、すぐにもあなたを連れて逃げたい』
そうして欲しかった……
『どうぞシャンタルとして正しい道をお選びください』
「シャンタルとして正しい道を……」
『人のシャンタルとしてではなく、神たるシャンタルとして……』
「神たるシャンタルとして……」
『どうぞあなた様の家族を、あなたに従う侍女たちを、そして助け手としてあなたが招かれたトーヤをお信じください……』
「神として、信じる……」
信じる、何を?
『おまえ、おまえすげえな……なんだよそりゃ、ほんとに』
ふいに粗野な男の明るい声が頭に浮かぶ。
『おまえな、そんだけすげえ力持ってるんだ、湖に沈むぐらいどうってこたあない。その上このトーヤ様がついててやるんだ、安心して沈め。どうやっても助けてやるからよ』
なんとあっさりと言うのだろうか、こんな恐ろしいことを。
そう思うとなぜかおかしくなってきた。顔が思わず笑う。
『だーいじょうぶだって、自分を信じろ』
「自分を、信じる……」
『俺の言ったことを思い出してよく考えろ。うまいもんをうまいと思え。そして何を信じればいいか考えることだ』
「何を信じればいいのか考える……」
シャンタルはついさっきトーヤがしたように、上体をひねって寝台にもたれかかった。
寝台の上に両手を組み、その上に頭を乗せて考える。
「何を信じればいいのか考える……」
そう言ってじっと目を閉じて考え続けた。
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