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第三章 第六部 露見
14 声を重ねる
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フウがお茶の支度を整え、エリス様も元の通りに梱包を済ませると、キリエが隣室の2人に声をかけてお茶に誘った。
「大丈夫ですよ、おまえたちも少しは息抜きをした方がいいでしょう。ずっとそんな狭いところに閉じこもっているのですから」
やがてモアラとシリルが様子を伺いながら応接へ出てきた。
侍女のミーヤとフウは控室へと下がっていた。
「もう知っているでしょう、中の国から来られたエリス様とその侍女のベル殿です。確か、一度お会いしていますよね」
「あ、はい、廊下で。あの、その節は貴重な物をいただきました。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
モアラとシリルがエリス様とベルに向かって丁寧に頭を下げる。
さすがに皇太子妃候補とその義理の姉になるべく教育を受けている二人である。優雅に、文句のつけようがない完璧な応対であった。
「奥様も、お目にかかれて恐縮ですとおっしゃっていらっしゃいます」
ベルが2人に通訳をし、二人の令嬢も頭を下げた。
「そうですね、そのいただきものを購入されたという、島のお話でもしていただきましょうか」
キリエがベルに向かってそう話を振り、ベルが奥様に向かって何かを伝えた。
それをきっかけにベルを通して言葉のやり取りが始まる。
「では、その島にはたくさんの人が住んでいるのですね」
「ええ、そうなんです、驚きました。奥様も大層驚いていらっしゃいましたが、こちらに出港前にはご自分でお店にいらして、色々と買い物をなさいました。あの飾りボタンもその一つなんですよ」
「まあ、エリス様ご自身がお選びになられたのですか」
「はい、奥様は本当にセンスがよろしくていらっしゃるのです」
「ええ、大切にいたしております」
「あ、私はここに」
と、皇太子妃候補だというシリルが上着の隠しから何かを取り出す。
白い飾りボタンが小さな紙入れの留め具に付け替えられていた。
「元は金属のボタンがついていたのですが、あまりにきれいだったのでこうして付け替えて使わせていただいています」
「素敵ですね」
ベルがシリルから受け取り、奥様の前に差し出してよく見えるようにする。
「大事に使ってくださってるのですね」
ベルが奥様に見せた紙入れをそっとシリルに返した。
「はい、本当に素敵なものをいただきました」
シリルがはにかみながら紙入れを受け取り、またそっとしまった。
穏やかに穏やかに、上品なお茶会が続く。
ずっと奥の部屋に閉じこもり切りであったモアラとシリルも、少し力を抜いて久しぶりに落ち着いて楽しい時を過ごしているようであった。
そうして、2人の令嬢がいつもの様子を見せ、すっかり場に馴染んだころに、シャンタルは行動を起こした。
そっとそっと2人の深層心理へと自分の意識を送り込む。
できるなら、2人のどちらかにセルマの記憶が残っていてほしい。ほぼ間違いないとは思うが、万が一、セルマが青い香炉を持ってきた人物ではないとしたら、それは冤罪を生むことになる。
深い緑の瞳がまずはモアラの心と自分の心をつなぐ。
シャンタルの心に青い香炉が飛び込んできた。
神具室で初めて香炉を目にした時の記憶であろう。
その記憶に重なるように、扉の向こうから部屋の中をのぞく人物が浮かぶ。
薄暗くて顔は見えない。
誰かまでは分からない。
衣装の色は多分茶系だと思うが、見ようによっては赤に近いようにも思える。
シャンタルはゆっくりと、モアラの記憶の中の人物を見つめる。
暗くてどうしても顔は見えない。
視覚から相手を探ることはやめた。
今度は言葉が聞こえてきた。
誰かは分からない侍女と、2人の新米侍女の会話らしい。
『遅くに申し訳ないですね、ですが少し急いで伝えなければならないことがあるのです』
『はい、なんでしょうか』
『侍女頭のキリエ様のお部屋の香炉が壊れてしまいました。明日の朝、新しい香炉を届けてほしいのです』
『あの、香炉をですか?』
『ええ、そうです』
『分かりました。それで、どのような香炉をお届けすればよいのでしょうか?』
『青い香炉です』
「青い香炉、ですか』
『ええそうです。明日の朝、あなたたちが仕事をしている部屋のテーブルの上に置いておきます。朝一番で届けてください』
『はい、分かりました』
『よろしく頼みましたよ』
『はい』
『はい』
会話はそれだけであった。
シャンタルは次にシリルの記憶ものぞいてみたが、ほぼ同じ記憶であった。
2人とも声に特に何か思うことはなさそうであったが、ふっと、聞いたことがある声ではないかと思う部分もあるようだ。
(その声を思い出してもらわないと)
シャンタルは顔の見えぬ侍女の声を何度も何度も2人の侍女の記憶に重ねる。
薄く薄く、ほんの少しずつ声に対する記憶を重ね、その印象を濃くしていく。
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
2人の頭の中で、無意識のうちに同じ言葉が何度も何度も波のように寄せては返す。
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
「あ!」
いきなりモアラがそう声を上げた。
「どうしました?」
キリエがゆっくりと尋ねる。
モアラの顔は真っ青になっていた。
「大丈夫ですよ、おまえたちも少しは息抜きをした方がいいでしょう。ずっとそんな狭いところに閉じこもっているのですから」
やがてモアラとシリルが様子を伺いながら応接へ出てきた。
侍女のミーヤとフウは控室へと下がっていた。
「もう知っているでしょう、中の国から来られたエリス様とその侍女のベル殿です。確か、一度お会いしていますよね」
「あ、はい、廊下で。あの、その節は貴重な物をいただきました。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
モアラとシリルがエリス様とベルに向かって丁寧に頭を下げる。
さすがに皇太子妃候補とその義理の姉になるべく教育を受けている二人である。優雅に、文句のつけようがない完璧な応対であった。
「奥様も、お目にかかれて恐縮ですとおっしゃっていらっしゃいます」
ベルが2人に通訳をし、二人の令嬢も頭を下げた。
「そうですね、そのいただきものを購入されたという、島のお話でもしていただきましょうか」
キリエがベルに向かってそう話を振り、ベルが奥様に向かって何かを伝えた。
それをきっかけにベルを通して言葉のやり取りが始まる。
「では、その島にはたくさんの人が住んでいるのですね」
「ええ、そうなんです、驚きました。奥様も大層驚いていらっしゃいましたが、こちらに出港前にはご自分でお店にいらして、色々と買い物をなさいました。あの飾りボタンもその一つなんですよ」
「まあ、エリス様ご自身がお選びになられたのですか」
「はい、奥様は本当にセンスがよろしくていらっしゃるのです」
「ええ、大切にいたしております」
「あ、私はここに」
と、皇太子妃候補だというシリルが上着の隠しから何かを取り出す。
白い飾りボタンが小さな紙入れの留め具に付け替えられていた。
「元は金属のボタンがついていたのですが、あまりにきれいだったのでこうして付け替えて使わせていただいています」
「素敵ですね」
ベルがシリルから受け取り、奥様の前に差し出してよく見えるようにする。
「大事に使ってくださってるのですね」
ベルが奥様に見せた紙入れをそっとシリルに返した。
「はい、本当に素敵なものをいただきました」
シリルがはにかみながら紙入れを受け取り、またそっとしまった。
穏やかに穏やかに、上品なお茶会が続く。
ずっと奥の部屋に閉じこもり切りであったモアラとシリルも、少し力を抜いて久しぶりに落ち着いて楽しい時を過ごしているようであった。
そうして、2人の令嬢がいつもの様子を見せ、すっかり場に馴染んだころに、シャンタルは行動を起こした。
そっとそっと2人の深層心理へと自分の意識を送り込む。
できるなら、2人のどちらかにセルマの記憶が残っていてほしい。ほぼ間違いないとは思うが、万が一、セルマが青い香炉を持ってきた人物ではないとしたら、それは冤罪を生むことになる。
深い緑の瞳がまずはモアラの心と自分の心をつなぐ。
シャンタルの心に青い香炉が飛び込んできた。
神具室で初めて香炉を目にした時の記憶であろう。
その記憶に重なるように、扉の向こうから部屋の中をのぞく人物が浮かぶ。
薄暗くて顔は見えない。
誰かまでは分からない。
衣装の色は多分茶系だと思うが、見ようによっては赤に近いようにも思える。
シャンタルはゆっくりと、モアラの記憶の中の人物を見つめる。
暗くてどうしても顔は見えない。
視覚から相手を探ることはやめた。
今度は言葉が聞こえてきた。
誰かは分からない侍女と、2人の新米侍女の会話らしい。
『遅くに申し訳ないですね、ですが少し急いで伝えなければならないことがあるのです』
『はい、なんでしょうか』
『侍女頭のキリエ様のお部屋の香炉が壊れてしまいました。明日の朝、新しい香炉を届けてほしいのです』
『あの、香炉をですか?』
『ええ、そうです』
『分かりました。それで、どのような香炉をお届けすればよいのでしょうか?』
『青い香炉です』
「青い香炉、ですか』
『ええそうです。明日の朝、あなたたちが仕事をしている部屋のテーブルの上に置いておきます。朝一番で届けてください』
『はい、分かりました』
『よろしく頼みましたよ』
『はい』
『はい』
会話はそれだけであった。
シャンタルは次にシリルの記憶ものぞいてみたが、ほぼ同じ記憶であった。
2人とも声に特に何か思うことはなさそうであったが、ふっと、聞いたことがある声ではないかと思う部分もあるようだ。
(その声を思い出してもらわないと)
シャンタルは顔の見えぬ侍女の声を何度も何度も2人の侍女の記憶に重ねる。
薄く薄く、ほんの少しずつ声に対する記憶を重ね、その印象を濃くしていく。
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
2人の頭の中で、無意識のうちに同じ言葉が何度も何度も波のように寄せては返す。
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
『青い香炉です』
「あ!」
いきなりモアラがそう声を上げた。
「どうしました?」
キリエがゆっくりと尋ねる。
モアラの顔は真っ青になっていた。
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