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第三章 第七部 逃走
10 証言者
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「いかがです?」
ルギがもう一度セルマに声をかけた。
「え?」
「思い出されませんか?」
「黒い香炉、ですか」
セルマはもう一度考える振りをする。どうすれば一番不自然ではないのか……
「あ」
ふいに思い出したように顔を上げる。
「もしかして、神殿にお届けしたあの香炉のことでしょうか」
言われるまですっかり忘れていた、そういう顔で言う。
「ええ、おっしゃる通り、神具係から神殿へと譲られました」
「ええ、思い出しました。確かにそのようなことがございました」
戸惑ったように続ける。
「申し訳ありません、その後、ルギ隊長もご存知の通り、わたくしの身の上にも色々なことがございましたもので、うっかりと失念いたしておりました。ありました、確かに黒い香炉を扱ったことがございます」
だからどうなのだ、というように困ったような表情を見せる。
「似ておりませんか、その香炉とこの香炉」
「え?」
この男は知っているのだ。
セルマは確信した。
知っていて、自分がそれを知っているかどうかを試しているのだ。
それならばそれでそれにふさわしい対応をするまでだ。
さっきまで動揺していた自分を押さえ、負けるものかとセルマは顔をもたげた。
「似ていると言われましても、色も違いますし」
そう言いながら、あらためてじっくりと目の前の青い香炉を見つめる。
まるでそれが初めて見る物のように。
セルマはしばらくの間じっと青い香炉を見つめていたが、
「言われてみれば似てるようにも思えますし、違うのかと思ってみればそうでもないような……申し訳ありません、何しろ前のことなので、記憶があやふやで」
と、申し訳なさそうに答える。
「左様ですか」
ルギが感情を読ませぬ表情でそう答える。
「ええ、残念ながら。もう少し思い出してみますが、何しろ何年も前のことなので」
「黒い香炉を見たことがある、そうおっしゃる方が他にもおられました」
「え?」
セルマは少し考えて「嘘だ」と思った。
(あの香炉はわたくしが一人で宝物庫から運び入れ、神具室のある場所に納めた。その後で神官長に言われて取り出すまで、誰もあれに触れてはいないはずだ)
「そうなのですか。その方はどうおっしゃっていらっしゃいました?」
「似ている、と」
「そうですか」
セルマは顔色も変えずに聞き流す。嘘に流されるようなことはするまい、そう思う。
「では似ているのでしょう。残念ながらわたくしの記憶はあやふやでしたが、そうおっしゃる方がいらっしゃるのなら、そういうこともありえるかも知れません」
「そうですね」
ルギはセルマから香炉に視線を動かし、さらっとそう答える。
「それで、どなたなのですか、そうおっしゃったのは」
答えられるはずがない。
セルマはそう確信を持っていた。
見た者がいるなど嘘なのだ、返答に困るといい、そう思って聞いたのだが、
「マユリアです」
思わぬ答えが返ってきた。
「え?」
「宝物庫で黒い香炉をご覧になったことがあるそうです」
セルマは言葉をなくした。
侍女たちの中であれを見た者、記憶している者はおらぬだろう、そう確信を持っていた。だが、マユリアとは……
「先代への献上品には、黒、銀、緑に飾られた物が大変多かったのだそうです。先代を棺にお納めする時にも、守り刀として同じように黒地に銀と緑で象嵌された小刀をお入れになったそうです。その小刀のすぐ近くでご覧になったということです」
「そうですか……」
セルマはそう答えると黙り込んだ。
「先代への献上品ということで、もしかしたらと思ってマユリアにもお聞きしてみたところ、そのようにご証言いただけました。ですから、もう一度よくお考えいただけませんか? この香炉とその黒い香炉、似たところがないかどうか」
「はい……」
言われて仕方なくセルマは考える。
「マユリアがそうおっしゃるのなら、きっと似ているのでしょう。ですが、わたくしはさきほども申しました通り、言われてみれば似ているようにも思える、そうとしかもうしあげられません」
「そうですか」
「ええ、もうしわけありませんが。ですが」
セルマは反撃に出た。
「もしも、この香炉とその黒い香炉が似ていたとして、それが何か関係があるのでしょうか? 色が全く違いますし、もしも同じ作者の作品だとか、そのようにおっしゃるのでしたら、その可能性もございましょうが、それでも別物に違いはないでしょう」
「同じ作者の作品、ということはないかと思います」
「なぜです? もしかして、作者が誰かが分かっているのですか? だとしたら、その作者の元を調べればよいのではないのですか?」
セルマが今度は自分の攻撃とばかりに、ルギにきつい視線を向けた。
「作者は分かっていません」
「そうですか。だとしたら偶然似た物が二つあったということなのでしょう」
「それも違います」
「作者不明ならば、そういう可能性もあるでしょうに。どうしてそう言い切れるのか不思議ですね」
「アルディナからの品」
ルギの短い一言に、セルマの心臓がまた跳ねた。
「あの香炉はアルディナからの品であると目録に書いてあったのですが、それもお忘れでしたか?」
ルギがいつもの様子で静かに告げた。
ルギがもう一度セルマに声をかけた。
「え?」
「思い出されませんか?」
「黒い香炉、ですか」
セルマはもう一度考える振りをする。どうすれば一番不自然ではないのか……
「あ」
ふいに思い出したように顔を上げる。
「もしかして、神殿にお届けしたあの香炉のことでしょうか」
言われるまですっかり忘れていた、そういう顔で言う。
「ええ、おっしゃる通り、神具係から神殿へと譲られました」
「ええ、思い出しました。確かにそのようなことがございました」
戸惑ったように続ける。
「申し訳ありません、その後、ルギ隊長もご存知の通り、わたくしの身の上にも色々なことがございましたもので、うっかりと失念いたしておりました。ありました、確かに黒い香炉を扱ったことがございます」
だからどうなのだ、というように困ったような表情を見せる。
「似ておりませんか、その香炉とこの香炉」
「え?」
この男は知っているのだ。
セルマは確信した。
知っていて、自分がそれを知っているかどうかを試しているのだ。
それならばそれでそれにふさわしい対応をするまでだ。
さっきまで動揺していた自分を押さえ、負けるものかとセルマは顔をもたげた。
「似ていると言われましても、色も違いますし」
そう言いながら、あらためてじっくりと目の前の青い香炉を見つめる。
まるでそれが初めて見る物のように。
セルマはしばらくの間じっと青い香炉を見つめていたが、
「言われてみれば似てるようにも思えますし、違うのかと思ってみればそうでもないような……申し訳ありません、何しろ前のことなので、記憶があやふやで」
と、申し訳なさそうに答える。
「左様ですか」
ルギが感情を読ませぬ表情でそう答える。
「ええ、残念ながら。もう少し思い出してみますが、何しろ何年も前のことなので」
「黒い香炉を見たことがある、そうおっしゃる方が他にもおられました」
「え?」
セルマは少し考えて「嘘だ」と思った。
(あの香炉はわたくしが一人で宝物庫から運び入れ、神具室のある場所に納めた。その後で神官長に言われて取り出すまで、誰もあれに触れてはいないはずだ)
「そうなのですか。その方はどうおっしゃっていらっしゃいました?」
「似ている、と」
「そうですか」
セルマは顔色も変えずに聞き流す。嘘に流されるようなことはするまい、そう思う。
「では似ているのでしょう。残念ながらわたくしの記憶はあやふやでしたが、そうおっしゃる方がいらっしゃるのなら、そういうこともありえるかも知れません」
「そうですね」
ルギはセルマから香炉に視線を動かし、さらっとそう答える。
「それで、どなたなのですか、そうおっしゃったのは」
答えられるはずがない。
セルマはそう確信を持っていた。
見た者がいるなど嘘なのだ、返答に困るといい、そう思って聞いたのだが、
「マユリアです」
思わぬ答えが返ってきた。
「え?」
「宝物庫で黒い香炉をご覧になったことがあるそうです」
セルマは言葉をなくした。
侍女たちの中であれを見た者、記憶している者はおらぬだろう、そう確信を持っていた。だが、マユリアとは……
「先代への献上品には、黒、銀、緑に飾られた物が大変多かったのだそうです。先代を棺にお納めする時にも、守り刀として同じように黒地に銀と緑で象嵌された小刀をお入れになったそうです。その小刀のすぐ近くでご覧になったということです」
「そうですか……」
セルマはそう答えると黙り込んだ。
「先代への献上品ということで、もしかしたらと思ってマユリアにもお聞きしてみたところ、そのようにご証言いただけました。ですから、もう一度よくお考えいただけませんか? この香炉とその黒い香炉、似たところがないかどうか」
「はい……」
言われて仕方なくセルマは考える。
「マユリアがそうおっしゃるのなら、きっと似ているのでしょう。ですが、わたくしはさきほども申しました通り、言われてみれば似ているようにも思える、そうとしかもうしあげられません」
「そうですか」
「ええ、もうしわけありませんが。ですが」
セルマは反撃に出た。
「もしも、この香炉とその黒い香炉が似ていたとして、それが何か関係があるのでしょうか? 色が全く違いますし、もしも同じ作者の作品だとか、そのようにおっしゃるのでしたら、その可能性もございましょうが、それでも別物に違いはないでしょう」
「同じ作者の作品、ということはないかと思います」
「なぜです? もしかして、作者が誰かが分かっているのですか? だとしたら、その作者の元を調べればよいのではないのですか?」
セルマが今度は自分の攻撃とばかりに、ルギにきつい視線を向けた。
「作者は分かっていません」
「そうですか。だとしたら偶然似た物が二つあったということなのでしょう」
「それも違います」
「作者不明ならば、そういう可能性もあるでしょうに。どうしてそう言い切れるのか不思議ですね」
「アルディナからの品」
ルギの短い一言に、セルマの心臓がまた跳ねた。
「あの香炉はアルディナからの品であると目録に書いてあったのですが、それもお忘れでしたか?」
ルギがいつもの様子で静かに告げた。
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