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「なんのつもりだ」
 血相を変える卯吉に対し相手は無言でもう一方の手の指先で眼球を狙ってくる。
 電光の速度の致命打。対する卯吉は全身の力を抜いて背後に倒れた。眼前を唸りさえ聞こえそうな早さの指先がかすめる。
 とたん、彼は身体を旋回させ両足で相手の片足をはさもうとした。
 酔漢を真似て創設された流儀の動きは他者の予想をたやすく越える。
 が、空を切った。目付によって、あらかじめこちらの動きを相手が読んだのだ。
 攻防をくり広げている間にかすかな気配が包囲してくるのを卯吉は感じていた。あせりが痒みに似たような感覚を総身に生じさせる。
 察知できた敵の数からすると、おそらくは足止めが目的。
 高速で思考がまわる。一方で、蹴撃と回避、足技で目まぐるしい攻防を裏切り者とくり広げた。まず、捕えられている者の救出か口を封じることが一義だろう。
 だが、邪魔者である自分も消したいはずだ。足止めに留める目的はなんだ。
 そうか、人質か――卯吉はひらめいた。
 清峰忍群は家中の争いにも駆り出されているという。となれば、せめてこちらを始末するか、最低限動きを止めたいはずだ。そこで、仲間と彼らが思っている――まだ、正式に宗左衛門が空拳仕置き人に加わったわけではないが――侍を拐し脅迫するつもりなのだろう。
 なにも、なんらかの要求を通す必要はない。
 空拳仕置き人の情報を侍が吐いた、暴露してもいいのか、と脅してこちらの活動を一時的に止めるだけでいいのだ。その間に家中の争いに決着をつけ、あらためて全力で卯吉たちを始末しにかかる、そういう算段だろう。
「彦の字、おとわとお侍にことを知らせに行け」
「わかりやした」
 卯吉は転げ回り、立ち上がり、跳躍し、攻守をくり返しながら下っ引に指示を飛ばした。威勢よくいって彦三は疾駆する。彼がこの場からのがれられるかもさだかではないが、その身を案じながらも卯吉にできるのは強敵を引き受けることだけだった。
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