272 / 488
第四章 第三部
1 狂信者
しおりを挟む
神官長はその時のことを思い出すと、今でも神が自分の祈りに答えて下さったことに驚愕し、奇跡が起きた感動に全身が震える。
「そうだ、それまでは先行きの見えない不安、この先もこれまで同じようにこの国にシャンタルの、女神の加護があるのだろうか、それとも人はすでに天に見放されたのではないか、その思いに胸狂おしくもだえ苦しむ日々、それがそのお声で一度に明るく開けたのだ」
神官長はうっとりとした顔で一度しっかりと目をつぶり、やがてゆっくりと開くと天を仰いでこう言った。
「私の、自分の使命を知ったのだ。そう、目覚めたのだ! 神よ、ありがとうございます、感謝いたします」
キリエが疑問に思ったことの答え、神官長が変わった原因がここにあった。
信じがたいことだが、神官長は神の声を聞き、その声に従うという「真の使命」を知り、目覚めたのだ。
元々はひっそりと学問ができればそれでいいと、奢侈に溺れることもなく、神殿での仕事も神官としての役目も苦にはならず、神官の見本のように清らかに静かに生きてきた神官長が、一時的なことであろうとその身に負うには重い神官長という責務を引き受けたことからその運命は変転していった。
あくまでも一時的な中継ぎでの神官長、そう思うからこそ引き受けただけで、本来はどこかの組織の頂点に立ちたいとか、権力を握りたいと思う種類の人間ではなかった。中継ぎを知りながら引き受けたのも、そうすることで組織が荒れることがなく、静かな生活を続けられる、2人の神官長候補の力関係がはっきりして上下が決まれば、その瞬間にもでも一神官に戻れる、長々と争いが続いて落ち着かない生活が長引くよりは、自分が引き受けることで一時的にでも冷静になれば、そう思ってのことであった。決して、間違えてもこの機会に自分が上に立ちたい、一度でもその地位を味わいたい、そう思ってのことではなかった。
元々の神官長という人は、トーヤが八年前に受けた印象のままの、事なかれ主義の人間であった。静かに読書と祈りの時間だけで人生を埋めたいと願う、そういう人間でしかなかったのだ。
神官長はこの十八年の間の苦悩と喜びをつらつらと思い出すと、ほおっと一つため息をついて、最後の一言を口にした。
「さあ、新しい時代のために、真に美しい女神の国のためにも次に向かって動かないとな。幸いにもあちらから手を差し伸べてくれたのだ、一つやりやすくなった。これもみな、天のご意思であろう」
そうして今日の当番の神官を呼び、出した食器を片付け、来客が正殿から戻ったら部屋まで案内するようにとにこやかに命じて部屋を出ていった。
ヌオリたちを見送ってから移動を開始したダルたちは、一度アランの部屋へ行き、もう少し元王宮衛士たちの動きに気をつけるためにもう一度ハリオを借りると告げ、王都へと戻って行った。
「あの時はどれだけ人数がいるか分からないってことで、俺と船長も一緒に連れてかれたけど、あの人に釘さされたからもうちょいここで待機かな」
見送った後、ディレンと2人残されたアランがそう言って、ベッドの上にのんびりと寝転がった。
昨日、アーリンが宮へ駆け戻ってダルに事情を話し、それを聞いたルギが手数にと、ディレンとアランを伴って一緒に王都のオーサ商会の持ち物である貸家へ駆けつけたのだ。
「事情が事情だけに衛士を連れて行くわけにもいかん、それでやむなく一緒に行ってもらったが、勝手に宮から出てもらっては困る状況は変わっていない、それは理解しておいてくれ」
戻った後ルギにそう言われ、アランとディレンはまた軟禁状態に戻された。
「ハリオ殿には月虹隊が力をお借りしているということ、あのことに関わりがない方ということで外に出てもらっているが、もしも何か変な動きがあるならその時にはまた、ここで大人しくしていただくことになる」
ルギはハリオとアーダが「黒のシャンタル」を巡る一連の出来事と関わりがないと思っている。当然だろう。まさか、あんな場所に召喚されて巻き込まれているなど想像もできまい。
「分かってるが、アルロス号の方は変に思いませんかね」
アランがその時のことを思いだし、憎々しげにそう言うと、
「ああ、それは大丈夫だ。この間衛士の方から伝言を頼んだ」
「いつの間に!」
「おまえさんがお手紙を書いてる時、呼ばれて俺だけが部屋を出たことがあったろうが」
「ああ」
確かにあった。というか、今も交代で話を聞きたいと呼ばれることがある。
「それだけじゃないしな」
ディレンが楽しそうにそう言って笑った。
「アランはお元気かしら」
この宮の主がちょこちょことそうおっしゃることから、マユリアの客室で何回か短く面会をしていた。
友人同士のおしゃべりということで、付き添いはいるが本当に軽く「お茶でも」そんな感じで短時間、おしゃべりを楽しみに来られる。
「次代様がご誕生になり、交代の後でマユリアにおなりになるまではこれといってなさることもないお方だ、お友達が気晴らしになってさしあげてくれてこちらも助かる」
ルギが皮肉そうにそう言ったことを思い出し、アランが嫌そうに顔をしかめ、それを見たディレンが楽しそうに笑った。
「そうだ、それまでは先行きの見えない不安、この先もこれまで同じようにこの国にシャンタルの、女神の加護があるのだろうか、それとも人はすでに天に見放されたのではないか、その思いに胸狂おしくもだえ苦しむ日々、それがそのお声で一度に明るく開けたのだ」
神官長はうっとりとした顔で一度しっかりと目をつぶり、やがてゆっくりと開くと天を仰いでこう言った。
「私の、自分の使命を知ったのだ。そう、目覚めたのだ! 神よ、ありがとうございます、感謝いたします」
キリエが疑問に思ったことの答え、神官長が変わった原因がここにあった。
信じがたいことだが、神官長は神の声を聞き、その声に従うという「真の使命」を知り、目覚めたのだ。
元々はひっそりと学問ができればそれでいいと、奢侈に溺れることもなく、神殿での仕事も神官としての役目も苦にはならず、神官の見本のように清らかに静かに生きてきた神官長が、一時的なことであろうとその身に負うには重い神官長という責務を引き受けたことからその運命は変転していった。
あくまでも一時的な中継ぎでの神官長、そう思うからこそ引き受けただけで、本来はどこかの組織の頂点に立ちたいとか、権力を握りたいと思う種類の人間ではなかった。中継ぎを知りながら引き受けたのも、そうすることで組織が荒れることがなく、静かな生活を続けられる、2人の神官長候補の力関係がはっきりして上下が決まれば、その瞬間にもでも一神官に戻れる、長々と争いが続いて落ち着かない生活が長引くよりは、自分が引き受けることで一時的にでも冷静になれば、そう思ってのことであった。決して、間違えてもこの機会に自分が上に立ちたい、一度でもその地位を味わいたい、そう思ってのことではなかった。
元々の神官長という人は、トーヤが八年前に受けた印象のままの、事なかれ主義の人間であった。静かに読書と祈りの時間だけで人生を埋めたいと願う、そういう人間でしかなかったのだ。
神官長はこの十八年の間の苦悩と喜びをつらつらと思い出すと、ほおっと一つため息をついて、最後の一言を口にした。
「さあ、新しい時代のために、真に美しい女神の国のためにも次に向かって動かないとな。幸いにもあちらから手を差し伸べてくれたのだ、一つやりやすくなった。これもみな、天のご意思であろう」
そうして今日の当番の神官を呼び、出した食器を片付け、来客が正殿から戻ったら部屋まで案内するようにとにこやかに命じて部屋を出ていった。
ヌオリたちを見送ってから移動を開始したダルたちは、一度アランの部屋へ行き、もう少し元王宮衛士たちの動きに気をつけるためにもう一度ハリオを借りると告げ、王都へと戻って行った。
「あの時はどれだけ人数がいるか分からないってことで、俺と船長も一緒に連れてかれたけど、あの人に釘さされたからもうちょいここで待機かな」
見送った後、ディレンと2人残されたアランがそう言って、ベッドの上にのんびりと寝転がった。
昨日、アーリンが宮へ駆け戻ってダルに事情を話し、それを聞いたルギが手数にと、ディレンとアランを伴って一緒に王都のオーサ商会の持ち物である貸家へ駆けつけたのだ。
「事情が事情だけに衛士を連れて行くわけにもいかん、それでやむなく一緒に行ってもらったが、勝手に宮から出てもらっては困る状況は変わっていない、それは理解しておいてくれ」
戻った後ルギにそう言われ、アランとディレンはまた軟禁状態に戻された。
「ハリオ殿には月虹隊が力をお借りしているということ、あのことに関わりがない方ということで外に出てもらっているが、もしも何か変な動きがあるならその時にはまた、ここで大人しくしていただくことになる」
ルギはハリオとアーダが「黒のシャンタル」を巡る一連の出来事と関わりがないと思っている。当然だろう。まさか、あんな場所に召喚されて巻き込まれているなど想像もできまい。
「分かってるが、アルロス号の方は変に思いませんかね」
アランがその時のことを思いだし、憎々しげにそう言うと、
「ああ、それは大丈夫だ。この間衛士の方から伝言を頼んだ」
「いつの間に!」
「おまえさんがお手紙を書いてる時、呼ばれて俺だけが部屋を出たことがあったろうが」
「ああ」
確かにあった。というか、今も交代で話を聞きたいと呼ばれることがある。
「それだけじゃないしな」
ディレンが楽しそうにそう言って笑った。
「アランはお元気かしら」
この宮の主がちょこちょことそうおっしゃることから、マユリアの客室で何回か短く面会をしていた。
友人同士のおしゃべりということで、付き添いはいるが本当に軽く「お茶でも」そんな感じで短時間、おしゃべりを楽しみに来られる。
「次代様がご誕生になり、交代の後でマユリアにおなりになるまではこれといってなさることもないお方だ、お友達が気晴らしになってさしあげてくれてこちらも助かる」
ルギが皮肉そうにそう言ったことを思い出し、アランが嫌そうに顔をしかめ、それを見たディレンが楽しそうに笑った。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
悲恋を気取った侯爵夫人の末路
三木谷夜宵
ファンタジー
侯爵夫人のプリシアは、貴族令嬢と騎士の悲恋を描いた有名なロマンス小説のモデルとして持て囃されていた。
順風満帆だった彼女の人生は、ある日突然に終わりを告げる。
悲恋のヒロインを気取っていた彼女が犯した過ちとは──?
カクヨムにも公開してます。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる