86 / 488
第二章 第一部 吹き返す風
4 抱く
しおりを挟む
トーヤは「お父上」として宮から出た。
帰ってくる時に真っ直ぐではなく、一度用意された家に入り、そこから人に見られないようにこっそりと出てからラデルの家具工房へと帰る。
もちろんマントをきちんと着込み、あちらこちらに寄り道をして、絶対に誰にも付けられないように気をつけながらだ。
今度宮に行きたくなったら連絡をして、その逆の経路でその家から馬車で宮へ入る。
「親御様」と「お父上」がどこの誰かは知られないようにこれほどに気を配られている。
知っているのはごくごく限られた一部の人間だけだ。
今回は託宣を聞いたラーラ様と侍女頭のキリエの二人が知って、それを神官長に告げた。
その後で侍女頭が選んだ衛士1名、神官長が選んだ神官1名で確認に行くのだ。
今回選ばれた衛士は、シャンタル宮警護隊長のルギであった。
「本当なら隊長であるあなたに頼むべきことではないのですが」
キリエがいつものように、見た目だけは何もないようにそう告げ、ルギも何一つ質問することなくその任に就いた。
神官長が任命した神官は、後は引退の時を迎えるだけの古株の神官であった。
ルギと年老いた神官の2名は2頭の馬で連れ立って「親御様」の自宅へと向かった。
神官は月虹兵ができるまでは宮の伝令の役目も担っていたので、乗馬は全員ができることとなっている。あまりに高齢になったり、どうしても乗れない者は馬車を使うが、この老神官はまだ大丈夫なようだった。
着いた先はリュセルスの西あたりにある家具工房であった。
神官が声をかけると、中から特にこれといって特徴のない、中年から初老にかかろうかという男が出てきた。
この工房の親方であるラデル、当代シャンタルの「お父上」であるが、ルギも老神官もその事実は知らない。
目的の方の名を伝えると、確かにここに住む人物であると分かった。
「今は出かけていておりません。伝言があるなら伝えますが」
「いえ、それだけでは困るのです。事が事だけに」
神官が困ったように言うと、
「そう言われても今はいないのですから仕方がないでしょう。戻ったら連絡しますので、連絡先を教えて下さい」
そう言われて、神官と衛士が一時滞在先を伝え、翌日、連絡があったのでもう一度訪問すると、シャンタルの託宣通りの名を持つ女性が確かに存在していた。
「親御様」である女性は衛士と神官が来た理由を聞くと、
「そうですか」
とだけ淡々と答えた。
いつもなら吉日を伝えてお迎えの日まで自宅で過ごしていただくのがだ、何しろ前回は親御様が一時期姿をくらまして大騒ぎになっていた。今回は宮に入る日は選ぶが、それまでは目の届くところに滞在していただきたいと伝える。
「分かりました」
それにも淡々と答えるので、ルギはなんとなく違和感を持った。
自分の胎内に次のシャンタル、次代様がいらっしゃる。
そう聞いた時、こんなに普通の状態でいられるものなのだろうか、そう思ったのだ。
ルギが見る女性はほぼ宮の中にいる侍女のみだ。
主であるシャンタルとマユリアは神なので女性には含まれない、そんな失礼なことはできない。
それから任務の時に街で見かける女性、たまにダルなどと一緒に街に飲みに行った店にいる女性などだが、その中に子を身ごもっている女性の数は少なかった。
(そういえばリルが身重だったな)
そうは思うが、リルは見たところ以前とほぼ変わりがないように思う。
ならばこの反応もごく普通のものなのだろうか。
それ以上のことは想像することもできないので、そこで考えるのを諦めた。
そうして親御様は無事に一度待機場所である家に入られて、吉日を選んで宮へと移動された。
今回は産み月まで後二月ほどではないかとの話だった。
(だとすればリルと同じぐらいの時期か)
ルギはふと、そうも思った。
同じぐらいの時期にリルは4人目の子を産むと、その後は上の子と夫が待つ家で今までより1人多い6人家族としての生活を始める。夫婦どちらの両親も健在なので、それはにぎやかなことになるだろう。
だが親御様とお父上は違う。
聞いたところによると上にお子様はいらっしゃらないということだったので、次代様を無事にご出産なさったら、約一月後の交代の儀式の後、親御様の体調を見ながらひっそりと元の家に帰り、また夫婦二人の生活が戻ってくる。
生まれた子を一度も抱くことなく、シャンタルを十年、マユリアを十年お務めになり、神から人に戻られた子が親の元に戻る日を待つしかない。
二十年の歳月を超えて、親はやっと我が子をその胸に抱くことができる。
今回の役目に就き、ルギは、ラーラ様、先代の「黒のシャンタル」、当代、これからお生まれになる次代様、そして我が主と定めたマユリア、5人の女神の運命の過酷さを初めて知った気がした。
ルギ自身も11歳にして家族全員を失ったというものの、それでもそれ以前の記憶、懐かしい家族の記憶はしっかりと残っている。
幼い時、ぐずって母の胸に抱かれたこと、父にしっかりと肩車をされたこと、叔父や兄たちと共に初めて船に乗った時のあの興奮。
人に戻ったマユリアは、他のお方たちは、空白の二十年をどうやって埋めるのだろう。
ルギは初めてその考えに至ったのだ。
帰ってくる時に真っ直ぐではなく、一度用意された家に入り、そこから人に見られないようにこっそりと出てからラデルの家具工房へと帰る。
もちろんマントをきちんと着込み、あちらこちらに寄り道をして、絶対に誰にも付けられないように気をつけながらだ。
今度宮に行きたくなったら連絡をして、その逆の経路でその家から馬車で宮へ入る。
「親御様」と「お父上」がどこの誰かは知られないようにこれほどに気を配られている。
知っているのはごくごく限られた一部の人間だけだ。
今回は託宣を聞いたラーラ様と侍女頭のキリエの二人が知って、それを神官長に告げた。
その後で侍女頭が選んだ衛士1名、神官長が選んだ神官1名で確認に行くのだ。
今回選ばれた衛士は、シャンタル宮警護隊長のルギであった。
「本当なら隊長であるあなたに頼むべきことではないのですが」
キリエがいつものように、見た目だけは何もないようにそう告げ、ルギも何一つ質問することなくその任に就いた。
神官長が任命した神官は、後は引退の時を迎えるだけの古株の神官であった。
ルギと年老いた神官の2名は2頭の馬で連れ立って「親御様」の自宅へと向かった。
神官は月虹兵ができるまでは宮の伝令の役目も担っていたので、乗馬は全員ができることとなっている。あまりに高齢になったり、どうしても乗れない者は馬車を使うが、この老神官はまだ大丈夫なようだった。
着いた先はリュセルスの西あたりにある家具工房であった。
神官が声をかけると、中から特にこれといって特徴のない、中年から初老にかかろうかという男が出てきた。
この工房の親方であるラデル、当代シャンタルの「お父上」であるが、ルギも老神官もその事実は知らない。
目的の方の名を伝えると、確かにここに住む人物であると分かった。
「今は出かけていておりません。伝言があるなら伝えますが」
「いえ、それだけでは困るのです。事が事だけに」
神官が困ったように言うと、
「そう言われても今はいないのですから仕方がないでしょう。戻ったら連絡しますので、連絡先を教えて下さい」
そう言われて、神官と衛士が一時滞在先を伝え、翌日、連絡があったのでもう一度訪問すると、シャンタルの託宣通りの名を持つ女性が確かに存在していた。
「親御様」である女性は衛士と神官が来た理由を聞くと、
「そうですか」
とだけ淡々と答えた。
いつもなら吉日を伝えてお迎えの日まで自宅で過ごしていただくのがだ、何しろ前回は親御様が一時期姿をくらまして大騒ぎになっていた。今回は宮に入る日は選ぶが、それまでは目の届くところに滞在していただきたいと伝える。
「分かりました」
それにも淡々と答えるので、ルギはなんとなく違和感を持った。
自分の胎内に次のシャンタル、次代様がいらっしゃる。
そう聞いた時、こんなに普通の状態でいられるものなのだろうか、そう思ったのだ。
ルギが見る女性はほぼ宮の中にいる侍女のみだ。
主であるシャンタルとマユリアは神なので女性には含まれない、そんな失礼なことはできない。
それから任務の時に街で見かける女性、たまにダルなどと一緒に街に飲みに行った店にいる女性などだが、その中に子を身ごもっている女性の数は少なかった。
(そういえばリルが身重だったな)
そうは思うが、リルは見たところ以前とほぼ変わりがないように思う。
ならばこの反応もごく普通のものなのだろうか。
それ以上のことは想像することもできないので、そこで考えるのを諦めた。
そうして親御様は無事に一度待機場所である家に入られて、吉日を選んで宮へと移動された。
今回は産み月まで後二月ほどではないかとの話だった。
(だとすればリルと同じぐらいの時期か)
ルギはふと、そうも思った。
同じぐらいの時期にリルは4人目の子を産むと、その後は上の子と夫が待つ家で今までより1人多い6人家族としての生活を始める。夫婦どちらの両親も健在なので、それはにぎやかなことになるだろう。
だが親御様とお父上は違う。
聞いたところによると上にお子様はいらっしゃらないということだったので、次代様を無事にご出産なさったら、約一月後の交代の儀式の後、親御様の体調を見ながらひっそりと元の家に帰り、また夫婦二人の生活が戻ってくる。
生まれた子を一度も抱くことなく、シャンタルを十年、マユリアを十年お務めになり、神から人に戻られた子が親の元に戻る日を待つしかない。
二十年の歳月を超えて、親はやっと我が子をその胸に抱くことができる。
今回の役目に就き、ルギは、ラーラ様、先代の「黒のシャンタル」、当代、これからお生まれになる次代様、そして我が主と定めたマユリア、5人の女神の運命の過酷さを初めて知った気がした。
ルギ自身も11歳にして家族全員を失ったというものの、それでもそれ以前の記憶、懐かしい家族の記憶はしっかりと残っている。
幼い時、ぐずって母の胸に抱かれたこと、父にしっかりと肩車をされたこと、叔父や兄たちと共に初めて船に乗った時のあの興奮。
人に戻ったマユリアは、他のお方たちは、空白の二十年をどうやって埋めるのだろう。
ルギは初めてその考えに至ったのだ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
女神から貰えるはずのチート能力をクラスメートに奪われ、原生林みたいなところに飛ばされたけどゲームキャラの能力が使えるので問題ありません
青山 有
ファンタジー
強引に言い寄る男から片思いの幼馴染を守ろうとした瞬間、教室に魔法陣が突如現れクラスごと異世界へ。
だが主人公と幼馴染、友人の三人は、女神から貰えるはずの希少スキルを他の生徒に奪われてしまう。さらに、一緒に召喚されたはずの生徒とは別の場所に弾かれてしまった。
女神から貰えるはずのチート能力は奪われ、弾かれた先は未開の原生林。
途方に暮れる主人公たち。
だが、たった一つの救いがあった。
三人は開発中のファンタジーRPGのキャラクターの能力を引き継いでいたのだ。
右も左も分からない異世界で途方に暮れる主人公たちが出会ったのは悩める大司教。
圧倒的な能力を持ちながら寄る辺なき主人公と、教会内部の勢力争いに勝利するためにも優秀な部下を必要としている大司教。
双方の利害が一致した。
※他サイトで投稿した作品を加筆修正して投稿しております
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
美少女に転生して料理して生きてくことになりました。
ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。
飲めないお酒を飲んでぶったおれた。
気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。
その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる