上 下
16 / 65
2022年  6月

美優と啓太

しおりを挟む
「別れよう」

 俺の言葉に美優は蝋人形のように固まった。

 そうだろうな。
 今までそんなことおくびにも出したことがないから、そりゃびっくりするだろう。

「どうして?」

 言ってしまえば簡単なことだ。
 他に好きな人ができた。

 だけど正直に言うつもりはない。
 美優の性格はよく知ってる。
 俺より3つ年上で姉さん女房気取り、何があっても自分が悪いんじゃないか、そう考えて一歩控えめ。
 だからあえて本当のことは言わず、そう思ってくれてる状態で俺は退場させてもらう。

「とにかく、もう俺は美優と一緒にいられない、そう思ったから別れてほしい」

 そう言って先に席を立ったら、思った通りに追いかけてはこなかった。
 ホッとした。

 今年29の美優がそろそろ結婚を意識していることは知っていた。
 だけど俺は26だ、まだまだ自由でいたい、遊びたい。
 これまでの4年の月日には感謝しているが、これから先のもっと長い月日を、美優一人の人生なんてつまらない。
 だからとっとと俺を忘れて、望んでる結婚の相手を探してほしい。
 俺のやさしさだ。

 明日からは三連休、それで美優の気持ちも落ち着いて、週明けからは何もなかったように普通の生活に戻れるだろう。俺のせめてもの心遣い、美優ならきっと分かるはずだ。

 週明けから俺は本社勤務となった。
 受付には新しい彼女、その名も聖母マリアさまの麻莉亜だ。

「おはようございます」

 俺がそう受付でそう挨拶すると、

「おはようございます」

 もうちょっとで恋人にニコニコとかわいい笑顔を見せそうになるのを我慢して、仕事のスマイルで返してくれる。
 かわいい、何をしてもこんな感じで新鮮でとてもかわいい。
 年上の美優は楽だったが、こういう育てるかわいさってのはなかったよな。
 なんというか、いつもマウント取られてる感じで、時に説教なんぞされて、そういうのはうざかった。

 それからしばらく、俺は幸せな生活を続けていたが、三ヶ月が過ぎる頃には少し疲れてきていた。

「どうしてすぐに返事返してくれないの?」
「ああごめん、ちょっと忙しかったから」
「既読スルーはやめて!」

 ぷうっと頬をふくらませる麻莉亜を、最初のうちこそはかわいいと思っていたが、段々と負担になってきた。

 本社勤務になってからはそれまで以上に忙しくて、夜はぐったり、部屋に帰ったらシャワーを浴びて倒れ込むように寝たいだけなのに、その時間を見計らって電話がかかり、長々とその日にあったことを聞かされる。

「ごめん、ちょっと疲れてて眠いから明日でいい?」
「えーせっかく待ってたのに。もういいよ!」

 ガチャンと切られてしまう電話。
 こうなると厄介だ、翌日にはあれやこれやでご機嫌を取らないと、こじらせるとえらいことになる。

「もう麻莉亜のこと嫌いなんでしょ?」

 ぐすりぐすりと泣きながら電話がかかる。

「そんなことないよ」
「だったらちゃんと言葉で言って」
「愛してるよ」
「もっと心を込めて」
「愛してるよ」

 本当にめんどくさい。
 かわいいと思ってたところが今では全部めんどくさい。

 一番めんどくさいのはあの時だ。
 いわゆるマグロだ。
 何もかも、自分はやってもらう側だと思ってる。
 生活全部がこんな感じ。

 美優といる時を俺は懐かしく思い出す。
 控えめに俺を立てて、一生懸命俺色に染まろうとしてくれていた。

「まだ間に合うんじゃないか?」

 何しろ別れてまだ半年も経ってない。
 そんなにすぐ新しい男に乗り換えられる女じゃない。

「まだ俺のことを待ってるはずだ」

 俺の中で確信に変わっていた。

 時々支社に足を伸ばす仕事がある。
 今までは行っても美優に合わないように気を使っていたが、次はちょっと顔を見せてみよう。

 何もなかったように「元気?」と話しかける。
 一瞬困ったような顔をしながら「ええ、あなたは?」きっとそう答えるはずだ。
 そしたらまた前の二人に戻れるだろう、何もなかったように。
 美優のことはよく分かっている。
 あれはそういう女だ。

 麻莉亜と別れるのはちょっと面倒だが、何回かぞんざいに扱って泣かせたら、きっとあっちから「もういい」と言ってくれるだろう。
 あれはそういう女だ。

 そうしておれは計画を実行に移した。
 
 いつも美優が使う階段の下で偶然のように立っていた。
 俺を見つけた時の美優の驚く顔、今から楽しみだ。

 時間になり、次々と退社する社員たちが降りてくる。

 やがてその中に美優の親友の理沙と、その隣にいるのは……

(あれ、美優か?)

 俺が知ってた美優とは全然違う。
 短く切った髪にキリッとしたオレンジ。
 かわいいのではなくかっこいい、そんな女になっていた。

 思わず見惚れてしまっていたからだろうか、声をかけ損ねてしまった。

 美優は俺とは気づかなかったようで、理沙と笑いながら行ってしまった。

 一体何がどうなってるんだ?
 何があったんだ?
 あいつ、あんなにきれいだったか?

 呆然と後ろ姿を見守っていると、立ち止まってこちらをちらっと見た。
 
 その時懐でスマホが鳴った。
 仕事の関係かと急いで出たら、麻莉亜だった。

「あ、もしもし、パパ~?」

 意味がわからない。

「なんだよそれ」
「うふふ、今日分かったの、二ヶ月だって」
「え!」
「色々と決めないといけないね~」

 甘ったるい声が俺には死刑宣告のように響いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

三度目の庄司

西原衣都
ライト文芸
庄司有希の家族は複雑だ。 小学校に入学する前、両親が離婚した。 中学校に入学する前、両親が再婚した。 両親は別れたりくっついたりしている。同じ相手と再婚したのだ。 名字が大西から庄司に変わるのは二回目だ。 有希が高校三年生時、両親の関係が再びあやしくなってきた。もしかしたら、また大西になって、また庄司になるかもしれない。うんざりした有希はそんな両親に抗議すべく家出を決行した。 健全な家出だ。そこでよく知ってるのに、知らない男の子と一夏を過ごすことになった。有希はその子と話すうち、この境遇をどうでもよくなってしまった。彼も同じ境遇を引き受けた子供だったから。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

一か月ちょっとの願い

full moon
ライト文芸
【第8位獲得】心温まる、涙の物語。 大切な人が居なくなる前に、ちゃんと愛してください。 〈あらすじ〉 今まで、かかあ天下そのものだった妻との関係がある時を境に変わった。家具や食器の場所を夫に教えて、いかにも、もう家を出ますと言わんばかり。夫を捨てて新しい良い人のもとへと行ってしまうのか。 人の温かさを感じるミステリー小説です。 これはバッドエンドか、ハッピーエンドか。皆さんはどう思いますか。 <一言> 世にも奇妙な物語の脚本を書きたい。

希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々

饕餮
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある商店街。 国会議員の重光幸太郎先生の地元である。 そんな商店街にある、『居酒屋とうてつ』やその周辺で繰り広げられる、一話完結型の面白おかしな商店街住人たちのひとこまです。 ★このお話は、鏡野ゆう様のお話 『政治家の嫁は秘書様』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 に出てくる重光先生の地元の商店街のお話です。当然の事ながら、鏡野ゆう様には許可をいただいております。他の住人に関してもそれぞれ許可をいただいてから書いています。 ★他にコラボしている作品 ・『桃と料理人』http://ncode.syosetu.com/n9554cb/ ・『青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -』http://ncode.syosetu.com/n5361cb/ ・『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 ・『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376 ・『日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)』https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 ・『希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~』https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ ・『Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街』https://ncode.syosetu.com/n2519cc/

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...