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第一章 第一部 東の海へ
22 悔しさ
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「あったなあ、そんなことも……」
トーヤが何を思うのかそう言うと、ディレンが、
「一度聞きたかったんだがな」
「なんだよ」
「あの時、なんで俺のことをひっぱたいた?」
「あ?」
「ミーヤは呼んでこいって言ったんだろうが、なんであんなことした?」
「あーなんでだったかなあ」
「ミーヤはな、おまえが俺にヤキモチ焼いたんじゃないかって言ってたな」
「そうか」
「そうなのか?」
「うーん、どうだっけかなあ、何しろガキのやることだしな、忘れちまった」
そう答えたものの、本当はちゃんと覚えていた。
トーヤがディレンを叩いたのは、悔しかったからだ。
もしかしたらミーヤが言ったというように、母親のような存在を取られることに対するヤキモチもあったのかも知れない。だが、もっと大きかったのは、自分がいる立場、その運命に対する悔しさであった。
7歳という幼さではあったが、暮らしている環境が環境だけに、ミーヤがこれから入ろうとしている商売の道、母親が生活を立てるために行っていた仕事が「よいことではない」という意識はおぼろにあった。
その「よいことではない」ことをミーヤがやろうとしている。それを止められない自分自身の無力さと、どうしてそんな運命なのかということに対し、悔しいと感じた、それはよく覚えていた。
トーヤはなんとなくルギを思い出していた。
父と兄2人、叔父を亡くして「忌むべきもの」となったまだ子どもであったルギが、その後で母も亡くしひとりぼっちになった運命を恨み、他の人も巻き添えにして死んでやろうと、あの洞窟を王宮へ続くと信じて駆け抜けたあの気持ち、それと似たようなものだったのではないか、と思った。
ルギの場合は、目の前にあの洞窟があったことからそこを走り抜けた。だが自分の前にはディレンという実際の人間の姿があった。
「殴ってやりたいと思った気持ちは一緒なのかもな」
「え?」
小さな声でつぶやいたトーヤにディレンが聞く。
「いや、あんたのケツがなんとなく叩きやすかったんじゃねえかな、ってな」
「なんだそりゃ」
言って2人で笑った。
「まあ、そういうわけでな、どうせ本当の名前は教えてもらえねえだろうしと、その名前にしといた。2人の関係は姉妹だ。2人であっちに住む親を尋ねるためにしといたからな」
「ああ、ありがとう」
トーヤが礼を言う。
「そんでだな、あの服、あの2人は着たのか?」
「どうだろな、侍女の方は着るっつーてたが、奥様の方は絹がいいってよ」
「奥様は絹がいいってか」
ディレンがそう言って笑うが、
「まあ、そう言ってられん事情があるから一度話をさせてくれ」
そう言ってトーヤと2人で元船長室の客室へと向かう。
アランが出てきて前で座って番をしていた。
声をかけ、船長が訪ねてきたと伝えて中に入る。
すでにベルは木綿の服に着替え、目だけ出すようにやはり木綿のストールを巻いていた。
濃い茶色の目が力強く光る。
一方、シャンタルの方は、言ったように絹の奥様の服を着て、頭から絹のベールをかぶったまま、品を作るように斜めになった姿勢で寝台の上に座っていた。
「失礼します」
ディレンが声をかけるとベルがシャンタルに近寄っていき、何か囁く。
船長の言葉を奥様に伝えるのが侍女の役目である。
「実は、明日の朝、一度船を降りていただきたい」
ディレンの言葉にトーヤとアランも驚いた。
「おい、そりゃ一体」
「いいからまあ聞け」
そう言ってディレンが説明するところによると、
「明日一日借り切ってある宿で風呂に入ってきてください」
ということであった。
「明後日の早朝、この船は出港し、それからしばらくは海の上です。当然水は貴重になります、つまりしばらくは風呂に入れない。なので俺たちも明日の夜、積荷を全部積み終わったら汗を流しに行きますので、その前によろしければ行っておいていただきたい」
そういう話であった。
「女性が長い間風呂にも入れないというのはお辛いでしょう。ですから、目立たぬように持ってきた服を着て、朝のうちはお二人以外誰も近づけないようにしますから、一度外の空気を吸って、ちょっとゆっくりしてこられたらいいでしょう」
ベルが言葉を伝え、ちょっと考えてからシャンタルがゆっくり頷き、またベルに何か伝える。
「ありがとうございます、ご厚意に甘えます、とおっしゃっていらっしゃいます」
「そうですか、よかった」
そう言ってトーヤとアランを振り向き、
「ってことでな、おまえらも行ってこい」
「分かった、すまんな」
「ありがとうございます」
それだけ言うとディレンは出ていき、トーヤが手形を取り出して見せる。
「おまえらは姉妹ってことになってる」
「ミーヤ?」
「そうだ」
「どっちのミーヤ?」
「こっちのだ」
苦笑してトーヤが言う。
「ディレンはミーヤの旦那だったって言っただろうが、それで俺も知ってる名前を使ったらしい」
「私の名前になってるエリスは?」
「それは……」
トーヤが一瞬だけ言いよどみ、
「俺の母親の名前だそうだ」
「え!」
「だそうだ、って」
ベルが驚き、アランが聞く。
「ああ、俺も知らなかった。何しろ小さい頃に死んじまったからな、初めて知った」
淡々とトーヤがそう答えた。
トーヤが何を思うのかそう言うと、ディレンが、
「一度聞きたかったんだがな」
「なんだよ」
「あの時、なんで俺のことをひっぱたいた?」
「あ?」
「ミーヤは呼んでこいって言ったんだろうが、なんであんなことした?」
「あーなんでだったかなあ」
「ミーヤはな、おまえが俺にヤキモチ焼いたんじゃないかって言ってたな」
「そうか」
「そうなのか?」
「うーん、どうだっけかなあ、何しろガキのやることだしな、忘れちまった」
そう答えたものの、本当はちゃんと覚えていた。
トーヤがディレンを叩いたのは、悔しかったからだ。
もしかしたらミーヤが言ったというように、母親のような存在を取られることに対するヤキモチもあったのかも知れない。だが、もっと大きかったのは、自分がいる立場、その運命に対する悔しさであった。
7歳という幼さではあったが、暮らしている環境が環境だけに、ミーヤがこれから入ろうとしている商売の道、母親が生活を立てるために行っていた仕事が「よいことではない」という意識はおぼろにあった。
その「よいことではない」ことをミーヤがやろうとしている。それを止められない自分自身の無力さと、どうしてそんな運命なのかということに対し、悔しいと感じた、それはよく覚えていた。
トーヤはなんとなくルギを思い出していた。
父と兄2人、叔父を亡くして「忌むべきもの」となったまだ子どもであったルギが、その後で母も亡くしひとりぼっちになった運命を恨み、他の人も巻き添えにして死んでやろうと、あの洞窟を王宮へ続くと信じて駆け抜けたあの気持ち、それと似たようなものだったのではないか、と思った。
ルギの場合は、目の前にあの洞窟があったことからそこを走り抜けた。だが自分の前にはディレンという実際の人間の姿があった。
「殴ってやりたいと思った気持ちは一緒なのかもな」
「え?」
小さな声でつぶやいたトーヤにディレンが聞く。
「いや、あんたのケツがなんとなく叩きやすかったんじゃねえかな、ってな」
「なんだそりゃ」
言って2人で笑った。
「まあ、そういうわけでな、どうせ本当の名前は教えてもらえねえだろうしと、その名前にしといた。2人の関係は姉妹だ。2人であっちに住む親を尋ねるためにしといたからな」
「ああ、ありがとう」
トーヤが礼を言う。
「そんでだな、あの服、あの2人は着たのか?」
「どうだろな、侍女の方は着るっつーてたが、奥様の方は絹がいいってよ」
「奥様は絹がいいってか」
ディレンがそう言って笑うが、
「まあ、そう言ってられん事情があるから一度話をさせてくれ」
そう言ってトーヤと2人で元船長室の客室へと向かう。
アランが出てきて前で座って番をしていた。
声をかけ、船長が訪ねてきたと伝えて中に入る。
すでにベルは木綿の服に着替え、目だけ出すようにやはり木綿のストールを巻いていた。
濃い茶色の目が力強く光る。
一方、シャンタルの方は、言ったように絹の奥様の服を着て、頭から絹のベールをかぶったまま、品を作るように斜めになった姿勢で寝台の上に座っていた。
「失礼します」
ディレンが声をかけるとベルがシャンタルに近寄っていき、何か囁く。
船長の言葉を奥様に伝えるのが侍女の役目である。
「実は、明日の朝、一度船を降りていただきたい」
ディレンの言葉にトーヤとアランも驚いた。
「おい、そりゃ一体」
「いいからまあ聞け」
そう言ってディレンが説明するところによると、
「明日一日借り切ってある宿で風呂に入ってきてください」
ということであった。
「明後日の早朝、この船は出港し、それからしばらくは海の上です。当然水は貴重になります、つまりしばらくは風呂に入れない。なので俺たちも明日の夜、積荷を全部積み終わったら汗を流しに行きますので、その前によろしければ行っておいていただきたい」
そういう話であった。
「女性が長い間風呂にも入れないというのはお辛いでしょう。ですから、目立たぬように持ってきた服を着て、朝のうちはお二人以外誰も近づけないようにしますから、一度外の空気を吸って、ちょっとゆっくりしてこられたらいいでしょう」
ベルが言葉を伝え、ちょっと考えてからシャンタルがゆっくり頷き、またベルに何か伝える。
「ありがとうございます、ご厚意に甘えます、とおっしゃっていらっしゃいます」
「そうですか、よかった」
そう言ってトーヤとアランを振り向き、
「ってことでな、おまえらも行ってこい」
「分かった、すまんな」
「ありがとうございます」
それだけ言うとディレンは出ていき、トーヤが手形を取り出して見せる。
「おまえらは姉妹ってことになってる」
「ミーヤ?」
「そうだ」
「どっちのミーヤ?」
「こっちのだ」
苦笑してトーヤが言う。
「ディレンはミーヤの旦那だったって言っただろうが、それで俺も知ってる名前を使ったらしい」
「私の名前になってるエリスは?」
「それは……」
トーヤが一瞬だけ言いよどみ、
「俺の母親の名前だそうだ」
「え!」
「だそうだ、って」
ベルが驚き、アランが聞く。
「ああ、俺も知らなかった。何しろ小さい頃に死んじまったからな、初めて知った」
淡々とトーヤがそう答えた。
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