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第三章 第五部 王宮から吹く風

16 誓約書

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「年寄りだと!」

 国王は真っ赤な顔でダン! と足を踏み鳴らして立ち上がった。

「おのれは、何を口にしたか分かっているのか!」
「ええ、分かっております。私の父はもう60の坂に差し掛かるというのに、今だに女神を手に入れ、あまつさえその女神に自分の子を産ませるなどという妄想に取り憑かれている、まともな考えのできぬ耄碌もうろくした老いぼれに成り果てている」
「な!」

 国王はもう言葉もなく、ワナワナと震える手を振り上げた、が、

「無理です」

 皇太子は力も入れずそう言うと、父王の右手を掴んでグイッと引き寄せる」

「振り払えますか? やれるならどうぞ。私は特に力を入れてあなたを押さえてるわけではありません。それでも無理でしょう? それが今のあなたと私の差なんですよ。どうぞ、おやりください」
「この!」

 国王は必死で振り払おうとするが、顔色一つ変えずじっと冷たい目で自分を見つめる息子の手を振り払えない。

「おのれ……衛士!」

 二人の伯爵、それに伴う護衛、そのさらに後ろにいる王宮衛士に声をかける。

「この痴れ者を捕らえよ! この者は国王に無礼を働く反逆者である! 早く捕らえよ!」

 声をかけるが数名の王宮衛士は動かない。

「何をしている! 早くせんか!」
「無理ですよ」

 感情を交えぬ目のままで皇太子が続ける。

「この者たちは私の信頼できる部下です。私をこそ真の王と認め、従うと誓った者たちばかり」
「な!」

 驚愕を隠せぬ目で国王が衛士たちに目をやる。

「おまえたちは国王に仕える者! 今ならまだ許す、早くこの者を捕らえよ! 国王に仇なす反逆者である! 早くしろ!」

 衛士たちは動かない。

「衛士」
「はっ!」
 
 皇太子が一声かけると一つに合わせた声で返事がある。

「この老人を捕らえよ!」
「はっ!」

 言われて二名の王宮衛士が駆け寄り、両側から国王の両手を押さえる。

「何をする!」
「主の命です」

 そうとだけ言うとしっかりと各々の手首を握る。
 国王は振り払おうとするが払えない。

「放せ!」

 両側の衛士は答えない。

「あなたは妄想の中にいる」

 皇太子がじっと父親の目を見て言う。

「誰があなたのような老人の側室になりたいと望むのだ? しかもマユリアのような天上の女神が」

 少し腰を落とし、目を近づけて言う。

「マユリアがあなたの子を産む? はっ!」

 感情のなかった目に侮蔑が浮かぶ。

「それこそが妄想だと言うのですよ、耄碌したからこそそんな夢を見るのです」
「なにを!」
「私が、そんなあなたを現実に引き戻してあげましょう。いいですか、それは全て妄想なのです」
「何を言う!」

 初めて反撃の端緒たんしょを掴んだと思ったのか、国王が光を取り戻した目で皇太子を睨み返した。

「八年前、マユリアは確かに約束したのだ、私の側室になる、とな」
「そんなものはあなたの妄想だ」
「はっ!」

 今度は国王の目に侮蔑が浮かぶ。

「マユリアは一度としておまえには色よい返事をしておらぬと聞く。私には一度は良い返事をした、側室になるとな」
「気の毒な老人だ」

 皇太子の侮蔑が憐れみに変化した。

「そんなもうないに等しい約束にすがりつき、己の老耄ろうもうを認めたくなくて、同じ言い分を繰り返すのみ」
「約束はある!」

 両手を押さえられている国王がイライラしたように右足を踏み鳴らした。

「もう終わったことなのです、八年前に」
「いいや、終わってはおらぬ!」

 ギラギラした目を取り戻した国王が、つばを飛ばしながら皇太子に言い返す。

「はっきりとマユリアのサインがある。人に戻ったら私の後宮に入り側室として残りの人生を生きていく、とな」
「妄想でしょう」
「いいや、一文一句違えず覚えておる。マユリアは私を選んだのだ」
「もう過ぎた約束、終わった約束です」
「いいや約定は生きておる! 衛士!」

 国王は自分の手を押さえていない残りの衛士たちに向かって命じる。

「そこのチェストだ」

 手が自由にならない国王があごをしゃくり豪華なチェストを指し示す。

「二番目の引き出しにマユリアの約定がある、それを持ってこい! 鍵は私のふところにある!」

 衛士たちは国王の命には従わない。

「何をしている! とっととせんか!」

 さらにつばを飛ばして喚き散らす国王に、気の毒そうに皇太子が声をかけた。

「気の毒な父上……」

 はあっとため息をつく。

「分かりました、その約定をやらを見てみましょう。きっと白紙です」
「なんだと!」
「マユリアが、あなたのような老人に本当にそんな約束をするものですか」
「したのだ!」

 まるで子どもが駄々をこねるような言い方で国王が続ける。

「マユリアは誓った、私のものになるとな! その約定はまだ生きておる! あの女神は私のものだ!」

 もう一度皇太子がため息をついた。

「仕方がないな……衛士!」
「はっ!」
 
 また一つになった返事が聞こえる。

「気の毒なご老人の望みを叶えて差し上げろ、チェストの引き出しを触る許可を与える」
「はっ!」

 言われて二人の衛士が国王が示したチェストに近づき、言われた二番目の引き出しを開ける。

 中から分厚い羊皮紙に挟まれ、丁寧にリボンで結ばれた一通の誓約書を見つけ出し、皇太子に手渡しが。

 皇太子が開いて中を確認すると、

「ありがとうございます父上、そうです、これが欲しかったのです」

 満面の笑みでそう言った。
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