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1章
婚約者が発狂した
しおりを挟むカロンは私の手を引き、廊下を進む。
この人はどうやら、私の部屋を目指しているようだ。迷いなく足を動かしている。
…彼は部屋の場所、知っていたかしら?記憶にある限りでは、カリアと数人のメイドくらいしか近寄らないはずなのに。
「「…………」」
どちらも口を開くことなく、私の部屋…という名の狭い物置き部屋にやってきた。
小さなサイドチェストと、古びたベッド。扉が壊れて閉められないクローゼットしかない、屋敷の奥まった薄暗い場所。
カロンは部屋の扉を開け、私をベッドに座らせる。自分は立ったまま、私を見下ろして頬を指で掻いた。
「「………………」」
立場の低い私から声を掛けることはできない。何よ、私に用事…?
「……あ…姉上」
「…私に姉と呼ばれる資格などございません、公子様」
「……!」
彼はハッとした表情になり、唇を噛んで拳を握った。
殴るつもり…?紳士の風上にも置けないわね。どうぞ、暴力には慣れていますので。
が…私の覚悟は無駄に終わる。
カロンは暫く俯いた後、その場に膝を突いた!?
いけない、誰かに見られでもしたら!大急ぎでベッドから降り、床に座ってカロンより視線を低くした。
私の行動に何か言いたげだが、軽く頭を振って私の目を見た。
「…姉上、今日のパーティーに出ちゃ駄目だ!」
何を、言っているのだろうか、この人は。
私の誕生日を祝うパーティーで、私に欠席しろと?
あ、なるほど。さっき食事の席で笑ってたのは、このことね。
エディットのわがままに振り回される、健気な弟妹を演じるつもりか。
「申し訳ございませんが、私の一存では決められません」
「僕が!グリースロー家の長男が、いいと言っているんだ!」
っ!カロンは焦ったように捲し立てる。
掴まれた両肩が痛い…けど。
「公爵様がお許しになるでしょうか」
「僕が説得する。姉上はこの部屋から出ないで、じっとしてて!」
軟禁宣言された…
彼はそれだけ告げ、勢いよく部屋を飛び出す。
まあ、どうでもいいけど。これ以上下がる評判も無いし。
パーティーに出なくて済むなら、それに越したことはないわ。
と思っていたが。午後になり、メイドが2人来た。
「はいはい、早く支度しますよ!」
「何寝っ転がってるんですか、立ちなさい!」
「………………」
彼女らの手には、お高そうなドレス。パーティーの時はいつもそう…
それを適当に着せられ、大雑把なメイクをされて。やたら高価な宝石を、手当たり次第に付けられるのだ。
一体カロンは何がしたかったのかしら。結局私、パーティー会場にまで来てしまったわ。
「ふぅ…」
「姉上…」
ん?カロンが気落ちした様子で近寄ってきた。
計画が台無しになって、ガッカリしているのでしょう。だから私を姉扱いする演技、そろそろやめない?
「……い──」
カロンが口を開こうとした瞬間。扉のほうから わあっ!と歓声が上がった。
カリアと、私の婚約者である…アルフィー殿下が入場したようだ。
「……………」
服の色を合わせて、同じピアスをして。指を絡めて繋ぎ、互いを見つめる視線は熱を帯びている。
どこからどう見ても…他人の付け入る隙のない、恋人同士。
もう、大丈夫だと思っていたけれど。
かつて愛した男性が、堂々と浮気する姿は。どうにも胸が痛む。
周囲からも「お似合いだわ」とか「この国も将来は安泰ね」とか。
「見て、あの宝石」「浪費癖がある、とは聞いていましたが」「品がありませんわね」「やはり王太子妃に相応しいのはカリア様…」
私とあの2人を比較する声がチラホラと。今の私は、ティアラにピアスにネックレスにブレスレットにブローチに…とジャラジャラ宝石を纏っている。
この姿が他者から見れば、どう映るかなんて一目瞭然。
さて…いつものように心を殺して、仮面を貼り付ける。招待客も揃ったようなので、形式だけでも挨拶をしなくては。
「皆様。本日はお集まりいただき…?」
~♪
え…急に楽器が鳴り響く。それに合わせて、みんながパートナーと手を取り合って中央に出る。……ああそう。
予想通り、アルフィー様はカリアと踊り始めた。私のことなど、見向きもしないまま。
飲み物を配っている使用人すら私を避ける。
「…姉上」
?幸せそうに微笑むカリアを見ていられなくて、背を向けたらカロンがおずおずと声を掛けてきた。
「なんでしょうか」
「僕と、踊っていただけませんか?」
「え?」
思わず抜けた返事をしてしまった。
貴方…いつまで演技する気?見なさい、周囲の視線を。未確認生物でも発見したかのように、限界まで目と口を開いていらっしゃるわ。
けれど断ることもできず。そっと手を重ねて、私達も中央に出る。
なるほど…ダンスで私に恥をかかせる作戦ね。いいでしょう、その程度可愛いものだわ。
足を踏むのか、転ばせるのか、もしくは…?
が。彼のリードは普通に踊りやすくて、私は難なくステップを踏む。
分からない。分からない…
これまで散々、私をこき下ろしてきたくせに。
今私を、優しい微笑みで見つめる義弟の考えが…分からない。
これじゃまるで…姉想いの優しい弟のようだわ。…有り得ない、私は騙されない!
私達を睨むアルフィー様とカリアを気にしつつ、ファーストダンスは無事に終了した。
「姉上、こっち!」
「…何をなさるんですか?」
いつも通り壁の花になろうとしていたら。カロンに手を引かれたまま、扉に向かって歩かされた。
「姉上、もういいはずだ。早く部屋に戻って、誰が訪ねても出ないで!」
「戻るのは構いませんが。訪問をお断りするのは、難しいかと存じます。私の部屋には鍵が付いておりませんので」
「はあっ!?」
そんな顔されても、事実だもの。
カロンは顎に手を当てて、数秒間考え込む素振りを見せた。
「………僕の部屋を使って。僕以外が訪ねても、絶対に出ないで」
はあっ!?今度は私が驚く番だった。
「早く!このままじゃ…」
「カロン!」
「「!!」」
その時、後方から誰かの声が響く。
決して張り上げてはいないが、よく通る声は…
アルフィー殿下。カリアと腕を組んだ状態で、靴音を鳴らしながら歩み寄って来る…
「カロン、何をしているんだ?まだまだパーティーは始まったばかり…この後何があるのか、忘れたのか?」
殿下は呆れたような表情で、私は無視してカロンに問い掛ける。その横でカリアも、うんうんと頷いている。
ん…この後?双子の悪戯に、殿下も加担しているのか。これは初めての展開だわ。
「アルフィー様、それどころではありません!僕だけでなく、貴方も全てを失うんですよ!!」
「「「は?」」」
あ、ハモった。本当にこの人…朝から言動がおかしいわ?
「とにかく!僕は姉上を部屋に送ってから戻ってきます、事情はその時お話します!」
カロンは私を連れて強引に退場しようとするが…その前に、グリースローの騎士に出口を塞がれてしまった。
「どけ、お前達!」
「申し訳ございません、殿下とカリアお嬢様の命令でして…」
押し問答を繰り広げる傍ら…私はただ狼狽えるばかり。
そうしているうちに、殿下が手を伸ばせば届く距離まで迫って来て。気付いたカロンが私を背に隠す。
なんで私…まるでカロンに、守られているようなの?
そんな騒ぎに公爵夫妻も黙っている訳がなく、こちらに近付いて来る。気付けば…音楽も止み、会場中が私達に注目していた。
「殿下、これは何事でしょうか?」
「(ふむ…予定より少々早いが、これだけ注目されていればいいだろう)公爵、今日ここで私は公表する。
エディット・グリースローとの婚約は破棄し、カリア・グリースローと新たに婚約を交わすと!!」
「おおっ、まことですか!」
「アルフィー様ぁ…嬉しい!」
実に堂々とした宣言に、観客がわあっ! と沸いた。
公爵夫妻も顔を綻ばせ、一気にパーティー会場はお祝いモードに。
沢山の祝福の言葉を掛けられ、頬を染めて微笑む主役の2人。私だけ…目の前にいるのに蚊帳の外。
……ああ。そう…やっと…終わるのね。
カリアからの嫌がらせも。
いつか再び、私を見てくださるかしら?という淡い期待も。
完全に終わるんだ。
…駄目、涙を流しては。私は…私の役目は。
はい、わかりました。これまでありがとうございました、殿下。お2人の未来が輝かしいものでありますように…
と、潔く身を引くべきよ。だって。
私が平民の孤児であることは、紛れもない事実だもの。
ふう…声が震えないよう、喉に力を入れて…と。
「…はい。わか」
「アルフィー様…!後悔するのは貴方ですよ!?」
「え」
和やかな空気をぶった斬る、カロンの叫び。この場で1人だけ、血走った目で殿下を睨んでいる。殿下もその迫力に、少々後退った。
「ど、どうした?お前さっきからおかしいぞ…?」
「そうよお兄様、変な物でも食べたの?」
これに関しては、私も2人に全面的に同意するわ。
「お前も賛同していたじゃないか、これを機に公爵家からも追い出す計画だろう?
散々好き勝手生きてきた女が、今更平民に戻っても数日で野垂れ死ぬだろう!と笑っていたじゃないか」
「え?」
パッとカロンの横顔を見上げると、彼は視線に気付いたのか気まずそうに顔を逸らした。
私…平民になれるの?本当に?
「ありがとうございます…!」
「「え?」」
「………姉上…やっぱり…」
どうしよう、嬉しい!仮面を保てず、頬が緩んでしまう。
夢にまで見た、自由な暮らし!雁字搦めの、窮屈なグリースロー家から抜け出せる!?嬉しい!!
これはきっと、神様がくださったチャンスだわ!最高の誕生日プレゼントをありがとうございます!!
「急いで荷物を纏めて出て行きます、では御前を失礼致します」
「え…は?(な…何故だ?これまでのように、贅沢な暮らしも出来ないんだぞ?どうしてそんな…心から嬉しそうな顔ができるんだ…?あっ、そうか)
お前には浮気相手が大勢いるんだったか、だが残念だったな。公女でもないお前は、誰にも相手にされない!」
「はい、どうか私のことは放っておいてくださいませ。エディットは本日を以て死んだとお思いください。
公爵様、奥様。これまで育てていただき、ありがとうございました」
ドレスの裾をつまんで頭を下げて、私は呆然とする皆様に背を向けた。
足取り軽く扉の前に立てば、騎士達も今度は邪魔しなかった。
己の手で閉ざされた扉を押し…1歩踏み出す!
冷たい廊下の空気が全身を撫でる。けれど私は、これからの生活を思うと胸が弾んで仕方ない。
もう窮屈なコルセットもいらない!
周囲の顔色を伺わなくていい!
暴力に怯えることも、悪意に傷付くこともない!
勉強も、刺繍も、マナーも楽器もいらない!
自分でお金を稼いで、好きに使える!
それって素敵!公爵家の体面があるから、暫くの生活費くらいは貰えるでしょう。それが無理でも、今身に付けている宝石やドレスを売ってしまえばいい!
「姉上!!!駄目、行っちゃ駄目だ!せめて、僕も一緒に!」
あら?完全に他人になった公子様が、後ろから追いかけてくるわ。
いいえ関係無いわ、私は平民のエディットだもの!
ああ、生きててよかった!何度か命を絶ってしまおうかとも考えた。しなくてよかった!
「なんなんだ…今の笑顔は…!?」
「大丈夫ですよ、アルフィー様。ただの虚勢ですわ!嫉妬心と絶望で狂ってしまったのですよ」
「そそ、そうか、きみの言う通りだな、カリア」
「うふふっ」
「「「おめでとうございます、殿下!グリースロー公女様!」」」
わあああぁ……
背中に届く声も気にならないわ。
と…私が輝かしい未来へ駆け出そうとした時。
「(……あ、れ?なんだろう…この…既視感?
さっきのエディットの晴れやかな笑顔…前にも見たことがあるような?)」
「さあ殿下、もう1度踊りましょ!今日はわたくし達の婚約を祝うパーティーですもの、楽しみましょう!」
「そう、だな………」
「?アルフィー様?ほーら、行きましょっ!」
「…………う」
「?」
「う………うわあああ゛あ゛あ゛あ゛っ!!?」どんっ!
「きゃあああっ!?」
「「え!?」」
なに!?殿下のものと思しき叫びに、反射で足を止めて振り向いた。カロンの肩越しに見える、そこには。
腕に絡み付いていたカリアを…突き飛ばしたのだろうか?右手を振り上げ、肩で息をする殿下と。
床に転がり、ピクリとも動かないカリアがいた…
「エディット…エディット…!
行くんじゃない、きみは…私の婚約者なんだから…!」
「ひ…っ!?」
混乱する会場。
カリアに駆け寄る人、大声を出すだけの人、静かに逃げようとする人。もうパーティーどころではなくなっていたが。
殿下が…私に狙いを定めて、ゆらりと腕を伸ばしてくる…!
その目は虚ろで、私以外を映していない。公爵の怒りの声も聞こえないのか、扉をくぐって私に迫る。
「や…やだ、いや。来ないで…!」
「エディット、何も心配はいらない!ごめんね、私はあの性悪女に騙されていたんだ。
さあ今すぐ結婚しよう!きみは王太子妃になる女性なのだから!!さあ、さあ!!!子供は3人くらいがいいなあ。跡継ぎの男児と、きみにそっくりな愛らしい娘が2人欲しいなあ。きみもそう思うだろう?大丈夫、私が守ってあげるから!」
「い…っいやあああああっ!!!」
「姉上ー!!駄目、止まって!!!」
怖い、怖い怖い怖い!!
先ほどの幸福感から一転、恐怖で私は走った。どうして、カロンに続いて彼まで豹変するなんて。
だだだだだっ!!
「どこに行くんだいエディット!?」
「アルフィー様は来ないでください!!姉上落ち着いて!!」
少しでも足を緩めたら捕まる!でも、足の速さで男性2人に勝てる訳がない…!
なんで、どうしてこうなってしまったの!?私は大人しく、公爵家を去ろうとしているのに…!
「う、うう…!」
いいえ、泣いている場合じゃない!今は逃げるのよ、この階段を降りれば、降り…れば…
「姉上ーーーっ!!!」
あ…
足がもつれてしまったのと、高いヒールを履いていたせいで。
階段の1番上で…踏み外してしまった。
ずっ… ごろごろごろ… ダンッ!
──あ。視界が赤く染まる。
最後に見えたのは…階段の上から。
私を見下ろす……絶望の表情の、義弟と元婚約者。
「な…んで。今度こそ、間に合うと…思ったのに…」
カロンが何か言っている気がするが。
目の前が真っ暗になって…全身の痛みに、もう意識が……
いやだ。やっと じゆうになれたんだ から…
エディット・グリースローは。
17歳の誕生日から1ヶ月以内に、必ず死ぬ。
「…これで、8回目。次こそは、次は…
……姉上…」
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