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第六章 第四節
5 表も裏も
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ずっと自尊心と引き換えに自分の身を守ってきた神官長。誰に嘲られ、誰に嘲笑われ、誰に低く見られたとしても、そのことで平穏に暮らすことができればそれでいい、そう思って色んなことに目をつぶってきた神官長だ。
それは「最後のシャンタル」のことに気づいてからも一緒であった。マユリアと先代「黒のシャンタル」の「親御様」が、「お父上」が同じ人間である。そう知ってから必死に過去の記録を探り、きっと今までもそのようなことがあったはず、そう考えて調べて調べて調べまくったが、そんな記録はどこにも残ってはいなかった。
もしかしたら、隠すために改ざんされているのだろうか。そう考えてもみたが、その場合、どう調べても本当のことは分かるまい。そう思って一度は諦めた。目をつぶることにした。
侍女頭のキリエに聞いてみようともした。だがあの侍女頭は神官長とその秘密について何かを共有するつもりはないと分かった。自分がそのことを切り出そうとした時のあの表情。いつもと変わらぬ鋼鉄でありながら、それ以上に何も言うつもりがないことを知らせてきたあの冷たい仮面。
もしかしたらキリエは知っているのかも知れない。その上で自分には立ち入るなと言っているのだ、おまえのような者が知る必要がない、そう告げているのだ。そう理解し、もう何かを言うのはやめた。
しょせん、自分はそのような位置にいる。自分がその道を選んだのだから、それでいい、そう思った。
自分には関係のないことは知る必要はない。
これまでの人生をこうして生きてきた、自尊心を殺し、ただひたすらそのへんに落ちている小石のように。
これまでもそうして生きていくだけだ。
そして十年が過ぎ、託宣で当時の次代様、今の当代の親の名を聞き、神官長は愕然とした。
また同じ親御様、同じお父上。
この先にあることを想像すると、背筋が凍る思いだった。
だが自分には関係のないこと、そう思って知らぬ顔をした。
もしもこの先、この世界に何かが起こるとしても、それは自分がこの世からいなくなった後のことだろう。だからこそ、あの侍女頭も知らぬ顔をしているに違いない。そう考えると合点がいった。
その結果、あり得なかったことが起こった。
――シャンタルの死――
交代を終え、翌日にはマユリアになられるはずだった先代がいきなり亡くなった。
それでも神官長は知らぬ顔をした。
自分にできることはそれしかない。
この世で初めてのシャンタルの葬送の儀を執り行い、その遺言の通り黒い棺を聖なる湖に沈めた。
何もかもに知らぬ振りをしておけばいい。
自分には関係のないことだ。
そういえば色々と動きがおかしかった。託宣の客人などという妙な男が流れ着き、一時はマユリアがお籠りをなさったり、前の宮の侍女がシャンタル付きになったりと、これまではなかったことが色々とあった。
だがそれも、自分とは関係のないこと。そう思って目をつぶってきた。侍女頭は何か知っているのだろうとは思ったが、それでも自分には関係のないことだ。「取るに足らぬ者」である自分には。
事態がいくら今までにないほどおかしなことだったとしても、自分には関係のないことだ。何度も何度もそう思おうとしたが、その反動だろうか、高熱を出して生死の境をさまよった。
そのせいだろうか、もう自分の気持ちにフタを出来なくなった。そして御祭神に向かって慟哭しながら訴えたのだが神は何も言ってはくださらなかった。
自分が自分を「取るに足りない者」として扱った結果、神も自分を取るに足らない者とみなしているのだろう。そう思った。
だが今は違う。
「思いをお聞き届けいただけた」
マユリアの中の女神マユリアは神官長の思いを受け止め、共に世界を救おうと言ってくれた。
その日から神官長は自分の存在を誇りに思い、世界を救うためなら何でもすると決めたのだ。
自尊心を持って生きるということは、なんと素晴らしいことなのか。誰かに認められるということは、なんと誇らしいことなのか。これまでの自分の生き方はなんと卑屈だったのか。
だが、その恥ずべき過去ですら、主は必要なことであったと言ってくださったのだ。その苦しい過去があるからこそ、今のおまえがあるのだ、そう言ってくださった。
「もうすぐその夢が叶う……」
ただ一つ心残りがあるとすれば、「あの方」、表のマユリアのお心には届かなかったということだ。
中の御方には表のマユリアの心を開かせるようにと言われていた。だから「取次役」にセルマを就けて、お心を開いてもらおうと努力をしたのだが、とうとうそうはならなかった。
必死にマユリアの裾を掴んだ時を思い出す。御祭神に血を吐くように訴えた時と同じように、この思いが届けば表のマユリアにも分かっていただけるはずだと思ったのだがだめだった。
中の方は表のマユリアが自分から国王との婚姻を受け入れ、女王となる道を選んでくれることをお望みだったが、結果的には力でねじ伏せる形になったことを残念に思っていらっしゃる。
今は中の方の中にいらっしゃるだろう表のマユリアにもご信頼いただけなかったことを、神官長も残念に思い、苦しく感じていた。
それは「最後のシャンタル」のことに気づいてからも一緒であった。マユリアと先代「黒のシャンタル」の「親御様」が、「お父上」が同じ人間である。そう知ってから必死に過去の記録を探り、きっと今までもそのようなことがあったはず、そう考えて調べて調べて調べまくったが、そんな記録はどこにも残ってはいなかった。
もしかしたら、隠すために改ざんされているのだろうか。そう考えてもみたが、その場合、どう調べても本当のことは分かるまい。そう思って一度は諦めた。目をつぶることにした。
侍女頭のキリエに聞いてみようともした。だがあの侍女頭は神官長とその秘密について何かを共有するつもりはないと分かった。自分がそのことを切り出そうとした時のあの表情。いつもと変わらぬ鋼鉄でありながら、それ以上に何も言うつもりがないことを知らせてきたあの冷たい仮面。
もしかしたらキリエは知っているのかも知れない。その上で自分には立ち入るなと言っているのだ、おまえのような者が知る必要がない、そう告げているのだ。そう理解し、もう何かを言うのはやめた。
しょせん、自分はそのような位置にいる。自分がその道を選んだのだから、それでいい、そう思った。
自分には関係のないことは知る必要はない。
これまでの人生をこうして生きてきた、自尊心を殺し、ただひたすらそのへんに落ちている小石のように。
これまでもそうして生きていくだけだ。
そして十年が過ぎ、託宣で当時の次代様、今の当代の親の名を聞き、神官長は愕然とした。
また同じ親御様、同じお父上。
この先にあることを想像すると、背筋が凍る思いだった。
だが自分には関係のないこと、そう思って知らぬ顔をした。
もしもこの先、この世界に何かが起こるとしても、それは自分がこの世からいなくなった後のことだろう。だからこそ、あの侍女頭も知らぬ顔をしているに違いない。そう考えると合点がいった。
その結果、あり得なかったことが起こった。
――シャンタルの死――
交代を終え、翌日にはマユリアになられるはずだった先代がいきなり亡くなった。
それでも神官長は知らぬ顔をした。
自分にできることはそれしかない。
この世で初めてのシャンタルの葬送の儀を執り行い、その遺言の通り黒い棺を聖なる湖に沈めた。
何もかもに知らぬ振りをしておけばいい。
自分には関係のないことだ。
そういえば色々と動きがおかしかった。託宣の客人などという妙な男が流れ着き、一時はマユリアがお籠りをなさったり、前の宮の侍女がシャンタル付きになったりと、これまではなかったことが色々とあった。
だがそれも、自分とは関係のないこと。そう思って目をつぶってきた。侍女頭は何か知っているのだろうとは思ったが、それでも自分には関係のないことだ。「取るに足らぬ者」である自分には。
事態がいくら今までにないほどおかしなことだったとしても、自分には関係のないことだ。何度も何度もそう思おうとしたが、その反動だろうか、高熱を出して生死の境をさまよった。
そのせいだろうか、もう自分の気持ちにフタを出来なくなった。そして御祭神に向かって慟哭しながら訴えたのだが神は何も言ってはくださらなかった。
自分が自分を「取るに足りない者」として扱った結果、神も自分を取るに足らない者とみなしているのだろう。そう思った。
だが今は違う。
「思いをお聞き届けいただけた」
マユリアの中の女神マユリアは神官長の思いを受け止め、共に世界を救おうと言ってくれた。
その日から神官長は自分の存在を誇りに思い、世界を救うためなら何でもすると決めたのだ。
自尊心を持って生きるということは、なんと素晴らしいことなのか。誰かに認められるということは、なんと誇らしいことなのか。これまでの自分の生き方はなんと卑屈だったのか。
だが、その恥ずべき過去ですら、主は必要なことであったと言ってくださったのだ。その苦しい過去があるからこそ、今のおまえがあるのだ、そう言ってくださった。
「もうすぐその夢が叶う……」
ただ一つ心残りがあるとすれば、「あの方」、表のマユリアのお心には届かなかったということだ。
中の御方には表のマユリアの心を開かせるようにと言われていた。だから「取次役」にセルマを就けて、お心を開いてもらおうと努力をしたのだが、とうとうそうはならなかった。
必死にマユリアの裾を掴んだ時を思い出す。御祭神に血を吐くように訴えた時と同じように、この思いが届けば表のマユリアにも分かっていただけるはずだと思ったのだがだめだった。
中の方は表のマユリアが自分から国王との婚姻を受け入れ、女王となる道を選んでくれることをお望みだったが、結果的には力でねじ伏せる形になったことを残念に思っていらっしゃる。
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