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第五章 第四部
10 衝撃を受けた者
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「いえ、いいのです」
マユリアはキリエが今日、この部屋に入ってから初めて、いつものように艶やかに笑った。
言わなくても分かっていることだ。それは、この国ではなく外から来たあの者たちの影響であろうとマユリアには分かっていた。
それは自分も変わったからだ。夢見てもいいと言ってもらったからだ。運命は流れるままではないということを知ったからだ。
「良いお顔で笑っていらっしゃいます」
キリエがマユリアの笑顔に少し気持ちを緩ませた。
「ですが、まだ続きを聞いておりません。その後のご体調がどうであったかを」
「そうでしたね」
マユリアの話によると、その後も何度かそのように気が遠くなることはあった、ということだ。
「ですが、いつも短時間であったことと、それ以上に悪くなる様子がなかったこと、それから、女性には血の道ということがあると聞いたことがあったものですから、おそらく自分もその関係ではないかと思っていました」
「ええ、確かにそのようなことはございますが。それはでは、そのような時期のことだったということでしょうか」
マユリアは少し考え、
「いえ、特に関係はなかったようにも思います」
と、答える。
「確かに侍女の中にもある一定の期間、寝込む者もおります。ですが、今までマユリアがそのようなことで、今回のように寝込まれるなどということはなかったと記憶しております。今回はこれまでとは違ったということでしょうか」
「ええ……」
マユリアが力なく答えた。認めることで自分の不調を認めるのが怖い、キリエにはそのような姿にも見えた。
「では、今回はどのようであられたのでしょうか。思い出されるのはご心配でありましょうが、きちんと話を伺ってみないことには、どのようにしてさしあげられるかが分かりません。お話しいただけるでしょうか」
キリエの真剣な目を見つめながら、
「分かりました」
マユリアが今回のことがいつからどうであったのかを、思い出しながら説明をした。
「実は、あの前日に少し妙なことがありました」
「前日とは、お倒れになった前日でよろしいですか」
「ええ、そうです」
その日がキリエには気になった。それは、悪さをしようとしたヌオリたちの手から「黒のシャンタル」がミーヤを助けた日だ。その日、ヌオリたちに退去命令を出して送り出した後、ミーヤと時を同じくした。そしてその後で、侍女の交代を申し出るためにシャンタルの私室を訪ねたのだ。その時にマユリアが倒れたのだから、その前日ということは、あの日に間違いがないということだ。
「どのようなことがあったのでしょう」
「ええ」
マユリアがゆっくりと思い出しながら話す。
「時刻はまだ朝のうちだったと思います。わたくしは応接で一人座っておりました。特にやることもなかったですし、ぼんやりと考え事をしていました。すると、突然、なんと言えばいいのでしょう、衝撃を受けたような感じがしたのです」
「衝撃、ですか」
キリエには正直なところ、それがどのような状態であるかはよく分からない。それは、そのような「衝撃」などというものを受けた経験がないからだ。
だが、そのような状況を経験した者ならば知っている。実際にキリエが見たのは、全ての感覚を失った先代シャンタルが、トーヤの体に入ろうとして弾き飛ばされた姿だ。そしてその影響を受けて一日寝込んだトーヤの姿も目にしている。
それから、ほんの一瞬ではあったが、トーヤが懲罰房に入った瞬間、一瞬だがトーヤは衝撃を受けて床に膝をついた。そして急いでその場を離れようとした。
おそらくはそのような「衝撃」をマユリアもお受けになられたのだ。そしてそれはきっと、先代がミーヤを助けたその時のことだろう。時間的にもほぼ間違いがないと思った。
「それで、どうなさったのですか」
「ええ、ほんの一瞬でしたから、なんだったのだろうと思って、そのままになりました」
「それは、それまでで初めてのご経験でしたでしょうか」
「初めて? ええ、おそらく……いえ、違います」
マユリアが違うと言いかけて思い出したことを口にする。
「八年前、あの場所でお籠りをしていた時、あの時と似ています、そういえば」
やはりそうであったかとキリエは得心した。
「あの時は、先代がトーヤに弾き飛ばされたその影響を受けたのだということでしたね」
「はい」
「では、もしかして今回のそれも」
キリエはどう答えようかと少し考え、
「その可能性もないことはない、と思います」
と、正直に答えた。
「ただ、私には己の身の上に起きたことのないこと、それ以上のお答えは出来かねます。申し訳ありませんが」
キリエはそう言って、座ったままできる範囲で頭を下げた。
「相変わらず正直ですね」
マユリアが楽しそうに笑う。
「可能性。ええ、可能性だけでも構いません。もしかしたら今回のことも、あの方たちと関係のあることかも知れない。そう思うだけで心安らかです」
マユリアがほおっと一つ大きく呼吸をすると、静かに目を閉じた。
「わたくしはこうして待つしかできぬ身ですが、きっと良きように動いていてくれるはずです」
その表情は安らかで幸せそうであった。
マユリアはキリエが今日、この部屋に入ってから初めて、いつものように艶やかに笑った。
言わなくても分かっていることだ。それは、この国ではなく外から来たあの者たちの影響であろうとマユリアには分かっていた。
それは自分も変わったからだ。夢見てもいいと言ってもらったからだ。運命は流れるままではないということを知ったからだ。
「良いお顔で笑っていらっしゃいます」
キリエがマユリアの笑顔に少し気持ちを緩ませた。
「ですが、まだ続きを聞いておりません。その後のご体調がどうであったかを」
「そうでしたね」
マユリアの話によると、その後も何度かそのように気が遠くなることはあった、ということだ。
「ですが、いつも短時間であったことと、それ以上に悪くなる様子がなかったこと、それから、女性には血の道ということがあると聞いたことがあったものですから、おそらく自分もその関係ではないかと思っていました」
「ええ、確かにそのようなことはございますが。それはでは、そのような時期のことだったということでしょうか」
マユリアは少し考え、
「いえ、特に関係はなかったようにも思います」
と、答える。
「確かに侍女の中にもある一定の期間、寝込む者もおります。ですが、今までマユリアがそのようなことで、今回のように寝込まれるなどということはなかったと記憶しております。今回はこれまでとは違ったということでしょうか」
「ええ……」
マユリアが力なく答えた。認めることで自分の不調を認めるのが怖い、キリエにはそのような姿にも見えた。
「では、今回はどのようであられたのでしょうか。思い出されるのはご心配でありましょうが、きちんと話を伺ってみないことには、どのようにしてさしあげられるかが分かりません。お話しいただけるでしょうか」
キリエの真剣な目を見つめながら、
「分かりました」
マユリアが今回のことがいつからどうであったのかを、思い出しながら説明をした。
「実は、あの前日に少し妙なことがありました」
「前日とは、お倒れになった前日でよろしいですか」
「ええ、そうです」
その日がキリエには気になった。それは、悪さをしようとしたヌオリたちの手から「黒のシャンタル」がミーヤを助けた日だ。その日、ヌオリたちに退去命令を出して送り出した後、ミーヤと時を同じくした。そしてその後で、侍女の交代を申し出るためにシャンタルの私室を訪ねたのだ。その時にマユリアが倒れたのだから、その前日ということは、あの日に間違いがないということだ。
「どのようなことがあったのでしょう」
「ええ」
マユリアがゆっくりと思い出しながら話す。
「時刻はまだ朝のうちだったと思います。わたくしは応接で一人座っておりました。特にやることもなかったですし、ぼんやりと考え事をしていました。すると、突然、なんと言えばいいのでしょう、衝撃を受けたような感じがしたのです」
「衝撃、ですか」
キリエには正直なところ、それがどのような状態であるかはよく分からない。それは、そのような「衝撃」などというものを受けた経験がないからだ。
だが、そのような状況を経験した者ならば知っている。実際にキリエが見たのは、全ての感覚を失った先代シャンタルが、トーヤの体に入ろうとして弾き飛ばされた姿だ。そしてその影響を受けて一日寝込んだトーヤの姿も目にしている。
それから、ほんの一瞬ではあったが、トーヤが懲罰房に入った瞬間、一瞬だがトーヤは衝撃を受けて床に膝をついた。そして急いでその場を離れようとした。
おそらくはそのような「衝撃」をマユリアもお受けになられたのだ。そしてそれはきっと、先代がミーヤを助けたその時のことだろう。時間的にもほぼ間違いがないと思った。
「それで、どうなさったのですか」
「ええ、ほんの一瞬でしたから、なんだったのだろうと思って、そのままになりました」
「それは、それまでで初めてのご経験でしたでしょうか」
「初めて? ええ、おそらく……いえ、違います」
マユリアが違うと言いかけて思い出したことを口にする。
「八年前、あの場所でお籠りをしていた時、あの時と似ています、そういえば」
やはりそうであったかとキリエは得心した。
「あの時は、先代がトーヤに弾き飛ばされたその影響を受けたのだということでしたね」
「はい」
「では、もしかして今回のそれも」
キリエはどう答えようかと少し考え、
「その可能性もないことはない、と思います」
と、正直に答えた。
「ただ、私には己の身の上に起きたことのないこと、それ以上のお答えは出来かねます。申し訳ありませんが」
キリエはそう言って、座ったままできる範囲で頭を下げた。
「相変わらず正直ですね」
マユリアが楽しそうに笑う。
「可能性。ええ、可能性だけでも構いません。もしかしたら今回のことも、あの方たちと関係のあることかも知れない。そう思うだけで心安らかです」
マユリアがほおっと一つ大きく呼吸をすると、静かに目を閉じた。
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その表情は安らかで幸せそうであった。
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