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第一章 第四部 穢れた侍女
4 自由時間
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「嫌味ですか」
「え?」
「わたくしが下働きの者のようなことをする立場になった、そう言いたいのでしょう」
「いいえ、どうしてですか?」
ミーヤが目を見開いて驚く顔になる。
「ではどうしてわざわざ礼など言うのです」
セルマが苛立ったように言う。
「きれいにしていただいたからですが、おかしいでしょうか」
ミーヤが不思議そうにそう言った。
ミーヤの言葉に嘘がないこと、素直に、自然に出てきた言葉なのだとセルマにも理解できて、そしてどきりとしていた。
『作ってくれた方への感謝も忘れないように』
今日思い出した奥宮の食事係の取りまとめ役の言葉がまた浮かんできた。
「セレン様」
「え?」
ふと口をついて出た取りまとめ役の名前、それにミーヤが反応する。
「セレン様とは奥宮の食事係でいらっしゃる」
「え?」
奥宮と前の宮と勤める場所、立場が違うとはいえ、取りまとめ役に就いているセレンの名ならばミーヤが耳にしていても不思議ではない。
だが、今のこの反応、単に名を知っているというだけではないようにセルマは感じた。
「おまえはセレン様をご存知なのですか?」
つい、当時の自分に戻って敬称で呼ぶ。
ミーヤは少し考えた風にしたが、
「はい、八年前、お会いしたことがございます」
と、正直に答えた。
聞いてセルマも思い出した。
取りまとめ役の下にある各班の「班頭」を務めているモナが言っていたことを。
『初めて先代が名前を呼んだ侍女が取りまとめ役のセレン様なのです。そして次が私でした』
この者はその時にシャンタル付きをやっていたのだ、それを思い出した。
この者はその時にその場を見ていたに違いない。
そう直感した。
「何があったのです」
「え?」
「先代が、セレン様の名を呼んだ時、おまえはそこにいたのでしょう」
「…………」
ミーヤは答えない。
セルマはさらに確信を強くした。
いなかったのならこの者ならば「いなかった」と言うはずだ。
沈黙で答えたことがその答えだ。
「言いなさい、何がありました」
「言えません」
今度はきっぱりとそう言う。
「何か」を知っているのだこの侍女は。
「言いなさい」
「言えません」
自分の意思で「言わない」のではなく、「言えない」何かがあるのだ。
セルマはそう確信した。
「おまえは知っているのですね」
「え?」
「おまえは知っているのです」
セルマがそう言い切る。
「申し訳ありません、セルマ様が何をおっしゃっているのか私には分かりません」
ミーヤは八年前から、そして今までも、色々なことを知っていた。
だが単に「知っているだろう」と聞かれても何のことなのか、どの秘密のことなのか、それとも自分の知らない何かなのかは分からない。
「この世界に起きていることです」
やはりそのことか。
「重大な秘密のことです」
やはりそのことだ。
「わたくしは知っているのです。その秘密をおまえもきっと知っているのでしょう」
「申し訳ありません」
ミーヤはもう一度そう言って頭を下げる。
「私が知っていること知らぬこと、色々なことがございます。セルマ様がおっしゃっていらっしゃる秘密のことを私が知るか知らぬか、私には分かりません」
正直にそう答える。
「屁理屈を……」
セルマが意地悪い表情で冷たく笑った。
「おまえが尊敬しているというあの老女、あの人もそのことを知っていながら知らない顔をしているのです。年老いて、今はもう人生の終わりを待つばかりの身だからと、この国の、この世界の先行きがどうなろうともいいもの、関係のないもの、そう思って知らぬ顔をしているのです」
「どなたの何のことをおっしゃっていらっしゃるのか私には分かりません」
ミーヤがそう答える。
「ではもっとはっきり言ってあげましょう。キリエ殿です。あの方はこの世界に起きていることを知っていながら、自分の身のかわいさ、自分が生きている間には何も影響がないだろう、そう考えて知らぬ顔をしている。そのくせ今も権力の座にしがみつき、この宮を思うがままにしようとしているのです。本当ならばもうとっくに北の離宮に入っているであろう年齢でありながら、なんと醜い」
「キリエ様はそのような方ではありません」
「かわいそうな子」
セルマが冷たい目でそう言う。
「侍女頭だから、一度尊敬する相手だと信じてしまったから、そうやって自分の心にふたをして、今もあの老女が立派な人だ、そう思おうとしているのでしょう?」
セルマがそう言った時に夜の1つ目の鐘がなった。
シャンタルがお休みになる時間だ。
この鐘がなると宮の者たちはシャンタルがお心安くお休みになられますように、そう祈る。
そして、その日、早番などで一足早く自分の勤めを終えた侍女たちが自由時間に入る鐘でもある。
シャンタル宮の一日は朝早くから始まる。
その日の当番で多少時間が前後することもあるが、大部分の侍女は朝の1つ目の鐘で目を覚ます。
ベッドから出たら身支度を整え、食堂に移動して朝食をとり、2つ目の鐘が鳴るまでには各自が自分の配置につく。そうして一日が始まるのだ。
2つ目の鐘でシャンタルやマユリアたちがお目覚めになられる。
その時までに全ての準備が整えられていなければならない。
そのための1つ目の鐘だ。
「え?」
「わたくしが下働きの者のようなことをする立場になった、そう言いたいのでしょう」
「いいえ、どうしてですか?」
ミーヤが目を見開いて驚く顔になる。
「ではどうしてわざわざ礼など言うのです」
セルマが苛立ったように言う。
「きれいにしていただいたからですが、おかしいでしょうか」
ミーヤが不思議そうにそう言った。
ミーヤの言葉に嘘がないこと、素直に、自然に出てきた言葉なのだとセルマにも理解できて、そしてどきりとしていた。
『作ってくれた方への感謝も忘れないように』
今日思い出した奥宮の食事係の取りまとめ役の言葉がまた浮かんできた。
「セレン様」
「え?」
ふと口をついて出た取りまとめ役の名前、それにミーヤが反応する。
「セレン様とは奥宮の食事係でいらっしゃる」
「え?」
奥宮と前の宮と勤める場所、立場が違うとはいえ、取りまとめ役に就いているセレンの名ならばミーヤが耳にしていても不思議ではない。
だが、今のこの反応、単に名を知っているというだけではないようにセルマは感じた。
「おまえはセレン様をご存知なのですか?」
つい、当時の自分に戻って敬称で呼ぶ。
ミーヤは少し考えた風にしたが、
「はい、八年前、お会いしたことがございます」
と、正直に答えた。
聞いてセルマも思い出した。
取りまとめ役の下にある各班の「班頭」を務めているモナが言っていたことを。
『初めて先代が名前を呼んだ侍女が取りまとめ役のセレン様なのです。そして次が私でした』
この者はその時にシャンタル付きをやっていたのだ、それを思い出した。
この者はその時にその場を見ていたに違いない。
そう直感した。
「何があったのです」
「え?」
「先代が、セレン様の名を呼んだ時、おまえはそこにいたのでしょう」
「…………」
ミーヤは答えない。
セルマはさらに確信を強くした。
いなかったのならこの者ならば「いなかった」と言うはずだ。
沈黙で答えたことがその答えだ。
「言いなさい、何がありました」
「言えません」
今度はきっぱりとそう言う。
「何か」を知っているのだこの侍女は。
「言いなさい」
「言えません」
自分の意思で「言わない」のではなく、「言えない」何かがあるのだ。
セルマはそう確信した。
「おまえは知っているのですね」
「え?」
「おまえは知っているのです」
セルマがそう言い切る。
「申し訳ありません、セルマ様が何をおっしゃっているのか私には分かりません」
ミーヤは八年前から、そして今までも、色々なことを知っていた。
だが単に「知っているだろう」と聞かれても何のことなのか、どの秘密のことなのか、それとも自分の知らない何かなのかは分からない。
「この世界に起きていることです」
やはりそのことか。
「重大な秘密のことです」
やはりそのことだ。
「わたくしは知っているのです。その秘密をおまえもきっと知っているのでしょう」
「申し訳ありません」
ミーヤはもう一度そう言って頭を下げる。
「私が知っていること知らぬこと、色々なことがございます。セルマ様がおっしゃっていらっしゃる秘密のことを私が知るか知らぬか、私には分かりません」
正直にそう答える。
「屁理屈を……」
セルマが意地悪い表情で冷たく笑った。
「おまえが尊敬しているというあの老女、あの人もそのことを知っていながら知らない顔をしているのです。年老いて、今はもう人生の終わりを待つばかりの身だからと、この国の、この世界の先行きがどうなろうともいいもの、関係のないもの、そう思って知らぬ顔をしているのです」
「どなたの何のことをおっしゃっていらっしゃるのか私には分かりません」
ミーヤがそう答える。
「ではもっとはっきり言ってあげましょう。キリエ殿です。あの方はこの世界に起きていることを知っていながら、自分の身のかわいさ、自分が生きている間には何も影響がないだろう、そう考えて知らぬ顔をしている。そのくせ今も権力の座にしがみつき、この宮を思うがままにしようとしているのです。本当ならばもうとっくに北の離宮に入っているであろう年齢でありながら、なんと醜い」
「キリエ様はそのような方ではありません」
「かわいそうな子」
セルマが冷たい目でそう言う。
「侍女頭だから、一度尊敬する相手だと信じてしまったから、そうやって自分の心にふたをして、今もあの老女が立派な人だ、そう思おうとしているのでしょう?」
セルマがそう言った時に夜の1つ目の鐘がなった。
シャンタルがお休みになる時間だ。
この鐘がなると宮の者たちはシャンタルがお心安くお休みになられますように、そう祈る。
そして、その日、早番などで一足早く自分の勤めを終えた侍女たちが自由時間に入る鐘でもある。
シャンタル宮の一日は朝早くから始まる。
その日の当番で多少時間が前後することもあるが、大部分の侍女は朝の1つ目の鐘で目を覚ます。
ベッドから出たら身支度を整え、食堂に移動して朝食をとり、2つ目の鐘が鳴るまでには各自が自分の配置につく。そうして一日が始まるのだ。
2つ目の鐘でシャンタルやマユリアたちがお目覚めになられる。
その時までに全ての準備が整えられていなければならない。
そのための1つ目の鐘だ。
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