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第二章 第五部 守りたい場所
10 言葉のない女神
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リルは急いで椅子から降りると、片膝をついて正式の礼をする。
「よくご無事でお戻りくださいました。お元気な姿を拝見して安心しております」
ダルよりはゆるやかに、だが確かにそこには同じ主従のつながりを感じさせるものがあった。
「頭を上げて」
シャンタルの言葉に従ってリルは頭を上げる。
「座って」
「はい」
言われて、元の通りに椅子に腰を掛ける。
「リル」
「はい」
「勘違いだったらごめんね、もしかして……」
「ええ、大変失礼をいたしました」
リルはにっこりと笑うと、そっと腹部に手を当てた。
「新しい命がここに」
「やっぱり」
「ええっ!」
やり取りを聞いて残りの4人が驚いた。
「よく分かったな」
「だって、私がいて、それなのに椅子に座らせるようにトーヤに求めてたんだもの。侍女が普通の状態でそんなことするはずないし」
「ええっ、そ、そうなの?」
ベルがおそるおそるという風にリルの腹部に目を向ける。
「触ってみる?」
「え!」
ベルは一瞬考えたが、思い切ったようにリルに近づくと、そっと手を伸ばしてみる。
「こう」
ベルの手を取り、リルは自分の腹部に当てさせる。
「うわ、でかい!」
その声にリルが楽しそうに笑った。
ふんわりとしたスカートで隠されていて分からなかったが、もうかなりの大きさになっているようだ。
「五月になります。元気な子でね、よく蹴ってくるの」
「うわあああああ、なんかあった!」
言った途端に蹴ってきたようで、ベルが飛び上がるようにする。
「ね、元気でしょ?」
「う、動いてる……」
ベルは妊婦に触れるのは初めてだ。ましてや胎児に蹴られるなんて経験も。
「び、びっくりした……」
リルに手を取られたままの姿勢で固まっている。
「大丈夫なのかよ」
トーヤが心配そうに言う。顔は仮面に隠されて見えないが声の響きから分かる。
「もう安定期に入っているし、それに4人目ですからね」
より一層リルが大きく見える気がした。
「らしいな、そんでダルんちが5人だって? どうなってんだよ」
「まあ、おかしなことではないでしょう?」
さっきまでの緊迫した空気がやや和らぐ。
「でも時間がないから話を戻すわね」
そう言ってベルの手をそっと優しく放した。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」
微笑む顔は母そのものだった。
「それでね、まだ十分にお話しになれないのは分かっていて、国のそんな不安な声、先代があのような形になってしまったということもあり、それを分かった上で謁見の日が決められたの。そして、思った通り、当代のお言葉はなかった」
「そりゃ今まで託宣したことがないってんだから、そうだろうな」
「ええ」
リルが静かに続ける。
「もちろん、記録によれば今までもそんなことはあったことなのよ。なのに、どこからか、当代がそのような形なのは周囲の者が悪いのではないか、そんな声が」
「なんでだ?」
「わかんねえよなあ、なんで当代が話せないと周囲のもんのせいになるんだ?」
ベルも不思議そうにそう言う。
「分からないわよね?」
「うん」
リルがベルに答える。
「ただ、一度だけ耳にしたことがあるの」
「なんて?」
「先代と比べる声が上がらぬように、あえてキリエ様がそうしているって」
「ええっ!」
「本当かどうかは分からないけれど、キリエ様ならありえることだと思ったわ」
「そんな……」
「まあ、ないことじゃないとは思うが……」
トーヤも考える。
「でも、そんなことしても意味ねえだろ」
「ええ。ただ、そのぐらい、いきなりあのようになってしまった先代を惜しむ声はあったの。もしもお元気でいらっしゃったらって」
「それ、考えようによったらマユリアへの批判にもなりません?」
アランが言う。
「ええ、鋭い方ね、その通りよ」
リルが認める。
「何しろ前例のない2期目の任期でしょ? そのためにお力が足りぬのではないか、お体の具合がよくないのではないか、本当はもう人にお戻りでマユリアとしての力を失っておられるのではないか、もうね、勝手なことがあっちこっちで言われていたわ」
「そんなことあるのかよ」
トーヤには信じられないことであった。
何しろこの国ではシャンタルとマユリアは絶対である。そのマユリアに批判など、そんな気持ちを持つ者があることがまず信じられない。
「私も信じられないわ。でもね、そこで聞こえてきたことがあるの」
「何があった」
「王宮からではないかと」
「王宮?」
「ええ」
「もしかして後宮がらみですか」
「ええ、そうよ。本当に鋭いわね、この坊や」
「坊や……」
アランがぎょっとしたようになり、ベルが思わず笑った。
「後宮ってことは、王様や王子様じゃなく、そのお妃からか?」
「側室の方々ね。単にそうじゃないか、ってことよ? でもね、マユリアが後宮に入られていたら、ご自分たちの立場は間違いなく悪くなっていたでしょう?」
「そりゃそうだな、そんだけ王様や王子様がほしいほしいと言った女だ」
「そう。だからその反動で、そこからマユリアへきびしい目を向けた方からじゃないかって」
「なるほど、ありえるな」
「何しろ、本当ならばもう人に戻ってらっしゃるはずだったしね」
思わぬ話が出てきたものだ。
「よくご無事でお戻りくださいました。お元気な姿を拝見して安心しております」
ダルよりはゆるやかに、だが確かにそこには同じ主従のつながりを感じさせるものがあった。
「頭を上げて」
シャンタルの言葉に従ってリルは頭を上げる。
「座って」
「はい」
言われて、元の通りに椅子に腰を掛ける。
「リル」
「はい」
「勘違いだったらごめんね、もしかして……」
「ええ、大変失礼をいたしました」
リルはにっこりと笑うと、そっと腹部に手を当てた。
「新しい命がここに」
「やっぱり」
「ええっ!」
やり取りを聞いて残りの4人が驚いた。
「よく分かったな」
「だって、私がいて、それなのに椅子に座らせるようにトーヤに求めてたんだもの。侍女が普通の状態でそんなことするはずないし」
「ええっ、そ、そうなの?」
ベルがおそるおそるという風にリルの腹部に目を向ける。
「触ってみる?」
「え!」
ベルは一瞬考えたが、思い切ったようにリルに近づくと、そっと手を伸ばしてみる。
「こう」
ベルの手を取り、リルは自分の腹部に当てさせる。
「うわ、でかい!」
その声にリルが楽しそうに笑った。
ふんわりとしたスカートで隠されていて分からなかったが、もうかなりの大きさになっているようだ。
「五月になります。元気な子でね、よく蹴ってくるの」
「うわあああああ、なんかあった!」
言った途端に蹴ってきたようで、ベルが飛び上がるようにする。
「ね、元気でしょ?」
「う、動いてる……」
ベルは妊婦に触れるのは初めてだ。ましてや胎児に蹴られるなんて経験も。
「び、びっくりした……」
リルに手を取られたままの姿勢で固まっている。
「大丈夫なのかよ」
トーヤが心配そうに言う。顔は仮面に隠されて見えないが声の響きから分かる。
「もう安定期に入っているし、それに4人目ですからね」
より一層リルが大きく見える気がした。
「らしいな、そんでダルんちが5人だって? どうなってんだよ」
「まあ、おかしなことではないでしょう?」
さっきまでの緊迫した空気がやや和らぐ。
「でも時間がないから話を戻すわね」
そう言ってベルの手をそっと優しく放した。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」
微笑む顔は母そのものだった。
「それでね、まだ十分にお話しになれないのは分かっていて、国のそんな不安な声、先代があのような形になってしまったということもあり、それを分かった上で謁見の日が決められたの。そして、思った通り、当代のお言葉はなかった」
「そりゃ今まで託宣したことがないってんだから、そうだろうな」
「ええ」
リルが静かに続ける。
「もちろん、記録によれば今までもそんなことはあったことなのよ。なのに、どこからか、当代がそのような形なのは周囲の者が悪いのではないか、そんな声が」
「なんでだ?」
「わかんねえよなあ、なんで当代が話せないと周囲のもんのせいになるんだ?」
ベルも不思議そうにそう言う。
「分からないわよね?」
「うん」
リルがベルに答える。
「ただ、一度だけ耳にしたことがあるの」
「なんて?」
「先代と比べる声が上がらぬように、あえてキリエ様がそうしているって」
「ええっ!」
「本当かどうかは分からないけれど、キリエ様ならありえることだと思ったわ」
「そんな……」
「まあ、ないことじゃないとは思うが……」
トーヤも考える。
「でも、そんなことしても意味ねえだろ」
「ええ。ただ、そのぐらい、いきなりあのようになってしまった先代を惜しむ声はあったの。もしもお元気でいらっしゃったらって」
「それ、考えようによったらマユリアへの批判にもなりません?」
アランが言う。
「ええ、鋭い方ね、その通りよ」
リルが認める。
「何しろ前例のない2期目の任期でしょ? そのためにお力が足りぬのではないか、お体の具合がよくないのではないか、本当はもう人にお戻りでマユリアとしての力を失っておられるのではないか、もうね、勝手なことがあっちこっちで言われていたわ」
「そんなことあるのかよ」
トーヤには信じられないことであった。
何しろこの国ではシャンタルとマユリアは絶対である。そのマユリアに批判など、そんな気持ちを持つ者があることがまず信じられない。
「私も信じられないわ。でもね、そこで聞こえてきたことがあるの」
「何があった」
「王宮からではないかと」
「王宮?」
「ええ」
「もしかして後宮がらみですか」
「ええ、そうよ。本当に鋭いわね、この坊や」
「坊や……」
アランがぎょっとしたようになり、ベルが思わず笑った。
「後宮ってことは、王様や王子様じゃなく、そのお妃からか?」
「側室の方々ね。単にそうじゃないか、ってことよ? でもね、マユリアが後宮に入られていたら、ご自分たちの立場は間違いなく悪くなっていたでしょう?」
「そりゃそうだな、そんだけ王様や王子様がほしいほしいと言った女だ」
「そう。だからその反動で、そこからマユリアへきびしい目を向けた方からじゃないかって」
「なるほど、ありえるな」
「何しろ、本当ならばもう人に戻ってらっしゃるはずだったしね」
思わぬ話が出てきたものだ。
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