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番外編

離縁された公爵夫人

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 シャルティエラ17歳、スタンピードの約1ヶ月後。
 番外編の年齢は、誕生日関係なく数え年表記です。

 ******



「シドニー。子を産めないお前はもう要らない。速やかに屋敷を出て行きなさい」

「……かしこまりました、旦那様。お世話になりました…」


 今私に離縁を言い渡した男性は、グランツ皇国二大公爵家の当主リック・プラント様です。
 …ああ、そういえば数年前、皇弟殿下がラウルスペード公爵となられたとか。現在はヴィヴィエ家を入れて三大公爵ですね。私は社交界に疎くて…。

 私はシドニー。つい先刻までプラント夫人だった女です。
 離縁の理由は旦那様の仰った通り。結婚して20年が経ちますが、未だに子を授かれずにいるのです。使用人達が旦那様の愛人が身籠ったと噂していたので、その方が新たに夫人となるのでしょうか。

 …もう私には関係ありませんね。離縁だって拒否権などありませんもの、むしろよく20年も養ってくださいました。離縁状にサインをして書斎を出て、真っ直ぐに自室に戻り身支度をします。

「お荷物纏めておきました」

「…ありがとう」

 してありました。侍女だった女性が、私の足元にコート1着と1つのトランクケースを投げました。これだけですか…私が何を言っても無駄でしょう。大人しく拾い、部屋を出ます。後ろから小さく笑う声が聞こえました。

 屋敷中の使用人が、地味なドレスを着た野暮ったい私を笑います。仕方ありません、自分でもこんな女が公爵夫人なの?と思います。
 …鼻の奥がツンとしてきました。ここで泣いてはいけません、彼らを喜ばせるだけです。必死で堪えて…なんとか屋敷の外へ出ました。


 当然見送りなどいません。馬車の用意だってありません。手持ちも多くありませんし…乗合馬車を使いましょう、歩いて移動です。



 歩きながら考えます。どうしてこうなったのでしょうか…。17歳でプラント家に嫁ぎ…旦那様に尽くしてきたつもりです。
 私は子爵家の出で、旦那様とは所謂政略結婚です。生まれた時からもう決まっていた事です。我が家に拒否権はありませんでした。

 当初から、屋敷の皆は私に不親切でした。私が子爵家だからでしょう、公爵家にはもっと家格が上の方も勤めていらっしゃいますもの。
 更に私がいつまで経っても妊娠しないから。皆の態度は益々悪くなっていきました。

 次第に私は屋敷に閉じ込められるようになり、社交界にも顔を出せないようになりました。きっと私の存在が恥なのでしょう。部屋も移され、10年以上旦那様と寝所を共にしていません。


「…寒…」

 冷たい風が全身を撫で、手をさすりながら身震いしました。今は11月の終わり…薄いコート1枚では凍えてしまいます…。
 馬車の停留所を目指していたら、豪奢な馬車が前から走って来ます。プラント家の紋章がある馬車…不意に、中の女性と目が合いました。
 なんだか、私を見て笑ったような?派手で美しく若い女性でした。あの方が…愛人なのでしょうか…。


 …ああ、ダメです。泣きそう…。もう少し、もう少し堪えましょう。




 馬車に乗り、安宿で1泊して実家に帰って来ました。ですが…


「旦那様も奥様もお会いしないそうです。この家に貴女の居場所はない、と仰せです。大旦那様も同様です」

「……そう、分かりました」


 なんという事でしょう、門前払いされてしまいました。兄が当主となっているはずですが…ここにも帰る場所は無いようです。
 お父様とお母様も出戻り娘など恥でしかありませんか。娘という歳でもありませんが。


 トランクを握る手に力を込めて歩き出します。これからどうしよう…。
 アカデミー時代の友人とはとっくに疎遠になっています。もうずっと人付き合いもしていないので、新たな友人もいません。
 頼れる人はおらず…これから、1人で生きて、いかないと…。

 そんな事、出来るの?労働もした事のない私が…?このま、ま…死……


 いいえ!頭に浮かんだ最悪の結末を振り払い、力強く歩きます!まずは労働、お金を稼がないと!!


「あー…未経験者はごめんなさいね」

「その細腕で力仕事出来るのか?」

「特技は?刺繍に、楽器?話にならないねー、どこぞの奥様じゃあるまいし」

「え、38歳で労働経験無し?………ごめんねえ、今女性は募集してないのよお」


 ダメでした。悉く全滅です…。
 これ以上宿に泊まっては、お金が底を突いてしまいます。これで最後…と決めたボロボロの宿の薄汚れた寝具の上に仰向けに寝転びました。


「………う……く、ぅ…!ふっ、うう…」

 …梁が剥き出しの天井を見上げながら。とうとう涙が溢れてしまいました…。
 私は何かしてしまったのでしょうか。このように…突然放り出されるような、酷い扱いを、受ける程の…!!

 悔しくて悲しくて、私は布団を握り締めます。次々と涙が…止まりません…!!
 旦那様も、屋敷の皆も…!私が何をしたって言うの!?子を産めないと捨てるなら、もっと早く捨てて欲しかった!!そうすれば…!せめて20代だったなら、いくらでも道はあったのに!!!

 でももうこんな歳で、生活基盤を1人で1から整えるなんて…!お金もなくて、どうすればいいの!?
 私の境遇を世間に晒して、プラント家の評判を落としてやりたい!でも外面だけは良い旦那様だったから、私が頭のおかしい女だと思われるだけ…。

「うう…う、あああぁぁ…!」

 嗚咽を漏らしながら…思い返すのは昔の事。


『苦しい時は頼って欲しい。あたしは絶対に、どんな時も君の味方だよ』


 私にそう言ってくださった方がいた。アカデミーの先輩で、私は婚約者がいたけれど…愛して、しまった男性。結ばれるはずが無いと理解した上で…。

 男性にしては長めの灰色の髪に、春の陽だまりのような暖かな笑顔の男性だった。私の自惚れでなければ、彼も私を想ってくださっていた気がするの。
 あの方が卒業する年、パーティーで私達は踊った。しかし彼は…曲が終わっても手を離してくださらなかった。彼と踊りたい女生徒は大勢いたのに…。


『…このまま、君を連れ去ってしまえたら…どれだけいいか…』


 彼は常に朗らかで、笑みを絶やさない人だった。でもその時は、悲痛な面持ちで私の手を握ってくださった。ずっと…。

 あの方と、結婚したかった。もしかして旦那様は…私のそんな浮気心が許せなくてこんな風に追い出したのかしら?
 …いいえ、違うわ。だって旦那様は私が幼い頃から、一度だって笑顔を見せてくださらなかったもの。結婚後も気まぐれに私の身体を求める事はあっても、優しくされた事なんて無いわ。
 それでも私は歩み寄ろうとした。夫婦として、愛を育みたいと思った。でも彼は私なんて見向きもせずに、いつも複数の愛人の元に行った。
 贈り物も目の前で捨てられ、食事だって20年間一緒に取った記憶は無い。次第に私は諦めていったわ。

 私の家は子爵家だけれどお金は沢山あって、逆に公爵家はカツカツだった。お金が欲しい公爵家と、高位貴族と繋がりを持ちたい子爵家。その為の結婚…そっか。
 結婚後も子爵家の支援は続いていたはずだから…恐らく借金を完済したのね。それで金ヅルの私は不要に…はは…ははっ!何よそれ、私は一体なんの為に…!

 だからこそ、いつも優しいあの方を想っていた。でも…嫁いでから、あの方とは一切の連絡を取っていない。夜会などでもお会いする事は無かったもの…。



「…会いたい」


 会いたい。頼って欲しいと言ってくださったあの方に。今どこで何をしているのかしら…。


 …いいえ。もうあれから20年以上経つのよ。とっくに暖かな家庭を築いているに違いない。やはり自力で生活しないと…!
 このままじゃ野垂れ死ぬだけだわ。でも…明日から頑張るから。今日だけは…と思い眠りにつく。





 パチ…チチ…パチチ…


「……ん…熱い…あっっっつ!!?」

 私は身を焦す熱さで目を覚ました。へ、部屋が燃えている!?ドアが、天井が!!なんでこんな時に火事に!!?宿の主人はどうして客を逃さないの!?
 荷物は捨てて逃げようにも、ドアはすでに炎に包まれ窓は…ここは4階よ!!飛行なんて、魔法陣を描く余裕も無いわ!!

 げほっ、ごっほ!!煙が…このままじゃ…!!


 薄れ行く意識の中。もう…このまま死んだほうがいいのだろうかと思う自分がいる。

 私はなんの為に生まれて、生きていたのかしら。20年耐え続けた褒美がコレ?ふふ…


「あはは…あはははははっ!!もう…いやぁ…」

 お笑い種ね、惨めな女の末路は。床に横たわり…涙で滲む視界を閉ざす。


 最期まで頭に浮かぶのは、あの人の顔。さようなら…さようなら。バティ…




「……おんどりゃあああああああっっ!!!」

「──っえーーー!!!?」


 諦めていたら何処からか声が聞こえて、目を開ければ…女の子が窓を突き破った!!?そのままゴロゴロ転がり…危ないっ!!炎に突っ込んでしまう…!
 と思ったら、なんと炎が彼女を避けた!?

「よっし、ありがとう暖炉!!アクア、可能な限り消火活動お願いね!
 さて…いたっ!!ねえ貴女シドニー様だよね!?ふんっ!!」

「…はぃ…ごほ…!?」

 その子は…炎のような赤い髪のとても美しい少女だった。彼女は私をひょいっと抱えて…うっそお!?


「よっしゃ飛ぶよー!!しっかり掴まってて!!」

 ひい…!掴まるって、腕に力が入らないわ…!
 少女は窓から飛び出した。そして、バサッと炎の翼を広げて…優雅に空を、舞って…


 ああ…もしかして彼女は女神様なのかしら…?そう勘違いする程に、美しく神々しい姿だったわ…。


 ゆっくりと人垣から離れた地上に降ろされて。こちらに駆け寄って来る人達が見えたけれど…もう、意識を保っていられ…な…


「シドニーーーっ!!!」


 あ…あ…。なんて、懐かしい声が…あの方が私を呼ぶ幻聴が。なんて…しあわせな最期なのかしら……




 ※※※




 ………?死んで…いない?
 目を覚ますと私は高級そうな寝巻き姿で、ふかふかなベッドの上に横たわっていた。ここは天国?


「…起きられましたか」


 トントンとノック音が響き、声が出なかったけれど勝手に扉が開いた。入って来たのは、白衣を着た老人。お医者様…?やはりここは現実?

「ふむ、まずは水分をお取りなさい。ゆっくりと声を出してごらんなさい」

「…ぁ…あ、あー…けほっ」

 私は喉が渇いていたようで、渡された水を一気に飲んでしまった。喉に力を入れると…うん、少し掠れてるけれど声も出た。簡単に診察してもらい、異常は無いとの事。
 お医者様の話だと、ここはラウルスペード公爵家ですって…!?公爵様…オーバン殿下の事よね、どうして私を?
 殿下とはアカデミー時代、何度か言葉を交わした事はある。けれどそれは、あの方がいたからで…まさか?

「では、儂は旦那様にご報告を……」

 あら?先生が立ち上がって背中を向けたと思ったら…ぴたっと止まった。彼の視線の先には、完全に開け放たれた扉が…


「……………」にこにこ


 いる。女神様…いいえ、こうして見るとただの可愛い女の子だわ。女の子は廊下から体を半分覗かせて、私を見てにこにこしている。微笑んでみれば…満面の笑みを見せてくれたわ。可愛い…。
 

「「……………」」スッ…


 増えたわ。女神ちゃんの上と下から…女の子が2人増えたわ。上の子は鮮やかな赤髪で…女神ちゃんと同じお顔ね、双子かしら?
 下の子は赤茶色の髪で、ちょっと痩せてるわね。でも大きい目が可愛い子…末っ子かしら?


「「………………」」ヒョコ…


 また増えたわ。今度は反対側から…男の子が2人。紫の短髪で体格のいい子と、青髪で目元がキリッとした子。手を振ってみれば…5人共振り返してくれたわ。なにかしらコレ?
 殿下は平民の女性とご結婚されたと聞いたけれど…随分と子沢山なのね?


「全く…仕方のない子達だ」

 先生は苦笑しながら部屋を出る。それと入れ違いに、女の子3人が入って来たわ。


「初めまして、こんにちは!わたしはシャルティエラ・ラウルスペードです」

「私は双子の妹、シャルロット・ラウルスペードと申します」

「私はペトロニーユ・ベティ・セフテンスと申します」

「あ…ありがとう。私はシドニー・プラ…いいえ、シドニーです」

 互いに自己紹介をする。今の私は…なんなのだろう?プラントではない、子爵の姓も名乗れない。ただのシドニー…。


「俺はパスカル・マクロンです」

「俺はジスラン・ブラジリエ」

「は、はい」

 離れた所から2人も名前を教えてくれた。しかし…この家の子は女神ちゃん達だけなのね。


「あの、シドニー様とお呼びしてもいいですか?」

「えっと…もちろんですわ。むしろ様なんて…あの時助けてくださいましたよね?ありがとうございます」

「どういたしまして!じゃあシドニーさんでいいですか?」

「はい、そのように」

 シャルティエラさんが笑顔で名前を呼んでくれた。そしてお体は大丈夫ですか?と気遣ってくれて…こんな扱いをされたのはいつぶりかしら…?
 他の子達も私を心配そうに見つめて、優しい言葉を掛けてくれる。あ…ちょっと泣きそう…。
 いいえ、泣いてはダメよ。きっと彼女らを不安にさせてしまう!それより、状況を聞かなきゃ。そう思い口を開いたら…


「おめーら女性の寝室を覗いてんじゃねーーーっ!!!」

「「おごあーーーっ!!!」」

 !!?男の子達が吹っ飛んだわ!?彼らがいた場所には長い足が…誰かに蹴っ飛ばされたみたい?現れたのは…


「起きたか。んー…シドニーと呼ばせてもらう、入るぞ」

「…!殿下!?」

 お会いするのは20年振りだけれど、間違いなくオーバン殿下…!急いで礼を執ろうとするも止められた。


「いーから。それより…大変だったな」

「いいえ…その、状況を教えていただけませんか…?」

「おう。でもそれは、コイツの仕事な」

 コイツ?殿下は廊下に腕を伸ばして…誰かを中に入れた。


「あ……貴方…は…!」

「………シドニー…」


 殿下に背中を蹴飛ばされ、お嬢様達に押された彼は私の前に立つ。気恥ずかしそうに指で頬を掻き、それでもしっかりと私を見据える貴方。


 私が…ずっと恋焦がれていた貴方。夢にまで見た…愛しい人。

 公爵家で不当な扱いを受けても。貴方の笑顔を思い出すだけで頑張れた。いつか再会する日を夢見て…ずっと、叶わなかった。

「……ああ…ああああぁぁっ!!」

「……会いたかった…ずっと、君に会いたかった…」

 私は涙が抑えられず、一気に溢れてしまった。彼も瞳を潤ませて、ベッドに座る私を抱き締めてくれた。私、私…!!


「私も…お会いしたかったのです。バティスト様…!!」


 ジャン=バティスト様…!!
 私は彼に縋り泣いた。ああ、これは夢かしら?焦がれ過ぎてついに現実逃避をしてしまっているのかしら?
 それでもいい。もう死んでもいい…それ程までに、私の心は満ちていた。

 私は年甲斐もなく泣きじゃくった。殿下達は気遣ってか、静かに退室されて行った。



 公爵家に捨てられた私、シドニーは。もう諦めていた…初恋の男性の胸で、いつまでも泣き続けたのであった。




 ******


 バティスト39歳、シドニー38歳


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