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無駄にはならない

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 6月も半ばだがまだ梅雨入りもなく、暑くもなく中庭での昼食は気持ち良い。
「そういや、毎月席替えするとか言ってなかったっけ。工藤先生」
 工藤先生とは、担任教師である。唐突に担任が先月そんなことを言いながら席替えをしたのを思い出した。

「忘れてんじゃね?」
「あの教師はいいかげんそうだからね」

 明翔と一条の言葉に、颯太と柳だけでなくちーちゃんまでうなずいている。

「耐震工事もいつまでやってるんだろうねっ? 俺たちが1年の時からやってるよね」
 颯太が細長い器材が束になって校舎に立てかけられているのを指差した。
「あの細長い物を置いてあるだけで、工事らしい工事をしているのを見たことがない気がするよ」
「いるわよね。材料だけ準備したらもう終わった気になる人って」
「耐震工事は終わったつもりで完了しちゃダメだろ」
 この状態で地震が来たらあの重そうな器材が一斉に倒れそうで余計に危ない。

「ごちそうさまでした」
 と柳が手を合わせて弁当箱のフタを閉めた。柳って見た目ヤンキーだけどモテたいがためにやってるだけで、育ちは良さそうだ。

 ピンポンパンポーン、と校内放送が流れる。
「2年1組学級委員長、柳龍二くん。至急職員室まで来てください。繰り返します、2年1組――」
「呼ばれてんぞ、柳」
「やれやれ。工藤先生は何でも僕に押し付けるんだから」
 最近では、それお前の仕事だろってことまで学級委員長だからとやらされている。それがまたできちゃうから工藤先生も味をしめてしまったんだろう。

 弁当を手に柳が立ち上がって校舎へと歩いて行く。
 ん? 一瞬違和感を感じた次の瞬間、地面が盛大に揺れ出した。
「地震だ!」
「柳!」

 颯太が校舎脇を歩いていた柳へと突進する。さっきあんなことを考えたからフラグが立ってしまったんだろうか。校舎に立てかけられている耐震工事の器材が柳へと降り注いでいくのがスローモーションのように見えた。
 颯太が柳を突き飛ばして校舎へと押し込む。大量の器材は颯太が駆け抜けるのを待たずに傾き、颯太が見えなくなった。

「颯太!」
 慌てて颯太へと駆け寄ると、器材が地面に落ちきった中から現れたのはもうひとりの女性教育実習生、胸豊さんだった。大きな体の豊さんがガッシリと颯太を抱きかかえて、その大きな胸に颯太の顔が完全に埋まっている。

「クッソうらやましい!」
 豊さんを心配するよりも先に、素直な心の声が出てしまった。

 明翔と一条が同じような顔で同じように俺をさげすんだ目で見る。
「ふーん。深月は豊さんが好みなんだ。ふーん」
「へー。呂久村は豊さんに顔をうずめたいんだ。へー」
「こんな時だけ仲良くなるな! いがみ合ういとこ同士が!」

「言ってる場合じゃないでしょ! 大丈夫ですか?! 足立先生!」
 ちーちゃんが豊さんの顔をのぞき込む。俺たちも見ると、豊さんは震えながら心底安心したように息をついた。
「肉がいっぱい付いてるおかげで大丈夫です。ただ、とっさに動いたものだから今になって恐怖心でなんだか体が動かなくて」
「勇気ある行動です、足立先生。素晴らしいわ。教師の鑑です」

 生徒の危機にとっさに身を挺して助けた先生に惜しみない拍手を送る。

「佐藤くん、僕のためにありがとう。大丈夫?」
 颯太に突き飛ばされ座り込んでいた柳が立ち上がった。やっと動けるようになったのか、豊さんが颯太から離れるとブワッと颯太が大きく息を吐いた。

「足立先生、念のために保健室に行きましょう」
「ええ。ありがとう、浪川先生」
 教育実習生のふたりが連れ立って保健室へと向かう。

「大丈夫か? 颯太」
 颯太の顔色が悪い。いくら颯太でも怖かったんだろうか。

「死ぬかと思った! あの肉の塊はもはや凶器だ! 柔らかすぎて完全に口と鼻をふさいで全然呼吸ができなかった! マジで死ぬかと思った!」
「胸にはさまれて窒息とか、クッソうらやましい!」
「んないいもんじゃねえ! 殺されるところだったんだぞ! 走馬灯が見えた!」

「佐藤くんも念のために保健室に行っておこうか」
「あ、ボク保健室の場所知らないからついて行くよ」
「じゃあ、俺らでみんなの弁当箱教室に持って行っとくわ」
「うん、頼んだよ、呂久村くん」
「柳、職員室行かなくていいの?」
「それどころじゃないよ」

 颯太を真ん中に、柳と一条が支えながら校舎に入って行く。
 俺と明翔はみんなが食べ散らかした弁当箱を片付ける。

 不意に明翔が顔を上げた。
「ねえ、深月は浮気したことある? 何人も付き合ってるからさ、かぶってた時期があるとか」
「ない。俺は浮気はしない。気持ちのない現実逃避の浮気ですら家庭を壊すってことを知ってる」

 実は俺は、不倫相手からの暴露電話よりも前から中里さんの浮気に気付いていた。外に癒しがないとしんどいよなあ、と理解できたから、なんなら母親が気付かないように暗躍していた。
 たぶん、中里さんは隠し通すつもりはなかったんだと思う。

 だから、不倫相手からの暴露にはマジで腹が立った。俺の努力を無駄にしやがって。あんな母親でも母親だからなのか自分でも分からないけど、傷付いてほしくはなかったのに。

「辛い思いをした経験って無駄にはならないんだね。そのおかげで深月がいい男になってる」
 明翔が笑った。

 無駄にはならない……。

「なあ、明翔。ちーちゃんも傷付いた経験が無駄になってないと思う?」
「思うよ。先生笑ってたじゃん」
「そっか……」

 だったらいいな。俺の努力は無駄になったけど、母親が傷付いた経験は無駄ではなかったんなら、いいな。
 心の重荷がフッと軽くなったのを感じて、自然と明翔に笑顔を返せた。
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