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学園1年生編
◼️ある年の冬の出会い・中
しおりを挟む翌朝。先に目を覚ましたのは、セレスタンのほうだった。
だが身動きが取れない。小柄な彼女は、少年の腕の中にすっぽり収まっていた。
痛む体を捻って抜け出し、ベッドに腰掛ける。
ちらりと振り向き、顔を泣き腫らした少年を見つめ、手で優しく拭った。
穏やかな寝顔だが…その口元は乾いた血がこびり付いている。その様子に昨夜の出来事を思い返し…自分が今あられもない格好をしている事に気付いた。
寝巻きはボタンが千切れているだけでなく、少年の手によって無残に引き裂かれていた。
最早上半身は裸状態、横には自分よりいくつか年嵩の男の子。13歳の女の子としては…顔から火が出そうなほど恥ずかしいのだ。
「服…の前に、手当てしなきゃ…」
彼女は上半身全体に少年の歯形がくっきり残っていた。
ただ血は乾いてはいるし、傷もほぼ塞がってはいるが。昔から彼女は傷の治りが早く…今は瘡蓋になっているようだ。
肉を喰い千切られていたら、もっと悲惨な事になっていただろうが。
布団も酷い状態だ。洗浄の魔術で綺麗になるかな…と考えながら、まず体の血を落とすことに。
ベッドのサイドテーブルに置いてあったカチューシャで前髪を留める。さっきから髪が目に入って痛いので。
「シャワー…沁みるかな?とりあえず、濡れタオルで拭こっかな」
立ち上がろうとベッドについた手に力を入れた瞬間、その腕と腰に手を回され後ろに引かれた。
そのままベッドに仰向けに倒される。当然犯人は、少年。
「お、おはよ。あの…」
「………どこにも、行くな…」
「え……」
昨夜の少年はその目に憎悪と悲嘆の感情を灯していたが…今は、捨てられた子犬のような顔でセレスタンを見下ろしている。
「行くな、行かないで。おれを、1人にしないで…」
「あの…ちょっと恥ずかしいんだけど…!
どこにも行かないから、強いて言えば今は歩いて10歩くらい先にあるバスルームに行きたいかな」
「だめだ、行くな」
「そう言われましても…」
少年から憎悪は消えたが、怯えが増している。昨夜は一切の抵抗をしなかったセレスタンだが、今は状況が違う。
僅かな明かりしかない夜と違い、今は太陽の光を窓から吸収し部屋全体を照らしている。
割とズボラなセレスタンは、カーテンを閉め忘れたり隙間が開いている事が多い。
つまり…半裸状態で仰向けになっている自分と。その上に四つん這いになっている少年の姿が、はっきりと視認出来てしまうのだ…。
その為彼女は激しい羞恥に襲われた。少年の胸を腕で押し上げようとしても、びくともしない。
それどころか両腕を取られ、頭の上で拘束されてしまった。
「ちょちょちょい!!!…ひやあっ!?」
「痛かっただろ…ごめん…ごめん…」
あろうことか少年は、己が彼女に付けた歯形を舐め始めた。
ゆっくりと、丁寧に。セレスタンは耳から首まで真っ赤にし茹で上がってしまったが…構わず続ける。
足で抵抗を試みるも、膝の上に少年が座り込んでしまい動かせない。
「ん…うまい…」
「美味いわけ、あるかいいい…!!!
やめて、むりい…!!」
「昨日は、全部受け入れてくれただろ…あ?」
「え…?」
少年が動きを止めた。なんと…少年が舐めた部分の傷が、塞がっていたのだ。
そこにはもう歯形など無く、元の白くてきめ細やかな肌に戻っていた。
「もしかして、君…治癒魔術の適性があるの…?」
「…?そんなの、知らない…。おれは、痛いのがなくなればいいと思っただけ。でも…そうか。治るのか」
「!っいや、治癒なら舐めなくても触れるだけで…んきゃー!!?」
「………」
少年は我が意を得たりと言わんばかりに、彼女の肌に無遠慮に舌を這わせる。
「待ってってば!!う、くぅ…!落ち、つい、て…!」
「お前は昨日、自分を好きにしていいと、言った。
だからおれは、好きにする」
「確かに言いましたがね!!それは自棄になっていたと言うか本当はめっちゃ恥ずかしいのを我慢してただけで!!うううぅ…うあぁ!?」
セレスタンは未体験の感覚に身体を震わせた。
「(ヤバい、流される…!こういう時は、ええと…!ひっひっふー?違う!!
羊を数えるんだっけ!?羊が1匹、羊が2匹…だからなんだっての!!?)」
彼女が混乱の極みに至った時。
コンコンコン
「っ!だっ、誰!!?」
「おはようございます。バジルです、坊っちゃん。
昨夜このお部屋から怒鳴り声がしていたと、先程メイドから聞きまして…もしや保護したという、少年が?」
「あ、と、その…なんでもないっ!!!」
セレスタンの部屋の扉をノックしたのは、この少年同様に彼女が昔保護したバジルだった。
伯爵家に勤める者は皆、基本的にセレスタンに関与しない。呼ばれれば無視はしないが、異常があっても自分達から首を突っ込む事はしない。
故に彼女を気に掛ける使用人は、このバジルのみ。
彼はメイドから話を聞き、「どうして素通りした!?」と問い詰めたい気持ちを抑え一目散にこの部屋にやって来た。そのメイドは、彼に報告するだけマシなほうなのだ…。
これで現れたのが医師のカリエであれば、彼女は助けを求める事が出来たのだが。
「……?その、入ってもよろしいですか?」
「だああぁめだめだめー!!!絶対に、開けちゃ…ひあ!!?」
「おい、誰の声だ」
「妹付きの、執事!だからもう、やめて…!」
少年は声の主を気にしつつも、今度は彼女の臍の辺りに口付けた。
セレスタンは両腕を塞がれている為、口を押さえる事が出来ない。声を抑えなければ、少年を止めなくては、バジルに気付かれないようにしなくては…!!
様々な感情、思いが入り混じり…ついにぽろぽろと泣き出してしまった。
「う~…うっく、えく、あう…ふうぅぅ…!!」
「なんで泣いてる…?」
「(誰のせいだと!?これも僕のせいか、僕の罪なの!!?)」
セレスタンはもう、声を押し殺して泣く事しか出来なかった。
一方バジルは。中の異変を察知し「申し訳ございません…!」と小声で断ってから扉を少し開けた。
「(……あ、また坊ちゃんはカーテンを開けっ放しにして寝たな。やっぱ毎日寄ったほうがいいかな…。
それよりも。ここからじゃ見えにくいけど、彼はベッドの上…?
…!!?なんだ、床に落ちている掛け布団…血が付いて…?って…!)」
バジルに見えたものは。暴れるセレスタンの足と、その上に乗る誰かの姿。それだけ確認した彼は…勢いよく扉を開けた。
「はっ!!」
「あがぁっ!!?」
「きゃああっ!!」
そしてベッドまで一足で跳び、少年の脇腹に蹴りを入れて吹っ飛ばした。少年は突然の事に受け身も取れず、床に体を叩き付ける。
実はこのバジル。素手の勝負であればジスランすらも圧倒する格闘術の使い手なのである。
当然それは敬愛するシャルロット、並びにセレスタンを守る為。
剣の鍛錬も怠ってはいないが、万一の事態を想定し丸腰でも戦えるよう己を鍛え続けている。他にも縄抜け、ピッキング等…様々なスキルを持っている。
「ご無事ですか、坊っちゃん!!
……え」
「あ……」
今回まさに役に立った訳だが。ベッドの上に横たわるセレスタンの姿を見て…互いに固まってしまった。
「え、ぼ、ぼっちゃん?えあ、は、ほい?」
バジルは完全にフリーズした。
セレスタンはというと、一瞬固まった後…素早く胸を腕で隠す。バッチリ見られた後なので、あまり意味は無いが。
「(坊ちゃん?いや、お嬢様?いや、お嬢様はさっき目を覚まされて、メイドに支度をされてるし。
そもそも、髪と目の色は坊ちゃんだ。でも、身体は完全に女性…?え、え、え、どういう事???)」
セレスタンは何も言葉を発さず、目を見開き自分を凝視するバジルを恐れた。
見られた…知られた…!!彼女は口を震わせ、なんとか言葉を紡ぐ。
「だれ、だっ誰にも、言わないで…バジル…。
見ないで…バジル、おね、がいだから…!」
「……!!」
バジルはごくりと喉を鳴らす。
セレスタンは顔を赤く染め、涙を流しながら目をぎゅっと閉じた。
その身体は所々血の跡が…しかし見たところ怪我は無い。
だが…あられもない格好で自分の名を呼び、懇願する姿に……
「……!!これを!着てください!!!」
「わっ!?」
彼は暴走寸前の本能を理性でぶん殴って押し留め、セレスタンに自らのジャケットを掛けた。
彼女はおずおずと受け取り、袖を通すが…サイズが合わない上にジャケットなので胸元が大きく開いている。
そのせいで、バジルにとっては何も着てない時よりも扇情的に見えてしまった。
「………!!!」
現在彼の脳内では…押し留めたはずの本能が兵士の数を増やし、理性が閉めた頑丈な扉を破壊しようとしている。
しかしそこに「セレスタンに嫌われる」「男として女性に不埒な真似は」「命の恩人の危機」という強カードを掲げた理性軍団が一致団結し本能を完全に制圧した。
まあ理性の中に…「泣き顔可愛い」「格好良いとこ見せたい」という下心もいるのだがご愛嬌。
バジルはなるべくセレスタンの姿を見ないようにしながら声を掛けた。
「えっと…まずお怪我はありませんか?」
「その…今は、ないよ」
「よかった…では、どうかシャワーを浴びてきてください。僕はその間…そこの男から話を聞かなければなりませんので…」
バジルはセレスタンに向けていた優しい眼差しではなく、拳を震わせながら凍てつく視線を少年に向ける。
その少年は脇腹を手で押さえながら静かに立ち上がり、バジルの視線を真正面から受け止めた。
そして何かに気付き、よく見なければ分からないほど僅かに目を大きくさせる。
バジルも同様で、「あ…」と言葉を漏らした。
「まさか、お前は…」
「待って!!」
そんな2人に待ったをかけるセレスタン。彼らは睨み合いをやめ、セレスタンのほうを見た。
彼女はベッドの上に座り込んだまま、バジルの事を見上げている。
「バジル。あんまり、厳しくしないであげて…。
君も、バジルに酷いことしないで…!」
「「………はい」」
その時バジルの脳内に「上目遣い可愛い」が追加された。
「……保護された少年ってのは、お前だったのか…」
「ああ…久しぶりだな」
セレスタンがシャワーを浴びている間。
バジルは少年をシーツでぐるぐる巻きにしてベッドに転がし、その脇に仁王立ちをした。少年も抵抗せずに受け入れる。
かつてバジルも、路上生活を送っていた。その時の仲間の1人が、この少年だった。
「お前は…無事に、生きてたんだな」
「………僕、だけ…が…」
バジルは幾重もの幸運に巡り合い、今こうして幸せに暮らしていた。
だが、だからこそ。自分だけ地獄を抜け出し…安寧の地を手に入れた事に苦しんでいた。
その苦しみから逃れたくて…多くない給料から僅かな食料等を購入しては差し入れていた。それは偽善だと自分でも理解していたが…何もせずにはいられなかった。
「今年の、冬は厳しいから…次の休みに買えるだけ布団を買って持って行こうかと…」
「…いや、いらない」
「え…」
「もう…おれしかいない。だから、いらない」
「え、あ…そんな…」
少年の言葉を受けたバジルは…顔を歪ませ涙を流した。
間に合わなかった…いや、こうなる事は分かっていたはずなのに。自分は何も行動しなかった…。
「あ…うあ、あ…!!」
「………」
バジルはその場に崩れ落ちた。そして声を殺し…泣き続ける。少年はそんな彼の姿を静かに見ている。
「…あ!バジル、どうしたの!?君!何か…」
「違うんですセレスタン様!!」
そこへ、シャワーを終えたセレスタンが戻って来た。
床に蹲るバジルを見つけ、優しく背中をさする。その手の温もりに…バジルの涙は更に溢れてきた。
セレスタンはそんな彼を包み、背中と頭を撫でる。まるで赤子のようだ…とバジルは思いながらも、その胸に顔を埋め泣き続けた…。
※※※
「もう大丈夫なの?」
「は、はい…ありがとうございました…」
暫く泣いた後、バジルは正気に戻った。
セレスタンは今、サラシも下着も付けていない。つまり…部屋着の生地が厚いとはいえ、触れればその柔らかい胸の感触はダイレクトに伝わって来る。
そこに顔を埋めて泣いていた男は誰だ?
「はい僕です!!!」
「何急に!!?」
セレスタンは突然叫びだす執事を気にしながらも、どうして泣いていたのか聞いてみた。
そして彼女は…彼らが昔馴染みで、バジルだけ救われた事。そんな彼の地道な努力、それが報われなかった事…。
この少年以外の子供達が儚くなってしまったという罪悪感に、圧し潰されそうになっている事を聞かされた。
「……いや、バジルが責任を感じる事じゃない。僕だ、僕と…父上が罰を受けるべきだ。
いつか必ず報いを受けるから。だから…君はその後を、お願い」
「後…とは?」
「………もしも僕が罰せられたその時は。ロッティとバジルだけは守るから…ロッティの側にいてあげて。
あの子が誰かと結ばれて幸せになるまで。その後は…君も、自由に生きて。
ロッティに仕え続けるもよし、執事を辞めるもよし。もしくは」
「待て」
セレスタンの言葉を遮ったのは少年だ。彼はシーツで縛られている…はずだったのだが。いつの間にか抜け出し、ベッドの上から床に座り込む2人を見下ろしていた。
「お前は、昨日も言った。
自分を犯すも殺すも好きにしろ、でも妹には手を出すなと。
その妹は、なんだ?何故そこまで庇う?」
「犯、す…?殺す!?セレスタン様、貴女はなんて事を…!!」
それに反応したのはバジル。まさか愛する主が、この少年に身を捧げようとしていたなんて…!
セレスタンの肩を掴み、「何かされていませんか!?う…奪われては、いませんか!!?」と声を荒げた。
「大丈夫!大丈夫だったから!!」
「お前が俺を拒絶したなら。おれは言葉通りに…お前の身体を貪った後、殺すつもりだった。
その後、おれも死のうと思った」
「何故だ!?お前は、どうしてセレスタン様を恨む!?子供達がっ、死んだのは…彼女のせいではない!!」
「だが無関係でもない!!」
「……!」
バジルは言葉に詰まった。その通り、セレスタンは伯爵に意見できる立場にいる。親のやる事に口を出すなという貴族も多いが…領民の命に関わる事なのだ。
もしも国、皇家に助けを求めたら…立場が悪くなるのは伯爵のはず。
それをよく分かっている彼女だから、自分に降り掛かる憎しみは全て受け止める覚悟だった。そうまでしても…父親には逆らえないのだ。
セレスタンは立ち上がり、バジルに指示を出す。
「……話は後にしよう。君には仕事があるでしょ。
悪いんだけど、僕の分の朝食は部屋に運ぶよう伝えてもらえる?彼の分も。
あと…よかったら今日は、僕の事を手伝ってくれない?ロッティには僕から話しておくから」
「かしこまりました。ですが…貴女と彼を2人きりにさせる訳には参りません。
先程のように、襲われ…おそ、お…そそそそ」
「どうしちゃったの!!?」
バジルは改めて冷静に考えると…さっきはとんでもない場面を見てしまったのではないか!?と焦り始めた。
あれはどこからどう見ても…セレスタンの貞操の危機だった。もしも自分が止めなかったら、彼女は、今頃…!と。
「大丈夫?すごい汗、それに顔が赤い…。体調が悪いなら無理しないで」
「はうっっっ!!!」
そんな彼を心配し、セレスタンは額に手を当てた。バジルは色々限界を迎え…少年の首根っこを掴んで部屋を飛び出した。
「コレは僕が預かっておきます!!失礼しましたあああ!!!」
「あだっ!おい離せ!!せめて自分で歩かせ」
「うるせえ!!!」
だだだだだ…と遠ざかる少年2人。セレスタンはそんな彼らの背中を見送った後、部屋の扉を閉めた。
「なんで、庇うかって…?そんなの…決まってる。
あの子が不幸になったら…僕が報われないじゃないか。僕は、あの子に降り掛かる全ての不幸を吸収しないといけない。
そうしなきゃ…僕には、存在意義が失くなる。
僕が不幸になればなるほど…あの子は輝くんだから…」
バジルは今度こそ少年の手足を厳重に縛り、自分の部屋に放り投げた。
「いいか、静かにしてろよ!!!」
「クソしたくなったら、どうすんだ!!」
「そこで漏らせ!!セレスタン様を襲った事、彼女が許そうと僕は許さん!!!」
普段とは違い、声を荒げ乱暴に振る舞うバジル。恐らくこちらが素なのだろう。
まあ実際漏らされたら困るので、すぐ戻ろうと考えつつ部屋を出ようとしたら。
「おい」
「…なんだ。縄は外さな」
「お前が生きてくれていて、よかった」
「……は?」
バジルは自分の耳を疑った。そして、ゆっくりと振り返る。
そこには横たわりながらも、力強い瞳の少年がいた。
「おれだけじゃない。他の奴らも。お前のように出て行った奴を…案じていた。
どこかで、幸せになっていて欲しいと。誰も、野垂れ死ぬことなぞ望んで、なかった。
実際幸せを掴み取ったお前は、おれらの希望だ。誰もお前を恨んじゃいない。
……あいつには、悪いことをしたと、思ってる。それでも、おれは自分を抑えられない。
セレスタンは、おれのものだ。誰にもやらん、お前にも。
精々おれから、あいつを守ってみせろ。お前を拾ったのも、セレスタンなんだろう?
お前を拾ったのと同じ場所で…おれを見つけたのだと。言っていた」
「………」
バジルは何も答えず…ゆっくりと部屋を出て扉を閉めた。
そして一筋の涙を流し…ボソッと呟く。
「ありがとう…ごめんなさい…みんな…。
…セレスタンお嬢様…!」
彼はすぐに涙を拭き、前を向く。
力強く屋敷の廊下を踏み進み、愛しい主の元へ向かう。
彼はもう、誰にも惑わされる事は無いのであった。
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