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熱 ―混乱―
しおりを挟むそれからの僕の動転ぶりは……おそらく前日の比ではなかっただろう。
ちょうど回廊の公開が終了し、学芸員たちが手続きを求めに来たのも重なって、何をどうしたらいいのか、しばらく把握できなかった。
館から彼らを送り出し、回廊への鍵をかけた僕は、急いで『金の間』へと足を向けかけて、途中で止めた。
執事が駆けて来る。
「いけません、旦那様! もう、お医者様がお見えです!」
執事のその声……声量は絞っていたが、強い調子だった。
解ってる。
そこには二つの意味がある。
ひとつは、もちろん女性の診察中だからという制止。
もうひとつは……警鐘だ。
僕が執事に往診を頼めと指示した医者は、『彼』のかかりつけであり、同時に、僕のこともよく知っているのだ。
やむを得ず、僕は自分の居室に引っ込んだ。
だが、何をするというわけでもない。
隣の『緑のサロン』に絵を見に行く気分になどなれない。
ルイが気がかりで。
することもなく、キャナペにただ身を預ける。
所在ない。
落ち着かない。
やがて、階下に騒めきが聞こえて来た。
時計を見る。
6時を回っている。
診察が終わったようだ。
医者が出て行くのを見計らい、僕は食堂へ向かった。
誰でもいい。誰かいるはず……
真っ先に見つけたのは、部屋係だった。
「ああ、旦那様、たった今、氷嚢を換えて来たところです。お熱が39度も出ていて、かなりお辛そうで……」
「39度……インフルエンザか?」
「いえ、陰性ですって。喉もなんともないそうですわ。鼻水も、咳も」
「じゃぁ、どうしてそんなに熱が……?」
部屋係が言い淀んだのに気づいて、僕はその口元に自分の耳を近づけた。
「……ドクトゥルがおっしゃるには、ですけれど……なにか、ひどい乱暴を受けたのではないかと」
「乱暴、だって?」
―――思ってもみなかった。
僕の反応に、部屋係は慌てた様子で唇に指を当てた。
あたりを見回し、さらに声を落とす。
「やっぱり、わたくしがゆうべお見受けした “あれ” は、内出血の痕だったんですわ……それに誰かに強く掴まれたような、手形のような痕も……」
―――彼女によると、医者の診立ての大筋は、こういうことだった。
ルイの……衣服で隠れた部分に、複数の皮下出血の痕があった。
誰かにひどく掴まれたか、あるいは拘束されて生じたものだろうと。
そして殴られたような内出血の痕跡が、微かながらも側頭部に見られたと。
「……お熱は、お怪我の影響かもしれないんですって。特に頭の内出血は心配だから、大きな病院で精密検査をした方が良いと……過労のストレスによる発熱の可能性も、なくはないそうですけれど」
僕の中で、不安が急激に膨らみ始めた。
不安の積乱雲だ。
だが同時に、ルイのあの顔も浮かぶ。
“呼ばないで” と必死に訴えて来た、あの目が。
部屋係はしゃべり続けている。
気づかないのだろう、僕の逡巡になど。
「……それでお医者様が “内出血は何日か経っているようだ” とおっしゃったので、わたくしルイさんがここにお見えになったのはつい昨日のことです、と、ちゃんと申し上げておきましたわ。何か誤解なさるといけませんので、ね」
相槌を打つのが嫌になり、僕はそこで部屋係を遮った。
「ドクトゥルは、ほかには何か?」
「え? ええ。この熱が2日以上引かないようなら必ず病院に連れて行くようにって、わたくしに」
「……で、今、彼女は? 起きてる? 眠ってる?」
部屋係は、あら、まぁ、という顔をした。
それがどういう意味合いなのか、僕にはわからなかったが。
「確か、鎮痛剤だと思うのですけれど、ドクトゥルが注射を……それで、今はお眠りになってらっしゃいますよ」
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