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たましい ~コミュ障ゲームオタはチョロいけど気になる茶髪ギャルの為に頑張ろうと思います~
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大学の教室で一人。走り書きで書きかけのノートに、講義とは違う個所のページを開いた教科書を茶色い肩掛けバッグに無造作にしまう青年が一人。
緑色のパーカーに青いズボンを穿き、大きなマスクで顔を隠した男の名前は一色椎葉《いっしきしいば》。
椎葉はいわゆるゲームオタクで、日常的にオンラインゲームをしている。
今日は椎葉のプレイしているオンラインゲームでイベントがあり、夜までメンテナンス作業が行われている。
金曜日ということもあり、椎葉は土日分も含めて食料品のまとめ買いにスーパーにでかける予定だ。
大学近くのそれなりに良いアパートを借りている為、一度家に帰ってから買い出しに出かけようと考えていた。
教室から出てすぐの廊下を歩いている途中に、大学内でも有名な女子グループがお喋りをしながら輪を作っていた。
なるべく遠ざかりながら、彼女たちのいる廊下を通り抜ける。
関わらない。彼女たちを見ない。椎葉はそればかりを何度も脳内で繰り返し、通り過ぎる。その様子を女子の一人が見ていたことも、当然気付くことはない。
一度アパートに到着した椎葉は、肩掛けバッグをベッドの横に投げ捨て、冷蔵庫の中身を確認する。
中途半端に残っている二リットルのペットボトルに入ったコーラを飲み干し、シンクで中を洗い、大容量のごみ袋に適当に投げ込んだ。
「さてこれで空だ」
冷蔵庫の中にはマヨネーズなどの調味料を除き、完全に空っぽになった。
空っぽになったからといって買ってくるものは弁当とジュースなど。
料理もする気のない椎葉の部屋のキッチンは、水垢と埃以外の汚れが存在せず、掃除も一週間に一度やるかやらないか程度だ。
椎葉は部屋を出て鍵をかける。
エレベーターの前まで歩き、下の階のボタンを押している間、スマートフォンの画面をつけSNSの投稿をチェック。
同じゲームをしている人たちの発言を読んでは、夜のイベントに思いをはせる。
開かれたエレベーターからは、同じ大学の女性が降りてきた。
四年間同じ大学に同じアパートから通っている為、なんとなくの顔見知り程度の女性。
馬場珠子《ばばたまこ》。椎葉のぼさぼさ頭と違い、ふわっとした髪質の茶髪にポニーテールの女性。
前髪にはさくらんぼの髪飾りをつけている。
服装は、黒いワンピースにお尻まで隠れるくらいの長さの薄桃色のアウターを羽織った女性。
「あっ、えとこんにちは」
「はぁ? 聞こえないんですけど? ちゃんと挨拶できてないじゃない」
「……ごめんなさい」
「なんでそこで謝るの? わけわかんない」
椎葉は完全に委縮してしまっている。
その間に他の階の誰かがエレベーターのスイッチを押したのか。誰も乗せていない鉄の箱は下の階に運ばれてしまった。
乗りそびれた椎葉は、ただただ閉まったエレベーターの扉を眺めて呆然とすることしかできなかった。
「どんくさいぞ」
「あっ……えっごめんなさい」
「だから謝るなっての」
彼女の部屋はエレベーターの真正面。手提げかばんの中を漁った彼女は、鍵を差し込み、そしてバキンッという大きな金属音を鳴らした。
「え? 嘘」
目の前で珠子も口をパクパクさせている。その様子を見ていた椎葉も驚いている。
珠子は椎葉の方に目線を合わせ折れた鍵を見せつけてきた。
「どーしよ?」
「管理人さんに電話しないと」
「部屋に入れないと番号わかんないよ」
「僕も一度部屋に戻らないと……」
「お願い! 管理人さんの番号教えて!」
ため息を吐きそうになるのをなんとかこらえた椎葉は、仕方なくもう一度部屋に戻る。
一番奥の角部屋。そこが椎葉の部屋だ。
「え?」
椎葉が一度部屋の鍵を開け、入室すると後に続くように入ってくる珠子。
驚く椎葉に珠子が睨み返す。
「何よ? いいでしょ部屋に入るくらい。それとも女の子に見せられないような物であふれているの? 大丈夫よ言いふらさないし、アンタの趣味なんてどんなものでも私には関係ないから」
「あっはい。すみませ……ん」
部屋に入ると、個室に繋がる廊下を一直線に歩いて入室する珠子に、止める間もなく慌ててついていく椎葉。
扉を開けた先には椎葉の部屋。ゲーム用チェアにゲーミングPC。L字のテーブルには二つのディスプレイ。それから数種類のゲーム機が綺麗に置かれている。
床には、ベッドの横に投げ捨てられたバッグと大容量のごみ袋、それから掃除機以外は何もない。
「何このゴミ。ペットボトルと弁当の空箱ばっかじゃん」
「え? あっ……」
関係ないだろ。椎葉は頭でそう思っても、珠子に向かって言う勇気が出てこない。
当然のようにゲーミングチェアに腰をおろした珠子は、足を組んで待っている。
椎葉は台所の戸棚にしまった書類から、管理人さんの電話番号を探し始めた。
台所と個室は扉の区切りはなく、短いスカートから伸びる珠子の綺麗な足に目が行く。
「まだー?」
ゲーミングチェアに座った珠子は、スマートフォンから目を離さない。
「もう少々お待ちください!」
何故命令されているのだろうか。
そう思いながらも番号を見つけた椎葉は、珠子に管理人さんの電話番号の記載された紙を渡した。
「ありがとー! なんかお礼するね。何がいい?」
「え?」
お礼と言われ、つい変な想像をしてしまった椎葉は、動揺してしまう。
何か答えないと、そう考えているうちには、聞いてきた珠子は既に電話をかけ始め、管理人さんと会話中だった。
彼女にするお願いを妄想してしまい、しばらく思考停止している椎葉。
そんな椎葉の体を誰かが揺さぶる。
「ねえ? ねえってば」
誰か。当然部屋には珠子しかいない。であれば珠子が揺らしていてしかるべき。
椎葉はそれに気付き慌てて返事してしまい、声が裏返る。それを珠子に笑われてしまった。
「夜まで部屋にいていいかな? 管理人さんがさ。夜の十時まで予定あってこれないんだってさ! あり得ないよね!」
「え? えっあ」
現在時刻は十五時になったばかり。
金曜日の午後の講義は一つしかとっていない為完全に自由時間となっていた。
楽しみにしていたオンラインゲームのアップデート終了は十九時。
あと四時間後にはゲームを始めたい椎葉にとっては、珠子の提案は、都合の悪いものでしかなかった。
「もしかしてなんか予定あった感じかな?」
「えとまあ」
「この部屋いないんだよね? そっかごめん。他あたるね」
そう言った珠子に対し、椎葉は何を思ったのか彼女の腕を掴んでしまった。
「え? 何?」
掴まれた腕を振り払うこともないが、明らかに困惑している珠子。それもそのはず。
運動などもしていない椎葉といっても男は男。
突然腕を掴まれれば、いくら普段堂々としている珠子でも臆してしまう。
「今日っ! そのっ! 予定っ! あのっ! えと……ゲ、ゲームのイベントだからその。時間まで部屋にいても……大丈夫です」
「あぁ、そっか。じゃあお邪魔しよっかな」
珠子は掴まれたままの腕をとんとんと叩くと、それに気付いた椎葉は慌てて離し、そのまま真後ろにひっくり返ったのであった。
「大丈夫?」
珠子は、椎葉の頭の真横で屈み、椎葉は珠子の方に顔を向けるとスカートの中が丸見えになっており、初めて間近で見たせいか顔を逸らすこともできずガン見してしまう。
「おーい、返事しろー?」
椎葉の頬をマスク越しでつつく珠子。気にしていないのか気付いていないのか。
スカートの中を隠す素振りを見せない。
「あっすみません、ありがとうございます」
「何に感謝してるの?」
起き上がる椎葉に合わせ、珠子も立ち上がる。ただし椎葉の目線は完全に珠子のスカートにロックオンされていた。
「なんかいつもより俯いてない?」
「え? え? いつもっ?」
「だってそうでしょ。どよーんとしながら歩いて下向いてばっかじゃん」
椎葉は珠子にいつも見られていた事実に驚いた。
うつむいていた理由を口に出せず、たまたまそう見えるだけですと声を絞り出すも、はっきりと発音できていなかったせいかよく聞こえないと言われてしまった。
「コミュニケーション取れてないじゃん? 文章じゃないとダメ? これでいい?」
「あ、はい」
珠子がチャット系SNSのQRコードをスマートフォンの画面に表示する。
椎葉はそれをスマートフォンで読み取り、珠子のことを連絡先に追加する。
椎葉のアプリには、親との連絡用と大学のゼミグループのチャットしか存在しなかった為、それ以外では珠子が初めての登録相手となった。
椎葉の連絡先一覧に「馬場珠子」と表示される。
「えと馬場さん」
「あー、それさ。おばあさんって呼ばれているみたいですっごい嫌! 珠子でいいよ」
「あぁ……じゃあ、珠子……さん」
「オッケー。それでなんか用?」
「あっそのえと」
上手に喋れない椎葉に対し、珠子はスマートフォンをちらちらと見せつける。
ハッとした椎葉は、先ほど登録した珠子のアカウントにチャットを送るのであった。
『買い物出かけたいです。冷蔵庫空なんです』
『りょ』
「?」
「あ? 伝わってない感じ? 了解のりょだよりょ。他の人とか使ってない?」
そういえばと思い、椎葉はゼミグループのチャットを遡ると、一部の女子がたまに使っていた謎の言葉があったと気付く。
「あー、はいはい、わかりましたよ。一色君にはハショらずにチャットするね」
「ごめんなさい」
「はいはい。一色君のごめんなさいはありがとうって意味ね」
「あっ……うん。そうかもしれません」
「はっきりしないとモテないよ?」
「別にその……どうせはっきりしても」
椎葉がそう呟くと、珠子は椎葉のマスクをはぎ取った。はぎ取った椎葉の顔はとても綺麗とは言えない顔立ち。だが醜くもない。何とも表現しがたい一般的な顔があった。
「まあ、やや童顔ってとこかな。顔でモテモテは無理だけど、彼女できない顔してるとは思えないけどな」
「ほほほ、ほんと、ですか?」
「ほら、買い出し行くんでしょ」
「はい!」
珠子が先導してスーパーに向かう。
近所にあるスーパーに誰かと入店したのは初めての椎葉は、ただただ珠子の後ろをついてくことしかできなかった。
珠子が野菜コーナーに足を運び、椎葉が珠子の服を引っ張る。
「普通に話かけられないの?」
「えあ、弁当買いに来たんですけど、あとカップ麺とかコーラとか」
「今晩は私が作ります。夜までいるんだからいいでしょ? …………ねえ、調理器具って何があるの?」
「…………炊飯器とトースター。鍋とフライパン。一応包丁とかもあります」
「一瞬まさかって思ったけど最初は料理する気でもあったの?」
「母さんがその一式用意してくれまして」
「アンタさ。まずその喋り方何とかしよっか?」
「え?」
「私らタメっしょ? なんでそんな喋り方になるのよ」
椎葉は黙り込んでしまう。カースト上位下位。
それは椎葉が勝手に決めつけた格差も含まれている。
確かに今、目の前にいる珠子と椎葉には上下関係など存在しない。
だが、珠子が対等な相手への喋り方をしていたつもりでも、椎葉にとって珠子は、打ち解けていない相手。
どうしても自分を出して喋ることができなかった。
「僕その……」
「自信ないんだ?」
「そう……です」
「じゃあ問題ないね。あんたはきっとこれから自信をもって生きていける」
「ほんとですか?」
「第一関門合格。ここで少しでも希望を持てるくらいじゃないと、自信なんて一生ついてこないよ。でもね、一色君はまだ自分を諦めていない。それじゃまずは不健康な食事から卒業しよっか?」
そう言った珠子は、普段椎葉が買わない食料品を購入。
本来、弁当やカップ麺で済ませていた椎葉はかごに詰め込まれる食材を見て、何に使うか想像ができなかった。
「今更だけど嫌いなものってある?」
「豆腐かな」
「え? あれ嫌いな人いるんだ。まあいっか」
その後もう一度アパートに戻り、椎葉の冷蔵を空けた珠子が本当に何も入っていないと呟いた。
一応購入された調味料があって良かったと呟いている。
「もう四時半だけど、料理するにはまだ早いかな。ねえねえせっかくだからゲームしようよ!」
「無理だよ。だってコントローラ一つしかないから」
「そうなんだ」
そう言った珠子は椎葉の部屋にあるものを物色しようにも何もない。
一応小さな本棚はあるものの、それもゲームソフトが並べられているくらい。
他にもアニメ映画や、海外のアクション映画のブルーレイがあるくらいだ。
「なんか違うなー」
「なんかって…………見てもないのに批判しないでください」
「それもそうね。わかった。オススメはどれ?」
そういわれた椎葉は、棚から頑張って珠子でも見てくれそうな映画を何本か選びその中から珠子が一本選ぶ。
珠子が選んだものは、かなりハードな設定が多いアニメ映画だった。
だが、椎葉にとってはそういう作品こそ至高という発想から逃れられず、つい珠子に選ばせる作品の中に入れてしまったのだ。
ブルーレイをプレイヤーにセットした時点であることに気付いた椎葉。
そう、この映画にはちょっとエッチなシーンが何度もあるのだ。失敗した。
大学で言いふらされるかもしれない。
しかし、珠子はもう見る気満々。
あとは彼女の反応が汚いものを見る目に変わらないことを祈るばかりであった。
二人で並んでベッドに座り、ディスプレイを眺めることになった。
上映開始十分。最初のシーン。突如現れたヒロインの胸を思いっきり掴む主人公。
椎葉は恐る恐る珠子の反応を見ると、あからさまに笑っていた。
「あり得なさすぎでしょ。ウケる」
「あ、そっちの反応」
その後、椎葉はしばらく珠子の見ていたものの、一切嫌悪の反応はしない。
しかし、この次のシーンはかなりきわどい。本当にブルーレイを選んだ時に何故この映画を選んでしまったのかと椎葉は頭を抱えそうだ。
「うわぁ…………」
「さすがにダメだったかな?」
「いや選ばせたの一色君じゃんか。よく女の子にこんなえっちな映画見せようって思ったねそういう性癖?」
「ちがっ違います!」
「ほんとに?」
そして映画が終わるが、時間がまだまだ存在する。
もう一本見ようと提案してきた珠子。
先ほどあんな反応しておいて、まだ見るのかと思いつつも、椎葉の脇においてあるブルーレイの山を手に取ろうと、珠子は椎葉の膝の上に胴体を乗せ、ブルーレイを物色し始めた。
「ええ!」
「何驚いているのよ。私が選ぶんだからいいでしょ?」
椎葉が驚いている原因は、珠子の身体が椎葉に密着してしまった事実であるが、珠子は気にしないでブルーレイの物色を始める。
「もうこれでいいや。あんまり可愛い女の子が映っているやつだとエロそうだし」
「そ! そんなことないけど…………あ、うんそれね! わかった! わかったからいったんどいてくれいなかな?」
そういわれた珠子はもとの位置に座りなおし、椎葉はブルーレイのセットを始める。
最終的にこちらの映画には乗り気で見ていた様子で安心する椎葉。
いい時間になった頃、珠子がキッチンに向かい料理を始め、椎葉はその様子を眺めつつもパソコンを起動し、ゲームの情報を眺めていた。
(不思議な感覚だ。上京して一度も関わったことない女子と、突然自分の部屋で映画見て料理作ってもらって何しているのだろう)
現在絶賛調理中の珠子を見て、とあることに気付いた。
珠子の買い出しに弁当が存在しない。つまり、土日の分の食事がないのだ。
しかし、いくら友達のいない椎葉でも、この空気で弁当を買いに行くほど空気が読めないわけではない。
料理が終わったばかりの珠子がオムライスを持っている。
椎葉は折り畳みのテーブルを押し入れから取り出し部屋の真ん中に設置。
二人で向かい合って食事が始まる。
ちゃんとした料理を食べるのは実家に帰った時くらいの椎葉。
それも実家に帰るのもほとんどない。
お年玉をもらいに年末年始に帰省するくらいで、長期休暇はゲームで消費している。
「美味しい」
「当たり前でしょ。一色君と違ってずっと自炊してきたんだもの」
「そうだね」
「さっきも言ったでしょ。もっと自信を持ちなさい! 私はずっと続けてきたからある程度の自信はあるの! あなたが人生で一番続けてきた自信は何?」
「ゲームかな」
別にプロゲーマーになりたい訳じゃない。
そう思っていた椎葉。しかし、小学生の頃から休日はほぼゲーム三昧。自分に取り柄がなくとも、ゲームの腕には自信があった。
「ゲームね。あるんじゃない。自信持てること」
珠子にそういわれても、自覚している。
ゲームの腕自慢は所詮ネットやオタク仲間間でしか通用しない。
社会に出て何にもならない。
だから、ゲームの腕はコミュニケーション能力を持つための自信に繋がらなかった。
「ゲームはできても、馬鹿にされることに変わらないから」
「……バカにする人がいたら自信持てないの?」
「え?」
「政治家は馬鹿にされるし、教師も馬鹿にされている。真面目に働いている人だって馬鹿にされているし、私だって見た目頭の悪そうな女子大生って思われているよ? これは馬鹿にされているんじゃないかな?」
「そうかもだけど……」
「私は誰に馬鹿にされようともそれは自信と関係ないと思うけどな。君が君の好きを信じないで、誰が信じるの?」
「…………」
「何も言えないんだ。ねえ二人でゲームできないならさ。プレイしているとこ。見せてよ」
珠子にそう言われ、食事が終わると、片づけを済ませた。
その後、しぶしぶ据え置き型ゲームの電源を入れる。
人に見られながらゲームをすることが苦手な椎葉。
ゲームセンターにも怖気づいてしまい入ることができない。
だからとなりに人がいるという状態でコントローラを握った手は震えてしまった。
「怖くないよ。だって君の自信なんでしょ?」
「ごめん。誰かに見られているとどうしても緊張しちゃって」
「そう? じゃあもしこれクリアしたら明日もご飯作ってあげる!」
「…………頑張ってみるよ」
椎葉にとって珠子は異端な存在。部屋に入れていることすら異常な状態でしかない。
だが、それでも椎葉は彼女と一緒にいたいと思えた。
彼女なら、ゲームしか取り柄のない自分を肯定してくれると思ったからだ。
珠子が指さしたのは難易度最高クラスのステージ。
横スクロールゲームは椎葉にとっては久しぶりのゲーム。
しかし、女の子に見せられるゲームであまりショッキングなものは選べないし、可愛い女の子が出てくるゲームもさっきの映画の二の次になりそうなのでこれにすることにした。
そして珠子が横で見ていても手を震わせることなく順調にボス戦まで突入。
初めは横に女子がいるという状況に緊張していたものの、ステージのギミックが難しいところを何度も潜り抜けるにつれ、それすらも気にならなくなってきた。
無事ボスを撃破し、クリア画面に到達。
その瞬間に珠子が椎葉の頭をポンポンと軽めに叩いたのであった。
「やるじゃん。それじゃ明日もご飯作ってあげる。朝から?」
「え? 三食良いんですか?」
「別にいーよ。明日することないし。あと三食作るつもりはなかったけど、そんなに期待されちゃあしょうがないなあ。特別だよ」
そして心待ちにしていたオンラインゲームのメンテナンスが終了し、パソコンの電源をつける。
FPSという一人称視点のシューティングゲームをプレイし始める。
珠子は後二時間部屋にいる為、暇つぶしにディスプレイをのぞき込む。
「イベントって何が起きるの?」
「あ、今回のイベントはね。まずこのゲームって複数人のプレイヤーが銃で撃ち合って生き残りをかけるゲームなんだけど、初期装備は各プレイヤーが課金で購入したりするんだけど、今回のイベント報酬で強い武器も集められるんだ! あ、初期装備っていうのはねサバイバル開始時に持っている武装のことでこれが強ければ強いほど立ち回りに影響が出るんだ。フィールド上にも課金武器並みの武装が設置されていたり、倒したプレイヤーの武装がランダムでドロップしてプレイ中に「長い長い長い! つまり最初から強い装備を使いたいってことね!」
説明に夢中になりついぺらぺらと話してしまったことに顔が赤くなる椎葉。
途中から全然ついて行けなかったが、それでもちゃんと話を聞いて理解を示す珠子。
「僕はゲームしてますけど、珠子さんはどうしますか?」
「とりあえずこの部屋にあるものを物色します」
「やめてください死んでしまいます」
「はぁ? 死ぬわけないでしょ? 心臓でも転がっているの?」
ついオタク間でしか通じないような発言をしてしまったが、珠子には一切通じず、また恥ずかしくなってしまった。
「でも一色君のことはよくわかったよ。好きなものを喋る時は自信満々じゃん。何が取りえでも何が自慢でもいいんだよ。誰にも馬鹿にされない人なんていないんだから」
椎葉は確かにそうだと思った。
大学教授の講義は聞く価値がないと思い適当なページの教科書を開いていた。
政治は誰がやっても同じと思ったから、選挙権を持っていても投票に行かなかった。
女子たちは気持ち悪いって理由で人を馬鹿にする生き物だと思っていた。
大人は無条件でゲームしかしていない自分を馬鹿にすると思っていた。
その思い込みこそ、相手を馬鹿にしていたと気付かなかった。
女子たちのくくりから、目の前にいる馬場珠子が例外なのかもしれない。
しかし、例外が一人いる時点で、決めつけから入っていた自分は失礼だと気付いた。
今まで偏見で見ていた人たちは、何かの分野に秀でていて、自分に自信を持った人たちであり、逆に自分は好きなものが得意だと自負できるにも関わらず、馬鹿にされると決めつけて勝手に自信を失っていた。
「珠子さんありがとう」
「自信ついた?」
「少しだけ頑張れる気がする。でも大学は無理かな。だってもうグループが形成されているし」
椎葉がそういうと、珠子が思いっきり背中を叩いた。
「寂しかったら私を呼びな! たった数メートルに住んでいるんだからさ!」
「ありがとう! 珠子さん! ありがとう!」
「うおっとそこまで喜ばれると逆に心配になるなぁ」
そして椎葉はゲームに集中している間。
珠子はベッドに座ってスマートフォンをいじり始めた。
部屋の物色はされていないことに安心し、ゲームに集中することにしたのであった。
そして二十二時になり、珠子は管理人さんが部屋にやって来るため部屋の前で待機する為出ていくことになった。
椎葉のスマートフォンに一件の通知が来てチャットアプリを開いた。
『明日朝七時!』
『そんなに早く?』
『朝ご飯だからそんな時間でしょ!』
『わかった』
そして本名とは関係ない名前で登録しているSNSでゲームのことを投稿していると、一件の書き込みが来た。
「マーコ? 女性? いや、女性名の男性だろうな。このゲームをやってみたいのですが何から揃えればいいですか?」
ネット上でもあまりコミュニケーションをとることができなかった椎葉。
まずはこの人から仲良くなろう。そう思い必要なもの一式をチャットした。
なるべく低予算で済むようにしたが、かなりの額になってしまった。
「大丈夫かな?」
不安に思っていたが、マーコさんからの返信は「買い物かごに入れました」と記載されていた。
「即決……お金持ちなのかな」
しばらくマーコさんとチャットしながら、イベントを進めていった。
次の日。インターフォンが何度も鳴り響き体を起こす。
ゲーミングチェアで寝落ちしてしまった為体の調子が悪い。椎葉はパソコンの表示時刻を見ると七時十分。
「珠子さんが来るのは七時だからあと二十三時間五十分…………じゃない」
飛び起きた椎葉は玄関のドアを開けると、機嫌悪そうに立っている珠子が待っていた。
黒のブラウスに黄色いひざ下まで伸びたスカートを穿いた珠子は、椎葉の目にしっかりと焼き付いた。
そしてサクランボの髪飾りは今日もつけている。
ちゃんと見たことはなかったが、きっといつもつけているのだろう。
「何その服」
「え?」
珠子に指摘された服。昨日と同じ緑色のパーカーに青いズボン。
椎葉はゲームしながら寝落ちしたため、昨日着ていた服そのままだったのだ。
「頭ぼさぼさ! 昨日お風呂は?」
「…………入っていません」
「一回お風呂に入っちゃいなさいよ。私その間にご飯作っているから!」
「はい…………」
着替えを持って浴室に入り、シャワーを浴び始める椎葉と、キッチンで料理を始める珠子。
浴室から出ると、濡れた髪を見た珠子がバスタオルを勝手に取り出し、頭をごしごし吹き始めた。
「自然乾燥で大丈夫だって」
「ダメだってば! もしかしてドライヤーないの?」
「ないです」
「信じらんない! あとで買いに行くわよ。とにかく今はご飯にしましょう!」
昨日から出しっぱなしのテーブルに朝食が並べられる。
ちゃっかり珠子さんの分まで作られている。
一応材料費は椎葉のお金だが、調理してもらっている以上文句はない。
「待って? 買いに行く? ゲームのイベントが…………あ、ごめんなさい行きましょう」
「ゲームもリアルも頑張りなさい。とにかく身だしなみくらいちゃんとする! そしたら明日も三食作ってあげる」
「はい。頑張ります」
(どうやら僕の週末はすべて珠子さんに掌握されてしまったようだ。そもそも珠子さんは僕なんかに構って他の人達との予定はないのだろうか? 大学では彼女は人気者だ。今ならそれは外見だけじゃないと納得できる)
それに椎葉は、完全に珠子のことを好きになっていた。
ここまで自分を肯定してくれた人は他にいない。
ここまで自分のことを世話してくれた人は親以外にいない。
女性経験も少なく、そもそも同性ですらまともに会話しなかった椎葉。
目の前にいる彼女に惹かれないはずがないのだ。
美人局の可能性も考えてしまうくらいには、彼女は急に接近してきたのだ。
昨晩あわてて検索サイトで『美人局』で検索し、その読み方が『つつもたせ』だと知ったのは別の話。
朝食を食べ終え、珠子と一緒に皿洗いを始める。
シンクはそこまで広くないため、お互いの腕が定期的にぶつかり合う。
季節は春。お互い袖は長く、直接肌が触れ合うことはなくても、椎葉の心臓は何度も跳ね上がった。
「じゃあ電気屋いこっか?」
「今から?」
「ゲームしたい? お昼食べてからにする?」
「そうしない?」
「まあ、いいけど。じゃあ私一度部屋に戻るね。またね」
「うん。またあとで」
そう声をかけると、玄関の扉を閉めようとした珠子が顔をこちらに向けて呟いた。
「やっと言葉が砕けてきたね」
「あっ」
ドアが閉まる瞬間。
確かに珠子が微笑むのを確認した椎葉は、ゲームどころではなくなりベッドにもぐりこんでしまった。
だが、十分ほどでベッドから這い出て、ゲーミングチェアに腰をおろす。一件の通知。
投稿サイトに書いたところにチャットが届いていたのだ。
マーコさんと表示を確認し、パソコンを操作する。
『おはようございます。今日もイベント頑張っていますか? 私は来週までには参戦できると思いますので、色々教えてください』
『マーコさんおはようございます。了解です。一緒に遊びましょう!』
インターネット越しとはいえ、知らない人と良好な関係を築けていることに少しだけ気分が良くなり、お昼までゲームに集中することになった。
昼食を作ってもらい、また二人で食器洗いをしてから電気屋に向かい始めた。二人でドライヤー以外も見て回る。
二人で色々回ったが、結局椎葉はドライヤーのみ。珠子はなぜか電源タップを購入していた。
電気屋から出ると、カフェで一休みしようという提案を受けたが、椎葉は珠子を見て思った。
(こんな綺麗な人と二人でカフェに入ったら、きっと不釣り合いだって言われる)
椎葉は頭で理解していても、現実を受け入れることはできなかった。
珠子と不釣り合いだと思われると言うことが嫌なのだ。
(ダメだ。自信持たないと、今度こそ珠子さんに嫌われてしまうかもしれない)
「行こう」
「何震えているのよ。休憩するだけじゃない」
呪文のようなコーヒーが二つ注文される。
椎葉は一切名前を覚えられなかったそれを口にすると、口の中にチョコレートの甘さとクリームの甘さが程よく混ざり合った味が広がった。
「旨い」
「私の料理より?」
「どっちも旨いよ。でも嬉しいのは珠子さんの料理かな」
「そうかそうか。ならば今夜はリクエストにこたえようじゃないか」
褒められたことにより、得意げになる珠子を見ていて、こういうところもあるんだなと思う椎葉。
そんな中、カフェ内で珠子と二人きりという状況で周りの視線が気になっていた。
(きっと大丈夫。堂々としていればいい。自信を持つんだ。珠子さんと一緒にいたい)
そう自分に言い聞かせていた時、突如女性の声が椎葉の耳に響いた。
「あー! 珠子じゃん!」
珠子が所属しているグループの女子たちが、珠子を見つけこちらにやってきた。
椎葉は怖くて女子たちの方に顔を向けることができなくなった。
女子たちと珠子の会話がすぐそこで繰り広げられているのに、何も頭に入ってこない。
「てかこっちの男誰?」
(きた! 珠子さんなんて答えるんだろう…………)
「あー、一応同じ大学の男子だよ? 一色椎葉君。ほら教室の隅でいつもくらいマスクつけてた人」
「あー、あの暗い人ね」
「マスク? いたかも。いつも一人の人だよね」
彼女の口から、友達という言葉すら出てこなかったことに無性にショックを受けてしまった椎葉。
(友達だと思っていたのは僕だけだったのかな?)
顔を上げることすらできない状況。肩も震えだしそうだ。
「てかなんで珠子とこいつが一緒にいるの? エンコー?」
珠子の友人たちの発言は、言葉のナイフとして椎葉の心を何度も抉った。
珠子がなんていうかということだけに、椎葉は気にして仕方なかった。
「違う違う! あー、そうだなぁ。まあでも……友達かな?」
珠子がそう言った時、初めて椎葉が顔を上げる。女子たちと目が合う。
女子たちも椎葉も珠子の発言に驚いている。
むしろ女子たちが椎葉と目線を合わせて視線で合図し、本当に? 本当に? とやりとりできるくらいには以心伝心に成功してしまった。
「なんだっけ? えとマスク君も驚いているけど本当?」
「僕を友達だと思ってくれたのですか?」
「いや、根暗君私らより驚きすぎだろ」
「友達は友達。私がアンタらの友達にそれはあり得ないって指摘したとしても、私に言われて友達止めたりしないでしょ?」
その後、女子たちはどこかに行ってしまい、椎葉と珠子もアパートに戻るのであった。
帰り道、椎葉はつい珠子に質問してしまう。
「僕の事友達といって恥ずかしくなかったんですか?」
「言ったでしょ? 誰でも馬鹿にされる。馬鹿にされることを気にしない。自分が好きなことを通す。私はあんたと友達であることが、他の友達に笑われてもいいって思ったからそう宣言したの」
「ありがとうございます」
「それよりアンタの方が驚きすぎて冴子とか美弥もそっちにびっくりしていたじゃない」
珠子さんの名前は連絡先交換時に把握できていたが、他の大学の女子の名前はあまりはっきりと覚えていない。
(マスク君って呼んできた人と根暗君って呼んできた人かな?)
珠子は一度帰宅し、椎葉は部屋に戻ってゲームの続きをし始めると、またマーコさんからチャットが飛んできた。
マーコさんとの会話はゲームの話題が中心だったが、数十回目のやり取りから相手の話す内容にプライベートな内容が混ざり始めてきたのだ。
『最近は紅茶ばかり飲んでいますが、オモトさんはゲーム中何を愛飲していますか?』
『いつもはコーラかな。ここ二日間は水』
『オモトさんテレビって見ていますか?』
『見ない』
『オモトさんって子供の頃雪遊びで何が好きでした?』
『雪? あー、山形は結構降ったからね。近所の子供と雪合戦とかしたけどかまくら作ったりとかソリで滑ったりとかしていたかな』
『山形! サクランボとか有名ですね!』
オモトとは、椎葉のハンドルネームである。うっかり出身県までチャットしてしまったが、その程度で個人は特定されないだろうと思い、気にしないことにした。
今時、現在住んでいる都道府県を公開している人なら匿名の人でもいるくらいだと思い、そのままチャットを続けた。
そして夕方くらいに一度、珠子からチャットが飛んで来た。
『そういえばリクエスト聞きそびれていた!』
『何でもいいよ』
『それ禁止! 言わないと豆腐フルコースだからね!』
椎葉は、昨日の会話で嫌いな食べ物を覚えていてくれたことが無性に嬉しく感じ、スマートフォンの画面を眺めながらにやけ始めてしまった。
『じゃあペペロンチーノとか』
『パスタ好き? 辛いの好き?』
『ニンニクが好き』
『あー、了解了解。土曜の夜だし妥協しましょう』
珠子は匂いを気にしているみたいだが、椎葉はそういう考えは一切なく純粋にニンニクが好きだからという理由で選んだ。
(もし明日もリクエストを聞かれたら、ニンニクは避けよう)
その日の夜も珠子は料理をして帰り、日曜日もそれの繰り返し。
ゲームをしながらご飯時に珠子が通ってくる日常が始まった。
それは平日になっても変わることはなかった。
朝から当然のようにインターフォンを鳴らしてやってくる珠子。
当然のように迎え入れ、朝ご飯を一緒に食べる。
お昼は大学に行くため別々となるが、お互い四回生になったばかりな上に、取得単位もほぼほぼ満たしている為、一週間の間に大学に行く必要がない日も存在する。
もっとも、友達のいない椎葉と違い、珠子は講義がない日も友達に会いに大学に行くこともある。
珠子に予定がある時に限り、事前にチャットで連絡が来て、連絡のない日は当然のようにやってくる。
そういう生活が三か月続いた。
お互いのことはある程度把握し、最初の頃と違い椎葉はもう珠子相手にどもることはなくなった。
(告白したらいけるんじゃないか?)
椎葉には女性経験がない。
だからここまで接してくれている珠子は、自分のことが好きなんじゃないかと思い込んできていた。
勿論、何度もやっぱり思い込みかもしれないと思う時はあったが、来ない場合のみ連絡が来るのは、珠子も椎葉の部屋に来るのが当たり前だと思っているに違いない。
「でもなぁ…………そうだ」
最近ではプライベートな話題の話題もすることが多くなり、ゲームでも一緒にプレイすることが増えたマーコさんに相談しよう。
そう考えた椎葉は早速マーコにチャットする。
『マーコさん。ご相談です。僕には普段から仲良くしている。と思う女性がいます。その人のことが好きです! ただ相手の気持ちがわかりません。ほぼ毎日一緒にご飯を食べたりしているのですが、告白すべきでしょうか?』
普段はマーコからチャットが来ることが多かったが、マーコからすぐに返事は来ることはなかった。
そしてマーコの返事ではなく、インターフォンが鳴り響く。
迎え入れると当然のように入ってくる珠子さん。
今日はピンクと白のワンピースを着ていている。相変わらずサクランボの髪飾りはいつもの定位置についている。
「今日は何にしよっか?」
「中華料理がいいな」
「中華? 麻婆豆腐とか?」
「すみませんちゃんとリクエストします。えっと青椒肉絲《チンジャオロース》とか?」
「青椒肉絲かぁ? 材料材料。あ、大丈夫だね! いいよ!」
了承の返事をもらい、調理を始めるところを見てからパソコン画面に目を落とす。マーコさんからの返信は来ていないようだ。
(忙しいのかな?)
椎葉は、普段通りゲームをしながら待っていると料理がテーブルに並べられる。
あまりにも頻繁に使うようになったテーブルはワンサイズ大きくなり、座る用のクッションも珠子用が常備されるようになった。
(これはもう完全に彼女と言われてもおかしくないし、僕がもし同じ状況の他人を見たら付き合っていると言うと思う)
だが椎葉には、彼女が自分を好きになると考えることがどうしてもできなかった。
よくネットで勘違い男子というものを何度見かけている。
(もしこれで勘違いだったら、僕は女性と二度と付き合う勇気がでない)
テーブルの上にある青椒肉絲を頬張りながら、正面で同じご飯を食べている珠子をつい見てしまう。
椎葉も失礼になると思い、青椒肉絲に集中する。
「今日はどうしたの? さっきからじろじろ私のこと見ていたよね?」
「あ、えと。いつもありがとう」
「ごめんなさいって言わなくなったね」
「そうかもね」
「まあ、謝るべき時はちゃんと謝ればいいのよ」
「うん、珠子さんのおかげだよ」
「そっか」
そしていつも通り二人で後片付けをし、珠子さんが帰った。
椎葉は、シャワーを浴びるためバスルームに入った。
椎葉がシャワーを浴びている間、パソコンに一件の通知。
『オモトさんはその女性のどこが好きなんですか?』
シャワーを終えた椎葉は、パソコンの通知に気付きその通知の返事を考えた。
(珠子さんの好きな所。考えるまでもない)
『胸かな』
『キモイ』
『すみません、その人って大きめの胸の人でつい。胸だけしか好きじゃなければ告白なんてしようと考えません!』
『で? 他はどこが好きなんですか?』
普段は丁寧に返事をしてくれていたマーコさんが、明らかに不機嫌な様子。
(やっぱりマーコさんって女性だったのかな? まさか今のチャットもセクハラ扱いに感じたとか? とりあえずそういう冗談はよしておこう)
『彼女は初めて僕を受け入れてくれた人なので』
『初めて? 今まであなたを肯定してくれる人はいなかったのですか?』
『はい!』
この返信の後、マーコさんからのチャットが返ってくることはなかったが、椎葉は深く気にすることはなかった。
翌朝、珠子が椎葉の部屋に訪れることはなかった。
珠子にチャットを送っても返事が返ってこない。何かあったのだろうか。
椎葉は珠子の部屋の前まで訪れる。インターフォンを鳴らす。ただそれだけの動作にドキドキしてしまう。
(自信持てよ!)
震える手をあげ、指先でボタンにふれる。だが、押せない。
今日来なかったのは、ついに愛想をつかされたのではないかと思ったからだ。
(ここでやめたら、きっとまた自信のない自分に戻るんじゃないか?)
珠子の顔が頭に浮かぶ。彼女は自分に自信を持ってほしくて接してきたに違いない。
(珠子さんの隣りを歩ける男になるんだ)
インターフォンを押した。チャイムが鳴り響き、室内から物音が聞こえた。
彼女は部屋にいる。椎葉はそう確信した。足音が一歩一歩近づいてくる。
心臓の鼓動はそれにつれて早まる。
そしてドア越しに声が聞こえた。
「おっはよー? ごめんごめん。私寝坊してたみたい」
「そ、そうなんだ。何かあったのかなって心配になったよ」
「…………」
「あのなんで出てこないの? あ、寝起きだから? ごめん。何もないなら部屋に戻るね」
「…………」
「珠子さん?」
「一色君さ。もう前と違って自信もって行動できるようになったよね? 私いらないよね? もうさ、この曖昧な関係終わりにしない?」
「それってどういう」
「自分で考えて欲しいな。冷蔵庫の中身。処分に困らない大丈夫?」
「……僕は料理できないから、困るかも。やっぱりまだ来てくれないかな?」
「ダメ。でも粗末にできないから私が買い取るよ」
「いや、いいよ。やっぱり料理してみる」
「そう。そっか。一色君成長したなぁ!」
それ以降、ドア越しから珠子の声が聞こえてくることはなかった。
椎葉は、何を間違えたのか不安になり、部屋に駆け込みマーコさんにチャットを送る。
『マーコさん! マーコさん! 助けて!』
しかし、マーコからの返事は返ってこない。時刻は朝七時半過ぎ。
普段マーコとチャットする時間は夜の九時過ぎの為、もしかしたら寝ているのかもしれない。
(そういえば昨日のチャット。あれはもしかして途中で話を切られちゃったのかな?)
考えてみればそういう風にも受け取れる。
そう感じた椎葉は、とにかくマーコからの返事が来ることを祈るばかりであった。
しかし、その日は宅配のお兄さんがやってきただけで、珠子も来ない。
マーコからのチャットも来なかった。
実家からの仕送りの段ボールが廊下に置かれる。
(この時期ってことはサクランボとかかな? そういえば珠子さん。サクランボの髪飾りいつもつけていたよな。あんな子供っぽい奴)
それから珠子とも会話せず、マーコともチャットをしない三か月前と同じ日常が椎葉に戻ってきた。
最初の一週間は無気力。ゲームすらやらないほどに、椎葉にはやる気がわいてこなかった。
そしてお盆になる頃、いつもはゲームをするために帰っていなかった実家に帰省することにした。
(この部屋にいると、珠子さんの匂いが忘れられないや)
椎葉は実家に連絡し、新幹線に乗る準備を始める。
念のため、マーコさんにはお盆の間実家に帰りますとチャットを送るが、珠子には連絡を入れなかった。
椎葉は部屋を出ると、エレベーターの目の前まで歩く。
そのすぐそばにある珠子の部屋に視線を向けると、ガチャガチャと言った音が扉から鳴った。
椎葉は慌ててすぐそばの非常階段を下り、エレベーターの前から逃げ出した。
部屋から出てきた珠子。
久しぶりに見た彼女を見て、椎葉はまた胸の高鳴りが抑えきれなくなった。
白いノースリーブのブラウスに青いプリーツスカートを穿いた彼女は、相変わらず子供っぽいさくらんぼの髪飾りをつけていた。
非常階段を下りたことにより、結果的に下から彼女を覗き込む形になった椎葉。短いスカートから伸びる足ばかり目に行く。
目の前に好きな女の子がいる。
その事に頭がいっぱいになった椎葉と、何故か呼んでもいないのにやってきたエレベーターを不思議に思いながら乗り込む珠子。
ドアが閉まりそうになる直前。椎葉はエレベーターに乗り込んだ。
「一色君? え? 今どこから来たの?」
「ごめん。その最初は部屋のドアが開きそうになった時とっさに隠れちゃって……でも僕! 珠子さんが好きです!」
「…………」
「返事は期待していないです。来なくても構いません」
椎葉の告白に対し、一向に返事をしようとしない珠子。
エレベーターという密室。突然入ってきた異性。
それが例え知り合いだとしても、珠子は少しばかり恐怖心を抱いていた。
だが、女性経験も少なく、なおかつ自分のことで精一杯だった椎葉には、それがわからなかった。
震える珠子の両肩を、椎葉はがっちりと掴む。
その瞬間、珠子はビクンと体を震わせた。
その時、初めて珠子が震えていたことに気付く椎葉。
「え? なんで? 珠子さん。やっぱり僕を拒絶するの?」
「あっ……違う。そうじゃない。そうじゃないけど、ごめんなさい」
「そう……」
その瞬間、エレベーターは一階に到着し、椎葉は駅に向かって駆け出した。
エレベーターに一人残された珠子は、その場でへたり込み、ぽつりと呟いた。
「ごめんなさい。だって一色君は、初めて受け入れてくれた人なら誰でも良かったんでしょ? だからきっとこの三か月も忘れちゃうんだ」
その言葉は椎葉には届かない。
エレベーターのドアは珠子が出ることないまま閉じられるのであった。
椎葉は駅にたどり着き、地元に向かう新幹線の切符を購入する。
泣きながら新幹線に乗る訳にもいかず、それでも悲しい気持ちは抑えられない。
フラれた。わかっていた。そう何度も頭の中で繰り返しながら、自分を納得させた。
地元にたどり着いたころにはすっかり乾いた瞳と心。
気がつけば実家にたどり着いており、そこまでの道のりの記憶が完全に欠落していた。
「はは。随分ショック受けたな。わかっていたって思っていて、こんなにショック受けるっておかしいの」
椎葉は実家に帰り、親と久しぶりの会話をした。親の料理を口にして、椎葉は涙が零れ落ちそうになった。
運よく両親に見られることなく、椎葉はさっさとご飯を口に流し込み、部屋にこもった。
涙が流れたのは、実家の味に安心したからかもしれない。
誰かの料理を口にしたからかもしれない。
「珠子さんの料理。もう食べられないのかな」
椎葉は久しぶりの実家のベッドに転がり込み、その日はそのまま眠り始めた。
次の日。地元ですることのなかった椎葉は、大学生になってからほとんど歩かなくなった近所を散策することにした。
(コンビニできている。あ、道路新しくなっている。知らない歩道橋もできているな)
地方都市である地元を歩く椎葉。だが確実に大学周りより劣る街が、少しずつ都会に近づいていることに寂しさを感じ始めた。
(でも別に思い入れのある土地でもないんだよな。小さい頃くらいしか友達いなかったし)
その時、椎葉はあることを思い出し、走って実家に戻った。
古いアルバムを漁ると二人の子供が遊んでいる写真がある。
「さくらんぼの髪飾り…………」
椎葉は珠子にチャットを送る。
『珠子さん。変な質問かもしれないけど、もしかして珠子さんって幼い頃俺と遊んだことある?』
しかし、珠子からチャットは返ってこなかった。
意を決して通話をかけてみても無反応だ。
「ブロックされた?」
椎葉は昨日の出来事を思い出す。ブロックされていてもおかしくない。
真新しい歩道橋の上で椎葉は、交通量の多い車両を上からぼーっと眺める。
(マーコさん。もしかしたらチャットしてきてくれているかな?)
椎葉はスマートフォンを操作し、普段はパソコンからログインしているSNSにログインする。
見てみると、通知が一件。慌てて確認するとマーコからチャットが飛んできていたのだ。
『髪飾りをくれた場所で待っています』
「え?」
椎葉は理解できなかった。マーコは何を言っているのだろうか。
違う。椎葉は理解できている。ただその現実が本当に現実かを理解できていないのだ。
「髪飾り? 僕が誰かに? そんなの珠子さんしかありえないじゃないか」
(僕は今まで何をしていたんだろうか。本人に恋愛相談していたなんてばからしいや。珠子さんは僕のアカウントをどこで知ったか。簡単だ。パソコンの画面に常に表示されているんだから。冗談で本人に胸が好きって言っちゃったんだよね。大好きだけど)
椎葉は走り出した。椎葉は髪飾りを上げた場所なんて覚えていない。だが、幼い頃の自分の行動範囲ならなんとなく覚えている。
(マーコさんからのチャットは今日のお昼すぎ。約三十分前だ。だからきっと今も待っていてくれているはずだ)
走る。幼い頃遊んだであろうそのすべての場所を走り回ったが、どこにもいない。
(ダメだ。なんでだ? 髪飾りどこであげたんだよ)
アパートで再開した時の彼女のことをふと思い出した。
(そういえば初めて出会った珠子さんも家に入れなくて困っていたんだっけ?)
記憶を掘り起こす。椎葉にとって珠子と仲直りする最後のチャンスかもしれない。
「そうだ。確か幼い頃」
――――
家に入れなくて泣いている少女を見つけた幼い頃の椎葉は、少女の手を取り、引っ張っていった。
いきなり知らない男に引っ張られていた少女はなぜか無抵抗でついていく。
そんな彼女をどこにつれていこうと思った場所は、椎葉にとって唯一安らげた場所だった。
――――
「植物園だ」
植物園。間違いなく一度彼女と二人で行った場所だ。
椎葉はそう思い植物園に向かう道を走り始めた。
「あれ? お盆って閉館なんじゃ?」
とにかく行こう。そう思い植物園のあった場所に向かうと、そこには大型のデパートが建てられていた。
「あれ? そっか、なくなったんだ」
だが、椎葉はデパートの中に入る。
植物園がなくなったとしても、彼女がいるとしたらこのデパートしかないと思ったからだ。
(問題はデパートのどこにいるかなんだよなぁ)
椎葉は一階から隅々まで探し始める。しかし、彼女の姿はどこにもない。
(あの時、確か植物園の天窓のあった場所。このデパートに天窓はないけど、屋上ならある)
屋上は駐車場になっており走り回るのは危険。さらにそれなりの広さの為、隅々まで歩いていると、隅っこの非常階段に誰かが座っていた。
薄い紫色のブラウスに白いフレアスカートを穿いた女性。髪には当然のように子供っぽいサクランボ髪飾りがついていた。
「珠子さん」
「来ちゃったんだ椎葉」
「一色君って呼ばないんですね」
「呼び方を戻しただけだよ」
「そうだね珠子ちゃん」
一歩。また一歩。椎葉は珠子に歩み寄る。珠子はそこから動かない。
「椎葉。もう一度聞かせて。あなたを初めて受け入れてくれた人は本当に大学に入るまでいなかったの?」
珠子は椎葉の目を真っすぐ見つめ、椎葉はそれに対して一切目を逸らすことはなかった。
「ううん。僕はさ。愚か者で傲慢だからあの時泣いていた君を僕が受け入れている側のつもりで、僕が肯定している側のつもりで君が肯定してくれていたことにちっとも気付けなかった。でもだからこそ言わせてほしい」
「うん」
椎葉はその場で深く深呼吸をし、それを見た珠子は少しだけ笑ってしまう。
「僕は今の珠子さんが好きだ。初めて僕を肯定してくれた幼い珠子さんも僕にとってはかけがえのない存在だったのかもしれない。けど僕は今の珠子さんを真剣に愛している! 幼い頃の僕にそういう感情はなかった。でも春からの三か月。君がいる時間はゲームをしている時なんかよりずっと楽しかったんだ」
椎葉は今の自分の思いを伝えると、珠子はその場で立ち上がり、非常階段を一歩一歩下りていく。
「珠子さん?」
「椎葉の馬鹿。でも好き」
「ほんと?」
「大学で君を見つけた時ね。もしかしたら君から声をかけてくれるかなって期待していたんだよ。でも君全然でさ。あの頃は私も地味で。可愛くなればって思っておしゃれ勉強して頑張ってでも君からもらった髪飾りだけは外せなくて…………頑張ったけど君から声をかけてきてくれなかった!」
珠子の言葉を聞いた椎葉は思った。
(あんなにおしゃれで可愛い女性に僕みたいなやつが話かけてくるはずがない。でも珠子さんは話しかけられないのは自分が地味なせいって思ったんだ)
「私が地味なままだったら、好きになりませんでしたか?」
「…………」
すぐに答えが出なかった。椎葉は地味な彼女を知らない。
知っている頃と言えば、幼い頃の彼女だけ。
だが、知っている限りでは年相応の格好をしていたはずだ。
「珠子さん。わからない。僕は地味な珠子さんを知らない。でも、これから先珠子さんが地味になったとしても、僕は珠子さんが好きだ。しわくちゃのおばあちゃんになってもデートに連れて行ってやる!」
その瞬間。椎葉の体に珠子が飛びついた。
珠子がしがみ付いてきて椎葉は心臓の鼓動を早まらせる。
「言った! 約束! 絶対だからね! …………でも足が弱くなってたら無理しなくていいからね?」
「じゃあ、その時は一緒に寄り添ってるよ」
「そっか。じゃあ椎葉の為にずっとそばにいてあげる」
そう言った珠子はふいに謎の重さが襲い掛かる。
椎葉の全体重が自分にかかっているような感覚だ。
「椎葉?」
「ごめん、ちょっと普段走り回らないからさ。安心しちゃって」
「じゃあ一生安心だね。だって私が離れるつもりないから」
「そっか。じゃあもう少しこのまま」
「うん」
二人で並んで非常階段に座り、お互いの影が離れることはなかった。
そして地元から帰る新幹線。
示し合わせるように一緒の時刻で集まり、隣の席の指定席を見せ合いながら関東に戻るのであった。
「そういえば珠子さんってマーコさんなんだよね?」
「そうだけど?」
「今度二人で並んでゲームしようよ」
「いいよ。あ、じゃあ長く生き延びた方が相手に一つ命令していいってのは?」
「えー? 珠子さんが泣いちゃうからダメだよ」
「ちょっと何勝った気でいるのよ!」
そして二人はまたいつものように一緒にご飯を食べて一緒にゲームをしたり映画を見たりする仲に戻るのであったが、一つだけ変わったことがある。
「珠子さんいつもなら部屋に戻るよね?」
「んー?」
「いや、僕は嬉しいけど。その抱き着かれるとゲームしにくいなぁ」
「んふふ。やめちゃえ。こっちに構って欲しい子がいるんだぞ?」
「うわぁ…………むしろ構うと逃げる癖に構わないとこれだよ」
そう文句を言っている椎葉は、いい表情で笑っていた。
以前までつけていた大きなマスクはもう椎葉には必要なくなっていた。
緑色のパーカーに青いズボンを穿き、大きなマスクで顔を隠した男の名前は一色椎葉《いっしきしいば》。
椎葉はいわゆるゲームオタクで、日常的にオンラインゲームをしている。
今日は椎葉のプレイしているオンラインゲームでイベントがあり、夜までメンテナンス作業が行われている。
金曜日ということもあり、椎葉は土日分も含めて食料品のまとめ買いにスーパーにでかける予定だ。
大学近くのそれなりに良いアパートを借りている為、一度家に帰ってから買い出しに出かけようと考えていた。
教室から出てすぐの廊下を歩いている途中に、大学内でも有名な女子グループがお喋りをしながら輪を作っていた。
なるべく遠ざかりながら、彼女たちのいる廊下を通り抜ける。
関わらない。彼女たちを見ない。椎葉はそればかりを何度も脳内で繰り返し、通り過ぎる。その様子を女子の一人が見ていたことも、当然気付くことはない。
一度アパートに到着した椎葉は、肩掛けバッグをベッドの横に投げ捨て、冷蔵庫の中身を確認する。
中途半端に残っている二リットルのペットボトルに入ったコーラを飲み干し、シンクで中を洗い、大容量のごみ袋に適当に投げ込んだ。
「さてこれで空だ」
冷蔵庫の中にはマヨネーズなどの調味料を除き、完全に空っぽになった。
空っぽになったからといって買ってくるものは弁当とジュースなど。
料理もする気のない椎葉の部屋のキッチンは、水垢と埃以外の汚れが存在せず、掃除も一週間に一度やるかやらないか程度だ。
椎葉は部屋を出て鍵をかける。
エレベーターの前まで歩き、下の階のボタンを押している間、スマートフォンの画面をつけSNSの投稿をチェック。
同じゲームをしている人たちの発言を読んでは、夜のイベントに思いをはせる。
開かれたエレベーターからは、同じ大学の女性が降りてきた。
四年間同じ大学に同じアパートから通っている為、なんとなくの顔見知り程度の女性。
馬場珠子《ばばたまこ》。椎葉のぼさぼさ頭と違い、ふわっとした髪質の茶髪にポニーテールの女性。
前髪にはさくらんぼの髪飾りをつけている。
服装は、黒いワンピースにお尻まで隠れるくらいの長さの薄桃色のアウターを羽織った女性。
「あっ、えとこんにちは」
「はぁ? 聞こえないんですけど? ちゃんと挨拶できてないじゃない」
「……ごめんなさい」
「なんでそこで謝るの? わけわかんない」
椎葉は完全に委縮してしまっている。
その間に他の階の誰かがエレベーターのスイッチを押したのか。誰も乗せていない鉄の箱は下の階に運ばれてしまった。
乗りそびれた椎葉は、ただただ閉まったエレベーターの扉を眺めて呆然とすることしかできなかった。
「どんくさいぞ」
「あっ……えっごめんなさい」
「だから謝るなっての」
彼女の部屋はエレベーターの真正面。手提げかばんの中を漁った彼女は、鍵を差し込み、そしてバキンッという大きな金属音を鳴らした。
「え? 嘘」
目の前で珠子も口をパクパクさせている。その様子を見ていた椎葉も驚いている。
珠子は椎葉の方に目線を合わせ折れた鍵を見せつけてきた。
「どーしよ?」
「管理人さんに電話しないと」
「部屋に入れないと番号わかんないよ」
「僕も一度部屋に戻らないと……」
「お願い! 管理人さんの番号教えて!」
ため息を吐きそうになるのをなんとかこらえた椎葉は、仕方なくもう一度部屋に戻る。
一番奥の角部屋。そこが椎葉の部屋だ。
「え?」
椎葉が一度部屋の鍵を開け、入室すると後に続くように入ってくる珠子。
驚く椎葉に珠子が睨み返す。
「何よ? いいでしょ部屋に入るくらい。それとも女の子に見せられないような物であふれているの? 大丈夫よ言いふらさないし、アンタの趣味なんてどんなものでも私には関係ないから」
「あっはい。すみませ……ん」
部屋に入ると、個室に繋がる廊下を一直線に歩いて入室する珠子に、止める間もなく慌ててついていく椎葉。
扉を開けた先には椎葉の部屋。ゲーム用チェアにゲーミングPC。L字のテーブルには二つのディスプレイ。それから数種類のゲーム機が綺麗に置かれている。
床には、ベッドの横に投げ捨てられたバッグと大容量のごみ袋、それから掃除機以外は何もない。
「何このゴミ。ペットボトルと弁当の空箱ばっかじゃん」
「え? あっ……」
関係ないだろ。椎葉は頭でそう思っても、珠子に向かって言う勇気が出てこない。
当然のようにゲーミングチェアに腰をおろした珠子は、足を組んで待っている。
椎葉は台所の戸棚にしまった書類から、管理人さんの電話番号を探し始めた。
台所と個室は扉の区切りはなく、短いスカートから伸びる珠子の綺麗な足に目が行く。
「まだー?」
ゲーミングチェアに座った珠子は、スマートフォンから目を離さない。
「もう少々お待ちください!」
何故命令されているのだろうか。
そう思いながらも番号を見つけた椎葉は、珠子に管理人さんの電話番号の記載された紙を渡した。
「ありがとー! なんかお礼するね。何がいい?」
「え?」
お礼と言われ、つい変な想像をしてしまった椎葉は、動揺してしまう。
何か答えないと、そう考えているうちには、聞いてきた珠子は既に電話をかけ始め、管理人さんと会話中だった。
彼女にするお願いを妄想してしまい、しばらく思考停止している椎葉。
そんな椎葉の体を誰かが揺さぶる。
「ねえ? ねえってば」
誰か。当然部屋には珠子しかいない。であれば珠子が揺らしていてしかるべき。
椎葉はそれに気付き慌てて返事してしまい、声が裏返る。それを珠子に笑われてしまった。
「夜まで部屋にいていいかな? 管理人さんがさ。夜の十時まで予定あってこれないんだってさ! あり得ないよね!」
「え? えっあ」
現在時刻は十五時になったばかり。
金曜日の午後の講義は一つしかとっていない為完全に自由時間となっていた。
楽しみにしていたオンラインゲームのアップデート終了は十九時。
あと四時間後にはゲームを始めたい椎葉にとっては、珠子の提案は、都合の悪いものでしかなかった。
「もしかしてなんか予定あった感じかな?」
「えとまあ」
「この部屋いないんだよね? そっかごめん。他あたるね」
そう言った珠子に対し、椎葉は何を思ったのか彼女の腕を掴んでしまった。
「え? 何?」
掴まれた腕を振り払うこともないが、明らかに困惑している珠子。それもそのはず。
運動などもしていない椎葉といっても男は男。
突然腕を掴まれれば、いくら普段堂々としている珠子でも臆してしまう。
「今日っ! そのっ! 予定っ! あのっ! えと……ゲ、ゲームのイベントだからその。時間まで部屋にいても……大丈夫です」
「あぁ、そっか。じゃあお邪魔しよっかな」
珠子は掴まれたままの腕をとんとんと叩くと、それに気付いた椎葉は慌てて離し、そのまま真後ろにひっくり返ったのであった。
「大丈夫?」
珠子は、椎葉の頭の真横で屈み、椎葉は珠子の方に顔を向けるとスカートの中が丸見えになっており、初めて間近で見たせいか顔を逸らすこともできずガン見してしまう。
「おーい、返事しろー?」
椎葉の頬をマスク越しでつつく珠子。気にしていないのか気付いていないのか。
スカートの中を隠す素振りを見せない。
「あっすみません、ありがとうございます」
「何に感謝してるの?」
起き上がる椎葉に合わせ、珠子も立ち上がる。ただし椎葉の目線は完全に珠子のスカートにロックオンされていた。
「なんかいつもより俯いてない?」
「え? え? いつもっ?」
「だってそうでしょ。どよーんとしながら歩いて下向いてばっかじゃん」
椎葉は珠子にいつも見られていた事実に驚いた。
うつむいていた理由を口に出せず、たまたまそう見えるだけですと声を絞り出すも、はっきりと発音できていなかったせいかよく聞こえないと言われてしまった。
「コミュニケーション取れてないじゃん? 文章じゃないとダメ? これでいい?」
「あ、はい」
珠子がチャット系SNSのQRコードをスマートフォンの画面に表示する。
椎葉はそれをスマートフォンで読み取り、珠子のことを連絡先に追加する。
椎葉のアプリには、親との連絡用と大学のゼミグループのチャットしか存在しなかった為、それ以外では珠子が初めての登録相手となった。
椎葉の連絡先一覧に「馬場珠子」と表示される。
「えと馬場さん」
「あー、それさ。おばあさんって呼ばれているみたいですっごい嫌! 珠子でいいよ」
「あぁ……じゃあ、珠子……さん」
「オッケー。それでなんか用?」
「あっそのえと」
上手に喋れない椎葉に対し、珠子はスマートフォンをちらちらと見せつける。
ハッとした椎葉は、先ほど登録した珠子のアカウントにチャットを送るのであった。
『買い物出かけたいです。冷蔵庫空なんです』
『りょ』
「?」
「あ? 伝わってない感じ? 了解のりょだよりょ。他の人とか使ってない?」
そういえばと思い、椎葉はゼミグループのチャットを遡ると、一部の女子がたまに使っていた謎の言葉があったと気付く。
「あー、はいはい、わかりましたよ。一色君にはハショらずにチャットするね」
「ごめんなさい」
「はいはい。一色君のごめんなさいはありがとうって意味ね」
「あっ……うん。そうかもしれません」
「はっきりしないとモテないよ?」
「別にその……どうせはっきりしても」
椎葉がそう呟くと、珠子は椎葉のマスクをはぎ取った。はぎ取った椎葉の顔はとても綺麗とは言えない顔立ち。だが醜くもない。何とも表現しがたい一般的な顔があった。
「まあ、やや童顔ってとこかな。顔でモテモテは無理だけど、彼女できない顔してるとは思えないけどな」
「ほほほ、ほんと、ですか?」
「ほら、買い出し行くんでしょ」
「はい!」
珠子が先導してスーパーに向かう。
近所にあるスーパーに誰かと入店したのは初めての椎葉は、ただただ珠子の後ろをついてくことしかできなかった。
珠子が野菜コーナーに足を運び、椎葉が珠子の服を引っ張る。
「普通に話かけられないの?」
「えあ、弁当買いに来たんですけど、あとカップ麺とかコーラとか」
「今晩は私が作ります。夜までいるんだからいいでしょ? …………ねえ、調理器具って何があるの?」
「…………炊飯器とトースター。鍋とフライパン。一応包丁とかもあります」
「一瞬まさかって思ったけど最初は料理する気でもあったの?」
「母さんがその一式用意してくれまして」
「アンタさ。まずその喋り方何とかしよっか?」
「え?」
「私らタメっしょ? なんでそんな喋り方になるのよ」
椎葉は黙り込んでしまう。カースト上位下位。
それは椎葉が勝手に決めつけた格差も含まれている。
確かに今、目の前にいる珠子と椎葉には上下関係など存在しない。
だが、珠子が対等な相手への喋り方をしていたつもりでも、椎葉にとって珠子は、打ち解けていない相手。
どうしても自分を出して喋ることができなかった。
「僕その……」
「自信ないんだ?」
「そう……です」
「じゃあ問題ないね。あんたはきっとこれから自信をもって生きていける」
「ほんとですか?」
「第一関門合格。ここで少しでも希望を持てるくらいじゃないと、自信なんて一生ついてこないよ。でもね、一色君はまだ自分を諦めていない。それじゃまずは不健康な食事から卒業しよっか?」
そう言った珠子は、普段椎葉が買わない食料品を購入。
本来、弁当やカップ麺で済ませていた椎葉はかごに詰め込まれる食材を見て、何に使うか想像ができなかった。
「今更だけど嫌いなものってある?」
「豆腐かな」
「え? あれ嫌いな人いるんだ。まあいっか」
その後もう一度アパートに戻り、椎葉の冷蔵を空けた珠子が本当に何も入っていないと呟いた。
一応購入された調味料があって良かったと呟いている。
「もう四時半だけど、料理するにはまだ早いかな。ねえねえせっかくだからゲームしようよ!」
「無理だよ。だってコントローラ一つしかないから」
「そうなんだ」
そう言った珠子は椎葉の部屋にあるものを物色しようにも何もない。
一応小さな本棚はあるものの、それもゲームソフトが並べられているくらい。
他にもアニメ映画や、海外のアクション映画のブルーレイがあるくらいだ。
「なんか違うなー」
「なんかって…………見てもないのに批判しないでください」
「それもそうね。わかった。オススメはどれ?」
そういわれた椎葉は、棚から頑張って珠子でも見てくれそうな映画を何本か選びその中から珠子が一本選ぶ。
珠子が選んだものは、かなりハードな設定が多いアニメ映画だった。
だが、椎葉にとってはそういう作品こそ至高という発想から逃れられず、つい珠子に選ばせる作品の中に入れてしまったのだ。
ブルーレイをプレイヤーにセットした時点であることに気付いた椎葉。
そう、この映画にはちょっとエッチなシーンが何度もあるのだ。失敗した。
大学で言いふらされるかもしれない。
しかし、珠子はもう見る気満々。
あとは彼女の反応が汚いものを見る目に変わらないことを祈るばかりであった。
二人で並んでベッドに座り、ディスプレイを眺めることになった。
上映開始十分。最初のシーン。突如現れたヒロインの胸を思いっきり掴む主人公。
椎葉は恐る恐る珠子の反応を見ると、あからさまに笑っていた。
「あり得なさすぎでしょ。ウケる」
「あ、そっちの反応」
その後、椎葉はしばらく珠子の見ていたものの、一切嫌悪の反応はしない。
しかし、この次のシーンはかなりきわどい。本当にブルーレイを選んだ時に何故この映画を選んでしまったのかと椎葉は頭を抱えそうだ。
「うわぁ…………」
「さすがにダメだったかな?」
「いや選ばせたの一色君じゃんか。よく女の子にこんなえっちな映画見せようって思ったねそういう性癖?」
「ちがっ違います!」
「ほんとに?」
そして映画が終わるが、時間がまだまだ存在する。
もう一本見ようと提案してきた珠子。
先ほどあんな反応しておいて、まだ見るのかと思いつつも、椎葉の脇においてあるブルーレイの山を手に取ろうと、珠子は椎葉の膝の上に胴体を乗せ、ブルーレイを物色し始めた。
「ええ!」
「何驚いているのよ。私が選ぶんだからいいでしょ?」
椎葉が驚いている原因は、珠子の身体が椎葉に密着してしまった事実であるが、珠子は気にしないでブルーレイの物色を始める。
「もうこれでいいや。あんまり可愛い女の子が映っているやつだとエロそうだし」
「そ! そんなことないけど…………あ、うんそれね! わかった! わかったからいったんどいてくれいなかな?」
そういわれた珠子はもとの位置に座りなおし、椎葉はブルーレイのセットを始める。
最終的にこちらの映画には乗り気で見ていた様子で安心する椎葉。
いい時間になった頃、珠子がキッチンに向かい料理を始め、椎葉はその様子を眺めつつもパソコンを起動し、ゲームの情報を眺めていた。
(不思議な感覚だ。上京して一度も関わったことない女子と、突然自分の部屋で映画見て料理作ってもらって何しているのだろう)
現在絶賛調理中の珠子を見て、とあることに気付いた。
珠子の買い出しに弁当が存在しない。つまり、土日の分の食事がないのだ。
しかし、いくら友達のいない椎葉でも、この空気で弁当を買いに行くほど空気が読めないわけではない。
料理が終わったばかりの珠子がオムライスを持っている。
椎葉は折り畳みのテーブルを押し入れから取り出し部屋の真ん中に設置。
二人で向かい合って食事が始まる。
ちゃんとした料理を食べるのは実家に帰った時くらいの椎葉。
それも実家に帰るのもほとんどない。
お年玉をもらいに年末年始に帰省するくらいで、長期休暇はゲームで消費している。
「美味しい」
「当たり前でしょ。一色君と違ってずっと自炊してきたんだもの」
「そうだね」
「さっきも言ったでしょ。もっと自信を持ちなさい! 私はずっと続けてきたからある程度の自信はあるの! あなたが人生で一番続けてきた自信は何?」
「ゲームかな」
別にプロゲーマーになりたい訳じゃない。
そう思っていた椎葉。しかし、小学生の頃から休日はほぼゲーム三昧。自分に取り柄がなくとも、ゲームの腕には自信があった。
「ゲームね。あるんじゃない。自信持てること」
珠子にそういわれても、自覚している。
ゲームの腕自慢は所詮ネットやオタク仲間間でしか通用しない。
社会に出て何にもならない。
だから、ゲームの腕はコミュニケーション能力を持つための自信に繋がらなかった。
「ゲームはできても、馬鹿にされることに変わらないから」
「……バカにする人がいたら自信持てないの?」
「え?」
「政治家は馬鹿にされるし、教師も馬鹿にされている。真面目に働いている人だって馬鹿にされているし、私だって見た目頭の悪そうな女子大生って思われているよ? これは馬鹿にされているんじゃないかな?」
「そうかもだけど……」
「私は誰に馬鹿にされようともそれは自信と関係ないと思うけどな。君が君の好きを信じないで、誰が信じるの?」
「…………」
「何も言えないんだ。ねえ二人でゲームできないならさ。プレイしているとこ。見せてよ」
珠子にそう言われ、食事が終わると、片づけを済ませた。
その後、しぶしぶ据え置き型ゲームの電源を入れる。
人に見られながらゲームをすることが苦手な椎葉。
ゲームセンターにも怖気づいてしまい入ることができない。
だからとなりに人がいるという状態でコントローラを握った手は震えてしまった。
「怖くないよ。だって君の自信なんでしょ?」
「ごめん。誰かに見られているとどうしても緊張しちゃって」
「そう? じゃあもしこれクリアしたら明日もご飯作ってあげる!」
「…………頑張ってみるよ」
椎葉にとって珠子は異端な存在。部屋に入れていることすら異常な状態でしかない。
だが、それでも椎葉は彼女と一緒にいたいと思えた。
彼女なら、ゲームしか取り柄のない自分を肯定してくれると思ったからだ。
珠子が指さしたのは難易度最高クラスのステージ。
横スクロールゲームは椎葉にとっては久しぶりのゲーム。
しかし、女の子に見せられるゲームであまりショッキングなものは選べないし、可愛い女の子が出てくるゲームもさっきの映画の二の次になりそうなのでこれにすることにした。
そして珠子が横で見ていても手を震わせることなく順調にボス戦まで突入。
初めは横に女子がいるという状況に緊張していたものの、ステージのギミックが難しいところを何度も潜り抜けるにつれ、それすらも気にならなくなってきた。
無事ボスを撃破し、クリア画面に到達。
その瞬間に珠子が椎葉の頭をポンポンと軽めに叩いたのであった。
「やるじゃん。それじゃ明日もご飯作ってあげる。朝から?」
「え? 三食良いんですか?」
「別にいーよ。明日することないし。あと三食作るつもりはなかったけど、そんなに期待されちゃあしょうがないなあ。特別だよ」
そして心待ちにしていたオンラインゲームのメンテナンスが終了し、パソコンの電源をつける。
FPSという一人称視点のシューティングゲームをプレイし始める。
珠子は後二時間部屋にいる為、暇つぶしにディスプレイをのぞき込む。
「イベントって何が起きるの?」
「あ、今回のイベントはね。まずこのゲームって複数人のプレイヤーが銃で撃ち合って生き残りをかけるゲームなんだけど、初期装備は各プレイヤーが課金で購入したりするんだけど、今回のイベント報酬で強い武器も集められるんだ! あ、初期装備っていうのはねサバイバル開始時に持っている武装のことでこれが強ければ強いほど立ち回りに影響が出るんだ。フィールド上にも課金武器並みの武装が設置されていたり、倒したプレイヤーの武装がランダムでドロップしてプレイ中に「長い長い長い! つまり最初から強い装備を使いたいってことね!」
説明に夢中になりついぺらぺらと話してしまったことに顔が赤くなる椎葉。
途中から全然ついて行けなかったが、それでもちゃんと話を聞いて理解を示す珠子。
「僕はゲームしてますけど、珠子さんはどうしますか?」
「とりあえずこの部屋にあるものを物色します」
「やめてください死んでしまいます」
「はぁ? 死ぬわけないでしょ? 心臓でも転がっているの?」
ついオタク間でしか通じないような発言をしてしまったが、珠子には一切通じず、また恥ずかしくなってしまった。
「でも一色君のことはよくわかったよ。好きなものを喋る時は自信満々じゃん。何が取りえでも何が自慢でもいいんだよ。誰にも馬鹿にされない人なんていないんだから」
椎葉は確かにそうだと思った。
大学教授の講義は聞く価値がないと思い適当なページの教科書を開いていた。
政治は誰がやっても同じと思ったから、選挙権を持っていても投票に行かなかった。
女子たちは気持ち悪いって理由で人を馬鹿にする生き物だと思っていた。
大人は無条件でゲームしかしていない自分を馬鹿にすると思っていた。
その思い込みこそ、相手を馬鹿にしていたと気付かなかった。
女子たちのくくりから、目の前にいる馬場珠子が例外なのかもしれない。
しかし、例外が一人いる時点で、決めつけから入っていた自分は失礼だと気付いた。
今まで偏見で見ていた人たちは、何かの分野に秀でていて、自分に自信を持った人たちであり、逆に自分は好きなものが得意だと自負できるにも関わらず、馬鹿にされると決めつけて勝手に自信を失っていた。
「珠子さんありがとう」
「自信ついた?」
「少しだけ頑張れる気がする。でも大学は無理かな。だってもうグループが形成されているし」
椎葉がそういうと、珠子が思いっきり背中を叩いた。
「寂しかったら私を呼びな! たった数メートルに住んでいるんだからさ!」
「ありがとう! 珠子さん! ありがとう!」
「うおっとそこまで喜ばれると逆に心配になるなぁ」
そして椎葉はゲームに集中している間。
珠子はベッドに座ってスマートフォンをいじり始めた。
部屋の物色はされていないことに安心し、ゲームに集中することにしたのであった。
そして二十二時になり、珠子は管理人さんが部屋にやって来るため部屋の前で待機する為出ていくことになった。
椎葉のスマートフォンに一件の通知が来てチャットアプリを開いた。
『明日朝七時!』
『そんなに早く?』
『朝ご飯だからそんな時間でしょ!』
『わかった』
そして本名とは関係ない名前で登録しているSNSでゲームのことを投稿していると、一件の書き込みが来た。
「マーコ? 女性? いや、女性名の男性だろうな。このゲームをやってみたいのですが何から揃えればいいですか?」
ネット上でもあまりコミュニケーションをとることができなかった椎葉。
まずはこの人から仲良くなろう。そう思い必要なもの一式をチャットした。
なるべく低予算で済むようにしたが、かなりの額になってしまった。
「大丈夫かな?」
不安に思っていたが、マーコさんからの返信は「買い物かごに入れました」と記載されていた。
「即決……お金持ちなのかな」
しばらくマーコさんとチャットしながら、イベントを進めていった。
次の日。インターフォンが何度も鳴り響き体を起こす。
ゲーミングチェアで寝落ちしてしまった為体の調子が悪い。椎葉はパソコンの表示時刻を見ると七時十分。
「珠子さんが来るのは七時だからあと二十三時間五十分…………じゃない」
飛び起きた椎葉は玄関のドアを開けると、機嫌悪そうに立っている珠子が待っていた。
黒のブラウスに黄色いひざ下まで伸びたスカートを穿いた珠子は、椎葉の目にしっかりと焼き付いた。
そしてサクランボの髪飾りは今日もつけている。
ちゃんと見たことはなかったが、きっといつもつけているのだろう。
「何その服」
「え?」
珠子に指摘された服。昨日と同じ緑色のパーカーに青いズボン。
椎葉はゲームしながら寝落ちしたため、昨日着ていた服そのままだったのだ。
「頭ぼさぼさ! 昨日お風呂は?」
「…………入っていません」
「一回お風呂に入っちゃいなさいよ。私その間にご飯作っているから!」
「はい…………」
着替えを持って浴室に入り、シャワーを浴び始める椎葉と、キッチンで料理を始める珠子。
浴室から出ると、濡れた髪を見た珠子がバスタオルを勝手に取り出し、頭をごしごし吹き始めた。
「自然乾燥で大丈夫だって」
「ダメだってば! もしかしてドライヤーないの?」
「ないです」
「信じらんない! あとで買いに行くわよ。とにかく今はご飯にしましょう!」
昨日から出しっぱなしのテーブルに朝食が並べられる。
ちゃっかり珠子さんの分まで作られている。
一応材料費は椎葉のお金だが、調理してもらっている以上文句はない。
「待って? 買いに行く? ゲームのイベントが…………あ、ごめんなさい行きましょう」
「ゲームもリアルも頑張りなさい。とにかく身だしなみくらいちゃんとする! そしたら明日も三食作ってあげる」
「はい。頑張ります」
(どうやら僕の週末はすべて珠子さんに掌握されてしまったようだ。そもそも珠子さんは僕なんかに構って他の人達との予定はないのだろうか? 大学では彼女は人気者だ。今ならそれは外見だけじゃないと納得できる)
それに椎葉は、完全に珠子のことを好きになっていた。
ここまで自分を肯定してくれた人は他にいない。
ここまで自分のことを世話してくれた人は親以外にいない。
女性経験も少なく、そもそも同性ですらまともに会話しなかった椎葉。
目の前にいる彼女に惹かれないはずがないのだ。
美人局の可能性も考えてしまうくらいには、彼女は急に接近してきたのだ。
昨晩あわてて検索サイトで『美人局』で検索し、その読み方が『つつもたせ』だと知ったのは別の話。
朝食を食べ終え、珠子と一緒に皿洗いを始める。
シンクはそこまで広くないため、お互いの腕が定期的にぶつかり合う。
季節は春。お互い袖は長く、直接肌が触れ合うことはなくても、椎葉の心臓は何度も跳ね上がった。
「じゃあ電気屋いこっか?」
「今から?」
「ゲームしたい? お昼食べてからにする?」
「そうしない?」
「まあ、いいけど。じゃあ私一度部屋に戻るね。またね」
「うん。またあとで」
そう声をかけると、玄関の扉を閉めようとした珠子が顔をこちらに向けて呟いた。
「やっと言葉が砕けてきたね」
「あっ」
ドアが閉まる瞬間。
確かに珠子が微笑むのを確認した椎葉は、ゲームどころではなくなりベッドにもぐりこんでしまった。
だが、十分ほどでベッドから這い出て、ゲーミングチェアに腰をおろす。一件の通知。
投稿サイトに書いたところにチャットが届いていたのだ。
マーコさんと表示を確認し、パソコンを操作する。
『おはようございます。今日もイベント頑張っていますか? 私は来週までには参戦できると思いますので、色々教えてください』
『マーコさんおはようございます。了解です。一緒に遊びましょう!』
インターネット越しとはいえ、知らない人と良好な関係を築けていることに少しだけ気分が良くなり、お昼までゲームに集中することになった。
昼食を作ってもらい、また二人で食器洗いをしてから電気屋に向かい始めた。二人でドライヤー以外も見て回る。
二人で色々回ったが、結局椎葉はドライヤーのみ。珠子はなぜか電源タップを購入していた。
電気屋から出ると、カフェで一休みしようという提案を受けたが、椎葉は珠子を見て思った。
(こんな綺麗な人と二人でカフェに入ったら、きっと不釣り合いだって言われる)
椎葉は頭で理解していても、現実を受け入れることはできなかった。
珠子と不釣り合いだと思われると言うことが嫌なのだ。
(ダメだ。自信持たないと、今度こそ珠子さんに嫌われてしまうかもしれない)
「行こう」
「何震えているのよ。休憩するだけじゃない」
呪文のようなコーヒーが二つ注文される。
椎葉は一切名前を覚えられなかったそれを口にすると、口の中にチョコレートの甘さとクリームの甘さが程よく混ざり合った味が広がった。
「旨い」
「私の料理より?」
「どっちも旨いよ。でも嬉しいのは珠子さんの料理かな」
「そうかそうか。ならば今夜はリクエストにこたえようじゃないか」
褒められたことにより、得意げになる珠子を見ていて、こういうところもあるんだなと思う椎葉。
そんな中、カフェ内で珠子と二人きりという状況で周りの視線が気になっていた。
(きっと大丈夫。堂々としていればいい。自信を持つんだ。珠子さんと一緒にいたい)
そう自分に言い聞かせていた時、突如女性の声が椎葉の耳に響いた。
「あー! 珠子じゃん!」
珠子が所属しているグループの女子たちが、珠子を見つけこちらにやってきた。
椎葉は怖くて女子たちの方に顔を向けることができなくなった。
女子たちと珠子の会話がすぐそこで繰り広げられているのに、何も頭に入ってこない。
「てかこっちの男誰?」
(きた! 珠子さんなんて答えるんだろう…………)
「あー、一応同じ大学の男子だよ? 一色椎葉君。ほら教室の隅でいつもくらいマスクつけてた人」
「あー、あの暗い人ね」
「マスク? いたかも。いつも一人の人だよね」
彼女の口から、友達という言葉すら出てこなかったことに無性にショックを受けてしまった椎葉。
(友達だと思っていたのは僕だけだったのかな?)
顔を上げることすらできない状況。肩も震えだしそうだ。
「てかなんで珠子とこいつが一緒にいるの? エンコー?」
珠子の友人たちの発言は、言葉のナイフとして椎葉の心を何度も抉った。
珠子がなんていうかということだけに、椎葉は気にして仕方なかった。
「違う違う! あー、そうだなぁ。まあでも……友達かな?」
珠子がそう言った時、初めて椎葉が顔を上げる。女子たちと目が合う。
女子たちも椎葉も珠子の発言に驚いている。
むしろ女子たちが椎葉と目線を合わせて視線で合図し、本当に? 本当に? とやりとりできるくらいには以心伝心に成功してしまった。
「なんだっけ? えとマスク君も驚いているけど本当?」
「僕を友達だと思ってくれたのですか?」
「いや、根暗君私らより驚きすぎだろ」
「友達は友達。私がアンタらの友達にそれはあり得ないって指摘したとしても、私に言われて友達止めたりしないでしょ?」
その後、女子たちはどこかに行ってしまい、椎葉と珠子もアパートに戻るのであった。
帰り道、椎葉はつい珠子に質問してしまう。
「僕の事友達といって恥ずかしくなかったんですか?」
「言ったでしょ? 誰でも馬鹿にされる。馬鹿にされることを気にしない。自分が好きなことを通す。私はあんたと友達であることが、他の友達に笑われてもいいって思ったからそう宣言したの」
「ありがとうございます」
「それよりアンタの方が驚きすぎて冴子とか美弥もそっちにびっくりしていたじゃない」
珠子さんの名前は連絡先交換時に把握できていたが、他の大学の女子の名前はあまりはっきりと覚えていない。
(マスク君って呼んできた人と根暗君って呼んできた人かな?)
珠子は一度帰宅し、椎葉は部屋に戻ってゲームの続きをし始めると、またマーコさんからチャットが飛んできた。
マーコさんとの会話はゲームの話題が中心だったが、数十回目のやり取りから相手の話す内容にプライベートな内容が混ざり始めてきたのだ。
『最近は紅茶ばかり飲んでいますが、オモトさんはゲーム中何を愛飲していますか?』
『いつもはコーラかな。ここ二日間は水』
『オモトさんテレビって見ていますか?』
『見ない』
『オモトさんって子供の頃雪遊びで何が好きでした?』
『雪? あー、山形は結構降ったからね。近所の子供と雪合戦とかしたけどかまくら作ったりとかソリで滑ったりとかしていたかな』
『山形! サクランボとか有名ですね!』
オモトとは、椎葉のハンドルネームである。うっかり出身県までチャットしてしまったが、その程度で個人は特定されないだろうと思い、気にしないことにした。
今時、現在住んでいる都道府県を公開している人なら匿名の人でもいるくらいだと思い、そのままチャットを続けた。
そして夕方くらいに一度、珠子からチャットが飛んで来た。
『そういえばリクエスト聞きそびれていた!』
『何でもいいよ』
『それ禁止! 言わないと豆腐フルコースだからね!』
椎葉は、昨日の会話で嫌いな食べ物を覚えていてくれたことが無性に嬉しく感じ、スマートフォンの画面を眺めながらにやけ始めてしまった。
『じゃあペペロンチーノとか』
『パスタ好き? 辛いの好き?』
『ニンニクが好き』
『あー、了解了解。土曜の夜だし妥協しましょう』
珠子は匂いを気にしているみたいだが、椎葉はそういう考えは一切なく純粋にニンニクが好きだからという理由で選んだ。
(もし明日もリクエストを聞かれたら、ニンニクは避けよう)
その日の夜も珠子は料理をして帰り、日曜日もそれの繰り返し。
ゲームをしながらご飯時に珠子が通ってくる日常が始まった。
それは平日になっても変わることはなかった。
朝から当然のようにインターフォンを鳴らしてやってくる珠子。
当然のように迎え入れ、朝ご飯を一緒に食べる。
お昼は大学に行くため別々となるが、お互い四回生になったばかりな上に、取得単位もほぼほぼ満たしている為、一週間の間に大学に行く必要がない日も存在する。
もっとも、友達のいない椎葉と違い、珠子は講義がない日も友達に会いに大学に行くこともある。
珠子に予定がある時に限り、事前にチャットで連絡が来て、連絡のない日は当然のようにやってくる。
そういう生活が三か月続いた。
お互いのことはある程度把握し、最初の頃と違い椎葉はもう珠子相手にどもることはなくなった。
(告白したらいけるんじゃないか?)
椎葉には女性経験がない。
だからここまで接してくれている珠子は、自分のことが好きなんじゃないかと思い込んできていた。
勿論、何度もやっぱり思い込みかもしれないと思う時はあったが、来ない場合のみ連絡が来るのは、珠子も椎葉の部屋に来るのが当たり前だと思っているに違いない。
「でもなぁ…………そうだ」
最近ではプライベートな話題の話題もすることが多くなり、ゲームでも一緒にプレイすることが増えたマーコさんに相談しよう。
そう考えた椎葉は早速マーコにチャットする。
『マーコさん。ご相談です。僕には普段から仲良くしている。と思う女性がいます。その人のことが好きです! ただ相手の気持ちがわかりません。ほぼ毎日一緒にご飯を食べたりしているのですが、告白すべきでしょうか?』
普段はマーコからチャットが来ることが多かったが、マーコからすぐに返事は来ることはなかった。
そしてマーコの返事ではなく、インターフォンが鳴り響く。
迎え入れると当然のように入ってくる珠子さん。
今日はピンクと白のワンピースを着ていている。相変わらずサクランボの髪飾りはいつもの定位置についている。
「今日は何にしよっか?」
「中華料理がいいな」
「中華? 麻婆豆腐とか?」
「すみませんちゃんとリクエストします。えっと青椒肉絲《チンジャオロース》とか?」
「青椒肉絲かぁ? 材料材料。あ、大丈夫だね! いいよ!」
了承の返事をもらい、調理を始めるところを見てからパソコン画面に目を落とす。マーコさんからの返信は来ていないようだ。
(忙しいのかな?)
椎葉は、普段通りゲームをしながら待っていると料理がテーブルに並べられる。
あまりにも頻繁に使うようになったテーブルはワンサイズ大きくなり、座る用のクッションも珠子用が常備されるようになった。
(これはもう完全に彼女と言われてもおかしくないし、僕がもし同じ状況の他人を見たら付き合っていると言うと思う)
だが椎葉には、彼女が自分を好きになると考えることがどうしてもできなかった。
よくネットで勘違い男子というものを何度見かけている。
(もしこれで勘違いだったら、僕は女性と二度と付き合う勇気がでない)
テーブルの上にある青椒肉絲を頬張りながら、正面で同じご飯を食べている珠子をつい見てしまう。
椎葉も失礼になると思い、青椒肉絲に集中する。
「今日はどうしたの? さっきからじろじろ私のこと見ていたよね?」
「あ、えと。いつもありがとう」
「ごめんなさいって言わなくなったね」
「そうかもね」
「まあ、謝るべき時はちゃんと謝ればいいのよ」
「うん、珠子さんのおかげだよ」
「そっか」
そしていつも通り二人で後片付けをし、珠子さんが帰った。
椎葉は、シャワーを浴びるためバスルームに入った。
椎葉がシャワーを浴びている間、パソコンに一件の通知。
『オモトさんはその女性のどこが好きなんですか?』
シャワーを終えた椎葉は、パソコンの通知に気付きその通知の返事を考えた。
(珠子さんの好きな所。考えるまでもない)
『胸かな』
『キモイ』
『すみません、その人って大きめの胸の人でつい。胸だけしか好きじゃなければ告白なんてしようと考えません!』
『で? 他はどこが好きなんですか?』
普段は丁寧に返事をしてくれていたマーコさんが、明らかに不機嫌な様子。
(やっぱりマーコさんって女性だったのかな? まさか今のチャットもセクハラ扱いに感じたとか? とりあえずそういう冗談はよしておこう)
『彼女は初めて僕を受け入れてくれた人なので』
『初めて? 今まであなたを肯定してくれる人はいなかったのですか?』
『はい!』
この返信の後、マーコさんからのチャットが返ってくることはなかったが、椎葉は深く気にすることはなかった。
翌朝、珠子が椎葉の部屋に訪れることはなかった。
珠子にチャットを送っても返事が返ってこない。何かあったのだろうか。
椎葉は珠子の部屋の前まで訪れる。インターフォンを鳴らす。ただそれだけの動作にドキドキしてしまう。
(自信持てよ!)
震える手をあげ、指先でボタンにふれる。だが、押せない。
今日来なかったのは、ついに愛想をつかされたのではないかと思ったからだ。
(ここでやめたら、きっとまた自信のない自分に戻るんじゃないか?)
珠子の顔が頭に浮かぶ。彼女は自分に自信を持ってほしくて接してきたに違いない。
(珠子さんの隣りを歩ける男になるんだ)
インターフォンを押した。チャイムが鳴り響き、室内から物音が聞こえた。
彼女は部屋にいる。椎葉はそう確信した。足音が一歩一歩近づいてくる。
心臓の鼓動はそれにつれて早まる。
そしてドア越しに声が聞こえた。
「おっはよー? ごめんごめん。私寝坊してたみたい」
「そ、そうなんだ。何かあったのかなって心配になったよ」
「…………」
「あのなんで出てこないの? あ、寝起きだから? ごめん。何もないなら部屋に戻るね」
「…………」
「珠子さん?」
「一色君さ。もう前と違って自信もって行動できるようになったよね? 私いらないよね? もうさ、この曖昧な関係終わりにしない?」
「それってどういう」
「自分で考えて欲しいな。冷蔵庫の中身。処分に困らない大丈夫?」
「……僕は料理できないから、困るかも。やっぱりまだ来てくれないかな?」
「ダメ。でも粗末にできないから私が買い取るよ」
「いや、いいよ。やっぱり料理してみる」
「そう。そっか。一色君成長したなぁ!」
それ以降、ドア越しから珠子の声が聞こえてくることはなかった。
椎葉は、何を間違えたのか不安になり、部屋に駆け込みマーコさんにチャットを送る。
『マーコさん! マーコさん! 助けて!』
しかし、マーコからの返事は返ってこない。時刻は朝七時半過ぎ。
普段マーコとチャットする時間は夜の九時過ぎの為、もしかしたら寝ているのかもしれない。
(そういえば昨日のチャット。あれはもしかして途中で話を切られちゃったのかな?)
考えてみればそういう風にも受け取れる。
そう感じた椎葉は、とにかくマーコからの返事が来ることを祈るばかりであった。
しかし、その日は宅配のお兄さんがやってきただけで、珠子も来ない。
マーコからのチャットも来なかった。
実家からの仕送りの段ボールが廊下に置かれる。
(この時期ってことはサクランボとかかな? そういえば珠子さん。サクランボの髪飾りいつもつけていたよな。あんな子供っぽい奴)
それから珠子とも会話せず、マーコともチャットをしない三か月前と同じ日常が椎葉に戻ってきた。
最初の一週間は無気力。ゲームすらやらないほどに、椎葉にはやる気がわいてこなかった。
そしてお盆になる頃、いつもはゲームをするために帰っていなかった実家に帰省することにした。
(この部屋にいると、珠子さんの匂いが忘れられないや)
椎葉は実家に連絡し、新幹線に乗る準備を始める。
念のため、マーコさんにはお盆の間実家に帰りますとチャットを送るが、珠子には連絡を入れなかった。
椎葉は部屋を出ると、エレベーターの目の前まで歩く。
そのすぐそばにある珠子の部屋に視線を向けると、ガチャガチャと言った音が扉から鳴った。
椎葉は慌ててすぐそばの非常階段を下り、エレベーターの前から逃げ出した。
部屋から出てきた珠子。
久しぶりに見た彼女を見て、椎葉はまた胸の高鳴りが抑えきれなくなった。
白いノースリーブのブラウスに青いプリーツスカートを穿いた彼女は、相変わらず子供っぽいさくらんぼの髪飾りをつけていた。
非常階段を下りたことにより、結果的に下から彼女を覗き込む形になった椎葉。短いスカートから伸びる足ばかり目に行く。
目の前に好きな女の子がいる。
その事に頭がいっぱいになった椎葉と、何故か呼んでもいないのにやってきたエレベーターを不思議に思いながら乗り込む珠子。
ドアが閉まりそうになる直前。椎葉はエレベーターに乗り込んだ。
「一色君? え? 今どこから来たの?」
「ごめん。その最初は部屋のドアが開きそうになった時とっさに隠れちゃって……でも僕! 珠子さんが好きです!」
「…………」
「返事は期待していないです。来なくても構いません」
椎葉の告白に対し、一向に返事をしようとしない珠子。
エレベーターという密室。突然入ってきた異性。
それが例え知り合いだとしても、珠子は少しばかり恐怖心を抱いていた。
だが、女性経験も少なく、なおかつ自分のことで精一杯だった椎葉には、それがわからなかった。
震える珠子の両肩を、椎葉はがっちりと掴む。
その瞬間、珠子はビクンと体を震わせた。
その時、初めて珠子が震えていたことに気付く椎葉。
「え? なんで? 珠子さん。やっぱり僕を拒絶するの?」
「あっ……違う。そうじゃない。そうじゃないけど、ごめんなさい」
「そう……」
その瞬間、エレベーターは一階に到着し、椎葉は駅に向かって駆け出した。
エレベーターに一人残された珠子は、その場でへたり込み、ぽつりと呟いた。
「ごめんなさい。だって一色君は、初めて受け入れてくれた人なら誰でも良かったんでしょ? だからきっとこの三か月も忘れちゃうんだ」
その言葉は椎葉には届かない。
エレベーターのドアは珠子が出ることないまま閉じられるのであった。
椎葉は駅にたどり着き、地元に向かう新幹線の切符を購入する。
泣きながら新幹線に乗る訳にもいかず、それでも悲しい気持ちは抑えられない。
フラれた。わかっていた。そう何度も頭の中で繰り返しながら、自分を納得させた。
地元にたどり着いたころにはすっかり乾いた瞳と心。
気がつけば実家にたどり着いており、そこまでの道のりの記憶が完全に欠落していた。
「はは。随分ショック受けたな。わかっていたって思っていて、こんなにショック受けるっておかしいの」
椎葉は実家に帰り、親と久しぶりの会話をした。親の料理を口にして、椎葉は涙が零れ落ちそうになった。
運よく両親に見られることなく、椎葉はさっさとご飯を口に流し込み、部屋にこもった。
涙が流れたのは、実家の味に安心したからかもしれない。
誰かの料理を口にしたからかもしれない。
「珠子さんの料理。もう食べられないのかな」
椎葉は久しぶりの実家のベッドに転がり込み、その日はそのまま眠り始めた。
次の日。地元ですることのなかった椎葉は、大学生になってからほとんど歩かなくなった近所を散策することにした。
(コンビニできている。あ、道路新しくなっている。知らない歩道橋もできているな)
地方都市である地元を歩く椎葉。だが確実に大学周りより劣る街が、少しずつ都会に近づいていることに寂しさを感じ始めた。
(でも別に思い入れのある土地でもないんだよな。小さい頃くらいしか友達いなかったし)
その時、椎葉はあることを思い出し、走って実家に戻った。
古いアルバムを漁ると二人の子供が遊んでいる写真がある。
「さくらんぼの髪飾り…………」
椎葉は珠子にチャットを送る。
『珠子さん。変な質問かもしれないけど、もしかして珠子さんって幼い頃俺と遊んだことある?』
しかし、珠子からチャットは返ってこなかった。
意を決して通話をかけてみても無反応だ。
「ブロックされた?」
椎葉は昨日の出来事を思い出す。ブロックされていてもおかしくない。
真新しい歩道橋の上で椎葉は、交通量の多い車両を上からぼーっと眺める。
(マーコさん。もしかしたらチャットしてきてくれているかな?)
椎葉はスマートフォンを操作し、普段はパソコンからログインしているSNSにログインする。
見てみると、通知が一件。慌てて確認するとマーコからチャットが飛んできていたのだ。
『髪飾りをくれた場所で待っています』
「え?」
椎葉は理解できなかった。マーコは何を言っているのだろうか。
違う。椎葉は理解できている。ただその現実が本当に現実かを理解できていないのだ。
「髪飾り? 僕が誰かに? そんなの珠子さんしかありえないじゃないか」
(僕は今まで何をしていたんだろうか。本人に恋愛相談していたなんてばからしいや。珠子さんは僕のアカウントをどこで知ったか。簡単だ。パソコンの画面に常に表示されているんだから。冗談で本人に胸が好きって言っちゃったんだよね。大好きだけど)
椎葉は走り出した。椎葉は髪飾りを上げた場所なんて覚えていない。だが、幼い頃の自分の行動範囲ならなんとなく覚えている。
(マーコさんからのチャットは今日のお昼すぎ。約三十分前だ。だからきっと今も待っていてくれているはずだ)
走る。幼い頃遊んだであろうそのすべての場所を走り回ったが、どこにもいない。
(ダメだ。なんでだ? 髪飾りどこであげたんだよ)
アパートで再開した時の彼女のことをふと思い出した。
(そういえば初めて出会った珠子さんも家に入れなくて困っていたんだっけ?)
記憶を掘り起こす。椎葉にとって珠子と仲直りする最後のチャンスかもしれない。
「そうだ。確か幼い頃」
――――
家に入れなくて泣いている少女を見つけた幼い頃の椎葉は、少女の手を取り、引っ張っていった。
いきなり知らない男に引っ張られていた少女はなぜか無抵抗でついていく。
そんな彼女をどこにつれていこうと思った場所は、椎葉にとって唯一安らげた場所だった。
――――
「植物園だ」
植物園。間違いなく一度彼女と二人で行った場所だ。
椎葉はそう思い植物園に向かう道を走り始めた。
「あれ? お盆って閉館なんじゃ?」
とにかく行こう。そう思い植物園のあった場所に向かうと、そこには大型のデパートが建てられていた。
「あれ? そっか、なくなったんだ」
だが、椎葉はデパートの中に入る。
植物園がなくなったとしても、彼女がいるとしたらこのデパートしかないと思ったからだ。
(問題はデパートのどこにいるかなんだよなぁ)
椎葉は一階から隅々まで探し始める。しかし、彼女の姿はどこにもない。
(あの時、確か植物園の天窓のあった場所。このデパートに天窓はないけど、屋上ならある)
屋上は駐車場になっており走り回るのは危険。さらにそれなりの広さの為、隅々まで歩いていると、隅っこの非常階段に誰かが座っていた。
薄い紫色のブラウスに白いフレアスカートを穿いた女性。髪には当然のように子供っぽいサクランボ髪飾りがついていた。
「珠子さん」
「来ちゃったんだ椎葉」
「一色君って呼ばないんですね」
「呼び方を戻しただけだよ」
「そうだね珠子ちゃん」
一歩。また一歩。椎葉は珠子に歩み寄る。珠子はそこから動かない。
「椎葉。もう一度聞かせて。あなたを初めて受け入れてくれた人は本当に大学に入るまでいなかったの?」
珠子は椎葉の目を真っすぐ見つめ、椎葉はそれに対して一切目を逸らすことはなかった。
「ううん。僕はさ。愚か者で傲慢だからあの時泣いていた君を僕が受け入れている側のつもりで、僕が肯定している側のつもりで君が肯定してくれていたことにちっとも気付けなかった。でもだからこそ言わせてほしい」
「うん」
椎葉はその場で深く深呼吸をし、それを見た珠子は少しだけ笑ってしまう。
「僕は今の珠子さんが好きだ。初めて僕を肯定してくれた幼い珠子さんも僕にとってはかけがえのない存在だったのかもしれない。けど僕は今の珠子さんを真剣に愛している! 幼い頃の僕にそういう感情はなかった。でも春からの三か月。君がいる時間はゲームをしている時なんかよりずっと楽しかったんだ」
椎葉は今の自分の思いを伝えると、珠子はその場で立ち上がり、非常階段を一歩一歩下りていく。
「珠子さん?」
「椎葉の馬鹿。でも好き」
「ほんと?」
「大学で君を見つけた時ね。もしかしたら君から声をかけてくれるかなって期待していたんだよ。でも君全然でさ。あの頃は私も地味で。可愛くなればって思っておしゃれ勉強して頑張ってでも君からもらった髪飾りだけは外せなくて…………頑張ったけど君から声をかけてきてくれなかった!」
珠子の言葉を聞いた椎葉は思った。
(あんなにおしゃれで可愛い女性に僕みたいなやつが話かけてくるはずがない。でも珠子さんは話しかけられないのは自分が地味なせいって思ったんだ)
「私が地味なままだったら、好きになりませんでしたか?」
「…………」
すぐに答えが出なかった。椎葉は地味な彼女を知らない。
知っている頃と言えば、幼い頃の彼女だけ。
だが、知っている限りでは年相応の格好をしていたはずだ。
「珠子さん。わからない。僕は地味な珠子さんを知らない。でも、これから先珠子さんが地味になったとしても、僕は珠子さんが好きだ。しわくちゃのおばあちゃんになってもデートに連れて行ってやる!」
その瞬間。椎葉の体に珠子が飛びついた。
珠子がしがみ付いてきて椎葉は心臓の鼓動を早まらせる。
「言った! 約束! 絶対だからね! …………でも足が弱くなってたら無理しなくていいからね?」
「じゃあ、その時は一緒に寄り添ってるよ」
「そっか。じゃあ椎葉の為にずっとそばにいてあげる」
そう言った珠子はふいに謎の重さが襲い掛かる。
椎葉の全体重が自分にかかっているような感覚だ。
「椎葉?」
「ごめん、ちょっと普段走り回らないからさ。安心しちゃって」
「じゃあ一生安心だね。だって私が離れるつもりないから」
「そっか。じゃあもう少しこのまま」
「うん」
二人で並んで非常階段に座り、お互いの影が離れることはなかった。
そして地元から帰る新幹線。
示し合わせるように一緒の時刻で集まり、隣の席の指定席を見せ合いながら関東に戻るのであった。
「そういえば珠子さんってマーコさんなんだよね?」
「そうだけど?」
「今度二人で並んでゲームしようよ」
「いいよ。あ、じゃあ長く生き延びた方が相手に一つ命令していいってのは?」
「えー? 珠子さんが泣いちゃうからダメだよ」
「ちょっと何勝った気でいるのよ!」
そして二人はまたいつものように一緒にご飯を食べて一緒にゲームをしたり映画を見たりする仲に戻るのであったが、一つだけ変わったことがある。
「珠子さんいつもなら部屋に戻るよね?」
「んー?」
「いや、僕は嬉しいけど。その抱き着かれるとゲームしにくいなぁ」
「んふふ。やめちゃえ。こっちに構って欲しい子がいるんだぞ?」
「うわぁ…………むしろ構うと逃げる癖に構わないとこれだよ」
そう文句を言っている椎葉は、いい表情で笑っていた。
以前までつけていた大きなマスクはもう椎葉には必要なくなっていた。
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